【コラム】
大原雄の『流儀』

黒川弘務という検事
~見えない敵と見える敵との闘い③~

大原 雄

★ 検察の、別の顔

 特例として、検察人事への政治介入の道を開く検察庁法改正案は、6月17日の国会閉会で廃案となった。しかし、廃案となったのは、今国会に提出された法案であって、法案を改正しようという安倍政権の意思は変っていないらしい。粘着質の安倍政権。政府・与党は、特例規定の見直しを視野に入れて、今後の国会へ法案を再提出する心算らしいので、問題の状況は、ほとんど変わっていない。これに先立ち、5月22日、政府は、持ち回り閣議で、黒川弘務東京高検検事長(当時)の辞職を承認した。

 メールマガジン『オルタ広場』前号で触れたように、黒川弘務検事の処遇をめぐる安倍政権のさまざまな対応は、いろいろな波紋を拡げた。検察内部でも、動きがあったことも伝えた。5月15日、法務省に意見書を提出したのは、元検事総長(77歳)ら検察OBたち14人であった。また、18日には、これとは別に東京地検(東京地方検察庁)の元特捜検事たち38人も別の意見書を提出した。この文書の発信は、元・特捜検事有志という表記であった。

 そもそも「地検特捜部」は、赤煉瓦派とは違う意味で、エリート集団である。「特捜部」の検事たちは、日本で最強の捜査機関というプライドを持つ。というのは、全国に地検はあまたあっても、地検特捜部は、東京、大阪、名古屋にしかないからである。巨悪を撃つ。時の権力者に対しても、時として、反権力の立場を貫くからである。双方とも、究極のキーワードは、「検察の中立性」であった(言い換えれば、政治の介入拒否である)。それでいて、元検事総長らの意見書は、検察の歴史を含めて格調高く、政治家の恣意的な介入を批判し、検察官のプライドを誇示していた。

 一方、元特捜検事たちの意見書は、現場派のたたき上げの検事集団らしく「検事の独立性」を強調していた。「中立性」と「独立性」。似ているようでいて、非なるものである。中立性は、対政治家との関係では、与野党に「等しく」距離(ディスタンス)を置くという意味になる。「独立性」では、何者にも従属しない、ということで、「等距離」でなくても、独立性、独自性を保つことができる。そこから、独立性は、場合によっては、独善性に陥る危険性もある。そこで、ここからは、検察の、別の顔という視点で、検察の多面性を描いてみたい。

★ 赤煉瓦派、現場派、政務派

 法務省・検察庁における検察官のグループ(機能や派閥で分類)のうち、「赤煉瓦派」というのがある。本省(法務省)で行政官僚として積んだ経歴が長い検事らが多いとされる。レッテルの由来は、法務省旧本館の外壁に赤煉瓦が使われていることからきている。一方、検察庁(地方検察庁、高等検察庁、最高検察庁)で、警察から引き継いだ捜査や公判(検察官の起訴により、刑事裁判に持ち込まれる)担当した経歴が長い検事たちが「現場派」とされる。

 黒川弘務検事は、経歴を見ると、ここでいう「現場派」ではない。さりとて、「赤煉瓦派」として、地道に法務行政を積み重ねてきたようにも思えない。「閣議決定」という奥の手を使ってまで、安倍政権が彼の処遇を変え、特別待遇をしてまでとりはかろうとした意味が見えにくい。黒川検事の処遇が目的ではなく(それはあくまでも結果論として存在するが)、安倍政権の本来の意図は、己(安倍首相自身)の保身であって、黒川検事は、舞台回しに使われただけだったのではないか。野党は、その点を国会で追及していたが、真相は解明されていない。

 それはさておき、黒川検事の出世は、大臣官房の秘書課長から始まる。大臣官房審議官、「検察の在り方検討会議」事務局のトップ、官房長、事務次官、東京高検検事長、最高検検事総長への可能性(出世コースは、夢で終わったが)。新人大臣たちに寄り添う(大臣周りの世話をする)能力は、まさに「政務派」というレッテルにふさわしい。その辺りは、おいおい検討し、述べて行きたい。

贅言(大原、以下同様);「閣議決定」。閣議における議決は、全員一致でないと認められない。これは内閣法の「内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う」という条文が根拠となっている、という。
 以下、屁理屈のような理屈が、閣議決定を拘束している。

 国民を代表する国会に対し連帯して責任を負う内閣である以上、その責任はとても重い。反対する閣僚がいる、ということは、さらに審議を続ける必要である、ということだ。だが、待てよ。実務の上では、そういう仕組みであれば、一人でも反対すれば、内閣の方針が定まらず、国政の停滞要因になる恐れがある。ということで、反対する大臣は総理大臣が罷免することができる、という。つまり、内閣決議は、毎回、全員一致であり、反対するものは、罷免されることを覚悟に反対するしかない、ということらしい。

 2010年の民主党政権当時、時の鳩山由紀夫首相が、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題への対応について反対した福島瑞穂大臣を罷免した上で、閣議決定をした例などがある。与野党の壁を超えて、反骨派の面目躍如な、福島瑞穂さんらしい。

 検察には、従来の説によれば、「赤煉瓦派」と「現場派」の2派がいるらしいことについては触れてきたが、私の観察では、さらに「政務派」と呼ぶのが相応しい一派がいるように思えるとも、指摘した。黒川弘務という検事は、この「政務派」の典型ではないかと私は思っている。こういうイメージ対比は、図式的にした方が判りやすい。その際のポイントは、小異を大胆に捨てて、大同でまとめあげるのが、コツだろう。赤煉瓦派は、法務官僚。現場派は、たたき上げの特捜検事、というイメージではないか。意見書を出した検察OBたちは、この両派の違いではないか。三権分立の中で、行政マンでもある検察官たちの権限で絶対的な、司法的な権力の行使が認められる要諦は、検察が、準司法機関である、というところにある。

 検察の「独立性」は、意見書を出した両派の検察が等しく主張するところであるが、現場派は、時に、「独立性」を「独善性」と誤解する向きもいないわけではないらしい。例えば、ジャーナリストの江川紹子記者(以下、「江川記者」という表記を使う)は、この辺りのことを次のように書いている。彼女の記述をベースにしながら、私なりの議論の展開を試みたい。

贅言;近代民主主義の政治理論は、政治のチェック・アンド・バランス志向であった。そのための、民主主義国家の国家意思を実現するための権限が権力者に与えられる。国家意思=国民意思というフィクションを実現するために、権力者は、己の権限(国民から負託されたものの総計)を適切に行使する。国民の負託に応えるために、権力者の組織は、立法、行政、司法の三権に分立され、相互監視(チェック・アンド・バランス)で、適切な運用に努めることになる。
 権力は、人間の肉体に例えるならば、総体に値しよう。総体たる権力を分立させた三権は、例えば、立法は、さしずめ頭脳だろう。神経組織として、全身に意思を伝達する。行政は、血液である。肉体のエネルギーたる血液を運ぶ循環機関。司法は、消化器官であろうか。
 肉体の各組織のチェック・アンド・バランスには、相互のチェック・アンド・バランスとの間に、相互監視をして足らざる部分や行き過ぎた部分がある、と判定すれば、足らざる部分や行き過ぎた部分は、国民意思を再構築するような「選挙」システムなどを活用して、適切にしなおすなどの「ケア機能」が必要となるだろう。ケアをすることで、三権分立適切な運用では、それぞれの運用を兼務するようなことはない。それが、チェック・アンド・バランスの原理である。
 ところが、検察だけは、この三権分立の中で、例外的な存在となっている。つまり、検察官は、法務官僚という行政マンであるにも関わらず、準司法機関としても機能しているのである。そういう視点で検察を見ると、検察は、いくつかの顔を持っていることが判る。

 現場派:検事といえば、現場派を思い浮かべる人が多いだろう。司法(「独善」が危惧される歴史を持つ=特捜検事、権力からの「独立」=国家悪を裁くこともできる)機関の中でも、国民を起訴することができるという検事は、国民から負託された権限の範囲で、権力の一部を行使することができる。特に、「鬼の特捜」、特捜検事は、善悪の谷が左右から迫る尾根道を歩く登山者のようなものであって、悪の谷に陥落する危険性を避けながら、巨悪が座する山巓に迫ろうとする。悪の谷の誘惑に負けて谷底に落ち込む者もいるだろうし、勘違いをして独善的に無理な捜査をする者もいるだろう。その辺りは、江川紹子記者の記述を援用して記録しておきたい。以下、基本的に記述では、敬称略。

 江川:「たとえば、強制捜査開始から10年後に、最高裁で無罪判決が出て確定した長銀事件。旧日本長期信用銀行の経営者3人が粉飾決算の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。当時、取り調べを受けていた長銀関係者は、検察は自分たちのシナリオに沿った自白を求めるばかりで、それと異なる事実の説明には一切耳を貸さなかったことなど、その無理な取り調べの実態を本に書き記している。そうした取り調べを受けていた銀行関係者ふたりが、自ら命を絶つ悲劇もあった」と証言する。

 江川記者は怒る。今回提出された元・特捜検事38人の中にこの事件を担当した検事がいるにも関わらず、自らの「暴走」については、言及していない。江川記者の筆は、14人のOB意見書より、38人の元・特捜検事の意見書に厳しい目を向ける。意見書では、「過去の検察の暴走には一切触れず、今回の法案が『検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼を損ないかねない』点のみを強調している」と批判するのである。

 江川記者は、さらに「国民の信頼」と「検察の独立」は、コインの裏表のはずなのに、信頼とか独立と言いながら、自らは、「暴走」していた過去を隠しているのは、如何なものかと公表している。この意見書に名前を連ねたK氏。江川記者は、きちんと実名で書いている。私は、独自にデータをチェックしたが、この情報は基本的に江川記者の記事の二次利用(引用)なので、ここでは、イニシャルで表記するので、許してもらいたい。

 K氏が「東京地検特捜副部長として指揮をしたゼネコン汚職事件の捜査では、検事が取り調べていた参考人に暴力を振るい、特別公務員暴行凌虐致傷罪で有罪にまでなっている」と証言する。意見書の「同じく有志のひとりであるO氏が東京地検次席検事時代に捜査した陸山会事件では、内容虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出。小沢一郎氏は強制起訴に追い込まれたが、東京地裁は無罪判決のなかで、検察の捜査を厳しく批判した」という。「先に挙げた長銀事件で主任検事を務めたS氏も、「意見書に名前を連ねている」という。

 江川記者は、次のようにまとめる。「自分たちが関わったそうした『検察の暴走』に関しては一切目をつぶったまま、OBらが『検察の独立』や『国民の信頼』を語っているこうした意見書を、絶賛するだけでよいのだろうか」。独立性と独善性(「暴走」も含む)への批判は、全く同感である。検察は、政治から干渉を受けてはならない。その上で、「独立」を保ちつつ、「独善」を防ぐ仕組みが必要である。以上、江川記者の記事を引用し、あえて、リツイートした次第である。

 赤煉瓦派は、行政マン(法務官僚)として、法務行政を進める。中でも政務派は、大臣人脈を活用して、出世階段を上って行く。黒川弘務検事が、賭博麻雀の批判を受けて、辞職に追い込まれた後、本来の次期検事総長候補の本命・林眞琴名古屋高検検事長は、東京高検検事長の椅子に座った。さらに林検事長は、最高検検事総長の椅子に座るだろう。林氏は、赤煉瓦派の出世頭となる。
 林眞琴氏は、2017年、いわゆる「共謀罪」(組織的犯罪処罰法改正案)の審議にあたって、衆議院法務委員会で、金田勝年法務大臣が答弁不安定だったことから、大臣の代わりに答弁に立ち、問題点が多いにも関わらず「共謀罪」法案成立に尽力していた。私たちは、国会前に詰めかけ、「法案廃案」などと反対の声を上げたものだ。あれから3年が経過した。林検事総長の誕生とは、これはこれで、まことに口惜しい限りだ。国会中継のテレビで見たあの「いかつい」印象の顔を覚えている人もいるだろう。検察幹部として、黒川弘務という検事と、どれだけ違いがある、というのだろうか。

 政務派としての黒川弘務は、法務大臣を始め、与野党政治家との対応を得意とする。官僚人生では、政治家とのつながりを最優先で重視する。今回の黒川弘務検事は、法務省の大臣官房秘書課長、大臣官房審議官、官房長、事務次官、東京高検検事長へ、さらに、異例の定年延長へ(最高検検事総長への夢)と出世してきた軌跡を考えれば、「政務派」(「大臣誑(たら)し」「政治家誑し」というレッテルを貼られたらしい)の典型だったのだろう。

★ 黒川弘務という検事

 実際の検事像とは? どういうものであろうか。
 検察官=現場派:地検特捜部検事志向。
 検察官=赤煉瓦派(官僚派)、つまり本省の建物にちなみ、「赤レンガ検事」と呼ばれる官僚派志向。
 検察官=政務派:法務大臣など政治家に取り入る。もう一段上(?)への飛翔を試みる上昇志向の検事たち。

 マスメディアの感覚で大雑把にイメージすると、以上の3種類だろうか。
 例えば、定年を延長してでも、現役の検事でいて欲しいと安倍政権が願った「検事の星」・黒川弘務検事は、政務派を目指し、高みへの飛翔直前の極みまで登り詰めていながら、輝かしき将来を損ない、彼の検事人生の末節を汚した、ということになるだろうか。

 5月22日、安倍政権は、持ち回り閣議で、黒川弘務東京高検検事長(当時)の辞職を承認した。トカゲの尻尾切り。政治家による2回の特例措置を人生に引き込み、しぶとく生き抜いてきた黒川弘務氏の検事としての人生は終わった。いや、黒川氏が、こういう人生しか生きられない人だったのなら、堕ちれば良い。 

 ジャーナリストの仁義として、公人(検事)だった黒川氏のポスト(公的職位)に関わらない個人情報には、可能な限り触れないことにしよう。デモクラシーの世界では、誰にでも人権はあるのだから。

 黒川氏は、東京都出身で、中高一貫の進学校・早稲田高等学校(早稲田大学「付属」で全員が早稲田大学に進学できる「高等学院」とは、異なる)を経て、東京大学法学部(私法コース)に進学・1981年の卒業後、司法修習生(35期)となる。1983年、検事任官。東京地方検察庁で検事として見習いを経て、新潟地方検察庁、名古屋地方検察庁、青森地方検察庁などを歴任。その後は、法務省勤務となる。いわゆる「赤煉瓦派」という本省の法務官僚としての道を歩む。
 本省では、小泉政権のもとで司法制度改革の中枢的な役割を担う。2001年12月、大臣官房・司法法制課長。2005年1月、刑事局総務課長。2006年7月、大臣官房・秘書課長。これ以降、黒川氏の法務官僚人生は、大きく変わったように見受けられる。
 2年間の秘書課長時代。仕事のターゲットに、上司である法務大臣という政治家が、浮かび上がってくる。以降、大臣官房のセクション。2008年1月、大臣官房・審議官(政務担当)。秘書課長、審議官を通じて、4年余。2010年8月、松山地方検察庁検事正で転出。2010年10月大臣官房付・「検察の在り方検討会議」事務局のトップ。松山は2ヶ月で、東京に戻る。最初の「特例」措置だっただろうか。

贅言;「検察の在り方検討会議」とは、当時の大阪地検特捜部の証拠改ざん事件(いわゆる「村木厚子」さんに関わる事件。厚生労働省局長だった村木厚子さんを逮捕した大阪地検特捜部主任検事が証拠改ざんまで行った、という不祥事で逆に逮捕された)の発覚を受けて、2010年、当時の法務大臣が大臣の私的諮問機関として検討会議を設置した。検事総長OB、学者、ジャーナリストらが委員を務めた。会議では、検察組織や捜査手法の在り方などを議論した。会議の報告は、2011年3月末、「検察の再生に向けて」という提言としてまとめられた。

 黒川氏は、事務局のトップ(責任者)となった。会議の座長は、大臣を退任したばかりの千葉景子氏。黒川氏は、大臣の「死刑執行」署名で、存在感を発揮(この辺りの詳細は、後段で記述したい)。自民党の鳩山邦夫大臣、民主党の千葉景子大臣の時代。特に、黒川氏は、松山地検検事正転出後、わずか2ヶ月で、千葉氏の意向人事で、本省に戻された、というわけだ。政務を担う官房審議官として有能だったのだろう。
 以後の華麗なる官房官僚としての経歴が、東京高検検事長まで続き、安倍政権での、今回の特例的な「定年延長」につながったし、引いては、賭博麻雀常習にも繋がったように思う。しかし、黒川氏がやってきたことには、もっと、おぞましいことがある。ご存知だろうか。

★ 合わせて、なんと、27人

 見出しの数字は、何の数字か。
 以下の時系列のまとめを見ていただきたい。

1)黒川弘務の経歴
 06年7月~08年1月:大臣官房・秘書課長。
 08年1月~10年8月:大臣官房・審議官(政務担当)。

2)鳩山邦夫法務大臣の記録
 07年12月7日:3人。
 08年2月1日:3人。
 08年4月10日:4人。
 08年6月17日:3人。/13人。

3)保岡興治法務大臣の記録
 08年9月11日:3人。

4)森英介法務大臣の記録
 08年10月28日:2人。
 09年1月29日:4人。
 09年7月28日:3人。/9人。

5)千葉景子法務大臣の記録
 10年7月24日:1人。
 10年7月28日:1人。/2人。

 4人の法務大臣の記録は、在任中に、法務大臣が死刑執行の署名をした記録である。

 このうち、自民党の鳩山法務大臣は、342日の在任期間に4回署名して、合計13人に上る。この署名について、法務省の窓口として対応したのが、大臣官房の秘書課長、審議官時代の黒川弘務氏であった、と思われる。鳩山邦夫法務大臣に2ヶ月ごとに、毎回、3人から4人を死刑台に送る署名欄にサインをさせた。
 さらに、政権交代後、民主党の千葉景子法務大臣には、367日の在任期間のある月に3日だけ空けて2回の署名をして、合計2人。この署名についても、法務省の窓口として対応したのが、大臣官房の審議官時代の黒川弘務であった。特に、黒川氏は、弁護士出身ながら民主党政権の法務大臣として就任した千葉景子氏を丁寧にサポートしたようだ。

 すでに述べたように、千葉景子法務大臣は、大臣退任後、「検察の在り方検討会議」(法務大臣の私的諮問機関)の座長に就任した。座長就任の条件として、黒川氏を松山から東京に戻すよう要求したのだろう。黒川氏は、人事異動後、2ヶ月で、東京に戻ってくる。「大臣官房付」という辞令である。内実は、「検察の在り方検討会議」事務局(トップ)担当ということであった。これも、また、異例の人事異動である。

 ジャーナリストの︎江川紹子記者は、「検察の在り方検討会議」委員の一人に就任したので、その時の千葉景子座長と事務局の黒川弘務氏の姿を次のように書いている。

 「黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟の事務局長を務めるなど人権派の弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行の命令書にサインをしたという事実です。
 また、黒川氏は2010年8月に松山地検検事正へ転出しましたが、なんと2ヶ月後の10月に法務省官房付として本省に戻されています。これは実は、大阪地検特捜部による証拠改竄事件に絡んで設置された検察の在り方検討会議の座長に、法相を退任(9月)したばかりの千葉氏が指名されたことを受けて、検討会議の事務局は黒川氏に任せたいと千葉氏たっての希望があったからなのです。
 ようするに黒川氏は、類い希なる『政治家たらし』なのです。それが現在の安倍政権内でも、いかんなく発揮されてきたということなのです」

 「当時は民主党政権である。この会議の座長は、前法務大臣(当時)の千葉景子氏が務めた。その千葉氏を、黒川氏が常に寄り添うようにして補佐している姿は、今も強く印象に残っている。千葉氏も、何かと黒川氏を呼び寄せて相談するなど、その信頼の厚さは、傍目にもよくわかった。愛煙家の千葉氏のために、タイミングを見計らって会議場から外に連れ出すなど、黒川氏のきめ細やかな気配りには、舌を巻いた覚えがある」

(大原・注)江川紹子さんの記述は、以下のサイトの文章などを参照、一部を引用するなど・利用させていただいた。

「ニュースサイトで読む」: https://biz-journal.jp/2020/02/post_142451.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.

「ニュースサイトで読む」: https://biz-journal.jp/2020/05/post_159129_3.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.

★「大臣官房」というセクション

 黒川氏は、法務省大臣官房担当時代に、世界的に死刑廃止の流れがある中で、鳩山邦夫氏、千葉景子氏のほかに、保岡興次氏、森英介氏、日本の4人の法務大臣に、合わせて、27人を死刑執行させる署名(「死刑執行命令書」)を促す立場にいたことになる。法務大臣に死刑執行の署名をさせる「名人」だったのだろうか。死刑執行を契機に大臣と懇ろになる。それを己の出世の補助エンジンとする。そういう手練手管でも持っていたのだろうか。そういう表現は、「たわごと」とするにしても、なんか不気味なものを感じる。当時、法務省内では、黒川氏に「猛獣使い」というあだ名をつけていた、という噂もある。

贅言;法務現場の諸手続きを終えた「死刑執行命令書」は、法務省・大臣官房に送られてくる。大臣官房では、秘書課付検事 → 秘書課長 → 官房長 → 法務事務次官のルートで決裁される。ただし、法務事務次官の決裁は、大臣の署名を確認した後に行われる、という。黒川氏は、既に述べてきたように、大臣官房では、秘書課長、審議官、官房長、事務次官のポストを順調に歴任している。

 黒川氏の「政務派」としての熟成は、この時代に育まれたものと見える。
 2006年7月、大臣官房・秘書課長。2008年1月、大臣官房・審議官(政務担当)。2010年8月、松山地方検察庁検事正。2010年10月大臣官房付・「検察の在り方検討会議」(2010年10月諮問から2011年3月提言)事務局(座長は、千葉景子)。

 政治家介入で力を得たように見える。人事の軌道に乗った黒川弘務氏の官僚人生は、続く。千葉景子前法務大臣の期待に応えて、無事「検察の在り方検討会議」の提言をまとめ上げた、数ヶ月後、2011年8月、黒川弘務は、法務省大臣官房長に就任した。さらに、5年後、2016年9月、法務事務次官。2年半後、2019年1月、東京高等検察庁検事長。特例的に「定年延長」。
 しかし、陥穽が、潜んでいた。2020年5月、東京高等検察庁検事長辞任。以上のような略歴から見ても、黒川氏は法務省大臣官房畑のエキスパートだったことがうかがわれる。

 捜査現場で様々な経験を積んで、バリバリの検事魂を育んできた現場派検事ではなく、「政治家誑(たら)し」という特技を発揮して、大臣官房の政務担当プロパーの法務官僚として華麗に振る舞ってきたことだろう。

★ マスメディアも「誑す」

 そういう法務官僚ならば、マスメディア対策として、司法記者クラブに所属する各社の記者たちと麻雀に熱心に付き合うことは、賭け麻雀の問題は別として、マスメディア対策(こういう対策も「誑し」というのだろう)という法務行政の大きな柱を支えるポストから見て、彼らにとっては、極めて必要な「業務」だったのではないか。
 意見書を提出した検察OBたちの現場感覚と黒川氏の官僚体質は、相容れないだろうことは、よく判る。先輩検事たちが、黒川氏の異例の定年延長策に乗ってまで、ポストへの執着、居座りぶりに、業を煮やしたことは、容易に想像できる。まして、最後は、黒川氏自身の賭博行為という醜聞が噴出したのだから。東京地検特捜部の現場派・検察OBたちは、赤煉瓦派の醜態に、我慢ができない思いを抱いていただろうから、「それ見たことか」、と溜飲を下げたかもしれない。」

 法務省などの調査によると、東京高検の黒川検事長は、きっと、博才(ばくさい)があるマスメディアの取材記者とは、常習的に賭け麻雀をしていたのではないか。私は、初任地の大阪時代から、NHKの記者として、いろいろな記者クラブに所属(会費を払う)してきたが、当時の記者クラブには、役所が用意したクラブの居室(各社が共同で使う大部屋というところが多い)に付随する小部屋として、必ず、麻雀部屋が用意されていたものだ。私は、学生時代から麻雀を全くしなかったし、麻雀のルールも知らない。さらに、博才があるとは思えなかったので、賭け事には全く手を出さなかった。

 記者クラブに所属する記者の取材とは、特ダネを求めて、積極的に役所の各セクションを回ることもあれば、ことが起きた後、役所相手のペースで動く事象を取材するためには、事象が動き出すまで、あるいは、動きがまとまるまで、「待機する」という時間も結構長いのだ。特ダネ合戦は、時として、「特オチ」(待機組が皆揃って取材しているのに、自社だけ取材していない)防止のためにも、麻雀卓を4人で囲む。あるいは、ネタの源泉である当該の役人の身柄を側に「確保」しておくことで、「特オチ」(一社だけ、ネタを落とす)だけは、避けたいという心理が働くらしい。

 黒川氏は長年、新橋、虎ノ門、時には渋谷などの雀荘に、毎週足繁く通っていたらしい。この際、マスメディアの知人たちを同伴していた、というのは、雀荘の関係者の話。推測だけれど、やはり黒川氏は麻雀依存症気味なのかもしれない。雀荘でも常習的に賭博麻雀をしていた可能性がある。

 人事院が示す国家公務員の懲戒処分の指針では、賭博をした職員は「減給または戒告」、常習的に賭博をした職員はさらに重い「停職」とされており、「常習性」の有無は、黒川氏への処分では、一つの焦点となるだろう。

 今の所(7月上旬の時点)、黒川氏への処分は、「訓告」だけ。これだけでは済まないだろう、と思う。本人は、辞職を申し出た。5月22日、政府は、持ち回り閣議で、黒川弘務東京高検検事長(当時)の辞職を正式に承認した。
 しかし、黒川問題は、黒川氏への処分で終わるというものではない。1月の特例的な「定年延長」という閣議決定を時系列的に遡って、取り消す必要があるだろう。今国会で、一応「廃案」となった検察庁法改正案を、このまま撤回をし、再提出などしない、というところまで行くべきだろう。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)
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