【投稿】

評論家の小説――加藤周一『幻想薔薇都市』

神谷 光信

◆ 非専門化の専門家

 加藤周一(1919-2008)が世を去って12年になる。この評論家の文業は、著作集24巻(1979-2010)、選集5巻(2003)、自選集10巻(2010)にまとめられているほか、多くが流布本を通して現在も入手可能である。2016年には、立命館大学に加藤周一現代思想研究センターが設立され、寄贈資料の整理や公開、講演会などが行われている。この国際的知識人は、現在も多くの人に読まれ、賞讃され、ときに批判されているのである。

 代表作は何冊もある。『雑種文化:日本の小さな希望』(1956)という初期の比較日本文化論や、ゴットフリート・ベンやカール・バルトを論じた『現代ヨーロッパの精神』(1959)、チェコ事件を論じた『言葉と戦車』(1969)などが直ちに脳裏に浮かぶ。世界7カ国語に翻訳された大著『日本文学史序説』上・下(1975-80)を忘れるわけにはいかないし、知的自伝『羊の歌:わが回想』(1968)も捨てがたい。

 血液学が専門の医学博士だった。早くにフランスのヴェルコールやドイツのベンを紹介した人だったが、脚注が付いた学術論文を書く文学研究者ではなかった。彼は「非専門化の専門家」、つまり評論家だった。日本、北米、欧州の大学で教壇に立ったが、彼の場合、大学教授が評論活動をしている風には見えず、評論家がたまたま教授をしているように見えた。既存組織に縛られず、独立した立場を確保してジャーナリズムで論評を加える人、在野の精神を生きた人だった。

 理路整然とした文章には韜晦がなかった。小林秀雄のような、論理の飛躍や直観による断定、行間を読ませる文芸評論とは全く違っていた。小林の文章の鋭さや魅力を批判したいわけではない。ただ事実として、加藤の評論の文章が、小林のそれとは違うスタイルと魅力を持っていたことを強調したいのだ。評論家として「高見の見物」の立場を生きた人だが、彼の文章には政治活動家の言動に劣らぬ迫力があった。

 国際情勢に関する判断の正誤が年月の経過で明確になったとき、彼は自らの誤りを認めるのにやぶさかでなかった(講談社学術文庫版『世界漫遊記』まえがき)。戦時下フランスの抵抗文学を政治的抵抗活動と重ねることで、レジスタンス活動が国民的運動だったと見誤ったことも認めた(『加藤周一自選集』1 あとがき)。要するに、知的であることに誠実な人だった。歿後に識者による連続講座が「知の巨匠:加藤周一ウイーク」(世田谷文学館)というタイトルで開催されたことがある。傑出した知性だったことは確かだが、こうした誇大な呼称は加藤にそぐわず、偶像化の危険があると筆者は感じたものである。

◆ 知られざる創作の世界

 加藤は小説も書いており、50冊ほどの全著作のうち、創作集が6冊ある。『道化師の朝の歌』(1948)、『ある晴れた日に』(1950)、『運命』(1956)、『神幸祭』(1959)、『三題噺』(1965)、そして『幻想薔薇都市』(1973)である。1950年代に3冊、60年代と70年代に各1冊。それ以後の刊行はない。『加藤周一著作集』第13巻に収録された作品は、「ある晴れた日に」「三題噺」そして『幻想薔薇都市』所収の2篇であり、彼の創作を今日読むことは、評論ほど容易ではない。

 小説家ではなかったから、彼の創作は「評論家の小説」と見なされている。間違いではない。だが、筆者はかつて彼の小説に深く胸を打たれたことがある。小説は小説であり、作者の肩書きが何であろうと、読者にとっては無関係ではなかろうか。本稿で筆者は、加藤周一のあまり知られているとは思えない創作の世界を紹介したいと思う。

 『幻想薔薇都市』――マボロシノバラノマチニテと読む。50代前半の仕事である。1971年から翌年にかけて、新潮社の月刊PR誌『波』に連載された短篇13篇。著作集への収録は2篇のみだが、岩波書店「シリーズ旅の本棚」の1冊として1994年に再刊されている。初版にはない、ブラッサイやマン・レイらの白黒写真が各篇1枚ずつ添えられて絶妙な効果を出している。装幀が、編集者でありデザイナーでもある田淵裕一(1940-)なので、おそらく彼の選定なのだろう。

 筆者は連載中に読んでおらず、新潮社版を書店で手にしたのが最初だった。タイトルを見たときに、SF的な近未来小説を連想した。そうではなかった。しかし、幻想、薔薇、都市という漢語が結合されたこのタイトルは、現在でも、何か、人工的な、造花的な、メカニカルなものを連想させるものがあると感じる。

 世界の諸都市を舞台にした作品集である。エックス・アン・プロヴァンス、ベルリン、パリ、プラハ、ロンドン、ボンベイ、ニューヨーク、バンクーバー、北京、レニングラード、ウィーン、ロサンゼルス、そして京都。作者がかつて訪れた都市を舞台にして、さまざまな物語が繰り広げられる。

 各篇はいずれも語り方に工夫が凝らされている。古典的作風のコントもあれば、戯曲を模したレーゼドラマもある。メルヒェン仕立て、断片をコラージュしたもの、ポルノグラフィのパロディまである。評論集では徹底して理知的な文を書く人だったが、この創作集には、読む者を甘美な陶酔に誘う音楽のようなものもある。

 加藤の小説といえば、アフリカで医療活動に後半生を捧げたシュヴァイツアー博士の影の側面を描いた「人道の英雄」(1955)のように、批評性が顕著だった。だがこの作品集に収録された作品には、高級な娯楽性が意識されている。批評性があっても、全体として重苦しくないのである。著作集に2篇だけ収録して11篇を捨てたのは、評論家が自分の本領であるとの認識からだろう。小説家加藤周一は、彼のいわば分身、影法師なのである。

◆ 深さという人生の次元

 本稿では、エクサン・プロヴァンスを舞台にした巻頭作「歌人」を取り上げたい。これは大人の愛の物語である。ある年の夏、南仏の古都エクスを訪れた「男」は、18世紀に建造された館で開かれた小さな集まりで話をした。日本人である。会が開いた後、パリであなたの噂を聞いたという現地の女性に声をかけられる。言葉を交わし、食事をし、街を歩くうちに、ふたりは互いに惹かれあうが、数日間を共にした後、男はエクスを立ち去る。離陸する旅客機のなかでの感慨から小説は始まる。

 「その国を離れてゆく旅客機のなかで、男は行先を考えていなかった。その国は遠ざかり、海のなかの小さな島となり、その町は無限に遠い一点となる。と同時に、その町のなかの、行き交う人々のなかの、たったひとりの女は、町よりも大きくなり、野原よりも拡り、男の世界の全体となった。」

 冒頭から数行目にあるこの一節から、すでに本作が感傷的なメロドラマにはない「深さ」の次元を持つことが予感されている。それは人生における「詩」の次元でもある。

  海のなかに島があり
  島には白い町があり
  町には多くの人が住み
  そのなかの一人に
  私が会い
  (みどりの木陰)
  矢のように時が去り
  (沖から白い波が寄せ)
  そのひとに別れて
  (私の息はとまり)
  時が経つと共に
  島はちいさくなり
  そのひとは大きくなり
  海も町も人々も
  そのひとのなかに含まれ

 その女はフランス語を話していたが、地元の中学校で英語を教えていた。小柄で痩せていた。未知の土地プロヴァンスを彼女に案内してもらうため、男は週末まで滞在を伸ばしたのだった。

 彼女は土地の伝説を語り、詩を吟じた。「女が低い声で暗唱するミストラルの、プロヴァンス語の抑揚に、いうべからざる甘美な音楽を聞いた。意味はわからなかったし、女の声が甘かったわけではない。しかしそこには、松林の風と透き通った夏の光、また静かな情熱の昂りと、みずからの運命をすすんで引き受ける人の心、――女の、あるいはその国の、つまるところ男にとっては分かち難い一つの魂とでもいうほかないものが、言葉の抑揚と共に、流れていた」。

 週末に待ち合わせたふたりは、女が運転するシトロエンで、なだらかな丘を越え、ラベンダーが咲く野の道まで出かける。ふたりは見つめ合う。「女の動(ゆるぎ)ない瞳のなかに、空が映り、夏の白い雲が流れた。すべての距離が消え、それは何処でもあり、何処でもなかった。男の過去のすべてが甦り、嘗て経験した甘美な瞬間の一切が、そこに集まっているように思われた。日本の火山の麓の、白樺の梢の上に流れていた幾夏の雲、男が嘗て愛した女たちのいちばん幸福であったときの眼の輝き」。

  そのひとの衣には
  古典の女神の襞があり
  そのひとの口もとには
  奈良の弥勒のほほえみがあり
  そのひとの瞳には
  夜ふけの沖に燃えるいさり火の輝きがあり

  吹き荒れる風に抗い
  遠く来た潮路の果に
  (空しく放たれた矢数を忘れ)
  ああ みどりの島の優しさの極みをあつめ
  わたくしの内にあり わたくしを超えるもの

◆ 地上に在ることの歓び

 「ひとりで夜の街を、宿の方へひき返しながら、男は女の許にとどまることを考えつづけた。女には仕事がこの町にある、その言葉、感受性、おそらく精神も、この国の風物と分かち難いだろう、ここで今までに知っていたし、今も知っている人々もあるに違いない。国と離れて男と共に暮らすことは、到底できないだろう」。かといって、この町に生涯をかけて悔いのない自分の仕事があるとは思えない。

 ここで「国」というのはフランス共和国ではない。固有の歴史と文化を持つ南仏プロヴァンス地方のことである。女の人生は、その故郷のなかに編み込まれている。しかるに「僕には故郷はない」。現代ニッポンは、歴史も文化も忘れ果てた経済一辺倒の軽佻浮薄な国家に落ちぶれてしまった。それはもはや故郷と呼べる場所ではないと男は考えているのだろう。

 「あなたはわたしの知らない地図の上を飛ぶ鳥である」。女の言葉を反芻しながら、もっと若く可能性に満ちていた時代にめぐり逢えたたならと男は思う。だが所詮それは空しい夢想である。女と別れた男は、飛び去る旅客機の座席に腰を下ろす。すべてが過去になったことを知るとともに、男は思う、「過ぎ去った数日はあたかも生涯のように長く思われた。その光、その香り、その繁みと白い丘、その尽きることのない泉‥‥男のなかで、エックス・アン・プロヴァンスは世界であり、夏の数日は永遠であった」と。

 女と過ごす「時」の神秘。「小さな顔に浮かんでは消えるほほえみ、その眼の一瞬の輝き、髪の匂い、細い身体のしなやかさ、何も言わずに触れあうもの、それ以上の何が、いつ、どこにあるだろうか。それ以外の何が生きていることの証しだろうか」。死すべき存在である人間が、今この瞬間、愛する者とともに地上に在る。その純粋な「生」の歓び。それは地上の時間を超えて永遠の記憶となる。そのような甘美な「時」が人生に訪れることがあること、卑近な日常を超えた生の次元があることを、この作品は我々に教える。

◆ 恵みとしての「愛」

 登場人物には名前がない。「男」と「女」であり、それはつまり、「私」であり「あなた」である。このような作品を想像力のみで書き上げることが果たして可能だろうか。小説は体験から生まれない、小説は小説から生まれると言われる。作者が霊感の源泉を先人の遺産から得た可能性は、大いにあり得ることだ。だが、この小説で結晶化された「愛」は、作者の幾つかの経験に由来するのではないか。筆者はそう想像することがある。

 自らの感情生活については語らない人だった。既述のとおり、評論家として「高みの見物」を生きた人であった。だが、高みの見物が許されないおのれの人生を、彼は小説で書いたのではなかろうか。虚構を交えた回想録『羊の歌』の数年後、彼は『幻想薔薇都市』を書き、趣向を凝らした「作り話」を通して、自らが生きた「愛」について生き生きと語った。軽めのタイトルも、洒落た語り口も、ある種の韜晦だったように思われる。

 日本人は今にしか興味がないと男は語り、「それなら私は日本人だわ」と女は応じる。しかし、過去は水に流し、明日は明日の風が吹くというその日暮らしの世界には、色と欲の浮き世を超えるイデアはついに存在しないであろう。ふたりの会話とは裏腹に、この作品に描かれた男女の愛は、われわれが持つ世俗的な伝統的美意識、洗練された「色好み」の感覚とは決定的に違う何ものかである。そして、この愛を、与えられたもの、恵まれたものと捉えるとき、加藤周一という地上の名を生きたこの人が、聖ルカの霊名で天に召されたことを想起するのは、おそらく筆者だけではあるまい。

 (関東学院大学客員研究員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧