【コラム】大原雄の『流儀』

読書の哀しみ 〜『ハンチバック』をどう読むか?

大原 雄
 
★★ 読書の哀しみ 〜『ハンチバック』をどう読むか?
 
 日常を生きる健常者(非障害者=ひしょうがいしゃ。誰が作ったのか知らないが、なんという造語だろう)は、さまざまな障害を持つ人々の「困っていること」(他人事=ひとごと)に自分は気づいていないということに気づいていない場合が多い。私も、そうだったから、それに気がついた時点で、この文章を書き始めたのである。つまり、ある日、障害者が「困っていること」(他人事=ひとごと)に、他人事だと思っているから、想像力が及ばず、問題を問題ではないかと気づかず、平気で無視していたことに気がついたのだ。「健常者」というものは、普段は、他人事には他人事であるがゆえに、気付かずに平気で障害者を踏みにじり、蹴散らしながら生きているものだ。今期「芥川賞」受賞作品・市川沙央『ハンチバック』を読んでいて、ある表現に出会い、100ページ足らずの本の27ページで私は早々と打ちのめされたのだ。
 
 「厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、---5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」
 
 というように、「無知な傲慢さ」と感ずる気持ちを抱く人がいる。健常者の読書という楽しみは、ある障害者にとっては、憎悪の対象になっているということを初めて知ったのである。引用文には、「注」も無いまま、「マチズモ」という言葉が無造作に投げ出されている。それこそ、「読書文化のマチズモ」(27ページ)って、何か。
 
 猥書を大人に隠れて読むのは、子どもの頃、割と早めに見つける「大人への隠れた迷路」のような気がして、疚しさを感じただろうが、猥書でなければ、堂々と家族とともに、明るい電灯の下ででも読んでいて恥じなかったのでは無いのか。作者は、8ページ後ろの文中で「マチズモ」には、「健常者優位主義」という表現に「マチズモ」というルビを振っている。
 
 ここで、辞書代わりにネットで調べると、「マチズモ」とは、以下のような説明文が挿入されている。「マッチョイズムの語源は、仕事や家庭などの多様な場面において男性の方が優遇されることを表す「男性優位主義」という意味のスペイン語「マチスモ(machismo)」と、英語の「イズム(-ism) 」という「~主義」の意味が合わさったものとされている。」ということであった。という記述が正しいのならば、ここでは、男性=健常者=非障害者というベクトルだけが生かされていて、その反対、女性=非健常者=障害者は、切り捨てられるということになる。
 
 しかし、この場面での「マチズモ」については、異論を唱える人たちがいる。
 
 作者の言う意味の「健常者優位主義(マチズモ)」ならば、それは、「エイブリズム(ableism)では無いのかと。
 
 再び、「ネット辞書」から引用してみよう。
 
 「エイブリズム(ableism)とは「非障害者優先主義」を意味するという。 障害学では、障害者が抱えている問題は障害者自身の個人的な機能不全によるものではなく、むしろ、社会環境がそうした機能不全に対応できない非障害者の基準を前提に作られていることが問題であるというスタンスをとるという。
 「非障害者優先主義」=「健常者優先主義」=「能力主義」。
 
 非障害者=健常者=( ? )
 これでは、男性か女性かは、不明だが、それを棚に上げておくと、障害のない者=健常者のみの生存が許されて、障害者は、その社会から弾き飛ばされるのではないのか。
 
 再び、ネット辞書を開いてみると、以下のようなことが書いてある。
 
 「エイブリズム(Ableism)とは、能力のある人が優れているという考えに基づいた、障害者に対する差別と社会的偏見を意味する。」とある。差別と偏見の飛び交う社会。うっつ、待てよ。そういう風に考えを巡らせてくると、これは何処かで見かけた社会なのではないかと気づく。
 そう、21世紀の世界、そのものではないのか。世界は、丸い土俵の中で大きく二つに割れて争っているが、それぞれの陣営の結束は、緩いまま。相撲に例えるならば、土俵の上では、マッチョな、男性の、力士が、争いに明け暮れている。土俵の周りでは、横向きや、後ろ向きで隣人と話をしている人の姿も目立つようだ。
 ははあ、これは、何が近づいてくるか判らない不気味な「近未来」どころか、暴れまくって大きな傷跡を社会にくっきりと残して過ぎ去って行った「過過去」(過ぎたまま、変えられなくなってしまった時間)のことではないのか。
 
 ははあ、これは、判った、判った。エイブリズム思想は、健常者のみで構成される社会という架空な世界で、SF小説のような現実にはあり得ない、アンチ・ユートピアを夢見たヒトラーのような人物の脳内に構築された過去の妄想なのであろう。過ぎ去りし、消えない悪夢。
 いやいや、違う。やはり、迫り来る近未来。分断のグループは、グループ内部でも、争っているのではないか。ああ、争っているのが見えるぜ。大きな国が、抗う小さな国に手こずっている。ああ、これは大きな国がいずれ負けて、破滅するな。そうかな?
 
 では、争いをなくすためにはどうすれば良いか?
 
 ★ バリアフリー:年齢や障害の有無などにかかわらず人々が生活していく上で障壁(バリア)となるものを除去(フリー)すること。 物理的、社会的、制度的、心理的、情報面での障壁など、個々人にとっても、社会にとっても障壁となると考えるすべてのものを除去しようとする考え方。
 
 ★ アクセシビリティ:高齢者や障害者など、心身の機能に関する制約や利用環境等に関係なく、すべての人がウエブで提供される情報を利用できるようにすること。障害者も健常者も、ウエブ上では、平等でなければならない。格差をなくすためには見えないものも見抜くような想像力を働かせる必要がある。
 
 ★ユニバーサルデザイン:ユニバーサル=普遍的な、全てに共通する、全体的な、という言葉の意味が示しているように、「すべての人のためのデザイン」を意味し、年齢や障害の有無などにかかわらず、最初からできるだけ多くの人々が利用できるようにデザインすることをいう。ユニバーサルデザインは、年齢、性別、文化、身体の状況など、人々が持つさまざまな個性や違いにもかかわらず、最初から誰もが利用しやすく、暮らしやすい社会になるよう、地域、建物、行政など物事の仕組み、サービスなどを提供していこうとする考え方をいう。
 
 今年度上期(169回)芥川賞を受賞した市川沙央(いちかわさおう)『ハンチバック』について、作家本人は、次のように語っているという。
 
 「(私は)怒りだけで(この作品を)書きました。『ハンチバック』で復讐するつもりでした。私に怒りを孕ませてくれて、どうもありがとう。(略)でも、復讐はむなしいということもわかりました。私は愚かで、浅はかであったと思います。怒りの作家から、愛の作家になれるように、これから頑張っていきたいと思います」(授賞式のスピーチ。朝日新聞8月30日付夕刊記事より引用)。
 
 本好きな作家は長年、「読書バリアフリー」、「読書アクセシビリティ」を求めてきたが、為政者を含め健常者からは無視され続けてきた。私も、私たちも、そういう健常者の側に居続けて、結果的に「敵対」していたのではないか。読書の哀しみ。=怒りから愛へ。転移できるものなのか?
 
 このように作家・市川沙央には健常者から拒否され続けてきたという苦い経験がある。読書界も、健常者は障害者には冷たかった。
 
 テーマは、紙の本:読書の「アクセシビリティ」って、判りますか。聞いたことありますか。
 
 今回は、障害者の読書について、冒頭の説明に加えて「バリアフリー」、「アクセシビリティ」、「ユニバーサルデザイン」へと順を追って行きたいと思う。
 
 猥書を大人に隠れて読むのは、子どもの頃、割と早めに見つける「大人への隠れた迷路」のような気がして、疚しさを感じただろうが、猥書でなければ、堂々と家族とともに、明るい電灯の下ででも読んでいて恥じなかったのでは無いのか。作者は、8ページ後ろの文中で「マチズモ」には、「健常者優位主義」という表現に「マチズモ」というルビを振っている。
 
 ここで、辞書代わりにネットで調べると、「マチズモ」とは、以下のような説明文が挿入されている。「マッチョイズムの語源は、仕事や家庭などの多様な場面において男性の方が優遇されることを表す「男性優位主義」という意味のスペイン語「マチスモ(machismo)」と、英語の「イズム(-ism) 」という「~主義」の意味が合わさったものとされている。」ということであった。という記述が正しいのならば、ここでは、男性=健常者=非障害者というベクトルだけが生かされていて、その反対、女性=非健常者=障害者は、切り捨てられるということになる。
 
 しかし、この場面での「マチスモ」については、異論を唱える人たちがいる。
 
 作者の言う意味の「健常者優位主義(マチスモ)」ならば、それは、「エイブリズム(ableism)では無いのかと。
 
 再び、「ネット辞書」から引用してみよう。
 
 「エイブリズム(ableism)とは「非障害者優先主義」を意味するという。 障害学では、障害者が抱えている問題は障害者自身の個人的な機能不全によるものではなく、むしろ、社会環境がそうした機能不全に対応できない非障害者の基準を前提に作られていることが問題であるというスタンスをとるという。
 
 非障害者=健常者=( ? )
 
 これでは、男性か女性かは、不明だが、それを棚に上げておくと、障害のない者=健常者のみの生存が許されて、障害者は、その社会から弾き飛ばされるのではないのか。
 
 再び、ネット辞書を開いてみると、以下のようなことが書いてある。
 
 「エイブリズム(Ableism)とは、能力のある人が優れているという考えに基づいた、障害者に対する差別と社会的偏見を意味する。」とある。差別と偏見の飛び交う社会。うっつ、待てよ。そういう風に考えを巡らせてくると、これは何処かで見かけた社会なのではないかと気づく。そう、21世紀の世界、そのものではないのか。世界は、丸い土俵の中で大きく二つに割れて争っているが、それぞれの陣営の結束は、緩いまま。相撲に例えるならば、土俵の上では、マッチョな、男性の、力士が、争いに明け暮れている。ははあ、これは、
 何が近づいてくるか判らない不気味な「近未来」どころか、暴れまくって大きな傷跡を社会にくっきりと残して過ぎ去ってゆく「過過去」(過ぎたまま、変えられなくなってしまった時間)のことではないのか。
 
 ははあ、これは、判った、判った。エイブリズム思想は、健常者のみで構成される社会という架空な世界で、SF小説のような現実にはあり得ない、アンチ・ユートピアを夢見たヒトラーのような人物の脳内に構築された過去の妄想なのであろう。過ぎ去りし、消えない悪夢。
 いやいや、違う。やはり、迫り来る近未来。分断のグループは、グループ内部でも、争っているのではないか。ああ、争っているのが見えるぜ。大きな国が、抗う小さな国に手こずっている。ああ、これは大きな国がいずれ負けて、破滅するな。いや、どうかな? ならば、もう一度、辿ろう。
 
 バリアフリー:年齢や障害の有無などにかかわらず人々が生活していく上で障壁(バリア)となるものを除去(フリー)すること。 物理的、社会的、制度的、心理的、情報面での障壁など、個々人にとっても、社会にとっても障壁となると考えるすべてのものを除去しようとする考え方。
  
 アクセシビリティ:高齢者や障害者など、心身の機能に関する制約や利用環境等に関係なく、すべての人がウエブで提供される情報を「利用できるように」すること。障害者も健常者も、ウエブ上では、同等・平等でなければならない。格差をなくすためには見えないものも見抜くような想像力を働かせる必要がある。
 
 ユニバーサルデザイン:ユニバーサル=普遍的な、全てに共通する、全体的な、という言葉の意味が示しているように、「すべての人のためのデザイン」を意味し、年齢や障害の有無などにかかわらず、「最初からできるだけ多くの人々が利用できるようにデザインする」ことをいう。ユニバーサルデザインは、年齢、性別、文化、身体の状況など、人々が持つさまざまな個性や違いにもかかわらず、最初から誰もが利用しやすく、暮らしやすい社会になるよう、地域、建物、行政など物事の仕組み、サービスなどを提供していこうとする考え方をいう。
 
 特に、「アクセシビリティ」は、健常者を含む一般の人には馴染みのない言葉かもしれない。自力では本(特に、紙の本)が読めない障害者(音声読み上げなど「補助器具」を使ってならば本を読む(聴く)ことができるということから、それを考えてみようと思う。障害者といっても、多様だ。視覚に障害のある障害者もいるだろう。四肢が不自由で本が持てない、書棚から本の出し入れができない障害者もいるだろう。障害者は、障害の部位によって、それぞれの身にある障害の種類も程度も違うのために、健常者のように環境にこだわらずに(いつでも自由に)本が読めるような環境にはなく、読書への「接近(アクセシビリティ)」ができないということである。こういう現実の変革を法的な環境整備も含めて実施し、障害者の読書権を健常者と同じレベルで保障しようという問題が今、提起されている。同じ人間として本を読むということ「ぐらい」障害者も健常者も同等にできる社会の実現。戦争で他人の領土を奪おうとはするけれど、同等社会を作ろうとはしない権力者が、今の社会を支配しているというのは、なんともおかしい。そういう願いには、誰でも争いはないのではないか。それなのに、いつまでも放置されているのはなぜか。
 
 作者は、小説の中で、次のように書く。
 
 「私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、---5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。(略)紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする」。
 
 ★小説のタイトル
 
 小説のタイトルは、『ハンチバック』。「せむし」と作家本人は、自らルビを振った。「せむし」の怪物という自分の体形を「武器」に純文学界に攻め上がってきたという覚悟を示す思いが強いのだろう。
 
 ★小説のあらすじ・小説の構造
 
 『ハンチバック』は、ブッキシュな(非体験・実体験に基づかないで独自の世界を構築した)ユニークな作品。先天性の重度の病気を発症した女性の恨み節(怒りの歌)。作者と主人公の、いわば二重写し。作者(重度障害者、小学生時代に発症=「背骨が曲がり始めたのは小3の頃だ」と書いている。以来、聖少女として生き続けてきた)というイメージ。聖少女を主人公にした小説の作者が、現代の風俗業界を赤裸々に書き、結末のシーンを描く。その解釈に戸惑ったが、私は、ある着地点を見つけた。それは、後ほどお伝えしたい。
 
 作家は、女体として不具合だから、出産はできないと思っている。主人公(作者がモデル)、私小説風なストーリーだが、自伝的(ノンフィクション)な部分と他人事(ひとごと)な部分で再構成されている。特に、「風俗」業界の描写は、細部にわたるブッキシュでフィクショナルな知識で、小説世界のリアリティをきめ細かく保全しているのは、すごい技だと思った。
 
 特に、論議を呼んだエンディングでは、作者の視点が逆転して、主人公は、フィクション(健常者の、オーバー女子大生・風俗業界でバイトしている)だったということが判るという逆転劇の構造がおもしろい。ライトノベルを長年書き続けてきた創作体験に加えて、ミステリーやアニメーション好きと思われる作者の「世界」構築術がユニークだと思った。そういう外回りの賑やかさに加えて、作品の根底にあるテーマは、地味で、堅実な「紙の本の否定」という主張が、鈍い光を放っている。読書をテーマに掲げて、アクセシビリティを取り上げるという戦法だ。
 
 アクセシビリティという問題点の指摘は、障害者にとっても、本来、読書にだけに限るものではないだろう。アクセスしにくい壁、格差、差別は、それぞれの障害者には、リアルに見えていても、健常者には、全く見えていないのではないか。そういうものは、今の社会には、いろいろある。
 
 ★ 小説の「病名」とは?
 
 主人公の病名は、難病「ミオチュブラー・ミオパチー」という。この難病は、「筋疾患先天性(ミオチュブラー)」・「筋力低下(ミオパチー)」という症状による症候性の側湾症(背骨が曲がる)のことである。
 
 「生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる。生き抜いた時間の証として破壊されていく。(略)本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた」。
 
 生きれば生きるほどに、背骨が曲がるという。「側湾症」とあるように、極度に湾曲したS字型の背骨が目立つ。今回、作者は、「コタツ」記事(説明は、後述)を仕上げた後、鋭くも己の曲がった体型を前面に押し出しながら、いわば、弱みを武器にして初めての「純文学」小説執筆にチャレンジしたという。
 
 作家が長年、描き続けた世界は、女性向けの「官能(セクシャルな)ライトノベル」に分類されるという。
 その世界で使われる用語。「スパダリ」(スーパーダーリンもの)、「令嬢」、「ナーロッパ(SF近未来もの、アニメーションもの)」といった流行の「テンプレ」(紋切り型)に合わせた作品を軸に据えて長年書き飛ばして来たという。ほかに、TL(ティーンズラブ、10代男女の色恋=セックス)、BL(ボーイズラブ、男の子同士の色恋=セックス)の世界を20年以上も書いて来たという。今回の作品も、エンディングは、女子大生の風俗ものとでも言えば良いのだろうか。だが、小説の中核にあるのは、作家と等身大の重度障害者に対する読書のアクセシビリティというシビアな問題である。その世界を細部で支えているのは、作家の場合は徹底した「ことば」であると思う。
 
 この小説で使われている「ことば」は、実に多種多様だ。業界用語(風俗)、専門用語(医療・介護)、流行語(若い世代)、俗語・卑語(若い世代)など、それぞれの「分野」では使われているが、一般的には知られていないマイナーで「生な表現」のことばが多い。多い上にほとんど「語彙の説明(注のようなもの)」などが、「意図的に」省かれている文体だというような気がする。つまり、障害者が健常者の無知(想像力の欠如)などから結果的に「仕置き」のように築き続ける健常者優位の社会の中で、不平等なポジションを強いられたまま対峙させられざるを得ない状況がある。作家は、それを逆手にとって(開き直って)立ち上がる。作家は健常者を真正面に見据えながら、健常者を真似ているのではないか、と思われるような状況のまま、ストーリーが展開しているように見える。障害者が体験している健常者からの仕打ちって、こういうものよ、と言わんばかりに。
 
 ★ 読書へのアクセシビリティという課題=近づきやすさへの工夫
 
 アクセシビリティ(接近・利用可能な距離)の平等。高齢者や障害者など、心身の機能に関する制約や利用する環境等に関係なく、すべての人々がウエブで提供される情報を利用できるようにすること。格差をなくすためには、健常な読者は、健常者の側から想像力を働かせる必要がある。格差が、現にそこにあるということに思いを及ぼすこと。多くの健常者は、この点だけでも、既に失格である。
 
 ★ 検討課題は、ITのアクセシビリティ
 
 IT分野では、アクセシビリティを「機器やソフトウェア、システム、情報、サービスなどが、多種さまざまな障害のある人たちの身体の状態や能力の違いに関係なく健常者も障害者も、誰でも同じように利用できる状態やその度合いをいう」などと書いてあるかもしれない。障害者が障害(身体の状態や能力の違い)に気を回さずに利用できるようにするとでも言えば、判りやすいかも知れない。
 
 プリントデスアビリティという言葉がある。「障害により印刷物を読むことが難しい状態のこと」だという。障害は、障害者本人にとって、気を抜かせない。障害はキメが細かい。対応する私たちもきめ細かく想像力を働かせる必要があるだろう。私や私たちは、こういうことも知らない。
 
 私が驚いたのは、子どもの頃から本好きだった私が、これまで長年生きてきた私の人生の中で身近に本好きな障害者がいなかったわけでもないのにも関わらず、私はそういう障害の実相を想像する力もなく、全くそれを意識化していなかったということだ。特別分厚い本は除くとして、本が重たいという人がいることを知らなかった。他人の身体の状態で、本が重たくなる。重たい本もあるということ。想像すらしなかった、という意識の貧困さ。それが驚きだった。
 
 市川沙央『ハンチバック』ような作品に出会い、健常者の「気付きの無さ」に対する「怒り」を彼らが抱いていたということを改めて指摘されて、やっと今更ながら初めて知ったということである。今回、この本に出会うまで、本が障害者に悪さをしている(読書という行為が、障害者に困難を強いるという事実)なんて、私はほとんど気付かなかったわけだし、私は己の想像力すら働かそうとしていなかったのだ。なんという能天気な、傲慢な人間だったのか。誰にでも、絵本は楽しい。漫画・コミックは、おもしろい。小説や詩は奥が深い。淡い恋心も、哀しみも、みな、最初は本の中で出逢った。名作は噛み締めれば嚙み締めるほど、滋味があるなどと勝手に思っていたのだ。それを何の疑いもなく、前提としていた。そう、それも、つい昨日(きのう)まで。
 
 私の幻想:紗の幕に幾重にも守られて
 この小説にふさわしいのは、芝居に例えれば、以下のような開幕シーンだろうか。
 
 緞帳が上がる。しかし、舞台は、暗い。闇の中に一人の女性が立っている。女性には、客席の上の方からスポットライトの青い光が小さく当てられている。光の輪が次第に大きくなるが、いつもの舞台に比べて透明感が違う。そう、女性は、紗幕の向こう側に立っているのだ。だから、紗幕に幾分か、光が遮られているのが判る。紗幕には、「ことば」が編み込まれているようだ。専門用語、業界用語、インターネット・スラング、若い世代の流行語、俗語・卑語など。という感じで、ことばの紗幕の向こうで主人公が登場するという演出。女性像は、一人ながら、紗幕で幾重にも隔たれていることから多重的に見える。
 
 ★ 主人公の名前の意味
 
 主人公の女性は、井沢「釈華(シャカ)」という名前である。これは、作中の主人公の本名という位置付けと思われる。 → ほかには、「紗花(シャカ)」という名前でも登場する。これは、作中人物。彼女は、健常者の風俗嬢(女子大生のバイト)での芸名やツイッターのアカウント名としても使われる。
 風俗でバイトする女子大生(嬢)は、作中の主人公のように(夢の中へ)消えて行くのではなく、「紗花」とは、作家が作り出した別人格のフィクションの女子大生なのか? 「涅槃の釈迦」。→ 「寝たきりの釈華」という発想かも知れない。
 
 ★ 史上の障害者たち
 というか、この本に登場する障害者(当事者)は、70年代の、いわば「全共闘」的な活動家ではないか。1994年、世界は、転移する。
 
 女性障害者の「リプロダクティブ・ライツ」という言葉が飛び込んでくる。
 リプロダクティブ・ヘルス/ライツは、「性と生殖に関する健康と権利」と訳され、1994年にカイロで開催された国際人口開発会議において提唱された概念だという。
 
 女性のライフサイクルを通して、 性と生殖に関する健康・生命の安全を権利としてとらえるもので、女性の人権の重要な概念の一つとして認識された。
 
 健康:「リプロダクティブ・ヘルス」とは、性や子どもを産むことに関わる全てにおいて、身体的にも精神的にも社会的にも本人の意思が尊重され、自分らしく生きられることが優先される。
 
 権利:「リプロダクティブ・ライツ」とは、自分の身体に関することを自分自身で選択し、決められる権利のことだという。
 
 ★ ★ 「ことばの花かご(籠)」
 
 私の幻想は、小説の中では、作家が書いていないので作品としては登場しないが、「ことばの紗幕」と私が思う言葉群は、作家が工夫した巧みな「目くらましのことば」なのではないのかと推理する。
 
 今期芥川賞受賞作の、いわば、「ことばの花かご(籠)」から溢れ出ることばの数々。それが、私には興味深いのである。
 
 それは、思っていた以上に潤沢で、主なものは風俗、医療・介護、読書(小説の大黒柱としている)などというさまざまなテーマから、湧出してくる。私が、文章の星屑の中から見つけたものだけでも、アトランダムに一部を紹介してみると、以下のようになる。このことばの潤沢さについては、私が読んだ限りの書評では、ほとんど触れられていないように思える。みなさん、真実が宿ると言われる細部をちゃんと読んだのかな? 私も最初の読書では、細部を読み飛ばして全体をつかむような読み方をした。その後、数回は細部にこだわり、知識がないので理解できない用語をできるだけ拾い出して、読みや意味を調べた。
 
 とりあえず、「風俗編」、「医療・介護編」として、その「ことば」の一部を掘り出してみよう。
 
 ①:「風俗編」
 
 「コタツ記事ライター」=(「コタツに入ったまま、取材に出かけず、他人の書いた記事を読み直して、新たな記事をでっち上げる」とでも言えば良いか)。
 「耳年増」=(非体験型な、フェイクな(仮想)体験をして、知識を増やしたつもりになっている不・知識の持ち主。私たちも、その一人だろう)。
 
 「待機部屋」=(マチとルビが振ってある、風俗嬢たちの出番待ちの部屋だろうか?)、「本キャン」=(通学中の大学の本部キャンパスか)、「キャミ」=(キャミソール、肌着)。トヨタの車の愛称ではない。
 セペ=「プチシャワー・セペ」の愛称。
  *はじめての方にもやさしい「セペ」だけの安心のヒミツ。
 
 「NN」好き=ネットで風俗に関する情報を見ていると、よく見かけるのが、「NN」、「NS」という文字、だという。業界特有の専門用語という説明だった。以下、「業界」の説明の一部。
 
 NNとは、「Nama」、「 Nakadasi」のそれぞれの頭文字を取ったもの。
 NSとは、「No」、「Skin」の頭文字をそれぞれ取ったもの。
 
 即即。即尺。
 
 尺、お掃除させたい派 ?
  
 *ご希望のお部屋や水まわりを、すみずみまで徹底的にお掃除するサービスです。
 ご要望に合わせたサイクル・お掃除内容で、お家のキレイを保ちます。
 
 
 「尺はいいのか? お掃除させたい派か」(90ページ)。なんとなく、判るような気がするが、きちんとは、判らない。
 
 即即は、即尺よりもハード。「シャワー」(浄め)の前に行うことを即即とも、即プレイともいうという。急いでいる人のことだね。
 
 「めっちゃエロめの息継ぎ」=(風俗嬢、本業は女子大生の「演技」的な、息継ぎが、上手い。→ 「はぁっ」)。
 
 すでにお判りと思うが、「風俗編」で出てくる用語は、短く、従って、略語も多い。一方、「医療・介護編」では、なぜか、長い用語をそのまま使っている。
 
 ② 「医療・介護編」
 
 吸引器:気道にある痰を吸引で、取り除く。
 入院中の患者の枕元にも、「ミニック」という吸引器が置いてあった(作中は、大きい吸引器:ミニック、小さい吸引器:スマイルミニと使い分けている)。
 
 管(くだ):酸素吸入、救急救命、鼻経栄養を胃に送るなど、いろいろ使われる。
 
 鼻の孔から管で栄養を胃に直接送るのだが、これで空腹感は、満たせるのか。空腹感は残るのか。患者に聞いた範囲では、空腹感は、あまりないと低い小さな声で答えてくれた。しかし、痩せてくる。
 
 気道とは:鼻孔から鼻腔を経て咽頭および喉頭に至るまでを上気道。それ以下、肺に至る気管と気管支を下気道という。そういう場所に残された痰を吸引で取り除くという。「空気が入らなければ痰は排出されない。ずっとそこに居続ける」。苦しかろう。
 
 カテーテル:8Fr、とか、6Fr:カテーテル(管、くだ)の外径サイズ(太さ)を表す単位で、Fr=フレンチという。
  Frのほかに、FやFRと表記することもあるという。
 例えば、1Fr=1/3mm、10Fr=3.3mm、16Fr=5.3mmなどとなる。というが、(何故か、数字の換算がおかしくはないだろうか? そこが、コタツ記事か?
 Webでは、こういう換算式で通用してしまうのか。単なるミスプリか)。
 
 経鼻栄養チューブや胃瘻、バルーンカテーテルなどの単位としても使用されている。
 
 尿道カテーテル:尿を排出させるため、尿道から膀胱へ 挿入するチューブ(管、くだ)。
 バルーンカテーテル:持続的に尿を排出させる場合、チューブ先端のバルーンという小さな風船を 膀胱内で膨らませ、チューブが自然に抜けないように 固定し、挿入したままの状態で、生活する。
 蓄尿バック:排出した尿を溜めるバック。
 
 蓄尿バックは膀胱より高く上げてはいけない。必ず下垂し、また、床の上に倒して置かないようにしなければならない。 これは蓄尿バッグの逆流防止弁の汚染を防ぎ、尿路感染の発生を防ぐ。そうしないと出口であるはずの尿路から逆に雑菌が入り込み、新たな病気を発症する可能性がある。病院などでベッドやストレッチャーの脇に宙ぶらりんと下げてあるビニールの袋に気づいた方もいるかもしれない。そんな微妙にぶら下げる位置を決めているのか? スタッフの皆さん、ありがとう。
 
 薬名など:こちらは、長い名前が目立つ。
 アンブロキソール
 カルボシステイン
 肺サーファクタント(界面活性剤)。
 
 医療:トリロジー(人工呼吸器)=トリロジーとは、人工呼吸器による呼吸補助が必要な患者に対して、連続的もしくは断続的に換気サポートをすることが可能な人工呼吸器。
 吸引カテーテル=気道に溜まった痰を取り除く時に使う管(くだ)のこと。
 気管カニューレ=(気管切開を行った場合、 気管孔が閉塞しないように気管カニューレという管を入れる。 気管カニューレとは、気切孔から挿入するチューブで、気道を確保し、人工呼吸器と接続できる。作家も、喉につけている)。
 シリンジ(注射器)の部分=円筒形の注射筒。
 例文:「カニューレのカフから注射器で空気を抜き、呼吸器のコネクターを外し、アラームが鳴る前に電源を切る」などという描写がある。
 
 介護:作家は電動(モーター)付きの車椅子を利用している。車椅子本体は、チルト・リクライニング式の車椅子か。ストレッチャーのように腰を伸ばしても使える。介護の際、ベッドから車椅子へ、車椅子からベッドへ、転移するのは、大変だ。私の場合も、看護師2人か3人で、シーツごと「セーノ」で患者を転移させていた。コツとタイミングを計るのが大事だろうと思った。これだけでも、素人の家族介護では、なかなか簡単にはできない、難しい「技」が必要だということが判るだろう。
 
 ★ 贅言;作家にとって、「ことば」とは?
 
 受賞作は、まさに、ブッキッシュな世界。作家は、ベッドで上半身を起こし、iPad miniで、文章を書き継ぐ。表現を検証しながら、作品を吟味する。
 作品に出てくることばで、私の目についたもの。意味は、ここでは詳しくは説明しないが、ネットで検索すると、ほとんど見つかり、大雑把な意味はみなさんにも判るだろう。作家は、コタツ記事ライターとして、これらのことばを調べては書き、書いては調べていたようで、検索語は、みな、ネット検索で容易に見つかった。私にとっても興味深いので、記録しておく。
 
 「ハプバ」=ハプニング・バー(風俗:男女の出会い)、
 「スパダリ」=スーパー・ダーリン(格好いい夫)、
 「VR(ヴイ・アール)」=バーチャル・リアリティ、
 「筺体」=きょうたい:ラック、ボックスの形状)/(ゲームの箱)、
 「デューティ・フリー・ショップ」=免税店、とにかく、この作家はカタカナ横文字を長々と引用するのが好きらしい。
 「ブラックカード」=富裕層用、最高位のグレードをもつクレジットカードだという。カードの発行には、年収制限があり、誰もが持てるカードではないらしい。作家の両親は(作中では、亡くなっているという想定になっているようだ。「相続」のことが出てくる)、お金持ち。
 
 作家の表現では、インターネット・スラング同様に階層・世代・社会だけで用いる(通用する)言葉も目立つようだ。登場人物たちは、いずれも、短い表現が好きらしい。
 
 贅言;このほか、『ハンチバック』という作品には、いろいろなことばが「埋まっている」ようだ。おもしろいので、スマホやiPad miniを使って、私は、作家のことばをさらに掘り出す。そういう細部を見ていくと、この作家の文体は、かなりユニークであることが判る。以下、そのほか気づいた表現を記録しておく。
 
 「おじさん構文」=中年の男性が若い世代に受けようと(バカにされているのにも気付かず)メールなどの書き出しがテンション高めの「ヤッホー」、「オハヨー!」、「(^_^)」=顔文字、というようなカタカナ・顔文字多用。
 「いかにもフランクな感じを演出していると思っているようなおじさんの文章を若い世代は「おじさん構文」と言うらしい。年上は「バカにされている」らしい。
 「ノーワクチン」=「打っても打たなくてもいい」という意味らしい。コロナの所為で流行語になったのか?
 「ナーロッパ」=ファンタジーやSFもののRPG(ロールプレイゲーム)でよく見られる世界観だという。異世界に転移・転生する → 「なろう(ナロウ)系」と称される作品群の世界。
 
 贅言;ウエブの無名氏は、「ナーロッパ」を以下のごとく解説する。結末(転生、転移先)があまりにも「テンプル」(紋切り型)であることから付けられた「侮蔑的俗称」が発祥だが、「語感・語呂の良さ」から、「蔑称もそれほど忌避されず」「喜んで使っている『ナロウ作家』もいる」らしい。
 
 「ダブチ」の側面:「ダブルチーズ」バーガーの略。バーガーに挟まれたチーズが溶けるように、目尻などがだらしなく二重にとろけている様子の描写だろうか。作者の造語?
 
 贅言;紗幕(しゃまく)。劇場で使う透明度の高い幕。パソコンの画面のように多重性を持っていると思う。歌舞伎では、新作もののうち、スーパー歌舞伎やスーパー歌舞伎セカンド(Ⅱ)などの作品上演で使われる。古典歌舞伎では、使われない。
 
 単語が短いインターネット・スラング、風俗の業界(専門)用語、女子大生や若いサラリーマンの使う俗語・卑語、流行語などがあるかと思えば、障害者医療・介護の用語、医薬品の名前が、長いまま、そのまま出てきたりする。覚えられない。すぐ忘れる。
 
 ★ ニュースな障害者たち
 
 今回の受賞作に出てきた「ニュースな障害者たち」。
 
 岩間 吾郎(いわま ごろう):『晒された名画』(双柿舎刊、1984年)は、モナリザ・スプレー事件をモチーフにした岩間吾郎の自伝的小説。米津知子とのことを書いている。
 
 米津 知子(よねづ ともこ、1948年-):「モナリザ・スプレー事件」(モナリザ展は、1974年開催)を起こした女性の障害者(当事者)で活動家。
 
 「混雑が予想されるから、付き添いが必要な障害者や高齢者は観覧を遠慮した方がいい」との国側の談話が発表されたという。各障害者団体はいっせいに反発し、抗議の電話や陳情が殺到した。このため、文化庁は一日だけの「身障者デー」を設けて、この日は障害者とその付き添いだけを無料で会場に入れると発表した。いかにも、頭でっかちの官僚が考えそうなことだ。ところが、これに対して、「一日だけの特別扱いは逆差別ではないか」。「障害者差別」だというさらなる批判を招いた。
 
 開幕初日、一人の若い障害者女性が、モナリザめがけて赤いスプレーを噴霧した。噴霧は陳列ケースのガラス下部をかすめた程度で、モナリザの絵には傷はなかったものの、女性はその場で逮捕された。これが世にいう「モナリザ・スプレー事件」である。
 
 海老原宏美(えびはらひろみ):障害者(当事者)活動家。読書のバリアフリーの提言者。心臓病にて44歳で逝去 。作品の中では、「Eはらさん」で登場。
 
 安積遊歩(あさかゆうほ):生後約40日で骨形成不全症と診断される。
 1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介した。旧優生保護法(1948~96年)の撤廃を訴え、母体保護法への改正に影響を与えた。
 
 これを見ると、1970年代以降街頭に出てきた障害者の運動家(本人たちは、「当事者」と言っていたと思う)たちだ。「施設を出よ、街へ出よ」ということで、私も九州から、中部地方まで地域に出た障害者の一人暮らしぶりを追っかけて取材した記憶がある。「造反有理」と「地域福祉」という言葉が、福祉の分野では社会の勢いに乗って出てきた時代だった。
 
 ★ 主人公の名前など解析してみた
 
 *井沢釈華(シャカ・主人公の本名。グループホームのオーナー。コタツ記事ライター。車椅子当事者。真面目で寡黙な障害女性)
 /Buddha(コタツ記事ライターのペンネーム)、→ 寄付。
 
 *紗花(シャカ・風俗嬢の芸名=作中人物・バイト女子大生。(架空) 
 /ツイッターのアカウント名=紗花(リアル)、
 Shaka=ペンネーム。「紗花(シャカ)」という名前でも登場する。これは、作中人物。彼女は、健常者の風俗嬢(女子大生のバイト)での芸名やツイッターのアカウント名としても使われる。
 
 風俗でバイトする女子大生(嬢)は、作中の主人公のように(夢の中へ)消えて行くのではないだろう、「紗花」とは、作家が作り出した別人格のフィクションの女子大生なのか? 
 涅槃の釈迦。→ ベッドや机の椅子で、一日中、寝たきりの釈華。
 アカウント)/︎Shaka(ペンネーム。電子書籍レーベルからリリースした印税を寄付しているという。
 
 *釈迦(シャカ)へのこだわり。これは何か?
 「涅槃の釈迦」=「寝たきりの(井沢)釈華」という連想ではないのか?
 
 ★ 小説に隠された物語:隠されていたもう一つ別の物語。
 「赤毛のアン」:イングルサイド、陶製の2匹の犬。阿吽の獅子のように一対が本尊を守る。
 聖書(予言書)と仏教(涅槃の釈迦)
 見え隠れする「隠された物語」:「アンの物語(赤毛のアン)」と旧約聖書の関係が、まだ見えてこない。
 
 ★ メモ:先行する物語:旧約聖書と赤毛のアン
 
 特に、ゴグとマゴグ(Gog and Magog )は?
  阿吽=一対の狛犬。作中の挿入された旧約聖書の予言との関わりは?
 
 この『エゼキエル書』は旧約聖書の中でも『イザヤ書』、『エレミヤ書』
 とともに「三大預言書」と呼ばれている。
 
 聖書と「赤毛のアン」:ゴグとマゴグ(Gog and Magog、ヘブライ語: גּוֹג וּמָגוֹג‎ Gog u-Magog)は、旧約聖書のエゼキエル書、新約聖書のヨハネの黙示録に登場する神に逆らう勢力。
 ゴグとマゴグのうち、作中ではゴグが、登場する。
 
 聖書(エゼキエル書38-39 )P81 イスラエルの反乱。予言。神はイスラエルを倒す。
 
 旧約聖書にある『エゼキエル書』に描かれているのは、預言者エゼキエルを中心とした出来事である。
 
 
 ★ メモ:グループホーム「イングルサイド」と赤毛のアンの「炉辺荘」
 (イングルサイド)の関係?
 
 「イングルサイド」の人々。
 スタッフ(施設側)男3人、女3人:
 オーナー&入居者(井沢釈華)。/山下マネージャ。ヘルパーの女性たち:須藤、浅川、西。
 
 田中ヘルパーは、小柄な男性という設定だが、問題のヘルパー。/疑問:性転換した女性ではないのか。ジェンダー問題が、ここに埋もれていないのか?
 
 入居者:山之内、徳永ほか。
 
 「イングルサイド」:グループホームの名称(ワンルームマンションを1棟買いし、介護用に、グループホームにリホームした)。
 命名は、『赤毛のアン』の「炉辺荘」がモデル。
 
 
 ★ メモ:ライトノベル作家〇〇として
 
 作品応募時代は、応募する度にペンネームを変えていたという。落選すると、作品もペンネームも捨てたという。
 R18(=成人向け)小説=ライトノベル作家出身。
 
 ライトノベルとは、
 TL:ティーンズラブ小説
 BL:ボーイズラブ小説
 などが、典型だという。
 
 ★ メモ:以下のような音楽用語が、場の「空気」を測る。
 
 調性的な/P74 tonal 【音楽】 調子の,音色の.
 
 短調(マイナー)/
 長調(メジャー)/
 無調的に/不協和音:シェーンベルク(作曲家、指揮者)/P59 atonal
 無調、無調性とは、調性のない音組織のことである。無調は単なる調性の否定でなく、厳密には、調的な中心音がない、和声的な分類体系が働かない、全音階的でないといった特色から、旋法性とも峻別されるという?
 
 言葉:インターネット・スラング、風俗の業界用語、若い世代の俗語/医学用語、介護用語(ベッド、車椅子、引きこもり)。/読書。表象学。奪われた言葉。
 
 「相転移」→ 卒論と芥川賞も、間違った設計図か。しかし、これが時代にはまった。
 
 主人公の人生観:先天的=運命的な病気(障害)とともに、つまり、本人の認識では、「『間違った設計図』で生きすぎちゃて」ということになるらしい
 
 ワグナー「ニーベルングの指輪」の侏儒(コビト)アルベリッヒに見られる反ユダヤ表象=卒論。 
 
 *医療:トリロジー(人工呼吸器)。
 吸引カテーテル=気道に溜まった痰を取り除く。
 気管カニューレ(気管切開を行った場合、 気管孔が閉塞しないように気管カニューレという管を入れる 。 気管カニューレとは、気切孔から挿入するチューブで、気道を確保し、人工呼吸器と接続できる)。
 シリンジ(注射器)の部分=円筒形の注射筒
 医学、病名、医薬名などは、インターネット・スラングのように、短い用語を使っていない。
 
 一方、医薬名では、︎以下のように長い原文の言葉がそのまま使われている。
 医薬名:アンブロキソール:、カルボシステイン:
 肺サーファクタント(界面活性剤)
 
 ★ 小説のテーマ:バリアフリー アクセシビリティ ユニバーサルデザイン
 
 「生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく」。
 
 「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた」。
 
 それは、今期(169回)芥川賞を受賞した作家・市川沙央の「思い」を体して、障害者の「読書バリアフリー」を求めて冒頭に触れた読書の「アクセシビリティ」を考えるということである。読書の権利を国民が等しく享受できるような社会にするために、私はまず早急になにをなすべきかということであると思った。読書を「聴く」権利の確立。
 
 芥川賞受賞発表以来、市川沙央の知名度は跳ね上がっただろうが、個人情報にはあまり触れないでおこう。今や、書店の平積みの棚には、「ハンチバック」という、きのうまで、馴染みのないタイトルの、100ページにも満たない薄っぺらい小説本が積み上げてある。9月10日付けの新聞2面の最下段広告の惹句によれば、「23万部突破!」ということである。テレビ各局のワイドショーなどでも紹介され、「大反響!」という。
 
 主人公には重度の障害があり、インターネット上の情報を集め、非活動的な「コタツ記事」と呼ばれるウエブ・メディア記事を再構成するバイトをして、いくばくかを稼ぐ。それゆえ、自分のことを「コタツ記事」ライターと卑下している。いや、開き直っていると言えようか。主人公は、この手法で長年他人(ひと)の原稿を書き直す(リライト)ことを生業(なりわい)として生きてきたという40歳代の女性である。芥川賞の選考委員の一人は、作者の文体を「チャーミングな悪態」と呼んでいるし、ほかの選考委員は、「幾重にも折りたたまれているけれど確実に存在するユーモア、巧みな娯楽性」と賞賛する。
 私が感心したのは、作者が再構成する作品の構造が「幾重にも折りたたまれている」ということだ。ここに、この作品の新しさがあると思った。
 
 ★ 小説らしくない言葉
 
 作者はつけていないけれど、注の多いというか、注がないと意味不明な用語が目立つ小説だが、注をきちんとつけると作品の空気が変わってしまうかもしれない。だから、作者はやらなかった。
 短調、長調、無調的(不協和音)、調性的:音楽用語。
 
 私も、同感する選評だったが、私が同じことを繰り返し述べても仕方がないので、私は、作者が主張する2つの点について述べておきたいと思う。
 
 まず、「新しいことば群」とは、私の世代が日常的に生活していて、ほとんど接することがないことば(知らなくても困らないことば)たちが、この作品では、花籠に投げ込んださまざまな花束のように、溢れ出ているということである。以降、アトランダムに取り上げてみよう。
 
 まず、「コタツ記事」とは、何だったか。ウエブの解説によると、「取材をせず、ほとんどネット上の情報のつぎはぎで粗製乱造された記事」(オリジナルな情報ではなく、再構成ものか?---引用者)のことだと作者本人は申している。また、作者は、自称・コタツ記事ライター。
 
 そのコタツ記事のサンプルは、今期受賞作品の冒頭をいきなり飾る。
 
 <head>
 <title>『都内最大級のハプバに潜入したら港区女子と即ハメ3Pできた話(前編)』。
 </title>
 <div>渋谷駅から徒歩10分。</div>
 
 という具合である。このタイトルおよび記号(この場合は、「div」=区分(ディビジョン)の記号)が、スラスラ読めて、スラスラ理解できるとしたら、その人は若い人で、「風俗」サービスの店そもそもなどに金を使う世代の人か、年齢の人でも、相当「ナウイ」か、「ヤング・アト・ハート」な人なのではないか?そういう意味では、私は、すでに失格しているのだが、挑戦してみよう。
 
 この作品は、芥川賞の選考委員たちが、その作品世界を大局的な大掴みで理解をし、小説として評価をしたような読み方が正しいのだけれど、私などのように、細部にこだわる読み方をすると、次々と溢れ出てくる新しいことば群は、勢いがありすぎて、辞書(というより、「最新・新語辞典」というようなものがあれば)でもないと、途中でギブアップしてしまいそうである。むしろ、辞書替わりにiPadでも、身近に置いてインターネットと格闘しながら読み始めないと意味が判らない。まず、何より「ハプバ」が判らなかった。「港区女子」「即ハメ」「3P」などは、まあ、類推できる。
 
 「ハプバ」は、「ハプニング・バー」の略語だという。説明によると「刺激的な時間を過ごせるハプニングバー」。未知の男女がそれぞれ、類似したセクシャルな願望を抱き、限られた空間(バー)に入り込み、酒と会話で刺激的な時間を共有した上で、互いに意気投合すれば、「ハプニング的に」別の密室空間(プレイルーム)へ流れ込み、セックスをするというような「遊戯」のことのようである。
 
 また、「ハプニングバーは、あくまでもその日の出会いを楽しむお店」だそうで、お互いの個人情報のやり取りはご法度という。まあ、他人(ひと)の解説を利用して、「ハプバ」の説明するのは、この程度にしておこう。こういう短詩系のことばが、インターネットの海には溢れている。風俗の業界用語、若い人たちが好む俗語など、「インターネット・スラング」という、SNSの俗語のようである。
 
 ★ ︎このほか、「ハンチバック」に出てくる範囲でのことば(風俗、医療・介護/本)。
 
 風俗と医療・介護のことばが湧き出てくる。私には、意味がわからないことばが出てくると、ネットで調べるのだが、そうすると、必ずその用語が説明されるページがそこに存在する。
 ということは、作者も新しいことばを調べながら、作品を構築しているということか。
 
 「医療・医学ほか」:医療:トリロジー(人工呼吸器)、=吸引カテーテル=気道に溜まった痰を取り除く。
 気管カニューレ(気管切開を行った場合、 気管孔が閉塞しないように気管カニューレという管を入れる 。 気管カニューレとは、気切孔から挿入するチューブで、気道を確保し、人工呼吸器と接続できる)
 シリンジ(注射器)の部分=円筒形の注射筒。カニューレで使う。
 
 ★ メモ:主人公と作者(ダブル)
 障害ゆえ、引きこもり=動き回れない主人公。障害者の作者:ブッキシュな人生。テーマは、読書バリアフリー、アクセシビリティ:大衆社会のシンボル。
 ・ 情報は、周りに溢れているが、受け手として障害者は、ほとんど想定されていない。健常者しか、想定していない。本好きが、本を読めないという社会は、本に限らず、あちこちに見られる現象。
 
 さて、脇道から本道(読書の「アクセシビリティ」)に戻ろう。単行本の27ページに彼女の思いを濃縮した記述がある。最初の衝撃だった。再録する。
 
 「私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、———5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモ(男性優位主義を健常者優位主義と作者は、読み替えて意訳しているようである---
 引用者)を憎んでいた。その特権性に気づかない『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた」という。
 
 主人公は、本が持てない(書棚から本が取り出せない、書棚に本を戻せない)、ページがめくれない、本を読む姿勢を保てない、自由に本を買いに行けない、という。私は、本が持てない、ページがめくれないなどということが、読書好きにとって障害になるなどと思ったことがなかった。当時は、電子書籍などなかった。
 それにしても不明の極みだった。
 
 デジタル技術の進歩を活用して視覚障害者、聴覚障害者、四肢障害者など、あらゆる障害を乗り越えて健常者と同等に読書を楽しむためには、どういう読書環境が必要か、という視点は、残念ながら当時の私にはなかった。今頃になって気づき、今後取り組むべき課題だと思っている体たらくである。
 
 当時の視点には、「読書」に定位的な視点を定め、障害者が置かれているている読書環境などをアクセシビリティとかバリアフリーとかユニバーサルデザインという視点で検証する意識は、乏しかったものと記憶している。
 
 出版社の先見性のある編集者たちと一緒に、電子書籍や朗読書籍などの発刊を手探りし始めたばかりであった。何回か集まり、いろいろ議論をした記憶がある。電子書籍には、視覚障害者に役立つように字を大きくし、読み易くすること、コンパクトな端末を利用すれば軽量化した本が持てること、ページがめくれるようになったこと、読書姿勢を保てることなど障害者(アンチ・マチズモ=非・健常者優位主義)ゆえに、健常者が気付かない視点(健常者でなければ、気がつく視点)で新たな読書に親しみ、その気になれば挑戦することができるようになっているのではないか。
 
 電子書籍の先見性がなぜか、今も読書界で普及しきらないのか。読書のアクセシビリティへの再挑戦は、障害者の視点に立ち返る、そう、ここから改めて始まるかもしれないのだ。せめて、読書くらい、障害者も健常者も、同じように楽しめるようにならないだろうか。「読書のアクセシビリティ」。
 最近、注目されだしたことばを「内実」のあるものにするためには、どうしたら良いのか。いろいろな施策に優先順位をつけて、実際に実施し始めて見ることだろうか。 (了)
 
 ジャーナリスト
(2023.10.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧