【コラム】
大原雄の『流儀』

馬三家(マサンジャ)からの手紙

大原 雄

◆ 新型コロナウイルスという妖怪が世界を徘徊している

 一つの妖怪が、世界各地に現れている。 ———— 中国発の新型コロナウイルスという妖怪が。

 ウイルス対策を機会に世界各国が、力をあわせてウイルスという妖怪から人類を救済しなければならない。人類にとって、このような闘いは、過去にも繰り返されたが、今後も繰り返されるだろう。

 中国での初動の対応のまずさが、ウイルスを蔓延させてしまった。日本で言えば、そういう中国事情に加えて、安倍政権の日本事情が、まずさを倍加させたという印象が強い。ウイルスは、まず、中国で感染者を爆発的に増やし始め、その後も増え続けている。死亡者も多い。日本でも、感染経路が辿れる段階(フェーズ)から、「市中感染」(無差別的な感染。どこで、誰から感染したか、不明になる)という段階に突入してしまった。

 中国は、混乱した対応のまま、強権力は現場の責任者たちを処分している。責任追及も大事だろうが、強権力者の保身ではなく、市民一人一人の感染防止に資するような具体的な対策を打ち出すことが、中国にとっても引き続きの課題だろう。この課題は、各国共通だ。どこの行政であれ、その具体的な指針を市民に示すべきだ。
 今の中国では政治体制的にダメだろう。行政機構がデモクラティックに出来ていないから、バランスのとれた真実に根ざした情報が掌握しにくい。従って、中国的体験をいくら積み上げても、そういう普遍的な対策は出てこないのではないか。そういう意味で、まだまだ、中国は近代化されていない。経済的な大国になっても、この課題は、当面、中国について回るだろう。

◆ 映画『馬三家(マサンジャ)からの手紙』

 中国の近代化は、まだまだ、遠いのか……。
 カナダ在住の中国系カナダ人、レオン・リー監督のドキュメンタリー映画作品『馬三家(マサンジャ)からの手紙』を観た。試写室が明るくなった時の、率直な感想が「この国の近代化は、まだまだ、遠い」ということであった。映画には、再現シーンもあるようだが、実写映像のドキュメンタリー映画作品である。

 アメリカのオレゴン州に住むジュリー・キースという女性が、自宅に近いスーパーマーケットで中国製のハロウィーン(10月31日・万聖節の前夜祭)の飾りを購入した。驚いたことに、飾りを入れた箱の詰め物の底に密かに一枚の手紙が隠されていた。
 ハロウィーンの飾りは、中国の「労働教養所」(国家の政治体制に反抗的な人を収容する中国版「ラーゲリ(強制収容所)」といわれる施設)に収監されていた孫毅(スン・イ)という人物が、強制作業中に係官の目を盗んで、ハロウィーンの飾りを入れた箱に自筆の英語の手紙を隠していたらしい。その手紙は、係官らの目を逃れて、箱に入った中国製の商品と一緒に、アメリカに輸出され、それを仕入れたスーパーマーケットの店頭に並べられ、この女性に買い求められたということらしい。

 ジュリー・キースは、ハロウィーンの飾りを購入してから、暫く箱を放置していたらしいが、やがて、その手紙を見つけた。手紙には、「政治犯」(反抗分子)として、国家権力に捕らえられた男が、窮状を訴える内容が記入されていた。くしゃくしゃになった手紙の紙は、8,000キロ以上も離れた中国からアメリカに渡ってきた、というわけだ。手紙は、中国でも悪名高い馬三家(マサンジャ)労働教養所の中で書かれたものだ、と判った。

 ジュリー・キースは、その手紙を読み、書き手の男、スン・イ(孫毅)が、信念に基づいて言動し、その結果、国家権力によって人権侵害を受け、強制的に労働教養所に収容されている、と理解した。手紙には、労働教養所内では、拷問を受け、洗脳されている人がいるなどと、囚われている状況の実態が、細かな字で詳細に記入されていた。ここから救出してほしい、と助けを求めている、という内容に驚き、彼女はアメリカのメディアに訴え出た。テレビ局のCNNやニューヨークタイムズなどのマスメディアが大きく取り上げることになった、というわけだ。

 このニュースに迅速、かつ的確に反応した映画監督がいた。中国系カナダ人の監督レオン・リー(Leon Lee)である。2006年からカナダのバンクーバを拠点に映画製作活動をしている。中国政府が反体制派から違法に臓器を収奪している、という実態を追うドキュメンタリー映画『人狩り』を製作中だったレオン・リーは、オレゴンの手紙を知り、さらに中国国内にいる反体制派や政治的活動家たちとの個人的なネットワークを通じて、手紙の主を探していることを密かに知らせた。もちろん、連絡を取り合うこと自体、中国の国家権力側に知られれば危険であることから、匿名扱いであり、情報漏洩には厳重に警戒して対処した、という。

 当時、スン・イ(孫毅)は、2年半の「刑期」を終え、釈放されていた。自己が被った厳しい体験を世界に伝えたいという思いを強めていた。しかし、スン・イに注がれた権力側の厳しい監視の目は続いていた。そうこうしているうちに、いくつかの繋がりを経て、レオン・リー監督が、スン・イと連絡を取りたがっていることが、スン・イ側に伝わった。スン・イは、情報封鎖や統制の壁を超えて、レオン・リーの映画『人狩り』のことを知っていたため、レオン・リーとの接触を自ら希望した。

 スカイプを利用して二人は、対話をし、スン・イの体験の映画化を協力して行うことに合意した。しかし、中国の強権力者から反体制の人権擁護派とみなされているレオン・リーが、中国に入国して映画撮影をすることはできるわけがない。そこで、スン・イは、映画に出演するだけでなく、自ら撮影も手がけることを提案した。これを受けて、レオン・リーは、スン・イに撮影に必要な機材の購入を指示するとともに、スカイプを利用して、撮影技術のトレーニングを続けた。

 この結果、映画『馬三家(マサンジャ)からの手紙』は、中国、インドネシア、アメリカのオレゴン州などで、1年間にわたって、撮影・録画されることに成功した。撮影のほとんどは、デジタル一眼レフとアイ・フォンを使って行われた。スン・イの協力者として、複数の友人たちも撮影に協力したが、皆、匿名としている。

 撮影の途中で、レオン・リーは、スン・イが行方不明になっている、という暗号化されたメッセージを受信した。スン・イは、再び、逮捕され、これまで以上のレベルの危険にさらされていた。国家権力側は、スン・イを追跡していた。電話機が押収された。電話機には、映画製作に関わる極秘情報が入っていた。スン・イの状況を知らされたレオン・リーは、それを危惧し、撮影を即刻止め、中国から出るようと、スン・イに勧めた。
 映画製作を止めることや中国から出ることは、スン・イにとって、考えられないことであったが、命の危険を感じたスン・イは、レオン・リーに助けられて、無事に出国することができた。インドネシアに自宅となる部屋を求め、安全を確保したスン・イは、ようやく、レオン・リーに会うことができた。その結果、撮影は、さらに継続されることとなった。

 インドネシアでは、スン・イは、はるばるアメリカのオレゴン州から訪ねてきたジュリー・キースとも会うことができ、手紙をメディアに持ち込んでくれたお礼を伝えることができた。しかし、スン・イもレオン・リーもジュリー・キースも、これが最初で最後の出会いとなるとは予想もしていなかった。というのは、『馬三家(マサンジャ)からの手紙』という映画製作は、中国政府からマークされていたのを承知していなかったのである。スン・イは、後に、「行方不明になる」、つまり、何者かに殺されてしまうのであった。映画製作に関してレオン・リー監督が連絡を取り合っていた中国人の中に、中国入国の際、権力側に尋問された者がいた、という。それが、スン・イのその後の運命を左右した。

 映画では、馬三家労働教養所の場面は、スン・イの体験に基づいて劇画風のアニメーションで表現されている。スン・イを始め、教養所に収監されている人たちへの権力側の係官による拷問・洗脳の様子を動画は生々しく描き出している。

 スン・イは、撮影済みとなった映像をレオン・リーに送信するにあたって、ビデオファイルを圧縮し、暗号化されたサイトにアップロードした。数ヶ月に一度、暗号化されたドライブでスン・イは、カナダに映像を送った。ドライブが届くと、レオン・リーは、受信したことを確認し、暗号化されたテキストでその旨を送信した。これを受けて、スン・イがパスワードを返信することで、中国政府側の傍受を回避した、という。
 詳しい送信方法は、秘密であるから、ここでは記述しない。暗号の解読は、すべての情報が正確に入力されないと、ドライブ内のコンテンツがすべて消えるように設定されていたため、映像の取り出しには、レオン・リー側も非常に神経を使い、ストレスの強い作業だった、という。幸いにも、解読は無事に終わり、消失した映像は一つもなかった、という。その結果が、今回の映画公開に繋がったわけである。

◆ 馬三家労働教養所とは

 馬三家労働教養所とは、どういうところか。中国政府が、反体制的とみなした人たちを、裁判なしで収容する施設である。この施設では、拷問・洗脳や過酷な労働を強いる。法律の枠外にある事実上の「監獄」である。2008年から2年半、スン・イは、ここに収監された。スン・イは、思想犯ではない。「法輪功」という中国で人気のある健康法の学習者の一人であるに過ぎない。

贅言;「法輪功」は、中国伝統の健康法である「気功」を李洪志(リ・コウシ)が、1992年に公開した。気功修練法として、「法輪功」が人気を呼び、1998年には、学習者が、7,000万人にも達するなど、中国全土で、急速に流行した。
1999年、当時の強権力者・江沢民の政権下で、「法輪功」は邪教として、活動を禁止され、非合法組織とされた。ほかの気功団体は、社会から離れ自然の中で鍛錬するが、「法輪功」では人が集まり、気功を修練する。「法輪功」が人を集めるから、中国共産党はこれを危惧し、敵視した。「法輪功」側が政治に関わることをしないと公言し、緩やかな管理体制だと主張しても、中国共産党は、これを信用せず、敵視する。
人が集まれば指導者の命令で動くと中国共産党は考える。人が集まれば中国共産党を打倒する闘争を始めると考える。だから人が集まる気功団体が恐ろしいのだ、という。以後、「法輪功」は、中国共産党政権下、司法、警察を悪用した政治的な迫害を受け続けることになる。裁判所の令状無しで逮捕・拘束された後、労働教養所における、死に至る虐待・拷問を受け続けている、という。スン・イも何度か逮捕されている、という。

 馬三家労働教養所自体は、スン・イの告発などもあり、中国内外で批判され、2013年に廃止されたが、廃止後も、労働教養所に代る装置として、「黒監獄」(くろかんごく。正式ではない「裏」の監獄)や「洗脳センター(中国語で、「洗脳班」)」というような施設に置き換えられただけだ、という情報もある。つまり、労働教養所は、中国では、形を変えたものの事実上継続している、という見方がある。

 映画には、スン・イの妻のフ・ニン(付寧)も、登場する。スン・イと結婚した数年後、スン・イが強権力に拘束されると、自分も中国当局からマークされるようになる。このため、スン・イの収監中に、離婚する。スン・イ釈放後、再び交際をし、再婚を望むが、当局から監視され、再婚話はなかなか進まない。映画の中でも、妻のフ・ニンが体調を崩し仮釈放されるが、警察官に「北京を離れる場合は、警察署で許可証を貰うように」と命じられる。「警察の誰に連絡すれば良いのか」と問うと、「この件の担当者は誰かわからない。私は、そう伝えろと言われただけだ」というだけで埒があかない場面が映し出される。中国で、共産党支配の枠外で生きる、ということは、こうした現実を生きるということらしい、ということをこの映像は伝えている。

 スン・イは、「自分の苦しみを産んだのは、中国の政治体制だ」と言う。中国共産党独裁という中国の政治体制が変わらなければ、異なった考えを持つ人が堂々と生きることも、難しい。言論ゆえに、身の安全が保障されないという実態は、いつまでも続くだろう、と言われる。強権力は、いつになったらデモクラティックな公権力に変わるのか。何も犯罪を犯さず、人一倍真面目な性格のスン・イは、「法輪功」という中国伝統の健康法である「気功」の学習者になったばっかりに、こういう仕打ちを権力から受けている。

 スン・イを擁護し、釈放に尽力した中国の著名な人権派の弁護士・江天勇(ジアン・ティエンユ)は、スン・イの弁簿活動をしていた頃、弁護士資格を剥奪された、という。中国は、なんという国だと思う人も多いのではないか。この映画は、経済大国となった中国の、裏面を描き出す。

◆ 中国 強まる言論統制

贅言;20年2月20日付の朝日新聞朝刊に次のような記事(*印)が載っていたので、一部を引用する。

「中国 強まる言論統制」(大見出し)
「感染拡大非難 学者ら拘束・失踪」(中見出し)

*新型肺炎が拡大している問題をめぐり、香港の民主団体は19日、当局に批判的な学者らの拘束や失踪が中国本土で相次いでいるとして、中国政府の香港出先機関前で抗議デモをした。
 関係者によると、15日、憲法に基づく権利を求める「新公民運動」を提唱した法学者、許志永氏が当局に連行された。容疑は不明だが、ネット上で新型肺炎をめぐる当局の対応を非難し、習近平国家主席の辞任を求めていた。
 市民ジャーナリストを名乗りSNS上に動画を投稿していた陳秋実氏も6日を最後に発信が途絶えている。
 原因不明の肺炎に警鐘を鳴らしながら処分を受けた医師、李文亮氏の死去などを受け、当局は体制批判が広がることに警戒を強めている模様だ。(以上新聞記事)

贅言;故・李文亮医師は、その後、3月5日、世界の強い批判を気にした中国政府の手で、処分から一転して「表彰」するとされたとか。理由は、「新型肺炎の抑制に『模範的な』役割を果たした」からだ、という。表彰されたのは、李文亮氏含めて506人であった、という。

 今回の新型コロナウイルス対策も、中国では、それぞれの専門家や現場の実務家の判断が、どれだけ尊重、優先されているのだろうか。権力者が、政治的な判断を最優先にして、不適切な対応が、批判されないままゴリ押しされていないだろうか。今の中国で、合理的で、デモクラティックな判断に基づく対策が取られているのだろうか。
 権力が、一人の指導者(最終判断者)に集中されているような政治システムの場合、途中段階の責任者は、判断を先送りし、結果として対応が後手に回りがちである。そのようなことはなかったのだろうか。アンバランスな情報に基づく情勢分析では、分析結果に歪みが出てくるのではないか。正しい対策が取れないのではないか。「余計な夾雑物」が、事実認定を狂わせるようなことはないのか。疑問は、次々と湧き出てくる。

 ところで、中国のウイルス対策の不手際は、対岸の火事ではない。日本政府の新型コロナウイルス対策も、対応が後手後手ばかりで、非合理的な判断だと海外からは批判されており、決して褒められるような対応とは言えない。このような日本政府の対応ぶりについて日本のマスメディアは、国民に向けてきちんとバランスのとれた適切な報道しなければならない。

 安倍政権が打ち出してきた一連の政策のうち主なものは、以下の通り。スポーツ試合・イベント開催・劇場上演などの自粛要請、全国一律臨時休校要請、中国と韓国からの入国規制強化、国民の人権や権利を制限する「緊急事態宣言」を含む特措法の改正案の提出など。
 この法案の成立は、新型肺炎流行のピークを迎えるかどうかどうかの判断の分岐点という、いわゆる「これから1、2週間が拡大か収束かの瀬戸際」という、「瀬戸際」期限(3月9日)の後になる。法案の国会提出は、3月10日の見込みだからだ。つまり、施策は、瀬戸際には「間に合わない」、という後手ぶりの極めつけ、ということになる。こうした状況を踏まえて、以下、ウイルス問題から発想した私的言説。

贅言1)「強権力国家」;中国という国家は、強権力の根源に独裁政党の単眼的認識と発想がある。さらに、強権力はマスメディアを秘密警察的広報機関にさせている。だから、中国のメディアには、国家に都合の悪いことは国民に知らせない、という隠蔽体質がある。
一方、日本という国家は、保守権力が「安部一強」という偏った権力状態となって以来、7年余。今や、安部政権の根源にあるのは、中国同様の単眼的認識と発想ではないか。その最たるものが、2月27日に発せられた「全国一律」の臨時休校要請。感染者が一人もいなくても、休校する。それをウイルスも顔負けにそのまま拡散するマスメディア。権力者の忖度機関に成り果てたメディアによる国家広報機関の隠蔽体質。中国と日本、両者の強権力は、今やアナロジーを強めていはしないか。

贅言2)「大見得」;ある政治学者は、今回の「一律休校」に伴う混乱の原因は、「安倍晋三の危機管理の悪さ」と指摘しているが、私も同感である。特に、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での、数百件にのぼるウイルス感染拡大させたことなどについて、海外メディア・政権を含めて、あまりにも批判されたために、「見た目にインパクトのある措置を取ることで指揮を取っているように見せかけようとした」のだと説明している。
この国の首相は、今やレイムダックと化した己を鼓舞させるためにウイルスを悪用して、ただただ「緊急事態宣言」をやってみたいだけなのではないか。次の見せ場は、「緊急事態宣言」の発表の場などと夢想しているかもしれない。気分は、もう改憲宰相気分か。
これを歌舞伎に例えてみれば、芝居の見せ場で、極力、主役の権力者ぶりを演出する方法である「大見得」に踏み切ることとどこが違うのか。芝居なら、大向こうから賞賛の掛け声がかかる場面だろうが、現実の政治では、オーソドックスな施策を着実にこなして、国民のために危機回避を図る代わりに、この役者は国民を余分な枝道に誘い込み、迷路や行き止りに向かわせて、本来ならやらなくても良いこと、落とさなくても良い命を捨てることなどを国民に強いているだけなのではないのか。そんな場面は、見たくもない。

 上記のように、こういう行為は、昔からあり、私見では、歌舞伎でいう「大見得」と同じではないか、という発想にたどり着いた。「大見得」を簡単に説明しておこう。幕切れで多用される歌舞伎の「大見得」という演出は、芝居の流れとなる問題解決を先送りした上で、主役(大抵「国崩し」と呼ばれるような極悪人)の役者は三段と呼ばれる緋色の台に乗り、「見得」(クローズアップ効果を狙う静止のポーズ)をする。主役の衣装は、後ろから黒衣(くろこ)が拡げながら持ち上げて、役者をより大きく見せる。こういう見た目に効果のある演技を全面に押し出す演出方法が、大見得である。

贅言3)「マスク」;クルーズ船の「ダイヤモンド・プリンセス」とは、イギリスP&O社所有。アメリカのプリンセス・クルーズ社運航。外航クルーズ客船。
「ダイヤモンド・プリンセス」の寄港問題は、船籍がイギリスで、クルージングの運営会社がアメリカ、ということから、日本政府は、関係国に対する「国境線」での判断としては、外交問題として責任を分担した上で、堂々と寄港拒否をすべきだったのではないか。日本政府は、そういう選択を検討したのか、していないのか。実際、「ダイヤモンド・プリンセス」以後の、クルーズ船の寄港について日本政府は拒否し、外交上、何の問題も生じなかったではないのか。曖昧なまま、寄港下船を認めたことで、当初から問題含みだった。
問題の一つは、その後の日本国民のウイルス検査の対応、隔離ベッドの確保などの点で、日本は、感染者対応のキャパシティをより一層狭めてしまった。その結果、今のような、必要な検査をすべきなのに、十分な検査対応もできない状況を生み出した、のではないか。
気になる症状が出ても検査してもらえないかもしれない。その不安が、人々の危機意識を刺激し、一部の人によるマスクの買い占め、多くの人たちのマスクの入手困難という事態を招いたのではないか。たかがマスクと言うなかれ。国民のマスクの入手困難騒動は、安倍政権への国民の不信感、不安感の、一つの具体的な表れではないのか。たかがマスク、されどマスク。安倍政権の責任は、大きい。

 この映画『馬三家(マサンジャ)からの手紙』は、メールマガジン『オルタ広場』(通算195号)配信の翌日、3月21日(土)から、東京・新宿の「K's cinema」ほかで、順次全国公開される。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

※編集部注:馬三家(マサンジャ)からの手紙の上映はこちらで。 
  http://www.ks-cinema.com/movie/masanjia/
  公式サイトはこちら。https://www.masanjia.com/

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