【コラム】風と土のカルテ(94)

農村女性の行動を変えた「生改さん」に学ぶ

色平 哲郎

 コロナ禍で、人々の「行動変容」が大きくクローズアップされた。厚生労働省は「新しい生活様式」として、ソーシャル・ディスタンシングや手洗い、マスクの着用、「3密」の回避を国民に訴え続けている。いずれも公衆衛生上の生活習慣であり、保健所が主体的に取り組むテーマといえるだろう。情報化が進んだ現代では、様々なメディアを通して「新しい生活様式」の必要性が呼びかけられ、一定の効果を上げている。

 しかしながら、時間軸をもう少し長く取って行動変容を考えると、情報発信だけではそれが定着しないことに気づくだろう。人々が情報に接して新知識を得て、やり方を変えてみて効果を実感、その上で納得しなくては、行動変容は持続しない。そのためには人々の中に飛び込んで導くメンターが必要なのだ。

 戦後、保健婦(現在の保健師)が地域の「病気の予防・治療」という明確な使命を掲げて、人々を導いたことはよく知られている。私が山村の診療所に赴任した当時、その地で長く保健活動に携わってきた“伝説的”な保健婦から、「若妻会」を組織して様々な活動を展開したことを聞いた。若妻を姑の監視下からしばし解き放ち、寄り合いに集めるだけでも大変だったという。保健婦はまさに地域の要石だったといえるだろう。

●女性たちの心を射止めたもの

 ただ、日本の農村には、保健婦のほかにも、重要な役割を担って人々の行動変容に尽力した人たちがいる。生活改良普及員、通称「生改(せいかい)さん」だ。生改さんもほとんどが女性だった。
 『保健の科学』(杏林書院)2016年12月号に掲載された佐藤寛氏(日本貿易振興機構アジア経済研究所上席主任調査研究員)の論文「生活改良普及員と健康改善」[注]を参考に、生改さんの足跡をたどってみよう。

 太平洋戦争に敗れた日本は、深刻な飢餓状態から戦後の歩みを始めた。戦争で農業生産が低下したところに海外から兵士や移住者、ざっと600万人(当時の人口のほぼ1割)が引き揚げてくる。
 日本を占領統治した連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、食料増産と栄養改善に取り組む一方、軍国主義の温床となった封建遺制がはびこる農村の「民主化」に着手。1946年に農地改革を行い、47年に農業協同組合法が制定。48年には農業改良助長法が制定され、農業技術の変革を担う農業改良普及員(農改さん・ほぼ男性)と「生改さん」が誕生する。

 生改さんは農村の現場に足しげく通い、女性たちから実情を聞き取った。そして、まず着目したのが「台所」だった。
 当時、農家の台所は窓が少なくて薄暗く、かまどは地面に直接置かれ、煙突のないところが多かった。かまどの熱効率は悪く、薪を大量に焚くので煙が充満し、女性たちは目や気管支系の疾患に悩まされていた。

 そこで、生改さんは「改良かまど」を提案する。手近な材料で密閉性が高く、熱効率のいい改良型をこしらえ、煙突をつけた。これがものの見事に女性たちの心を射止めた。換気はよくなり、楽に調理ができる。地面に直接置かず、土台の上に設置されるので、屈まず、立った姿勢で調理できて体への負担がぐんと減った。改良かまどは生改さんの代名詞となる。

 一説には、改良かまどのルーツは岩手県にあるともいうが、これは普遍的な価値を備えている。今日では途上国で改良かまどは力を発揮する。たとえば国際協力機構(JICA)の職員やボランティアは、アフリカ諸国で改良かまどを次々と作り上げている。
 日干しレンガや石で土台を整え、粘土を塗り込んで成形する。すべて身近な素材だからお金はかからず、数時間で形ができる。そこから1、2週間乾かせば使えるようになる。改良かまどは同時に複数の熱源で調理でき、薪の消費量も数分の1に減る。省エネルギーにも寄与、一石二鳥どころか SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)を含む三鳥、四鳥の副次的効果を生んでいるのだ。

●地域の実生活に根付いた取り組みが奏功

 話を戻そう。改良かまどで認知度を高めた生改さんは、農家の偏った食生活の栄養改善に乗り出す。農家は野菜などの収穫期には同じものばかり食べていた。それを「ばっかり食」と命名して女性に意識させ、高タンパク、高エネルギー食への転換を促す。
 「料理教室」を開いて実際に調理をしてみせる。田植えや稲刈りの時期には村の集会所などで「共同炊事」を企画する。当番の女性が皆の持ち寄った食材で食事をつくり、他の人は農作業に集中した。あるいは農繁期には寺の境内などを借りて臨時の保育所を立ち上げ、乳幼児を集める。共同保育を実践したのである。

 このように生改さんは、実生活をカイゼンしながら人々の行動パターンを変えていった。GHQの農村民主化に始まったカイゼン運動は、日本ならではの改良かまどで土着化し、女性の生活に無理なく取り入れられた。時代は変わっても、ここが重要なポイントではなかろうか。

 地域に根付いた習慣や伝統的な思考を無視し、新しい知見を植え付けようとしても難しい。いっときは物珍しさで取り入れられても、やがては廃れる。途上国支援の場面にも当てはまることではないだろうか。

[注]
 今回参考にさせていただいた佐藤寛氏の論文「生活改良普及員と健康改善」は、その後、中村安秀編著『地域保健の原点を探る』(杏林書院、2018年)第3章「生活改良普及員による健康改善」(p.40-62)に、ほぼ同内容で発表されています。

 (長野県佐久総合病院医師、『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2022年2月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
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(2022.3.20)
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