【コラム】神社の源流を訪ねて(67)

韓国に神社の源を訪ねる8

栗原 猛

◆先祖、穀物、井戸、竈、厠の神…
 朝鮮半島の堂で行われる祭祀を見た人の話は、いずれも日本の神社の祭りに似たものを感じると言っている。まず堂だが、ほとんど村ごとにある。樹木が密生していて、その中にひと際大きな木や岩がある。その根元に小さな祠が置かれ、ここで近親者や子孫などによって祭祀を行う。祖先やその地域を開発した人を祭るということでは、日本の神社にそっくりだ。                   
 堂の森は日本の村々にある鎮守の森を、ほうふつとさせる。古代史家の三宅和朗氏は「古代の神社と祭り」の中で、万葉集では森と杜は、モリと読み「神社」もモリと読んだ例を挙げて、鎮守の森ももちろんだが、森の空間こそ神が住むところであるという考えがあったのだろう、と説いている。
               
 堂の祭りは天候が悪いと、公民館など建物の中で行われる。この十年ぐらい毎年1回は韓国を訪ねているが、この堂はソウル市郊外でも、ほとんど見かけることはなくなった。われわれが泊まっている下宿の主人は「堂は郊外の神木といわれる榎などの古木の根元に、白砂を敷いて瓶に花をさした程度の簡単な祭壇だが、都会ではもうしばらく見ていない」といった。                    
 堂については、朴桂弘氏の「韓国の村祭り」、同「韓国の巫俗」、岡谷公二氏の「神社の起源と古代朝鮮」、文武秉氏の「済州島の堂信仰研究」などが、詳しい。                      

 偶然、ソウル市の郊外で見た堂は、榎の古木のある小さな雑木林の中にあった。こぶや空洞のある榎の根元に、花瓶や酒缶が並べてあるごく簡素なもので、祭祀が行われてからずいぶん経っているようだった。神が触れたもので神聖だから、祭壇は片づけないでそのままにしてあるのだという。                        

 社会学者の金泰坤氏は「洞(とん)神堂」で、堂を四種類に分類している。「洞」とは韓国の行政単位で「村」に当たるので、差し当たり「村の神社」ということになる。まず①は神樹だけのもの ②神樹の下に石の祭壇などのあるもの ③神樹の傍らに堂舎の立っているもの ④神樹の有無は別として、堂舎が殿閣風で立派なものーの4種類である。このうち①は、原始からの姿をとどめているとされ、②以下は時代の順に変化がうかがえるとされる。                         
 堂は地域ごとに呼び名が異なっている。例えば山神堂、国師堂、ソナン堂、コルメギ堂、堂山、本郷堂などがある。堂では「クッ」と呼ばれる儀礼を行う巫女(シャーマン)が祭祀者となって、人々の悩みを聞きアドバイスして励まし、歌や踊りなどもして人々と一体になる役割をしている。           

 一方済州島では、堂で祭られている神には、天を司る玉皇上帝、日月の神、穀の神、一族の祖上神、産育の神、山の神、風の神、雨の神、漁業の神、狩猟の神、竈の神、厠の神などがある。また複数の神を祭る堂もある。                      
 生活の周辺にある目に触れるものは「すべて神宿る」という考えがあるといわれ、日本には、八百万(やおよろず)の神がいるが、済州島では1万8千の神々に出会うという言葉がある。              
 仏教には山川草木悉皆(しっかい)成仏という言葉があるとされる。すべてのものに生があるのだから人間は謙虚でなければいけないと、戒めているのだといわれるが、こういう点でも堂と神社は通じ合う。                              

 そういえば、小さいときは関東平野の北の方で育ったが、正月が近くなると東西南北の神、門や玄関の神、風の神、台所の神、風呂の神、竈の神、井戸の神、厠の神、また裏山の古木、小川の橋のたもとなどに、お正月の飾りをつけた記憶がある。

以上

(2024.6.20)
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