【オルタの視点】

軍事優先的安全保障から人間の安全保障に転換を促す好機
―北朝鮮問題と瀬戸内地方の大水害に対する日本政府の立ち位置をみて

初岡 昌一郎

◆◇ はじめに

 『オルタ』が、『オルタの広場』として継続されることになったことは、継続懐疑論者であった小生としてもとても喜ばしいこととです。

 「広場」とはだれでもが自由に意見と感想を交換できるフォーラムを意味するものです。したがって、包括的な論文の形でなくとも、意見や感想を遠慮なく発表できる場になってほしいと希望しております。その意味から、最近の動向について短いコメントを思いつくままに書いてみます。加藤さんの急逝を契機にして、年齢の限界を意識し始めている小生としては「広場」に初めての仲間入りです。

◆◇ トランプの開いた非軍事的な北朝鮮問題解決の道

 歴史的な状況の転回は予期されない形で、しかも期待されていなかった人によって、その口火が切られることがあります。事態はまだ流動的で、その結末と方向について断定できませんが、今回のトランプ大統領の北朝鮮問題に対するアプローチも予期しなかった可能性を示しています。このような前例は、その当時だけでなく現在も評価の低い、そして不人気なニクソン大統領が、米中国交再開というわけで意外なイニシアティブを発揮し、その後の歴史的和平に貢献したことがあります。トランプ政権が北朝鮮問題にたいし平和的解決の道を少なくともこれまでは取っていることに限って、彼が嫌いなことでは人後に落ちない私も大歓迎です。

 日本は1950年代に独立を回復して以後、一貫してアメリカの軍事外交政策に追随してきました。目下の同盟者の日本は時として勇躍、時としておずおずとであっても、その軌道から外れることはありませんでした。そのために、これに反対する主張は、自主独立あるいは非同盟・中立、再軍備反対に重点が置かれてきました。その過程の中で、当初、強くアッピールされた「非武装中立」のスローガンは非現実的なものとみなされ、表面から消えてゆきました。自主独立論は保革を問わず受容されうるものですが、その反面、現状では諸刃の剣ともなり得るものです。

 日本の再軍備とその後の飛躍的な軍備増強を支えてきた理屈は、自衛権という論理に裏付けられた「仮想敵国」の継続的な存在です。冷戦時代はソ連、その後は中国、特に最近では北朝鮮とその核武装の危険性の強調が目立ちます。ニクソンの中国政策には当時の田中政権は喜んで追随したのですが、トランプとの密接な関係を誇示してきた安倍政権は、仮想敵国がなくなるのを警戒してか、現在のアメリカの動向に明らかな戸惑いを露呈させています。

 ロシアが最早仮想敵国でなくなり、尖閣諸島や南沙群島問題で中国を論難してもこれを仮想敵国とは呼べないので、北朝鮮だけを公然と仮想敵国視することで成立している日本政府の軍事増強論理の根拠が今や存立の危機に瀕しているのです。

 トランプ政権は北朝鮮問題で「日本パッシング(無視)」をしただけでなく、貿易では「バッシング」の姿勢も見せています。日米同盟が、対米協調の優先を公言してきた安倍政権時代に大きく揺らいでいるのは歴史の皮肉です。今日、アメリカにとってもはや「仮想敵国」は存在しておりません。強いて言えば、イランだけですが、これも日本政府が追随し難い外交目標です。やむなく対米依存からある種の「自主独立」に徐々にカーブを切らざるを得ない状況が生まれています。

 しかし、日本の自主独立指向が旧態依然の「仮想敵国」論と独自軍事増強路線の堅持によって継続的に進行するならば、対米従属にもまして危険な道に入り込みます。アメリカを含め近隣諸国において、日本の核武装に対する警戒感が明白に高まっているのは、日本政府の曖昧な核兵器に対する最近の態度と国内核廃棄物貯蔵の増加量から見て、これを故なしと見ることはできません。

◆◇ 水害に関心が薄い政府と、水害救援に動かない自衛隊

 広島、岡山、愛媛など瀬戸内地方に大被害をもたらした大水害に対する政府の対応の過怠が批判されています。当然です。それにもまして、大災害には必ずと言ってよいほど出動し、それによって国民向けに点数を稼いできた自衛隊の姿が今回の被災地に見えないことが驚きです。災害発生当夜に総理大臣や防衛大臣が酒盛りしていた以上に、これは不思議な現象です。

 現在の日本、そして世界の自然環境災害や経済的困窮を直接的な原因とする死亡者数は、軍事的衝突や戦争による死者をはるかに上回っております。安倍政権がマントラのように唱えている「緊張感とスピード感」(この言葉はゲーム感覚の産物)は環境破壊の結果として急増している自然災害対策にこそ応用されるべきでしょう。

 猛暑の日々に、災害の後片づけが被災者とボランティアが中心になって少しずつ進められている姿がテレビなどで報道されています。災害救援でこれまで活躍してきた自衛隊員の姿は、今回どこにも見当たりません。まさか、自衛隊員を猛暑に曝して汚れ仕事に従事させることが、ただでさえ募集難に喘ぐ自衛隊員のさらなる離職を促すのを恐れてのことではないでしょう。
 ただ、最近の自衛隊における「一将功成りて万骨枯る」旧日本軍隊的な構造と心象の顕著な復活と無縁なことでしょうか。戦後に隆盛を極める国際関係論と軍事理論も、主流は安全保障における軍事・外交問題を「ハイポリティクス」して優先し、民生問題を「ロウポリティクス」として下に見てきました。それから見ると、何の不思議もないのですが。

 阪神淡路大震災当時、私は姫路に勤務しておりましたので、大学のすぐ傍にある自衛隊基地から大型の重機車搭載車両が続々と緊急出動するのを目撃しました。熊本地震でも自衛隊は頼りにされました。軍事に素人の私でも、重機類が水害地で活躍しがたいことは分かります。でも水が引いた条件で、交通網の復旧が最優先されているので、重機類を投入して大型ごみの処理などを助ける能力を発揮できる条件が整いつつあるはずです。不思議ですね。この腰の引け具合と対応状態は。でも『オルタ』今号発行時までに変化する可能性がありますので、不出動の理由を根拠なく推測し、これ以上書くのは遠慮します。

 自衛隊の活躍が称賛されたのは、災害救援時に汗を流した隊員たちの活躍のおかげであって、対外的に公表できないような活動のために隊員を海外に派遣したことによるものではありません。でも、大型災害に対処できる潜在的な組織的能力は自衛隊の独占ではありません。合計すれば陸上自衛隊に数的にも劣ることのない、地方公務員身分である消防職員の存在です。これまではその活動範囲が地方自治体単位になっており、全国的な連携は想定されていないので、消防隊員の地域を越えた活躍は例外的なものとして位置づけられてきました。

 消防職員は自衛隊員よりも救援活動の専門的な訓練を受けているので、緊急時にその潜在的な能力を地理的な境界を越えて発揮してもらうために、今後至急に、適切な枠組みを本格的な検討課題とすべきでしょう。これは「不都合な真実」を暴くことになりかねませんから、抵抗は小さくないでしょう。

◆◇ 安全保障の重点を領土と国家の防衛から人間の安全に重点をおくべき世紀

 安全保障論の歴史的転換の絶好なタイミングが到来していると現下の動向を観るのは、ただ一時的な状況判断に根ざした見方ではありません。状況の歴史的な底流を読み解く一つの重要なカギが、今から4半世紀前に発表された国連機関の報告の中にあります。その報告は、現代の国際社会における安全保障の重点を、国家と領土の保全から「人間安全保障」に置き替えることを提案しています。

 この人間安全保障を初めて包括的な構想として示したのが、1994年にコペンハーゲンにおける国連最初の「社会開発サミット」でした。これには、村山内閣当時の日本政府も積極的に関与、官民合同代表団を送っております。この画期的な会議に提出されたのが国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告1994」でした。

 この報告書の作成には、著名なノーベル賞受賞者を含む世界のトップ科学者多数もかかわっており、広く国際的な叡智を結集したものでした。これは、当時、世界的にまた日本でも大きな注目を集め、多くの賛同者を得たのですが、いつの間にか忘れられたような存在になっています。冷戦終結によって高まった「平和の配当」に対する期待が、この報告を生み出したのです。今回の北朝鮮による核放棄合意をさらに敷衍的な核兵器禁止に向けてのステップとすることができれば、「平和の配当」を現実化する確かな道になるはずです。仮にそう直線的に物事が動いていかなくとも、今後の安全保障を考えるうえで、同報告の提起した安全保障論の新たな地平は一層の重要性を帯びてくるでしょう。

 この報告は現代における最重要課題が、領土と国家を守るという伝統的安全保障よりも、人間一人一人の経済的社会的な人間安全保障に移行していると強調し、その道筋を示しました。人間安全保障の領域として、次の7項が挙げられております。
 - 経済の安全保障
 - 食糧の安全保障
 - 健康の安全保障
 - 環境の安全保障
 - 個人の安全保障
 - 地域社会の安全保障
 - 政治の安全保障

 軍事による国家安全保障が、いわゆる「ナショナルインタレスト」論に根拠をおいているのに対し、人間安全保障の考え方は「ヒューマンインタレスト」に重心を置く、持続的な地球・社会と人間の尊厳の擁護という普遍的な価値感を安全保障の目的としております。人の心を揺り動かす崇高な理想主義は、非現実的と謗られようとも、飛躍のための土台です。

 人口減少と高齢社会化が今後も進行すると予測される日本は、国内的により調和のとれた経済と社会を目指し、国際的には穏やかな社会的な成熟に評価を集めるミドルクラスの(大国面をしない)平和国家として、非軍事的な貢献に役割を見出すために奮闘するのが改革勢力の任務ではないでしょうか。当今の内外動向は、こうした考え方に新しい推力を与えているように思えます。 (2018年7月15日記)

 (姫路独協大学名誉教授・オルタ編集委員)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧