【沖縄・砂川・三里塚通信】

辺野古・大浦湾からの報告 (25) [#q3065d8e]

浦島 悦子

●辺野古ダムにボーリング櫓

 昨年(2020年)暮れ、名護市役所では「熱いたたかい」が繰り広げられた。
 その少し前から話を始めよう。

 12月8日午後、私の携帯電話が鳴った。オール沖縄会議現闘部長の山城博治さんからだ。午後5時の閉庁時刻に合わせて名護市役所前で緊急抗議集会をやるので来てほしいという連絡だった。

 その日の朝、辺野古ゲート前座り込みに参加した市民が、辺野古ダムにボーリング用櫓(足場)が設置されているのを発見した。新基地建設に伴う埋め立てのためには、軍用地内を流れる美謝川(辺野古岳を源流とし、埋め立て予定海域に河口を開く)の水路変更が不可欠であり、それに向けたボーリング調査がすでに始まっていると地元紙は報道していた。
 辺野古ダムは美謝川の一部を堰き止めたものだが、周辺住民の上水の水源であり、名護市の管理だ。山城部長らはすぐさま名護市に出向き、なぜボーリングを許可したのか質したところ、同市の祖慶実季総務部長は「地権者の許可は得てある。水質汚染はないと専門家も言っている。ボーリング調査は(防衛局との)協議の対象ではない」と答えたという。

 5時過ぎ、名護市役所前で開かれた緊急抗議集会には、開会中の名護市議会野党議員5人をはじめ、飲料水の汚染に不安を抱く辺野古住民やメール・電話で連絡を取り合った市民ら約60人が参加し、抗議の声を上げた。市議会では複数の野党議員がこの問題を取り上げ、稲嶺進前市長時代、防衛局から出されたボーリング調査の「協議書」を示して、今回はなぜ協議をしないのか、秘密協議があったのではないかと追及したが、明確な答は得られなかった。

 私たち名護市民が「新基地NO」の明確な意思表示をした市民投票(1997年12月21日)から23年。いくら民意を示しても、まるで「ストーカー」のように押し付けられ、強行される理不尽の中、この場所で何度抗議集会を持ったことだろう。市役所包囲もやったし、「苦渋の決断」で新基地を受け入れた岸本建男市長(当時)に翻意を促すために百日間の市役所通い(「平和のプレゼント」行動)をやったこともあったっけ…。

 2期8年の稲嶺市長時代、「海にも陸にも基地は造らせない」市長のもとで、私たち市民は守られてきたんだと改めて感じた。基地建設を進めるためには市長の許可や協議が必要なものがある。稲嶺さんは市長権限を使って、最前線で基地建設を食い止めてきた。その防波堤が今はないのだということを痛感し、1年後(2022年1月)に迫った名護市長選での市政奪還を心に誓った。

●年末の熱いたたかい…「名護市長意見」を否決

 これに先立つ12月2日、私が事務局長を務める「名護市政を考える女性の会(通称:いーなぐ会。2011年4月に「稲嶺市政を支える女性の会」として結成。渡具知市政に代わった3年前に名称変更)」は渡具知武豊市長に面談要請を行った。

 沖縄防衛局が沖縄県に提出した、大浦湾埋め立て予定海域の軟弱地盤改良工事のために必要な設計概要変更承認申請に対して、県が求めた「利害関係人」の意見書が内外から1万7,857件寄せられ、県知事判断の根拠となるが、もう一つの判断材料である地元「名護市長意見」を県は11月27日付で照会した。私たちの要請は、これについて「名護市民の意見を聞く機会を設けること。市民の新基地反対の民意を踏まえ申請を『不承認』とすること」、加えて「美謝川切替に同意しないこと」も要請した。
 渡具知市長は、基地問題については一貫して「国と県との問題」だという無責任な態度に終始してきた。私たちの要請にも案の定、「(市長意見については)検討中」「(美謝川切替については)防衛局から要請があったら検討する」との回答だったので、その場で追加質問を「宿題」として年明けの回答を求めた。

 名護市長意見は市議会の決議を経る必要がある。県が求めた提出期限は3月26日なので、市民の意見を聞き、充分に精査して3月議会に提案すべきだという野党議員団の要請にもかかわらず、市長は「市民の意見を聞く必要はない」と言い放ち、12月議会の追加議案として、わずか3行の市長意見を提案した。設計変更に伴い辺野古漁港地先の作業ヤードとしての埋め立てが廃止されたのに「異議はない」という、いわば枝葉末節だけのもので、軟弱地盤改良による自然破壊など、申請の本体については一言も触れてない。

 野党議員団は、この提案の取り下げと3月議会での再提出を求めて追及し、議会は紛糾。名護だけでなく全県各地の島ぐるみ会議が12月15、16、21、24日と連日100名余、名護市役所前に結集して昼休み連続抗議集会を行い、議員団を激励。議会傍聴も行った。与党議員の中からも「出し直し」の要求が出るに及んでも市長は提案を取り下げなかったため、採決せざるを得ず、過半数を占める野党により「否決」された。年末の寒さを吹き飛ばしたこの「熱いたたかい」は、名護市議団と市民・県民の連携・共闘という意味でも画期的だったと言えるだろう。

 これにより、今回提案された市長意見は出せないことになったが、私たちは市民として、あくまでも「市民の意見を聞き、3月議会への再提出」を市長に求めていくつもりだ。同時に、埋め立てのカギを握る美謝川切替問題についても名護市長としての責任を取らせていく。それは、コロナ禍の中、市民に見えづらくなっている渡具知市政の矛盾、市民ではなく国のご機嫌を伺うその本質を明らかにしていくための格好の「材料」であり、次期名護市長選に向けた前哨戦でもある。
 (年明け、島ぐるみ会議名護と野党市議団は合同で、12月市議会の論戦を市民に分かりやすく報告するリーフレットを作成し、3月議会開会前に市内全戸=約3万配布した。)

●新玉になやい(なって)

  人の世の塵も  コロナ禍も孵(す)でて
  新玉になやい  祈り歩ま

 これは、今年の年賀状に書いた私の琉歌である。
 新型コロナウイルスに翻弄された2020年は、地球環境や生物多様性を破壊し続けてきた人間の文明そのものの問い直しを迫るという意味で、人類史を画する年だったと思う。未曽有の経験の中で未だ混乱の続く中、新たな年が、生まれ変わった新玉のように、人間が地球の命の循環の一員として生き直し、人と自然、人と人との関係を結び直し、新しい文明へと進む第一歩となることを願って詠んだ。

 2021年元旦は、大浦湾に面した瀬嵩の東(あがり)浜で初日の出を拝んだ。(毎年行ってきた辺野古の浜でのハチウクシー=初興しは、コロナ対策のため今年は中止した。)
 夜来の雨が上がり、水平線を覆う雲を抜けてまばゆい光が差すと、浜に集まっていた人々からどよめきが起こった。それぞれに手を合わせたり、何かを祈っているようだった。東浜には、五若森(いつつわかむい)と言われる5つの聖なる岩がある。戦前はそのそれぞれに見事な琉球松が生えていたという。その後、台風で枯れてしまい、現在は外来種のモクマオウに取って代わられているが、岩の尊厳は変わらない。その2つの岩の間にしめ縄が張られていた。しめ縄の向こうに見える埋め立て用作業台船やフロートが、今年こそなくなるよう、私は祈った。

●日米共同使用の恒久基地に狙われる辺野古

 1月25日の沖縄地元2紙は1面トップで、陸上自衛隊と米海兵隊が2015年、米軍キャンプ・シュワブに陸自の水陸機動団を常駐させることを極秘合意していたと報じ、日米共同使用による辺野古基地の恒久基地化にも言及した。これは、私たち地元住民をはじめ名護市民・沖縄県民が強い反対の民意を何度示しても、異様なほど辺野古新基地建設に固執する日本政府にかねてから懸念していた不安を裏付けるものだった。
 新たな基地負担が明らかになったことに対し、沖縄県知事をはじめ県民は一斉に反発。岸信夫防衛大臣は「合意はない」と否定したが、オスプレイ配備をはじめ、これまで政府・防衛省による隠ぺいや県民だまし、虚偽答弁などを繰り返し見せつけられてきた県民がそれを信じるのは難しい。

 現在、南西諸島各地に住民の反対を押し切って自衛隊基地が次々と建設され、沖縄戦の悪夢が再び現実のものになるのではないかと多くの県民が不安を募らせている。キャンブ・シュワブそして辺野古新基地が日米共同使用となり、南西諸島全体の中核基地として運用されれば、基地負担は何倍にもなって地元住民・県民にのしかかってくる。これは、防衛省が、辺野古新基地建設は県民の「負担軽減」のためだと言い続けてきたことに真っ向から反しており、新基地建設の大義名分は崩れ去った。

 沖縄でも新型コロナウイルス感染が拡大し、今なお収束の目途は見えない中、米軍基地における感染の増大は県民の不安に拍車をかけている。キャンプ・シュワブでも1月20日には43人の感染が発表され、周辺住民を戦慄させた。その後も同基地の兵士たちは民間地をマスク着用なしでランニングしている。

 このような中で、なおも新基地建設工事が続けられているのは、沖縄県民を愚弄し、人道的にも許されないとして、私たち「ヘリ基地反対協議会」は2月3日、沖縄防衛局を訪ね、「県民の基地負担を倍増する辺野古新基地建設の即時中止を求める要請(工事の中止、県内米軍基地の閉鎖、岸防衛大臣が「合意はない」とした根拠を明らかにすること)」を行った。
 面談の中で、「合意はない」とする根拠を問い質したが、対応した職員は「常駐は考えていない」という公式見解を繰り返すのみ。私は「あなた方のそういう態度が県民の不信をますます募らせているんですよ」と言ったが、南西諸島全体の軍事要塞化、その中枢としての辺野古新基地、という戦慄すべきシナリオへの懸念は強まるばかりだ。

 たまたま節分の翌日ということもあり、面談後、沖縄防衛局の玄関前で、反対協の海上行動チームメンバーが扮した赤鬼と青鬼に、みんなで紙風船の「豆」を投げて「厄払い」した。

●浦添市長選の二つの意義

 2月7日に投開票された浦添市長選は、辺野古と並ぶ新基地建設=浦添軍港が最大の争点だった。軍港容認の現職に対し、反対を明確に打ち出した38歳の女性候補・伊礼ゆうきさんは元看護士。結果は、自公に支えられた現職に及ばなかったが、伊礼候補が獲得した約2万2500票は大きな力だ。私は『沖縄タイムス』の「論壇」に「浦添市長選の二つの意義」というタイトルを付けて次の原稿を投稿した。    ______________________

 2月7日に投開票された浦添市長選は、勝敗ではなく、その中身において、沖縄の歴史を大きく前進させるものであったと思う。

 その要素は大きく言って二つある。一つは、浦添軍港問題を最大の争点としたこと。那覇軍港の移設先とされる浦添の海は都市部に奇跡的に残された自然海岸(イノー)であり、浦添市民のみならず、そこを訪れたすべての人(私も含め)がその豊かさと美しさに魅了され、これを子や孫に残したいと思う「宝の海」だ。古来この海に親しんできた地域住民の地道な運動で海岸道路建設による埋め立てから免れた(一部を橋に変更)経緯もある。多くの人がこの海を失いたくないと思っているにもかかわらず、遊休化した那覇軍港を返還する代わりに、ここを埋め立てて新軍港を造るという理不尽な話についてなかなか表立って議論できなかったのは、沖縄県や那覇市が容認しているという複雑な構図があるからだ。
 それを真正面から議論のまな板に載せた意義は大きい。市民・県民がこの問題にきちんと向き合い、沖縄の未来にとって大切なもの、失ってはならないものは何なのか、真剣に議論する土台を築いたと思う。

 そしてさらに大きなもう一つの意義は、「女性」「若い」「シングルマザー」という、いまだ家意識も強く男性優位の沖縄社会においては三重のマイナス要素(私から見れば「カッコイイ」のだが)を、候補者の伊礼ゆうきさんが軽々と逆転させたこと。明快で、具体的で、堂々とした彼女の演説を聞きながら、私は歴史が大きく動くのを見たような思いがした。
 諸事情で出馬表明が遅れ、超短期決戦ということもあり、私が期待していた、自然にも人にも細やかな配慮のできる女性市長の誕生はならなかったが、沈みがちなコロナ禍の沖縄に、さわやかな風を巻き起こした伊礼さんと、それを支える市民たちに心から「ありがとう」を言いたい。

 聞くところによると、投票日の翌日、市民らは「軍港反対はこれから」と、のぼりを持って街頭宣伝に繰り出したという。私は玉城県政を支持する立場だが、辺野古基地には反対、浦添軍港は容認という知事の姿勢の矛盾を見て見ぬふりをすることは、本当の支持ではないと気付かされた。辺野古新基地建設が私たち名護市民だけの問題でないのと同様、浦添軍港も浦添市民だけの問題ではない。全県民が、沖縄にどんな未来がふさわしいのか真剣に考える時だ。そして、世界をけん引する女性リーダーが、沖縄から生まれますように!
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 この原稿は投稿して10日ほど経った2月22日に掲載された。記事を見て最初に「エッ!?」と思ったのは、最後の1行(「そして」以下)が削られていることに気づいたからだ。前もって何の連絡もなかった。なぜ削ったのだろう?と考えた。投稿欄のデスク(?)は、ここは蛇足だと思ったのだろうか? 読み返すと、確かにちょっと飛躍があり、唐突に感じられたのかもしれないが、私にとっては大切な個所であり削ってほしくなかった。
 よく読むと、下から2節目(「諸事情で……言いたい。」)がまるまる削られ、タイトルは「浦添市長選の意義 軍港問題議論の土台築く」となっている。メディアは選挙報道には「中立」(私はこれにも疑問を持っているが)の姿勢なので、この節が削られたことは全くの予想外ではない。しかし、文章の2か所の削除とタイトルの付け方によって、この原稿は「浦添軍港問題」に重点が置かれることになり、私が訴えたかった「二つの意義」が薄れてしまったと思う。私としてはむしろ、「もう一つの意義」の方をもっと強調したかったのだが…。

 新聞を見た複数の友人が「論壇、よかったよ」と連絡をくれたが、これらの事情を話した女性の友人たちからは「削る必要性がわからない」「メディアの限界を感じる。意味を理解していない」など憤慨の声が上がった。これまでも、投稿した文を勝手に変えて掲載され、「意図と違う文になった」と不愉快に思ったことはあったが、そのままにしていた。今回は、「黙っていない方がいいよ」という友人の声に押されて、新聞社と少し対話をしてみようかと思っている。

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