【コラム】槿と桜(85)

青瓦台から思うこと

延 恩株

 ネット上に配信された『ハンギョレ新聞』2022年4月26日付に次のような記事がありました。その一部を引用します。

 「青瓦台、韓国大統領就任式直後に開放へ…1日3万9千人が入場可能
 大統領の執務空間である青瓦台(大統領府)が来月10日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の就任式直後に開放される。
 大統領府移転タスクフォース(TF)チーム長のユン・ハンホン議員は25日、ソウル通義洞(トンウィドン)の政権引き継ぎ委員会の事務室で行われた記者会見で、「先の選挙の過程で、帝王的権力の象徴である青瓦台を国民にお返しすると約束した。約束を実践するため、5月10日の就任式が終わる時間に青瓦台の門を完全に開放することにした」と述べた。さらに、「本館、迎賓館をはじめ最高の庭園と呼ばれる緑地園(ノクチウォン)、常春斎(サンチュンジェ)のある青瓦台を、誰もが楽しめる開かれた空間へと生まれ変わらせる」とし、「さらに、青瓦台によって断絶している北岳山(プガクサン)の登山道も5月10日午前から完全に開放され、国民がいつでも楽しめる憩いの名所として生まれ変わる」と付け加えた」

 これは文在寅(문재인 ムン・ジェイン)第19第大統領に代わって次期大統領となる尹錫悦(윤석열 ユン・ソンニョル)氏が大統領選挙期間中に、これまで歴代の大統領が使用してきた大統領府の「青瓦台」(청와대 チョンワデ)を使わず、他の場所に移ると表明していたのに伴い、実行されることを伝えた記事です。
 5月10日の大統領就任式終了後、すぐさま「開放」されるというのです。さらに「帝王的権力の象徴である青瓦台を国民にお返しする」とも記されています。
 なぜこのように報道されるのか、日本の方には「開放」や「国民にお返しする」という記述には少し違和感を覚えるのではないでしょうか。

 大統領が日々、執務する部屋がある大統領府が国民から「帝王的権力の象徴」と見られていて、それを尹錫悦氏はいやがり、青瓦台を大統領府としないというのです。国民の目だけでなく、尹錫悦氏自身「一度入ってしまうと、帝王的権力の象徴である青瓦台から抜け出すのがもっと難しくなる」と語っていて、自分自身にも青瓦台の権力という魔性がいつの間にか染み込んで来るのを排除しようとしていたことがわかります。
 要するに国民からの直接選挙で選ばれる大統領であるにもかかわらず、大統領になってこの青瓦台という大統領府に入るや、国民とはかけ離れた存在となり、大統領という絶大な権力を行使できる帝王的存在となることを避けようとしたと言えます。

 実際、広大な敷地(アメリカの大統領府「ホワイトハウス」の約3倍)を持つ青瓦台は、必要以上に権威的で、国民にとっては近寄りがたい印象を与え、私なども親しみを感じるとはとても言えない建物でした。確かに国民の日々の生活から隔絶された中で大統領は執務するため、国民の目線を忘れてしまいがちになるようです。歴代の大統領がみずからに与えられた権力をいつの間にか自分、あるいは自分の親しい人びとのために乱用し、大統領という地位を私物化してしまい、任期終了後に逮捕、収監された事例が韓国では珍しくないことがそれを教えています。

 それだけに今回の尹錫悦氏の決断は間違っていないと思いますし、青瓦台を「国民に返す」とは、大統領と韓国民との距離を縮め、尹錫悦氏が国民と同じ立ち位置に身を置き、国民の目線で政治を行なうという姿勢を示したとも言えるでしょう。尹錫悦新大統領が任期終了まで現在の気持ちを維持し続けてくれることを願うばかりです。

 ところで、この青瓦台は歴史的にさかのぼれば、朝鮮王朝時代の王宮である景福宮(경복궁 キョンボククン)の一部だった場所でした。日本が侵略して統治(1910~1945)していた1937年5月に「朝鮮総督官邸」がここに建設され、日本が1945年8月に戦争に負け朝鮮半島から撤退すると、1945年9月からはアメリカ軍政下となり「軍政長官官邸」と改名されました。
 それから3年後の1948年8月に大韓民国(대한민국 テハンミングク)が成立すると、初代大統領李承晩(이승만 イ・スンマン)は「景武台」(경무대 キョンムデ)と名称を変えて使用しました。そして、1960年8月に第4代大統領となった尹潽善(윤보선 ユン・ボソン)は「景武台」をさらに改名して「青瓦台」とし、この名称が現在まで使われてきていました。
 ただ建物としては、盧泰愚(노태우 ノ・テウ)第13代大統領時代の1991年にこの大統領府の隣に現在の建物が新築され、1995年8月には「朝鮮総督官邸」としての役割から始まって以降、ずっと使われていた建物は解体されました。

 このように見てきますと、建物の名称は日本統治時代から変えられてはきましたが、その時代ごとに、その時の最高権力者が内政・外交・経済等々、国家に関わる重要事のほとんどすべてを統括して、この建物からさまざまな指示や命令を出してきたのです。そのため国民からすれば絶大な権力の中枢となっているこの建物に近づくことにさえ抵抗感を持つ人も少なくなかったのです。

 また朴正煕(박정희 パク・チョンヒ)第5代大統領時代の1968年1月に、北朝鮮特殊部隊が大統領暗殺を狙って青瓦台を襲撃するという事件が起きました。銃撃戦にまで及んだことから警備が厳重となり青瓦台に近づくことも、写真撮影も禁止となり、一般通行ができなくなりました。近寄りがたい帝王的な権力の象徴をさらに増幅させたのが、こうした外部的な要因でした。こうしてさらに国民を遠ざけていってしまいました。

 その後、金泳三(김영삼 キム・ヨンサム)第14代大統領時代になってようやく昼間のみ一般通行が可能となり、文在寅大統領時代の2017年6月26日からは周辺道路の一般通行が24時間可能となり、周辺に設置されていた検問所も特別な場合を除いて撤去されました。
 国民が建物に近づけるという点だけで言えば、かなり改善されて、自由度が増しました。でも、依然として「帝王的権力の象徴」であったことは、今回の尹錫悦大統領の「青瓦台」不使用がよく証明していると言えます。

 この「青瓦台」は、冒頭の記事にありましたように、敷地中央にある大統領が執務する本館、本館の左側にある国賓を招いての晩餐会や大規模な会議の会場として使用された迎賓館、本館の右側にある春秋館(춘추관 チュンチュグァン)は大統領や大統領報道官の記者会見場であり、常春斎(상춘재 サンチュンジェ)では各国の首脳との会談が開かれました。緑地園(녹지원 ノクチウォン)は庭園で、歴代大統領が記念植樹した木があり、樹齢300年以上の松の木もあります。
 この青瓦台が2022年5月10日の尹錫悦第20代大統領就任式後に一般開放され、同日中に2万6千人が参観し、5月10日から22日までの参観申込者が約5百万人にのぼり、この13日間の参観者が約38万人だったと報道されていました。

 かつては国防上から地図にも明確に記載されていなかった青瓦台ですが、2022年5月10日を境に確かに国民に返されました。
 今後は青瓦台を開放するだけでなく、あらゆる政策が「帝王的権力」によるものではなく、常に一般国民の目線で、国民に寄り添うものであって欲しいと願うばかりです。

 (大妻女子大学准教授)

(2022.6.20)
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