【コラム】大原雄の『流儀』

長寿という「独居・高齢」

大原 雄

 ★ ★ 長寿という「独居・高齢」
  
 「消滅可能性自治体」とか、「ブラックホール型自治体」とか、人口戦略会議は、日本列島を襲う過疎化の波に警鐘を鳴らす。日本の人口減少の特徴は、減少のペースが速いということだという。
 
 少子高齢化問題。私たちの子や孫たちが、将来生活する未来社会であり、一方、私たちも「長寿」という「独居・高齢」の先駆者とならざるを得ない。一対一。一人が一人以上を支える。老齢と孤独の中で生きて行かなければならない社会になっているかもしれない。
  
 ★★ 「過疎化、空洞化、分断化」
  
 朝日新聞4月25日付夕刊記事に片側4車線の幅広い東京都内の、とある幹線道路の写真が掲載されている。夕刊一面のトップ記事の関連写真で大見出しは、「幹線道路は『河』」となっている。意味が判りにくい。記事は、次のようなものである。以下、記事概要参照、一部引用。
 
 ★ 東京・中心部の過疎化
 
 東京の中心部でスーパーや鮮魚店などの移動販売車の運行が急拡大しているという。東京の中心部には、コンビニやスーパーなどの店は多数あるだろうに、なぜ今、車によると移動販売が急拡大しているのだろうか。そもそも、「移動販売車とは何か」。そう言えば、日本ペンクラブの会員で私の知り合いのSさんは、地方の過疎地で商店が無くなった地域に残って生活しているお年寄りのために移動スーパーのような店(車)を巡回させて、コンビニやらスーパーで販売しているような商品を買い物過疎状態にある高齢者に届けているという商売を思いつき繁盛させているという話を聞いたことがあったっけ、と思い出したのだった。
 
 ★ 買い物「難民」
 
 この記事にも登場する、私の知り合いでもあるSさんは、以前から徳島市を拠点にこの事業を拡げてきた。当初彼は、こうしたお年寄りを「買い物難民」とか、「買い物弱者」と呼んでいた。その後、買い物難民、買い物弱者は、実は足腰が弱ってきたひとり暮らしのお年寄りなどが地方の過疎地だけでなく、都市部でも増えてきていると言っていたことを思い出した。
 
 Sさんは、順調に事業を拡げていて、今では巡回先として全国各地の地元スーパーなどと提携して、その地域の提携先のスーパーが扱っている商品を移動販売車に載せて共同で売るというシステムを整備してきた。新聞(前掲同紙参照)によると、その結果、移動販売車は1000台以上も各地で展開するようになったという。Sさんも登場する新聞記事によると、東京では、学生街と知られる知られる地域では、主に大学生を相手に商品を売り、都内の高級住宅街でもひとり住まいの高齢者宅の軒先まで商品を届けるために車を走らせるようになったという。個人宅に立ち寄った移動販売車を目当てに地域の住民が自然に集まる地区もでてきたという。
 
 大都会も地方都市の都心も、過疎化が進み、そこで暮らす独居高齢者は、すでに自立した生活を維持することが難しくなり始めているのではないか。団塊の世代は、いずれ、都会の中心部で独居・高齢者として長く孤立したまま生活をし、人生の後半が長いという生涯を閉じるのかもしれない。超高齢化社会か?
 
 私の母は、数年前に98歳で亡くなった。63歳で夫(私の父)と死別してから、実に35年間都内の自宅で独居生活を続けていたのだ。ジャーナリストになった息子は、全国を転勤したから、息子の家族と同居したこともない。転勤先に泊まりがけで遊びに来たことは、何回もある。しかし、慣れない土地で暮らすなど論外として受け付けなかった。
 
 亡くなるまでのおよそ10年間は、老人ホームの個室で暮らし、最期は息子に看取られ、コロナ禍の中、感染もせずに、ホームの主治医に「老衰」と診断されて天寿を全うした。息子は、この母の長い孤独を理解していたであろうか。
 
 今、息子は、母の淋しき老境の思いへ思いやりきれなかった、己の至らなさをしみじみと噛み締めている。やがて息子にも老境の大波が襲い掛かってくることだろう。
 
 ★ 都心部にある、『見えない』山や河とは?
 
 地域の住民に移動販売車が、好評なのは、幅広い幹線道路の存在だと、Sさんは指摘すると記事は伝える。お年寄り、特に足腰が弱ってきたお年寄りには、この道路が敵なのだ。横断歩道に青信号が点いている間に安全に道路を渡り切らないと交通事故に巻き込まれる恐れがあるからだという。彼らの間では、幅広い幹線道路は、渡りきるのが難しいことから、『河』と呼ばれて、警戒されているという。実際、渡りきれないと嘆く人もいるのではないか。Sさんは、自宅を出て大きな道路を横切り、安全にスーパーやコンビニに立ち寄り、買い物を済ませて帰宅することが、不安になってくると、買い物がおっくうになるお年寄りもすでに出始めているという。「おっくう」とは、まさに「要支援」状態の介護老人に近いのではないか。今後、超高齢化社会が深刻化してくるという中で高齢者の前に立ち塞がってくるのは、河だけではないだろう。特に東京は江戸時代から坂が多い街として知られる。坂、坂という地形に沿って造られた建物の中の階段(坂)など、健常者には見えないバリアが、あちこちに隠されている。
 
 私たちの予測は、ほぼ間違いないだろうから、今からでも買い物弱者にならないようにするためにも、真剣に取り組むべき老後の介護問題の大きな課題の一つではないのだろうか。
 
 急な坂や階段に立ち塞がれては、車椅子では登りきれない。何か、大きな変化が潜行しているのではないか(この記事は、朝日新聞4月25日付夕刊、27日付夕刊記事なども参照し、一部引用した)。
 
 ★ 国会の空洞化も、過疎化の「予兆」?
 
 目の前に手作りのステッカーが一枚ある。白い紙に筆で手書きした9文字がある。
 そこには、次のような文字が書かれている。
 「アベ政治を許さない」
 この9文字が裏表で書き込まれ、一組になっている。プラスチックのケースに入れられ、文字は前からも裏側からも見えるようにして、四辺が熱処理されて閉じ込められている。四隅は丸く切られていて、肌に当たっても痛くないように工夫されている。誰が作ったのかなあ。今、思い出そうとしている。筆跡は、名筆家。安保法制に反対していた。そうだ、国会の空洞化は、この政治家が権力を掌握し、それを強め始めた頃から続いてきたのではないか。国会を取り巻く反対派の声が、国会内の議場にも聞こえていたという、あの時代。国会は空洞化し、国会外は多くの国民で溢れていた。
 
 権力者は、いずれは滅びるが、在任期間は、民衆は難儀を迫られる。
 国民の難儀が沸点に達したと思われる時、この人は、遊説先の奈良県で凶弾に倒れ、亡くなった。
 
 安倍政権、それを継承した菅政権と岸田政権。そして、彼らは民主主義の根幹である熟議の殿堂である国会を空洞化させて、今、滅びようとしている(生き残ろうとして、足掻いているようにも見える)、と私は予感している。
 
 3人の権力者に共通するのは、己の政権運営のために国会を利用したことだろう。
 その利用とは、熟議をすべき場所で、一番やってはいけないこと、つまり、熟議を軽視、あるいは無視してきたことだろう。国会は憲法では国権の最高機関と定められている。その国会で国会を軽んじたのだ。ということは、国権の主権者である国民の意思を軽視したことになると新聞の紙面は、批難する。国会の空洞化。
 
 ★ 国会の空洞化と「裏金」つくり
 
 岸田政権は、衆議院の政治倫理審査会(政倫審)に岸田首相を立たせた。「総裁として説明責任を果たしたい」。だが、岸田首相は、「知る限りの事実を国会で申し上げた」と虚偽の説明をしたあげくそれ以上野党の質問を拒否して参議院の政倫審への出席を拒否した。
 
 新聞によると、岸田周辺は、「首相の衆議院の政倫審出席の真意は、政府予算の年度内成立が狙いだった」ということになる。朝日新聞は、「国民の代表者に説明する場である国会を、予算案通過のための舞台まわしに使った」と批難した。ほかのメデイアも批難した。審議を軽視する岸田首相によって、熟議の場である国会も軽く見られ、つまり、国会軽視、熟議無し、予算通過の手続きの一段階として閣議決定という与党だけの場が利用されただけだったのだ。これを「党利党略」という。
 
 ★ 閣議決定の乱用は、世論を未熟成なまま、「分断」した
 
 私が何より批判するのは、岸田政権の「閣議決定」乱用という手法だ。
 閣議決定は、国会の力の源泉である国会審議を経ないバイパスの手法である。岸田政権は、これを乱用した。公開された国会で審議の限りを尽くし、合意形成へ向けた作業をすべきなのに、それをせずに、いわば「味方や子分」というイエスマンばかりを形式的に集めて「シャンシャン」と手続きだけを進めて行ったのではないか。
 
 これだけでも、岸田政権は、罪悪ではなかったのか。
 例えば、思い出して欲しい。
 敵基地攻撃能力の保有を打ち出した「安保3文書の改定(2022年)、次期戦闘機の第三国輸出方針(24年)など軍事・防衛という重要な政策を大転換させてしまった。
 安倍国葬(22年)を強力に推し進めたり、安倍政権での集団的自衛権の行使容認(14年)など、熟議を通じて国民のコンセンサスを得る作業を経なかったなどとして、世論を分断させた。
 
 国会審議を経ずに済む政省令の利用するやり方も取った。岸田政権が出したものでは、経済安全保障推進法(22年)、改正マイナンバー法(23年)、審議中のセキュリティークリアランス(適性評価)制度導入法案などなど。
 
 関係する複数の法案を束ねて出す手法も多用。
 安全保障法制(15年)、検察庁法改正案など。
 個別法案の具体的な論点について審議時間が確保されないなど。
 
 言論の府を毀損する嘘の答弁を連発した安倍政権。
 「森友学園」(17年〜18年)「桜を見る会」(19年〜20年)など。
 菅前首相も20年の臨時国会で、日本学術会議の推薦候補任命拒否などで、何回も答弁を拒んだ。
 
 53条に基づく野党の臨時国会召集要求にもなかなか応じなかったなど、憲法を軽んじた。
 安倍内閣は、約3ヶ月間放置し、召集直後に衆議院を解散した。
 
 これについて、政権交代前の民主党政権で首相を務めた野田佳彦氏は、「安倍さんの頃から、強引に押し切り、空洞化してきている」と指摘した」(朝日新聞5月3日付朝刊総合2面記事参照、一部引用)という。
 
 専門家は、政治とは、「公開の場で多数派の論拠が示され、少数派の批判を受けることが重要だ」という。
 
 そこにこそ、国会の場に熟議が生まれ、試行錯誤という民主主義が積み上げられることで、社会は一歩一歩成熟した世界へ向かうようになるのではないかと思う。国会の熟議が盛り上がらないと世論を形成する民意が未消化となり、国民の意思決定が、二分されてしまう、という結果に陥り易いと思う。民意は多様性を反映すべきである。多様性は試されるべきだ。それが、憲法の精神というものだろう。
 
 ★ペンクラブ「国会空洞化」に抗議声明
 
 日本ペンクラブは、国会の空洞化減少を厳しく捉え、「セキュリティークリアランス」制度については、導入する法案が参議院本会議で論議されるのを前に、5月9日、一連の「国会の空洞化」状態に抗議する声明を発表した。ペンクラブの桐野夏生会長が記者会見で発出した。
 
 このうち、経済安保情報の分野に導入されるセキュリティークリアランス(適性評価)制度では、秘密情報の指定範囲が曖昧なまま、情報を取り扱う公務員や民間人の人権やプライバシーが侵害される恐れがある。さらに、それを報道する自由も制約される恐れがあると指摘した。
 
 しかし、翌日の5月10日に開かれた参議院本会議の採決では、衆議院と同じく、自民•公明の与党に加え立憲民主、日本維新の会、国民民主などの野党各党も賛成に回った。衆参とも野党も巻き込まれての可決というところに、日本の民主主義の現況、衰退とひよわさが窺われた。
 
 新法では、半導体などの重要物質に関する情報のうち流出すると安全保障に支障を及ぼす恐れのあるものを「重要経済安保情報」に指定する。「適性評価」では、関係する本人だけでなく、家族の国籍、本人の犯罪歴、飲酒の節度、借金の有無などの身辺調査がなされる。今国会では、具体的な運用基準の説明はしていない、多くは品物に「付則」という名の荷札をぶら下げているだけ。品物に付いた正札は、元のままなど、国会の空洞化現象の見本のような対応となったため、批判の声がさらに寄せられている。
 
 ★ ★ 原発被災地:『福一』の現場は、今
  
 2024年4月19日午前5時40分。私は、東京・新宿駅の南口前にやってきた。
 社団法人日本ペンクラブの「言論表現委員会」の福島原子力発電所(以下、原子力発電所は、「原発」と記載する)の「勉強会」(日帰りの取材ツアー)参加者の一員として私もスタートラインの新宿集合地点に来たのだ。行く先は、福島県双葉町・大熊町にある東京電力福島第一原発。「福一」。東電配布の資料によると、立体的な敷地(海辺の傾斜地)に6つの原子炉と関連施設がある。
 
 現場構内に入ることになったのは一行15人。男11人、女4人の参加者は、新聞記者やテレビの記者、ディレクター、フリーのライターなどの、いわゆるジャーナリストたち。年齢は40代から80代、つまり私のようなOBも混じっている。ほかに、作家、編集者、研究者など。ペンクラブの言論表現委員会の委員を主体に、ほかの委員会(ペンクラブには複数の委員会がある)からの参加者・会員が、主体である。委員会のメンバーのほかは、互いに初対面という人も複数いる。
 
 取材費は、往復のバス代(レンタカーのバス)とガソリン代、高速道路料金。費用は、頭数で割った。個人負担。午前5時45分出発。バスは新宿から首都高速に入り、常磐道を経て、福島県内へ。
 
 「取材」は、福島の集合場所(福島県双葉郡富岡町にある「東京電力廃炉資料館」)から始まった。午前9時、遅刻もせずに、バスは東電の指定した場所に到着。東電の指示に従って移動。入域手続き開始。運転免許証提示などで本人確認。一連の厳重なチェクの始まり。
 
 テロ対策か。ここで東電の用意したバスに乗り換えて、構内へ。東電のスケジュールによると、我々の取材は午前10時から午後3時10分まで。一気に5時間10分。途中、若干の休憩と着替え。東電が用意したコースに従って取材と移動。予定では、午後4時半終了・解散まで。昼食も、休憩室に戻り、持参のおにぎりを食べる程度。後は、10分、15分、20分刻みで、徒歩や車での移動が続く。構内の撮影ポイントも東電で細かく規制していて、警備スタッフの制限が厳しい。情報規制か。
 
 服装は、原則、長袖、長ズボン。携帯電話やパソコンは持ち込み不可ということで、東電側に預ける。本人確認の「人着(人相、服装)」チェックは、運転免許証など提示を踏まえて、オーケーとなる。忘れてくると、原発構内出入り禁止。廃炉資料館などで、取材ツアー一行が戻ってくるまで、別途、待機か。幸い全員が構内入構許可となる。レンタカーを降り、東電手配の別の車輌に乗り換える。管理棟内で、以上のような入域手続きを済ませる。東電発行の「一時立入カード」が配布され、それぞれ首にぶら下げる。ほかには、使い捨てのベストを着込み、木綿の手袋を着けるようにと言われる。個人線量計も貸与され、これも首にぶら下げる。線量計は積算用。ここまでで、早くも30分経過。
 
 午前10時。「原発被災地」に一歩踏み出す。取材ツアーが、やっと始まる。海側にある原子炉の1号機から4号機が見える展望台(通称、「ブルーデッキ」)へ移動。一部の施設の遠景が見える。海岸沿いに原発の建屋が並んでいるのが判る。近くで見ると建屋も巨大だと分かる。建屋の間を通り抜けて来る海からの風が強い。私など誰かに背中を押されているように感じるほど、背中から圧力がかかる。前に倒れ込みそうな強い風が吹いて来ることもある。ほとんど、海の上という感じだ。建屋について説明する東電の担当者の声もちぎれちぎれに聞こえて来るほどだ。ベントと呼ばれる原子炉からの排気も混じっているのだろうか。線量計の数字が上がる。東電の説明では、基準値を超えたら、取材は中止、直ちに避難、というルールだ、という。
 
 1号機は、2011年3月の原子炉爆発後、建屋はそのまま残骸を野晒しにされてきた。原子炉の底には溶けた大量の燃料「デブリ」が溜まっているというが、これも取り出せずにいた。
 
 2号機から4号機の原子炉が収納された建屋は、原子炉がすっぽりくるまれるようにカバーをかける工事(「臭いもの」にフタ)が進んでいる。
 
 被災から26年経過した時点でウクライナのチェルノブイリ原発をペンクラブで視察したことがある。私は、その時に見たカバー工事を思い出した。チェルノブイリでは、移動式の巨大な石室のようなもので原子炉を丸まる包むという方式だった。チェルノブイリ原発では、原子炉のカバー工事を始めるまでに、四半世紀かかっている。福島の原子炉1号機は、まもなく、すっぽりカバーをかけられるということだ。1号機の隣には途中から切り取られた煙突が事故そのままに立っている。カバー工事が終われば、外から1号機を見るのは、いずれ見納めになるかもしれない。しかし、建屋の中の、原子炉には、溶けて、冷やされて、除去作業が困難な「燃料デブリ」と呼ばれる有害な物質が残存している。燃料デブリは、これまで判っているだけで、880トンもあるという。     
 
 福島原発では、東電が決めたという取材ルールがある。例えば、今回は一行15人のチームに対して、ムービーカメラ1台、スチールカメラ1台のみが、映像代表取材として許可されたが、残りの13人はカメラ撮影、録音取材なども御法度とされている。違反したら取材中止ということになるという。撮影された映像を帰京後、ペンクラブで見る機会があったが、動画機材なのに、ほとんど静止画ばかり撮影されている。カメラアングルの制限、写された画像もアップ画面が多い。映り込み映像の削除などの規制は厳しいのが、判った。やはりテロ対策だという。映像という情報から保安の機密が漏れるのを警戒しているのだろう。
 
 朝日新聞4月29日朝刊記事で、福島原発事故発生から13年というタイミングで、一面左肩に5段記事と三面左半分を使ったサイド記事を掲載している。本当はもっと紙面を割きたかったのだろうが、今朝は、朝刊一面、トップ記事に「東京・島根・長崎 立憲3勝」「衆院補選 自民が全敗」という選挙結果記事があったので、原発記事が小さくなったと言っているような地味な誌面づくりだったように受け止められた。
 
 ★ 危機管理の空洞化は、防げるか?
 
 記事を紹介すると、23年10月の事故から始まる。汚染水から大半の放射性物質を除去する「多核種除去設備」(ALPS・アルプス)で汚染廃液が人為的なミスから飛散した、という。
 
 東京電力の説明では、ALPS処理水とは、原発から排出される汚染水を海水で希釈し、トリチウム濃度を1500ベクレル/リットル以下に処理した状態という。
 
 廃液を浴びた作業員2人は原発内で十分に除染ができず、入院した、という。彼らはその後どうなったのか。
 
 これとは別に、24年2月には、汚染水の浄化装置がある建屋から汚染水約1・5トンが流出した。浄化装置を洗う際、閉じるべき弁が16カ所中10カ所で開いていたため、建屋外壁の高さ約5メートルの排気口から汚染水が漏れた、という。その周囲は作業員が立ち入ることができる場所だという。流出時、万一、現場に作業員たちがいたら、作業員は「被曝をしたおそれがあった」と記事は伝えている。
 
 私が、こうして書きとめていても、東電の「気の緩み」が、現場にはかなり蔓延しているのではないかと気付かされ、恐ろしくなる。
 
 以下、新聞記者は付け加える。
 
 「廃炉作業を監視する原子力規制委員会は、東電自身が作業にひそむリスクを事前に十分、評価できているのかを疑問視する。燃料デブリの取り出しなど今後もリスクのある作業は
 避けられない。廃炉にはまだまだ長い時間がかかる」だろうという(前掲同紙参照、一部引用)。
 
 ここまで書いてきて、また一つ、福島第一原発の記事を見つけた。
 
 東京電力では、5月7日、福島第一原発で今年5回目となる処理水の海洋放水を完了したと発表した。「停電で放出が一時中断するトラブルがあったが(略)、保管していた約7800トン分の放出は予定通りの日程で終えた」という。
 
 トラブルとは、「構内掘削作業で誤って外部電源のケーブルを損傷させたため、一部で停電が発生。処理水の放出は約6時間半にわたって中断した。東電は再発防止策として作業員への注意喚起の徹底や、同様の作業を行う場合は社員が現場に立ち会うなどするという(前掲同紙5月8日付朝刊社会・総合面記事参照、一部引用)。
 
 「エッ、こんな程度の対策でいいのか。
 この程度の「注意喚起」で、喚起されるとは思えない!
 「東電甘い危機管理」という見出しが、私の脳裏にも浮かんで来る。
 甘い危機管理は、まだまだ現在も続いているのではないのか。
 福島第一原発、侮るべからず。
 
 「東京電力は(5月)17日、今年度2回目となる福島第一原発からの処理水の海洋放出を始めた。昨年度からの累計では6回目」(前掲同紙5月18日付朝刊社会・総合面記事参照、一部引用)。短いベタい記事を丹念に拾い読みをし続けないと記事の記録(記憶)が途切れてしまう。
 
 ペンクラブの取材ツアー・チームは、この日、午後も東電の説明を聞いた。
 午後は、ALPS処理水の移送ポンプ建屋や同じく希釈・放出設備などについてそれぞれの現場近くで説明を聞いた。そして、午後5時前のまとめの会見。長い一日。待ってもらっていたレンタルのバスに乗り込む。東京までの帰路は、まだ、3時間以上あるのだろう。
 
 ★ 危機管理の空洞化が、続いている!
 
 福島第一原発は、
 危機管理が、構内でゾーニングされ、3色になっている。
 以下の通り。
 
 1: グリーンゾーン。
    一般作業服、防塵マスク。
 
 2: イエローゾーン。
    防護服、全面マスクか、半面マスク。
 
 3: レッドゾーン。
    防護服とカッパ、全面マスク。
 
  イエローゾーンとレッドゾーンは、今後、廃炉の重要な作業が予定されている。
  東電は、今年の10月までに2号機の原子炉格納容器の底部に残されている燃料デブリ、取り敢えず、数グラムを試験的に取り出す作業に着手するという。
 
  「廃炉やメルトダウンを起こした1号機から3号機に推計880トンあるとされる燃料デブリの取り出しの最初の一歩になる」という。つまり、本格的な対策は、これからやっと始まるというわけだ。
 
 ★★ 燃料デブリの微量採取
 
 東電は、5月28日、福島原発2号機で計画している原子炉内に溶け落ちた燃料デブリを微量採取(耳かき1杯程度)する装置を公開した。10月までの着手を目指し検証を進めているという。操作装置の設置やデブリ採取後の容器の取り出しなど作業員が原子炉格納容器に接近する際の被曝対応など難題を抱えている。装置を原子炉内に入れた後、立ち往生はできないからだ。今後とも続く廃炉作業の難関突破のためには、どうしても潜り抜けなければならない関門だ。
 
 この作業は、「当初の計画では、2021年に実施する予定だったが、トラブルなどでこれまでに3回延期されている、という。微量採取が成功したとしても、その後の本格的な採取は工法さえ決まっていない」という(東京新聞5月29日付朝刊記事総合面参照、一部引用)。
 
 ★ 用語説明:
 
 取り敢えず、東電のホームページ(処理水ポータルサイト)の記述をそのまま書き写す。
 
 ALPS処理水=トリチウム以外の放射性物質が安全に関する規制基準値を確実に下回るまで多核種除去設備等で浄化処理した水。

 多核種除去設備(ALPS)=汚染水に含まれる放射性物質が人や環境に与えるリスクを低減するために、薬液による沈澱処理や吸着材による吸着など、化学的・物理的性質を利用した処理方法で、トリチウムを除く62種類の放射性物質を国の安全基準を満たすまで取り除くことができるように設計した設備。
 
 ならば、ALPS処理水には、規制基準値以下だが、トリチウム以外の放射性物質が含まれている、ということなのか。ALPS処理で濃度を減らし、基準値未満にしても、放射性物質そのものは海底に残っているということだろうか。海洋放出されるのは、トリチウムだけではなく、規制基準値以下だが、ほかの核種も含まれているということか。核種とは、放射性物質のことか。どこまでも人類について回る放射性物質。
 
 
 ★ 長い一日
 
 私たちは、東電が別途用意したバスに乗り換えたり、靴や靴下を履き替えたり、装備(衣)を取り替えたりしながら原発内のグリーンゾーン区域を東電が許可したコースに従ってあちこち移動した。長い一日が、終わろうとしている。
 
 朝、9時過ぎに携帯電話を取り上げられて、東電から代わりに持たされた線量計を返すまで、線量計は何回も鳴り響いていた。食事の時間もほとんどない強行軍の「取材」であった。東京電力は、まとめの時間を予定より30分ほど延長してくれた。午後5時前にやっと解散となった。春の夕暮れ。外は、すっかり暮れていた。
 
 
 ★ 久しぶりに、コロナ感染データチェック
 
 
 厚生労働省は、5月7日、4月22日〜28日に報告された新型コロナウイルスの新規感染者数は計1万5786で、1定点あたり3・22(速報値)人だったと発表した。前週(3・64人)の約0・88倍で、12週連続で減少した。
 
 ついでに、5月10日、4月29日〜5月5日の報告。
 新規感染者数は計1万1086で、1定点あたり2・27人だった。前週(3・22人)の約0・70倍で、13週連続で減少した。
 
 しかし、翌週は、14週ぶりに反転、増加している、という記事が出た。その後の続報も、(反転)傾向は変わらない。コロナと人類の綱引きは、今後も続くだろう。要注意!
 
 そうだ。原発と人類の綱引きだって、同じじゃないか。ウイルスも手強いが、核はもっと手強い。
 
 コロナ感染のグラフの下りと上がりの具合は、相似形でその後も、流行当時とあまり変わらず、無気味である。
 
 ★ 取材メモ&ノートから/解説:「武器輸出」とは?
  
 経済学者・小野塚知二(東京大学名誉教授)の解説より取材ノート(メモ)を作る。
 
 朝日新聞5月9日付「オピニオン&フォーラム」記事を参考に私の取材メモを補足する。
 
 日本の経済は、消費主導型経済だと国民の消費が伸びて発展する。
 これに対照するのが武器輸出で、投資主導型経済。国が投資を続け、赤字国債が増える。
 一部の兵器企業だけがうるおう。健全な経済とは言えない。
 
 抑止力: 相手がこちら側の力を恐れるか否かに依存している。こちら側で一方的に決めることはできない。日本が軍備を増強しても、近隣諸国(中国、北朝鮮、ロシア)が態度を変えるか。むしろ、態度を硬化させ、「安保環境」がさらに悪化するはず。
 
 /「安保環境」とは、どういう状態をいうのか?
 
 武器移転:金銭的対価を伴わない。貸与・無償供与。→
 その方が、相手国を支配下に置ける、という。
 武器を受け取ると、その武器を使う兵士の訓練、武器の修理・補給など縁が切れなくなる。なんかヤクザ組織みたいだなあ。「盃」(武器)の縁が死ぬまで続くということか。
 最初は貸与であっても、「十分」商売が成り立つ。
 
 /「武器移転」とは、何か?
 
 武器と平和:武器は破壊や殺傷を目的とした道具。その手段が広まれば戦争の危険性も高まる。
 本来、国の目標や戦略があり、そのための手段が決まる。
 実際は、武器の存在によって、逆に国の戦略が規定されてぃまう。軍事でも武器が広まれば危険が増え、平和の条件が損なわれる。
 
 /武器移転は出来る限りない方がいい。
 
 軍事と外交:軍事に頼らず、言論、文化、民間外交も含めていかに戦争を回避し平和を維持するか? それを考えるのが外交術。はなから軍事に頼むだけなら外交の敗北。
 日本の周辺には、兵士の生命の政治的・社会的費用が低く、人権も民主主義も言論の自由も制約された国がある。兵士の損耗が政府や軍の責任になりにくいから、いくらでも兵力を投入できる。こういう相手とは『戦争をしない』という前提を立てたほうがいい。
 
 錯覚:抑止力を強めれば安全保障が成り立つと考えるのは、『錯覚』か、国内向けに勇ましいことを言いたいだけだ。
 武器輸出は日本にとって最も不得意な分野です。
 戦後の日本は武器を輸出したり、訓練をしたり、修理・補給をしたりしてきた経験がなく他国の信用がありません。
 
 幻想:日英伊の次期戦闘機の共同開発も『対等なパートナー』と考えるのは、幻想でしょう。(略)次期戦闘機の開発でいい技術が出れば、アメリカが介入するでしょう。アメリカは日本に圧力をかけ『技術を出せ』という。英伊からみれば、日本はアメリカの介入を呼び込む『トロイの木馬』になる可能性さえあるのです。
 
 妄想:日本がアメリカから自立して武器を開発生産し武器輸出大国になれるというのは『妄想』です。
 アメリカは安保体制下でそれを決して許さないでしょう。
 
 武器輸出:軍事に関するものはすべて武器であり、殺傷能力の有無など関係なく輸出できるというのが常識なのです。
 『武器を外国に売らない』ことが、大切な倫理的な価値になっている。それは憲法9条の普遍的な理想に基礎付けられている。武器輸出で平和国家の価値を傷つけ、ボロぞうきんのように捨ててしまうなら、日本の安全保障に負の影響を与えます。
 
 閣議決定:そうであれば、閣議で決められるようなことではなく、少なくとも徹底した国会審議が必要でしょう。
 
 以上、小野塚教授の高説は、明解で判りやすい。ジャーナリストOBは、言論の海の中から明解であり、高説であるという情報をキャッチしようと歩き回る。
 
 核も、原発も、兵器も、武器も、コロナも、過疎化も、人類の足を引っ張る。
 結局、私は同じ敵と争っているのだろう。
 
 
 (了)
ジャーナリスト(元NHK社会部記者)

(2024.6.20)
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