【コラム】『論語』のわき道(36)

顰みに倣う

竹本 泰則

 人は生まれながらにして微笑むのだそうです。
 胎児を3D超音波の技術を使って観察すると、時折微笑んでいるのがわかるといいます。生まれて間もない赤子も、眠っている最中に笑みを浮かべることがあります。
 子どもが1日に見せる笑顔の回数は400回以上にのぼるのだそうです。
 それが成人になると、1日に20回以上笑うという人の割合が三分の一になってしまい、5回以下しか笑わない人は7人中に1人の割合(14%)くらいになるのだそうです。
 ヒトは微笑みとともに生まれ、しかめっ面で老いてゆく……(?)

 「しかめっ面」を『広辞苑』でひくと「顰めっ面」と漢字表記しています。顰、たいそうごちゃごちゃした漢字で24画もあります。もちろん常用漢字には入っていません。しかしよく耳にする言葉にこの漢字は入っています。顰蹙、ヒンシュクです。顰は眉をひそめる(眉間にしわをつくる)、顔をしかめるといった意味があり、名詞的に使うときは「ひそみ」とするようです。
 「顰(ひそ)みに倣(なら)う」という慣用句もあります。わけもわからないままに人のまねをする、物事の本質をとらえずただうわべだけをまねることといった意味に使われます。また、ひとの態度や行動などを見習うことを謙遜して言うときにも使われます。

 実はこの慣用句の本来のいい方は、頭に「西施(せいし)の」という言葉がつくのだそうです。芭蕉の有名な句「象潟や雨に西施がねぶの花」に見える西施です。この人は中国四大美女のひとりとされています(あとの三人は前漢時代の王昭君(おうしょうくん)、後漢の貂蝉(ちょうせん)、唐代の楊貴妃)。
 西施には持病があったらしく、ときに胸を手で押さえ眉をひそめることがある。そのときの表情がひときわ美しさを際立たせたのだそうです。

 西施と呼ばれていますが、本名は施夷光(し・いこう)、施が姓です。この人が住むムラには施を名乗る家がもう一軒あったため、住民は西側に住んでいる方を西施、東の家を東施と呼び分けていたらしい。
 東施にも娘がいたのですが、こちらは美女には程遠いご器量だったようです。
 東施は西施の評判を聞いてうらやましく思い、その振る舞いをしっかりと観察していた。胸を抱き眉を顰める風情を東施もいいと思ったのでしょう、彼女はそれを懸命にまねた……。

 東施が見慣れぬポーズをして道を歩くものだから村人たちの方が慌ててしまった。『荘子』という書物に拠れば「お金持ちは固く門を閉ざして家から出ないようにし、貧しい人は家族ともどもムラから出て行った」とされてます。このあたりの村人の反応はよく理解できません。「東施の様子がおかしい。へたに関わり合いになると大事(おおごと)だからしばらく離れていよう」ということなのでしょうか。
 ともかく、格好をいくらまねても東施は東施だったのでしょう。
 この逸話から、形だけをまねる愚かしさを言い表した前(さき)の慣用句ができたというわけです。

 歴史書などには西施に関する記述は無いようですが実在の人とされます。
 「呉越同舟」という成句になるほど不仲であった呉の国と越の国ですが、あるときの争いの中で、敗色が覆い難くなった越王の勾践(こうせん)は呉王である夫差(ふさ)に命乞いをします(会稽の恥と呼ばれる故事)。そのとき金銀財宝と共に西施を献上したという話もあります。この故事は孔子が六十歳になる少し前の出来事です。つまり、孔子さまは西施と時代を共にしていたことになります。しかし『論語』には西施をうかがわせる場面などはありません。

 西施の顰みを倣う東施に対する村人たちの行動の意味はよく分からないのですが、ここには多分に誇張が含まれている感じです。「白髪三千丈」などあちらの形容はオーバーなものが多いのですが、美人を形容する語句でもわれわれとは発想が違っていて面白いものがあります。
 西施は庶民の娘なので洗濯は自らが川でやる。魚どもは川辺に立つ彼女の美しさに見惚れ、泳ぐことすら忘れてしまう。だから魚を溺れさせるほどの美人、「沈魚美人」と呼ばれています。ちなみに王昭君は「落雁美人」です。月を仰いで琵琶をつま弾く彼女に雁は心を奪われてしまい翼を動かすことがお留守になって地上に落ちた……。

 くだんの慣用句にあるもう一つの漢字、倣は常用漢字です。しかし、使いみちは狭い字です。用例としては摸倣(模倣とも)くらいしか思い浮かびません。
 訓読みは「ならう」ですが、こちらは小学校の校庭で整列をさせられるときなどに、決まってかけられていた号令「マエヘナラエ!」のならえです。
 同じならうでも、習は繰り返し練習して身につけるといったニュアンスですが、こちらは単に同じようにやる、まねをするといった程度の含意に思えます。

 今では「顰みに倣う」などという言い方を聞くことはほとんどないでしょう。そんなややこしい言葉を使わなくとも、この国には「猿まね」という言葉があります。いや、この言葉もなじみが薄くなってしまい、若い人などは「パクリ」で済ませているのかもしれません。
 それはともかく、模倣、まねるという行為は、ややもすればよくないこととされます。しかし、ヒトにはこの性質が生まれつき備わっているのではないかと思っています。

 わたしたちは、生まれて直ぐのうちは意味もないうなり声みたいなものしか出せませんが、成長につれて家族や周りの人の言葉を聞いて、それを懸命にまねます。そうすることによって単語をおぼえ、さらに、文法などというややこしいことを教わらなくても、日常会話での言葉の組み立て方も理解していきます。こうした過程においては、まねるという能力が大きく関わっているように思うのです。まねは言葉だけにとどまらないでしょう。生活にかかわる多くの知恵や技能はまねによって得ているといえます。すべてではなくても、まねが占める割合はとても大きいと思うのです。

 一方、青年期に近くなってくると、自我ともいうべき概念が芽生え、他人はどうあれ自分としてありたい姿勢を追求する性質も表に出てきます。こちらも生来のものだと思います。つまり、ヒトには摸倣を積極的に行う性質と、自己のオリジナリティーを大切にする性質の両方ともが生まれながらに備わっている。両者のあんばいは成長段階やその人の人格などによって異なるでしょうが、いくつになっても両方を抱えているように思います。

 繰り返しになりますが、ヒトはまねによって学んでいます。まねは学びにとって欠かせないもの。そうであるならば、まねるとまなぶ、この二つの言葉は親類の可能性もあるのでは……。
 そんな素人の思いつきもたまには当たることがあるようです。辞書の「まなび」の項には「マネ(真似)と同根。興味や関心の対象となるものを、そっくりそのまま真似て再現する意」とありました(岩波古語辞典)。

 さらに『論語』の中には「学」をまねるの意味に読む箇所が一つだけですがあります。ひょっとすると、漢語でも同じようなことがいえるのかもしれません。
 孔子と弟子との対話の場面です。

 孔子:「聖人とか至高の徳である『仁』を備えた人、そのような
   レベルは、わたしにとって及びもつかない境地だよ。
   それをわかっていながらも、それに向かってみずから努力する
   ことを厭わず、また、人にその道を教え続けて倦むこともない、
   自分としては、それだけはいえるかなあ」

 この述懐に対して弟子はこう応じます。

   正に唯(た)だ弟子(ていし)学(まな)ぶ能わざるなり

 弟子:「まさに、そのことこそが私たちにとってまねできない
    ことなのです」

 (「随想を書く会」メンバー)

(2022.5.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧