【コラム】海外論潮短評(117)

高度成長期は歴史の一瞬
―低成長こそが歴史的ノーマル―

初岡 昌一郎


 アメリカの国際・外交問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』5/6月号が、「ブームはブリップだった ― 低成長に慣れる」という論文を掲載している。ブリップとはコンピュータ画像で、飛行物体などの移動を示す点滅のシグナルのこと。その論文要旨を以下に紹介する。

 筆者のルキール・シャルマは、モルガンスタンレー銀行投資管理部新興市場課長兼グローバル戦略担当主査である。彼には『諸国の興亡:金融財政危機後の世界における勢力変化』という近著がある。世界的な巨大金融グループの国際投資担当という責任ある立場にある筆者によるこの論文は、個人的見解以上のものとして注目される。

◆◆ 高度経済成長再来は幻想

 大不況以後のグローバルな回復期がちょうど8年目に入った。この期間中、世界経済は年平均2.5%の成長であった。多くの専門家たちはこれを喜ぶよりも、低成長の罠から脱出する方途をいまだに論じている。一部のエコノミストや投資家はトランプ大統領のようなポピュリストに期待し、自国経済を急成長させ、他の国がこれに続くことを望んでいる。

 グローバル経済が長期にわたり低迷していることから見れば、成長を低く抑えている要因が果たして一時的なものにすぎないのかを自問すべきだ。エコノミストやビジネスリーダーたちは2.5%の成長が苦痛の種だと文句を云っているが、1800年代以前には世界経済がそれ以上の成長を長く続けたことはなかった。実際のところ、年1%の成長を持続的に上回ったことはなかった。

 18世紀後半に産業革命が始まってからでさえ、グローバル経済の成長が2.5%を超えたことはほとんどなかった。グローバル経済が初めて数十年にわたり平均4%弱の成長を持続したのは、第二次世界大戦後の大規模な世界的ベイビーブームという人口爆発によるものであった。しかしながら、この期間が異常であったので、そのことをまず認識しなければならない。

 現在の成長低下要因を「三つのD」で要約できる。第一がデポピュレイション(人口減少)、第二がデレバレジング(テコの逆作用)、第三がデグローバリゼーション(反グローバル化)である。第二次世界大戦後から2008年の世界金融財政危機迄の時期は、爆発的な人口増加;投資を推進し、生産性を押し上げた借金(債務)ブーム;そして商品越境移動の驚異的な拡大に彩られていた。今日、これらすべてのトレンドは逆転し始めている。家族は少子化、銀行は貸出難、国境を越えた貿易は低下傾向にある。

 この政治的なムードと経済的現実の乖離拡大が危険なことが証明されつつある。怒れる大衆を宥めようとして、一部の政府は経済成長を復活させ、賃金を引き上げる目的で革新的な政策的実験を始めている。これらの政策は支出を増大させ、その結果、赤字の拡大とインフレの引き金になるので、失敗に終わることは目に見えている。そのような成長政策はブームとその崩壊の繰り返しにつながる。さらに悪いことに、一部の指導者はナショナリズムに訴えて軍事的な冒険の道を歩み、経済問題から国民の関心を逸らせようとしている。

◆◆ 低成長という現実の長所を歓迎すべき

 3D傾向が成長にとって根強い障害となっており、発展レベルにかかわらず、各国の政策決定者は経済的達成目標を再考し、年次1-2%の経済成長を十分とみなさざるを得なくなっている。低成長国は出発点が低いので、当然成長率がより高くなる傾向にある。でも、インドネシアなど年間平均所得が5,000ドル以下の国は、これまで7%程度の年間成長が満足とみなされてきたが、5%程度に引き下げざるをえなくなる。5,000ドルから15,000ドルの中国などは4%が比較的好調とみなされる。アメリカなどの先進国は1.5%を越えれば上出来とみるべきだ。

 これが経済成長の新しい現実である。しかしながら、これを容認している指導者はまだ少ない。現在、年5-6%の成長を遂げているインドでは、エリートたちが次の中国となるために9%を目指している。中国は6%以上の成長を目指して、債務を積み増している。既に経済が十分に成熟しているアメリカでも、5-6%も成長させるとトランプが豪語している。

 このような言動が期待と現実のギャップを生み出している。現在、2008年以前よりも高成長率を遂げている地域は世界にないし、予測すらされていない。2007年までは、中国、インド、ロシア、アルゼンチン、ナイジェリアなどの大国を含む、65ヵ国が7%以上の年間成長率を示していた。今は6ヵ国にすぎず、それもコートジボアールやラオスなど小国ばかりだ。それにもかかわらず、多くの開発途上国指導者は7%を成長のベンチマークとみている。

◆◆ ポピュリスト運動と迎合する政治家たち

 「高度成長を狙って何が悪い」という反論がある。だが、可能性以上に経済を成長させようとすることは、エンジンの能力を超えて自動車を加速させるのと同じで、はじめはスピードが出ているようでも、やがてエンストしてしまう。政治家が高度成長を公約するのは、それが可能だからではなく、人気を取り易いからにすぎない。

 これまでの選挙では政権与党が通常有利とみられていた。しかし、危機の時代にエリート層への反感が高まると、その状態は維持できなる。2009年には、人口の多い民主主義国上位50ヵ国において、全国レベルの選挙で与党が90%の勝利を得ていた。昨年は、与党の成功率は40%にまで低下した。このシフトによって漁夫の利を得たのが、多くの国でポピュリスト政党。

 既成政党内でも多くの政治家がナショナル・インタレストを優先させるという口実で、より強硬な方針を主張しだした。世論もこのような訴えを歓迎する兆候を見せている。民主主義プロセスよりも権威主義的な強力な指導者を求める人たちは、過去5年間、アメリカで11%、ロシアで24%増加した。特に、インドで26%増加し、70%に達したのには驚いいた。さらに驚愕すべきことは、民主主義に対する支持が青年層で世界的に激減していることだ。

◆◆ 勝者と敗者 ― 世界的な経済力のバランスに変化

 商品、カネ、ヒトのグローバルな流れのスローダウンは、国内の政治と政策決定に影響を与えただけではなく、国際的な経済力のバランスを再編することになった。2008年以前、新興経済諸国は輸出を通じて繁栄の道を求めてきた。韓国や台湾などの主要輸出国が享受したこのモデルの利点が次第に失われ、インドネシアやポーランドのように大きな国内市場を持つ国にウエイトがシフトし始めた。

 同時に、下請け労働に特化することで先行した諸国が次第にその利点を失うであろう。インドのバンガロールなどの都市は、グローバルな外注ブームで急成長し、拡大する新中間層の育成地となっていた。同じことはフィリピンにも云える。前世紀にはほとんど存在していなかったコールセンターが急成長し、220億ドル産業になっているが、グローバリゼーションの後退で外国からの受注が減少する。

 経済的な利点は大多国籍企業から、輸出入や外注に依存度が低い内需型の中小企業に移る。国境が高くなり先進国経済は外国人労働者に頼れなくなるので、アメリカなど先進国の労働者は交渉力を強めるだろう。国民所得における労働者の取り分は戦後期から一貫して低下してきたが、主因は海外に生産を移転することにより労務費を削減したことにある。この間、企業所得のシェアは着実に上がり続け、2012年にピークに到達した。その後は、企業のシェアが少し下がり、労働者のシェアがやや上昇し始めた。

◆◆ ニュー・ノーマル

 3Dの影響がすべて否定的ではない。国際貿易と国際生産に依拠している国と企業がスローダウンする代わりに、国内市場に依拠する会社にチャンスが回ってくる。低成長でグローバル化が失速すると、中間層の所得は相対的に増える可能性がある。過去数十年間、拡大の一途を辿った所得格差と不平等に歯止めがかかり、逆転する可能性もある。しかしながら、指導者や政策決定者がニュー・ノーマルの容認を拒否すれば、このような長所はすぐに失われるだろう。

 3Dのマイナスインパクトを打ち消すために政府が採りうる措置がいくつかある。長期的な出生率を高めるために政府がとる政策がおおむね不毛なことが立証されているが、女性や高齢者が労働市場に参入、再参入するインセンティブを提供することはできる。移民に門戸を開放することもできるが、自国民優先の政治的な雰囲気の中では困難だ。人口急減による労働力不足を解消するにはいずれも全く十分でない。

 同様な計算は反グローバル化にも当てはまる。グローバルな貿易交渉が行き詰まり、地域的交渉が瀕死の状況にあるとき、2国間交渉に重点おくことで打開を図ろうとする国はあるが、それはグローバルな反貿易トレンドに部分的に対応できるだけだ。ポピュリストの興隆があらゆる貿易交渉に対しメインストリームの政治家を及び腰にさせている。大統領選挙戦が始まる前、クリントン女史はTPPをグローバル・スタンダードと呼んでいたが、選挙が始まると選挙民の気分に配慮して反対に転じた。

 資金借り入れによる投資ブームを再来させることへの障害はさらに大きなものだ。2008年の金融危機が貸し出しに関する新規制と制約を招来したし、主要金融機関は左右のあらゆるポピュリストの攻撃の的になっているので、政策決定者の行動を束縛している。債務拡大は政治的に困難であるだけでなく、経済的な不安の引き金になりかねない。グローバルな債務レベルは安定しているようにみえるが、既にGDP総額の300%と極めて高い。

 低成長が不可避なことを大衆に説明する勇気が無いのであれば、政治家は少なくとも過大な公約を慎み、正当性のない政策実験を避けるべきである。減税や規制緩和という伝統的な政策は生産性を若干向上させ、成長率を少しは引き上げるのに役立つかもしれない。しかし、このような政策が大きな意味を持つとは考えられない。いかなる国も歴史的な制約を回避できず、脱高度成長の世界的現実に備えるべき時が到来している。

◆ コメント ◆

 環境や資源上の制約から見て、経済の急速な成長や拡大が望めないことは、これまでかなりの学者・研究者によって指摘されてきたし、エコロジストにとっては常識となっている。しかし、エコノミスト、特にジャーナリズムに露出している人たちに低成長容認論は極めてまれであり、経済成長戦略の音頭を取っている。あるエコノミストの述懐によると、「低成長論者にはジャーナリズムのマーケットがない(お呼びがかからない)」からだそうだ。その点からみて、アメリカを代表する大手金融機関における世界戦略担当者が高度成長論を幻想かつ有害と批判し、低成長が歴史的なノーマルと断言していることは面白い。

 本論の特徴は、低成長をもたらしている諸要因の中から、3Dという具体的な要因を取り出し、これらの要因から見るだけでも低成長が決定づけられているとの明快な主張である。さらに、筆者の確信を裏付けるために、歴史的な経験を援用している。

 典型的な低成長期であった江戸時代の歴史的評価はこれまで否定的側面が強調されてきたように、単純に褒めることはできない。だが、250年の平和が関ケ原当時からの兵器を温存し、結果的に軽武装と低軍事支出によって経済的負担を軽くしたことは認めるべきだ。そのために、1%以下だったとみられる低経済成長にも拘わらず、社会的な成熟が進行した。一般大衆は正規の教育を受けなかったが、読み書きそろばんの能力が広く普及し、国民の文化教育水準は飛躍的に向上した。

 現在のGDPが果たして経済的な成長を測定する基準としてどの程度有効かという疑問はさておいても、低経済成長でも適切な公共政策と所得再配分政策がとられるならば、社会的な成熟と個人生活の向上は十分可能なことはもっと論じられるべきだろう。

 最近の民進党大会における井出栄策慶大教授の知情意の横溢した挨拶を評価する友人の勧めで、彼の知的で良質なアジテーションをネットで再生、聞きほれた(「民進党大会、井出栄策」で検索し、動画を再生可能)。その後、彼の著書をいくつか読み、近来に稀な知的刺激を受けた。若手の経済・財政学者の中に、低成長こそが社会的個人的生活の質的向上の好条件だと説得的に論ずる彼のような人たちが少なくないことを知って、暗夜に光を見つけたような思いがする。

 (オルタ編集委員)

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