■ 臆子妄論      

観心寺など             西村  徹


■もう一つの大阪


  大阪府の面積は全国の都道府県中最小であった。あったというのは1988年ま
でがそうであったからで、今は埋め立てによって地面でない地面が増えて、香川
県より大きいことになってしまった。いずれにせよ小さい。小さいなりに小ぢん
まりと平野も海もあるにはある、あるいは、あった。海もろとも平野部はよく耕
され、それゆえ無残に「開発」されているが、それを取り巻く他国との境はまだ
しも青い、信州の人などから見れば岡というほどの、高からぬ山並みが連なって
いる。東に越えれば大和に入る山並みが信貴、生駒、そして二上山を挟んで金剛、
葛城と、北から南へ次第に山の青さに黒味が増して、深く暗い紀州の山々に溶け
込んでいる。その山脈の西側つまり南河内側の麓近く、また頂からも遠からぬ山
腹には、大和斑鳩の大寺とちがって小ぶりだが、いくつか心にくい山寺がある。

  たぶん司馬遼太郎の読者ならご存知の、いま思いつく寺が三つある。いちばん
北の高貴寺は竹内峠の南3キロ。大阪平野のまん中やや南を東西に、難波と飛鳥
を結ぶ推古帝以来の竹内街道が走っていて、二上山南の竹内峠を越えれば竹之内
であり当麻寺であることも知る人は多かろう。竹内峠から尾根伝いに南2キロの
平石峠も東に下ればやはり当麻寺だ。峠は高貴寺から僅か1キロの裏山である。
つまり1キロでもう大和になる。高貴寺はその名に恥じぬ、およそ俗臭のない寺
である。近頃めずらしく、あれでやっていけるかと思うほど商売気のない寺であ
る。名前のせいで動きが取れないわけでもなかろうが、よほど寺格の高い寺にち
がいない。

  高貴寺を僅かに西に取りつつ南下すること4キロの地に弘川寺がある。五木寛
之の『百寺巡礼』にも登場しているし、西行終焉の地として知る人は多かろう。
ここは高貴寺とちがってはなやぎの漂う寺だ。おそらく西行ゆかりの桜の花のそ
こはかとないはかなさと結ぶたぐいのはなやぎであるだろう。そこから西南に6
キロ、千早赤阪村の西端、行政区画上は河内長野市寺元にあるのが観心寺である。
ようやく観心寺にたどりついたが、なぜわざわざ他の寺のことまで持ち出したか
というと、一般に都市化された大阪とは、一味も二味もちがうところが南河内の
東を南北に走る山肌全体にあることを言いたかったからである。近世以降の商業
都市およびその外延を含む平らな大阪とは雰囲気のちがう、空気のちがう古い世
界があることを言いたかったからである。

三寺ともに真言宗である。大阪の平野部は町も村も大方は庶民的な浄土真宗で
あるのと大きく趣がちがう。京都と高野山を結ぶ道筋になるこのあたり、空海の
落とした影は山並みに沿って濃い。遡って役小角に代表される山岳仏教の行者の
落とした影も濃い。降っては南北朝の楠木正成の落とした影はさらに濃いように
思う。


■ 如意輪観音


  さて観心寺には国宝が三点、重要文化財が三十余点ある。国宝の金堂には国宝
の如意輪観音が納まっていて、四月の17,18日に開扉される。私は何度も寺には
立ち寄ったり通りすぎたりしているが、秘仏を目にしたのは三四度にすぎない。
近頃ツーリズムがさかんになって開扉両日は遠方からバスが押寄せ、あまりに繁
盛して落ち着かなくて、いまは足が遠のいている。
  この秘仏を実際に見たときは驚いた。写真は和辻哲郎の『日本精神史研究』に
も出ているほどだから当然見ていた。額に入れた大きなのも見ていた。しかし、
なにせ昔の飛鳥園のモノクロだったから、写真でなくて実物を見たときはまった
く驚いた。広隆寺の弥勒菩薩にも中宮寺の伝如意輪観音像にも姿かたちは半跏思
惟という点で似ていなくはないが、およそ立ち上る香気はちがう性質のものであ
ったと思う。

中宮寺の像についてであろうか、吉井勇に「凡俗のまなこをひらきあえて見る
仏の顔はまさに女なり」という歌があったと遠い記憶の中にある。中宮寺も昔は
さほど訪ねる人もなく、そのときも父と私との他にはいなくて、小柄な尼僧があ
たたかく応対してくれたことを今もなつかしく記憶している。しかし中宮寺の像
は凡俗の眼をひらくまでもなく女性ではありながら、それは絶対の女性であって、
あくまで優しさそのものであって、まったく肉体性を超えていた。すくなくとも
私にとって、いささかも生身の女性と結ぶところは感じられなかった。それゆえ
いささかも羞恥を感じるようなことはなかった。

  観心寺では様子がちがった。中宮寺や広隆寺のように落ちつき払ってはいられ
なかった。観音像といえば女性的というわけでもない。次第にそうなったという
だけで初めからそうきまっていたわけではない。法隆寺夢殿の救世観音のような
不吉で薄気味の悪い観音もある。東大寺法華堂の不空羂索観音も怖くて女性とい
うに程遠い。怖い女もいるにはいるが、こんな威厳のある女はいない。しかしそ
の後の観音像の女性化は紛れもない。観心寺の像においてそれは来るところまで
来たという感じがする。


■女神かオダリスクか


  蠱惑的とも官能的とも人は言うが、そのくくり顎、長々と弧を描く蛾眉、くわ
えて縦に短い丸顔、そして秘仏ゆえに彩色に剥落がなく鮮やかに紅い唇は、じつ
は仏像に一般ではあるが吸乳する嬰児のように心持ち上に翻っている。半跏とい
いながら輪王坐といってドラクロアの「アルジェの女たち」のように、韓国の妓
生のように右膝を立てているから、ますますしどけない。瓔珞がないためにかえ
って胸元がまぶしい。中宮寺の像や阿修羅のように肉の要素を削ぎ落とした細身
ではない。滑らかにたわわな六臂は不自然どころか、二臂の場合よりはるかに雄
弁に婉然の風韻を演出している。二臂ではいかにも寂しくなったであろう。あり
うべからざる男の気懸かりは、この六臂に抱きとめられたらということだろう。
それやこれやで、ひとつ間違えばオダリスクというような言葉も浮かんでしまう
危なさがあるが、ようやくそれを押しとどめているのは切れ長で一重の澄んだ目
であろうか。ものうげに視線を落としていて、そこに沈んだ威があって、人を吸
引はするがかならずしも誘うのではない、招きつつ拒んでもいるような両義的な
ところがあるからだろうか。

  仏像が仏像であるかぎりどんなに官能美だのあやしさだのが言われても仏像
たるの貴さを失わない秘密はそれだろう。だからわたしたちは仏像に感じ入ると
き、どうしてもなにかたたらを踏むようなたじろぐおもいが伴うのだろう。見る
者は同時に見られてもいる。見ているはずが魅入られている。長谷寺の十一面観
音像を内陣から見上げて、市川亀次郎という歌舞伎役者が「見てはいけないもの
を見てしまった感じ」と言っていたが、この秘仏を見た人も大分位相はちがうが
似たように感じるだろうと思う。矢張り秘仏にしておいて、あまり度々は見ない
ほうがいいようである。度々は危険な気がする。ピュリタンやモスレムがあんな
に偶像を憎悪する理由がわかる気がする。

  六角堂で百日参篭のすえに親鸞は救世菩薩の化身から「行者宿報にて設ひ女犯
すとも我れ玉女の身となりて犯せられむ。一生の間、能く荘厳して、臨終に引導
して極楽に生ぜしめむ」との夢告を受けた。六角堂の本尊は5センチ半の如意輪
観音である。如意輪観音は総じて姿態妖艶である。百日も参篭すればおかしくな
って「我れ玉女の身となりて犯せられむ」などという夢告を得てもおかしくはな
かろう。これが親鸞の比叡山を去る転機になったというのに彼は即身成仏の観念
をつよく斥けた。もっともつよく惹かれるものをもっともつよく斥けるのは、よ
くあることかもしれない。

  このような仏像がこのような寺にあることを私はこよなく好もしいことに思
うが、人によるとこの仏像を素直にほめては男が廃るみたいに突っ張る人がいる。
向源寺の十一面観音や秋篠寺の伎芸天とともにこの如意輪観音も意地でも好き
とは言わない人がいる。「ぼくは阿修羅のほうががいい」なんていう。なにもこ
れを取りあれを捨てるというようなことではなかろうに。それでは男の一分が立
たぬ、武士の名折れになるみたいに突っ張るひとがいて可笑しい。気分はわかる。
これを好きというにはちょっと恥ずかしい気になるからだ。ちょっとカミングア
ウトするみたいな気になるからだ。だから如意輪観音にあるいは内心後ろ髪引か
れていても、それだけに余計に突っ張って西行が出家のときに子どもを縁側から
突き落としたような気分になっている。あることがらを主張するのに他の主張を
排除疎外しないでは気がすまぬという傾向は誰にもある。それは人間の可笑しさ
であるが、ときにはなはだ野暮にもなる。
                          (筆者は堺市在住)

                                                    目次へ