■【アフリカ大湖地域について考える】

(6)素足のジハーディスト

大賀 敏子

 ◆ LNGプロジェクト基地

 2021年3月24日、数百人の武装グループが、モザンビーク北部のカーボ・デルガード州の町パルマを襲った[注1]。このテロ攻撃で外国人を含む数十人が犠牲になった。近くでは大規模なLNG開発プロジェクトが進行中だ。フランス企業トタルのほか、日本からは三井物産、独立法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構、国際開発協力銀行(JBIC)の融資(536百万米ドル)が入っている[注2]。
 数日後、「イスラム国」が犯行声明を出した。イラク・シリアのイスラム国と同じ名前だが、これと結びつきのある、現地のジハード組織(アフル・スンナ・ワル・ジャマア(ASWJ)[注3])だ。カーボ・デルガード州でこのグループが過激化したのは2017年からで、これまで1,300人の一般人を含む2,300人が犠牲になり、67万人近くが移転を余儀なくされた[注4-7]。

 ◆ 南北格差

 モザンビークは、インド洋に面する南部アフリカの国だ(地図参照)。北のタンザニアと南の南アフリカのほか、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、エスワティニ(旧スワジランド)と国境を接する。79.9万平方キロメートルの国土に3,036万人が暮らす。1975年ポルトガルから独立し、社会主義の国家建設を進めた。1992年まで17年間続いた内戦は、東側と西側とが政府側と反政府勢力とをそれぞれ支援する、典型的な代理戦争だった。筆者は90年代タンザニアにいた。タンザニアも貧しかったが、多くのタンザニア人が隣国モザンビークのことを「貧しくて荒れた国」とみなしていたように思う。

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  モザンビーク地図~モザンビーク基礎データ/モザンビーク共和国大使館(embamoc.jp)より

 市場経済への転換と内戦の終結後、モザンビークは一転して着実な歩みを示した。順調な経済成長(90年代で年率6パーセント)、民主的な複数政党制選挙など、同国は「平和構築の成功例」と一般に高い評価をうけた[注8]。しかし、富は首都マプトのある南部に集中し、国が経済的に成長すればするほど、南北の格差が広がった。
 1960年代の独立運動の震源地も北部だった。南北間の格差解消が目的に掲げられた。半世紀後のいまテロが起きるのも、実は同じ動機だと言われている。

 ◆ シャリアの弱者救済

 アフリカの田舎町を訪ねておどろくのは、きちんとしたインフラも病院も銀行もなくても、宗教施設はあることだ。あたりが貧しければ貧しいほど、都市からはなれた辺境であればあるほど、ひっそりと外国人伝道者がいたりする。この地球上であり、そこに人が生活しているかぎり、信仰を説く人が入ってくる。
 モザンビーク北部のこの貧しい州の128万人のうち、8割以上は農村に住む[注9]。そこへ2000年代以降、原理主義イスラームを布教をする人々が入ってきた。その様子はこのような伝道者に近かったのではないだろうか。少なくとも初めのうちは。

 それ以前からムスリムもクリスチャンもいた[注10]が、やってきた彼らは、若者や少数エスニックグループを特に重点的に布教した。イスラーム法であるシャリアを徹底するのが貧困から脱出する道だと説いた。シャリアには弱者救済の精神が流れている。マルクス・レーニン思想の後を埋めるかのように、彼らははっきりした政治的意図を伴い、モスクや教育施設を建てるばかりか、小規模融資、雇用創出など生活のサポートもしたという。木材や象牙の密輸にも関係していたので、反政府的性格はあったが、武装勢力ではなかったようだ。

 ◆ 資源発見

 そんなところで2009年と2011年にルビーと天然ガスがそれぞれ発見された。首都から2,000キロも離れた貧しいエリアが、いきなり世界の表舞台になった。投資家が来る、物資が入ってくる、商店、銀行、ホテルができる。やってくる外国人は、西側、ロシア、中国とコスモポリタンで、巨額の投資を伴ってくるとのことだ。しかし、庶民の生活はまったく良くならない。それどころか、ここはプロジェクト用地だから立ち退きなさいと、スズメの涙のような補償を示され、おろおろしていると、政府の治安当局がやってきた。
 もとからの住民から見れば、新手の伝道者も外国人投資家もいずれもよそ者だ。みんなよそ者なら、貧困をなくそうと助けれくれるグループにシンパシーを覚えても不思議はない[注11-13]。

 ところが、ほどなく淡いシンパシーは裏切られた。グループはあっという間に、軍事、行政、資金力、思想すべての面でめきめきと力をつけた。貧しい人々への援助は続けていたようだが、その一方、政権に近い人や非ムスリムに対する暴力と残忍さはエスカレートした。2019年からASWJの写真に、国際連携を誇示するように、イスラム国の黒旗が翻るようになった―アッラー以外に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり[注14]。
 警察と軍が次々と投入された。それを補強するために、国際的なセキュリティー企業が呼びこまれた[注15]。2021年3月10日、アメリカ政府は、モザンビークのこのASWJを国際テロ組織と指定した[注16]。

 ◆ エリート

 筆者が暮らすケニアでもテロが多い。1998年8月、アメリカ大使館爆破、2013年9月、ショッピングモール襲撃、2015年4月、ガリッサ大学襲撃、2019年1月、高級ホテル襲撃では、それぞれ200人以上、60人以上、140人以上、20人以上の犠牲者を出した。海外メディアで報道されない事件も多い。
 2013年の襲撃での証言がある。ある女性が実行犯に、財布をあげるから命は助けてくれと頼んだら、「財布はいらない。私たちは泥棒ではない」と言って銃を向けられた。実行犯はソマリア系のグループで、ケニアがアフリカ連合軍に参加してソマリアで戦ったことへの報復だという[注17]。

 小川忠・跡見学園女子大学教授は、なぜ若者が自爆テロに走るのかについて分析している。ヒスボラ(レバノンを拠点にする組織)に所属していた自爆テロリスト(少女)の遺言を引用し、「悪意と憎悪に凝り固まった狂信的信者」というより、「同胞社会の支持を確信し、社会との連携意識」をもつ若者であることがうかがえるという。また、歴史を見れば、テロリストは必ずしもムスリムだけではないとも[注18]。
 2016年7月、バングラデシュ・ダッカのテロ事件では、日本人7人が犠牲になった。このときも、実行犯の中にはきちんとした学歴を持つ人がいたと伝えられる。

 ◆ 正義の確信

 テロリストにならなくても社会で十分やっていける人たちが、わざわざ学歴も将来もかなぐり捨てて、軍事訓練を受け、自爆する。テロには主張があるからだ。暴力は手段に過ぎない[注19]。残虐行為は、宣伝効果を最大にするためだろう。
 目にあまる不正義をつきつけられ、体いっぱいに義憤を感じる若者たちに向かって、正義感を抱くな、黙ってじっとしてろと言う方が無理なこともあるだろう。ジハードに命をかける人は、自己犠牲をいとわないばかりでなく、それが社会みんなのための正義なのだと確信しているとのことだ。

 信じているからと言って、いちいち暴力を使われたら社会は成り立たない。武装した若者が集団になっていきなり襲撃してきたら、一般市民はひとたまりもない。市民の中には子供も高齢者も病人もいるのだ。だから、武装勢力に武力で対抗する(militarisation)のは、確かに一つの確実な方法だ。
 しかしそれだけでは、逆にテロリストの確信をもっと強固にしてしまうかもしれない[注20]。おまけにテロには国境がない。どこか一ヶ所から追い出しても、よそに波及する。モザンビークと並んで、いまコンゴ民主共和国でもローカル・ジハーディストが動き始めた。ここほんの数年のことだ。

 ◆ サンダル履きの兵士たち

 メディアにこのASWJの写真が出ている(写真参照)。覆面をし、手に手に武器を持つ若者たちだ。注意深くよく見ると、おや、サンダル履き(ゴム草履)だ。
 アフリカ、とくに農村部では、いまでも素足の子供が少なくない。健康のために望ましくはないが、子供の履物は、どんどんサイズが変わるので、貧しい懐でやりくりするには優先順位が低い。慣れてしまい、そのほうが動きやすいのか、成人してからも、多くの人たちは素足、せいぜいゴム草履だけで活動し、靴は大事な時のためにとっておく。

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  The New York Times “In Bid to Boost Its Profile, ISIS Turns to Africa’s Militants”, 7 April 2021 より

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  Twitter より

 モザンビークの実行犯たちも貧しい。国際的組織にバックアップされたテロリストである以前に、田舎の庶民なのだろう。
 2019年1月のナイロビのホテル襲撃で、筆者の知り合いのケニア人は、友人を殺されてしまった。ショックと悲しみでふさぎ込んでいたが、所属するキリスト教会のSNSにこんなメッセージ書いていた。「テロリストたちのために祈ろう、彼らもかつてどこかの女性の赤ちゃんとして生まれたことだけは、間違いないのだから」

 テロはいつどこで遭遇するかわからない。もしあってしまったら、伏せろ、逃げろ、隠れろ、ほかに方法がないなら戦えと、サバイバル・ノウハウが流布されているが、必ず自己防衛できる保証はない。「テロリストは悪い奴らだ、やっつけろ」「宗教原理主義はこわい」とついつい言いたくなってしまう。しかし、同時に考えたい。せっかく生まれた子供たち、あるいは、これから生まれてくる子供たちを、テロリストにさせないためには、どうすればいいのだろう。

 (元国連職員・ナイロビ在住)

[注1]FDD’s Long War Journal “Islamic State claims capture of coastal city in Mozambique”, 29 March 2021
[注2]国際協力銀行「モザンビーク共和国におけるLNG(ロブマ・オフショア・エリア1鉱区)プロジェクトに対する開発資金を融資、日本のエネルギー資源確保に貢献」2021年2月16日
[注3]公安調査庁「国際テロリズム要覧2020」
[注4]飯山陽、NEWSWEEK日本語版「『イスラーム国』が強大化するモザンビーク、見て見ぬふりをする日仏エネルギー企業の罪」、21 April 2021
[注5]BBC “Mozambique’s jihadists and the ‘curse’ of gas and rubies”, 18 September 2020
[注6]The New York Times “American Soldiers Help Mozambique Battel an Expanding ISIS Affiliate”,15 March 2021, updated 7 April 2021
[注7]Cognosco Team “The Islamo-fascist threat in Mozambique”, 18 November 2020
[注8]アジア経済研究所・船田クラーセンさやか「モザンビーク紛争解決後の平和構築の課題―地域社会における対立の深化―」
[注9]Government of Cabo Delgado Province, História / A Província / Inicio - Portal do Governo da Provincia de Cabo Delgado
[注10]アジア経済研究所・網中 昭世「現代モザンビークにおけるイスラーム ――イスマーイール派の「回帰」、スンニ派と国家の対峙」
[注11]The New York Times, “In Bid to Boost Its Profile, ISIS Turns to Africa’s Militants” 7 April 2021
[注12]BBC “Mozambique’s jihadists and the ‘curse’ of gas and rubies”, 18 September 2020
[注13]Cognosco Team “The Islamo-fascist threat in Mozambique”, 18 November 2020
[注14]池内恵「中東・イスラーム学の風姿花伝―「イスラーム国」の黒旗の由来」
[注15]The New York Times “American Soldiers Help Mozambique Battel an Expanding ISIS Affiliate”,15 March 2021, updated 7 April 2021
[注16]State Department Office of the Spokesperson, Media Note “State Department Terrorist Designations of ISIS Affiliates and Leaders in the Democratic Republic of the Congo and Mozambique”, 10 March 2021
[注17]Voice of America “Westgate Mall Attack Survivors Confront Painful Memories”, 19 September 2014
[注18]一般社団法人平和政策研究所・小川忠「自爆テロはなぜ頻発するのか ―イスラーム原理主義との関連から―」2017年
[注19]アジア経済研究所・白戸圭一「TICAD Vをどう見たか―「テロ対策」に象徴される新たなアフリカとの関係」
[注20]Aljazeera “Further militarisation will not end Mozambique’s insurgency”, 6 May 2021

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