【投稿】

象徴天皇制システム(日本型立憲君主制)の原像

 ― 日本神話に見る天皇霊

田中 七四郎

◆ Ⅰ.新刊『プロパガンダの文学』 日中戦争下の表現者たち、五味渕典嗣著

 著者は、日中戦争当時の火野葦平など文学者たち(表現者)の作品、雑誌などを通して表現者たちの役割、歴史的意義を再評価している。作品は文学研究・批評における「テクスト」という方法的な概念を積極的に援用している。著者によればテクストとは、作者の意図や思考を表現した芸術的な著作という含意をもつ「作品」のことをさしており、(『プロパガンダの文学』)

   テクストは、その語源とされる「織物」(texture)を参照しながら、
   しばしば「引用の織物」と称される。
   ある一つのテクストは、先行するさまざまな言説や同時代の語りとの交
   渉によって書かれ、読まれていくからだ。こうしたスタンスで考えるこ
   とで、「作品」の言葉を支配し統御する主体としての「作者」の存在を
   カッコにくくり、書物という枠で閉じられた文字の連なりから、読者が
   どんな意味を生成させていくかに注目する道が開かれる。複数の他者の
   言葉を引用し、包摂し、改めて配置し直すことで作られた文章の中に、
   どのような論理やイメージの葛藤が潜在しているかを議論する可能性が
   開かれる。「作者」と呼ばれる資格を有する文学の専門家がしかるべき
   場所に発表した言説と、そうではない書き手が書きつけた言葉とを本質
   的に区別せず、同じ「テクスト」して扱う方法を手に入れることができ
   る。(同32P)

という問題意識から、著者は本書では、日中戦争の同時代に中国の戦場や戦地を描いた散文のテクスト一般を「戦記テクスト」として名付けている。

●プロパガンダとしての『麦と兵隊』

 著者は『麦と兵隊』(火野葦平、1906~1960)については、典型的な戦記テクストとして位置づけている。日中戦争は大日本帝国にとってはじめて経験する総力戦、思想戦、情報戦であった。著者は、

   火野(葦平)は、中国の戦線の現地(日本)軍が新しい情報宣伝戦略を
   模索する中で報道班となり、まさにその新たな戦略を体現すべく実地に
   養成(要請?筆者注)された、すぐれて有能なエージェントに他ならな
   かった。(同79P)

と断じている。そして作品が、当時の検閲当局や日本軍の立場に十分応えた作品となっており、< 『生きてゐる兵隊』(石川達三)事件以後の戦記テクストの表現に、一定の規準を示すことになった>(同84P)。

 更に、<文学はその点で情報戦の有用なツールであり、同じことは、おそらく他の芸術についても言えるはずである>と洞察している。

 日本軍(国)は文学を総力戦、情報戦の有益なツールに成り得ると考え、小林秀雄や従軍ペン部隊などを企画、派遣するなどして積極的なプロパガンダを試みたが、結果的には満洲・日支事変(当時)の目的の曖昧さ、何処まで続くかわからない泥沼的戦場、見えない敵の顔など、国民に見ざる・聞かざる・言わざるの立場にして、国論を一つにするプロパガンダにはなり得なかった。しかし、応召・派遣された表現者たちは、プロパガンダとは関係なく戦場で感じた体験を基に厳しい検閲条件の下、各種メディアを通じてギリギリの表現をしていることがわかる。それぞれの表現者たちの微妙で揺れ動く人間性が感じられる。火野葦平ら当時の表現者たちを新しい視点から見直している。

◆ Ⅱ.「天皇霊」について

●「天皇家の祖霊」=「国家神]の創造

 前回では英国の立憲君主制のモデルとしてウオルター・バジョットの『英国憲政論』(1867)について触れ、日本の天皇制システムについては「天皇霊」についてわずかに触れた。今回は「天皇霊」についていま少し掘り下げて検討してみたい。

 天皇霊とは、折口信夫(民俗学者、1887~1953)が唱えた興味深い説の一つである。狭義には天皇家の祖霊である。かつて「大王」から「天皇」への移行を完全なものにするためにさまざまな試みが為された。その一つが天皇家の祖霊を日本国家(イエ)の祖霊と成すべく、歴史の再編が行われた。天皇家の祖霊を「日の光の神=アマテラス(オオミカミ)」とし、これを天上の最高神とした。天皇家の将来にわたる持続可能性を揺るぎないものにするための壮大なプロジェクトXであった。歴史は為政者(勝ち組)によって再編される(書き換えられない過去はない。寺山修司、1935~1983)。

 「アマテラス」は、『日本書紀』による神話では、イザナギとイザナミが最後に生んだ4人の子どもたちの一人で、ツクヨミ、ヒルコ、スサノヲという3人の弟神に先立って誕生されたとされている。イザナギとイザナミは太古に天から降りてきて地上で最初の夫婦になり、「大八州(オオヤシマ)」と呼ばれる、日本となる島を産み、その後に続いていろいろな神々を産んだとされている男神と女神である。「アマテラス」は、女神で、生まれ出るとすぐに、麗しい光輝を燦然と放って、世界を明るく照らした。両親の神は、世にも不思議な霊感をもった神が生まれたことを大喜びして、天上界を授けて「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」として、治めさせたという。
 一方、『古事記』による神話では、「アマテラス」は、イザナミからではなく、父神のイザナギの左の眼から生まれたことになっている。どちらの日本神話でも、天上界にある高天原の「八百万(やほろず)」の神々を統治しているのは女神「アマテラス」とされているところは変わりがない。

●「元始、女性は実に太陽だった」(平塚らいてう、1886~1971)

 世界には、天上に神々の世界があって、そこに神の王がいることになっている神話は各所(処)にある。そのような神話を宗教学者たちは「王権神話」と呼んでいる。世界の「王権神話」の主役であるたとえばギリシャ神話のゼウスをはじめとして、中国の天帝、古代エジプト神話の太陽神レーなどは例外なく男性神である。ところが日本神話の神は太陽の女神アマテラスである。世界の神話の男性神では、自分に敵対するものには決して反抗を許さない徹底した峻厳な過酷さが見て取られるが、日本神話のアマテラス大御神においては寛仁で慈悲深さ、優しさが見られるのが特徴である。
 この違いはどこから来ているのか、そしてこの違いがこれからの世界にどのような影響を与えうるのだろうか。

 アマテラスの慈悲深さは、『日本書紀』によれば、他の弟神ツクヨミ、スサノヲからどんなひどいことをされても罰せず許してやろうとすることからも物語られている。一方で、アマテラスは殺害だけはどうしても許すことができない性質を持っており、どうしても殺害が犯された場合にも、けっして自分で手を下したり、あるいは他者を命令して、その行為を働いた者を積極的に罰することはしていない。弟神たちが他の神々を殺害したときも非暴力を貫き、他の神話の神々の王である男神たちの無慈悲な峻別さとはまったく正反対と言ってもよいほど際だっていた。

 日本は前の昭和の戦争の敗戦により、天皇の戦争責任をめぐって訴追や天皇制の廃止までが俎上に上がったといわれる。結果的には連合国総司令部(GHQ)による占領体制の下で、「象徴天皇制」という非政治的な仕組みに改めてこれを存続させた。その陰で大きな役割を果たしたといわれるのが、ダグラス・マッカーサー(連合国総司令官)の軍事秘書官ボナー・フェラーズ(1896~1973)准将である。彼は終戦の年の秋(10月2日)に、マッカーサーにあてて、「フェラーズ覚書」を提出した。<「・・・キリスト教徒とは異なり、日本国民は、魂を通わせる神をもっていない。彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の生ける象徴である。」>(岡田良之助訳)(『日本的なものとは何か』、柴崎信三)。

 また、丸山眞男(政治学者、1914~1996)が定義したといわれる「同心円の構造」では、<「天皇を中心とし、それからさまざまな距離に於いて万民が翼賛する」、天皇制の「同心円の構造」は、戦後の<象徴>への移行で大きく変容したが、文化の中心としての<天皇>の存在は、21世紀の現在にいたっても日本社会をつなぐ心理的な<絆>の重みを保ち続けているようである。>(同)と、述言している。奇しくも、西洋(ボナー・フェラーズ)と東洋(丸山眞男)と文化の異なる二人が、天皇(家)を歴史の観点から捉えているところが興味深い。

●「天皇霊」―責務感と寛容さの象徴

 天皇霊は稲の霊でもある。天皇に即位するものに宿る。返していえば、天皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行われる「新嘗祭(にいなめさい)」である。新嘗祭については、

   新嘗祭は、穀物の収穫を終えた秋の夜に行われる。新嘗祭では、皇居の
   神嘉殿の暗がりの中で、天皇と神々が一緒に食事をする「直会(なおら
   い)」と呼ばれる、幽玄の儀式が執り行われる。新天皇誕生後の最初の
   祭りは大嘗祭という名称に変わる。つまり、新天皇が神々と一緒に食を
   共にすることによって、初めて皇位が認められるのである。このように
   見ていくと、見えざる存在を肌身で感じ、畏れ、敬ってきたDNAが、
   我々日本人の中に組み込まれているように感じる。(『「霊魂」を探し
   て』、鵜飼秀徳)

 筆者は以前、「今上天皇(陛下)のお気持ち(ビデオメッセージ)に想う」(火野葦平の戦争責任観シリーズ-6、『あしへい19』、平成28年)において、天皇制システムをして1,000年超を持続可能にしている源泉は、天皇家(皇室)に伝わる責務感と寛容さではなかろうか、と恐れ多くも推論申しあげたが、このようなDNAを引く日本人にとって、象徴天皇制システム(日本型立憲君主制)は今後どのような方向へ行くのだろうか、日本型立憲君主制は維持されるのか、また維持することができるのか、新しい元号の下で生きんとする日本人が問われている。

 『立憲君主制の現在』(君塚直隆)によると、1945年7月にイギリス外相アーネスト・ベヴィンがアメリカ海軍長官ジェームズ・フォレスタルに次のように語ったという。

   先の世界大戦(第1次大戦)後に、ドイツ皇帝(カイザー)の体制を崩
   壊させなかったほうが、われわれにとってはよかったと思う。ドイツ人
   を立憲君主制の方向に指導したほうがずっとよかったのだ。彼らから象
   徴(シンボル)を奪い去ってしまったがために、ヒトラーのような男を
   のさばらせる心理的門戸を開いてしまったのであるから。

 歴史に if はないといわれるが、これからの象徴天皇制を考えるにあたっては、敗戦後の昭和天皇の全国巡幸行脚、今上天皇の戦跡慰霊・追悼の旅、それに続く日本人の新しい旅の創造を考えることでもある。国民一人ひとりが努力して、平成後の新しい時代の日本を考える機会である。皇室(天皇家)および日本人の戦争責任問題などについて、引き続きタブーに挑み研究していくよすがにしたい。声高でなくしっかりと考えて表現していく。「悠々として急げ」、残された時間的余裕は余りない。

   天皇皇后両陛下には和服お召しの退位の日 烏有

<参考文献>
『プロパガンダの文学』 日中戦争下の表現者たち、五味渕典嗣、(株)共和国、2018/05/25、¥4,200
『日本的なとは何か』 柴崎信三、筑摩選書、2015/08/15、¥1,600
『「霊魂」を探して』 鵜飼秀徳、角川書店、2018/02/22、¥1,600
『立憲君主制の現在』 君塚直隆、新潮選書、2018/02、\1,512

 (河伯洞会員)

※この記事は「火野葦平の戦争責任観シリーズ―8」を著者が転載を希望して投稿されたものですが、文責は「オルタ広場」編集部にあります。

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