中国単信(8)

銀行のパワハラ

趙 慶春

 最近は日本の企業でも職場でのハラスメント対策への取り組みがそれなりに行われてきているようである。ただ日本の企業や組織がハラスメント防止対策の実施に取り組み始めた時期は、それほど昔のことではないようだ。東京都がハラスメントの定義を定め、相談窓口を設置したのはほぼ20年前の1995年だった。しかも現在までにハラスメントの定義及び指針を正式に策定した都道府県は、わずか9つに過ぎない。

 一方、大学など高等教育機関でのハラスメントへの取り組みは、一般企業や自治体より進んでいるかもしれない。これには大学という組織そのものの性質が大きく関わっている。大学人たちの意識が先進的だからではない。ハラスメントが発生しやすい職場だからである。

 他の職場と大きく違う点は、教員と学生・院生の関係は指導する者と指導される者という明確な立場の違いがある。しかもかたや成績評価を出す側、かたや成績評価を出される側というこれまた明確な違いがある。そして「期間限定付き、1回限りの成績評価」は、指導される者からするとハラスメント行為があっても我慢する傾向が強い。ところが高学年の「ゼミ」となると、教室だけでなく日常的な触れあいも増えるだけに、ひたすら我慢というわけにもいかなくなる場合も出てくる。さらに院生になるとセクハラ、パワハラだけでなく、アカハラ(アカデミックハラスメント)も加わりがちである。

 いずれも指導する側の意識の問題であり、相手に不快感を惹起させる言動には相当の神経を払わなければならないのは当然だろう。厄介なのはハラスメントになるか、ならないかは相手の受け止め方次第で、不快だと感じれば、それがハラスメントになることである。それだけに指導する側は細かい神経を使わなければならないし、常に相手の立場に立って、みずからの言動に注意することが求められる。

 それでは中国ではこうしたハラスメント防止への取り組みが行われているかと言えば、残念ながらその答えは否定的にならざるを得ない。ただし、歴史上“権力乱用”を抑止したり、取り締まる対策として専門機関が設置されることはよくあった。例えば、歴代の王朝によって名称はさまざまだが、“御史”や“十三道”、そして、今の“中紀委”(中国共産党中央規律検査委員会)などはそれにあたる。

 しかし、こうした機関は日本のハラスメント対策部署とは当然、意味合いを大きく異にする。一つは官僚、役人を対象としていて、一般庶民、個人事業主及び私営企業の経営者などは対象外である。しかも個人対個人の問題ではない。したがって、現在、習近平政権が実施している倹約令なども官僚を含むすべての公務員に出されている「政策」にほかならない。

 もう一つは、部下や関係者に対する権力乱用への監視、取締りが行われると共に汚職や贈収賄、個人的道徳問題なども取締の対象になっている。しかしどれも官僚の廉潔を保つためで、これまた「政策」と言っていいだろう。

 ハラスメント防止を目的とした委員会は、政令や法律では律しきれない行為者の言動によって不快な思いや脅威を感じたり、不利益を与えられないようにするためである。つまりかなり限定的で、言い換えれば職場内の、常に言葉を交わす人間関係において起こりうるハラスメントを対象としている。

 だがよく考えてみると、このような「行為者の言動によって不快な思いや脅威を感じたり、不利益を与えられる」ことは、一歩外に出ると至る所で起きているのではないだろうか。

 例えば、大手企業と下請け会社の関係ではどうか。また小売業界の大手とその下請納入業者の関係はどうか。強い立場の会社が無理難題を押しつけても弱小の会社は受け入れざるを得ず、苦痛や不利益を与えられているのが当たり前となっている。場合によっては「不正取引」と断じられて、法によって指導や取締りの対象となることもある。しかし多くの場合、弱者は泣き寝入りするしかない。

 これは明らかにパワハラだと思うのだが、残念ながら現在の日本で、こんなことを言ったら笑われるに違いない。だが、私のような外国人から見た日本の“変なところ”を挙げるなら、私は真っ先に銀行と言いたい。その理由だが、
 一つは、自分のお金を引き出すだけなのに、「時間外」があって、なぜ手数料を取られるのか?
 二つめは、サラリーマンの退勤時間はたいてい17時以降なのに、なぜ銀行の窓口業務は15時で終わるのか?

 確かに銀行カードもあるし、専業主婦が多い日本では、15時前に窓口に行けるのかもしれないが、共働きの家庭も少なくないし、カードでは済まない用件もある。

 日本での生活が長くなると、こういう銀行の「特徴」に自分を納得させてしまうのだが、無独有偶(珍しいものには必ずそれに似たものがある)とはよく言ったもので、日本の銀行にはパワハラではないかと感じてしまう場によく直面する。

 最近、銀行の整理券発券機近くに銀行スタッフが立っているのをよく見かける。不慣れな客へのサービスを考えているのだろうが、このスタッフが必ずしも業務に精通しているとは限らない。むしろ二重手間になったり、間違った指示を受けることもそう珍しくない。

 聞くところによると銀行のフロアーに立つスタッフは、国が推進している再雇用対策人員を置いているとか。それなら間違った指示も、さもありなんと思ってしまうが、それが許されていいのだろうか。

 また銀行員の丁寧な対応の奥に潜む、上からの目線である。おそらくお金を取り扱う業務だけに、どこかで客を全面的には信用していないからだろう。それが客への対応は優しいが、まるで命令するような言動にもつながっているように思える。

 例えば、私のような外国人は通帳の名前は手書きのため、通帳更新は窓口で行わなければならない。ある時、通帳の最後の頁下段まで使わないと更新しないと言われ、数日後、記帳スペース三行ほど残して窓口を訪れたのだが、また拒否されてしまった。口では客に協力要請をしていると言いながら、あくまでも銀行側のやり方を押しつけ、客に選択の余地を与えないのである。

 また高額の送金になると、身分の確認に始まり、いくつもの書類への記入を求められ、挙げ句は身分証明書のコピーまで取られる。決して愉快な気持ちになれない経験は私だけではないだろう。

 確かに「資金洗浄」「不正送金」「振込詐欺」などの違法を防ぐためにはやむを得ないのかもしれないし、国からの指導もあるのだろう。しかし、客の利便性、利益を最優先せず、形式ばかり重視するのは結局、客への押しつけにつながる。

 かくして客がいくら不満や不快感や、時には怒りを感じても一組織と個人との関係になり、不利益をもたらす行為者を個人的に訴えるなどできない仕組みになっているのである。
 しかし銀行も客商売であるからには、客を大事にしなければ、いずれは客から見放される。多くの銀行はそろそろ、私の言う「パワハラ」に気がつくべき時に至っている。

 その意味では客に目線を向けて対応している銀行もないわけではない。またある大手銀行は夜7時まで窓口業務を行うようになってきている。
 中国の専横的、独断的な組織運営に比べれば、たわいもないことかもしれないが、客にとって不都合、不合理、不利益な点に常に「ノー」の声を上げ続けることが大切のようである。ここは中国よりはずっと民主化が進んでいる日本なのだから。

 (筆者は大妻女子大学・准教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧