【コラム】
ザ・障害者(27)

苦しいことがわかってもらえないのが苦しい」というSOS

堀 利和


 川崎市の児童ら殺傷事件、練馬区の農林水産省元事務次官の息子殺人事件を受けて、なぜ、どうして、そしてそれが国民にどう受けとめられているのか、そのことを真剣に考えなければならないと思う。当然まだ事件の真相は殆ど明らかになっていない段階だが、それにしても現時点で少なくともわかる範囲で、私なりの見方・考え方を簡単に整理しておく必要があると考える。

 殺人または自殺は決して容認されるものではない、ということを前提に、私は死刑廃止論者でもある。「国家が人を殺してよいのか」である。
 またもう一つの問題は、事件に関連しているとされるいわゆる「ひきこもり」問題についてであるが、しかしここで明確に言っておかなければならないのは、ひきこもりの人に関連付けてあたかも全て事件が必然的に起きるかのような印象付けは断じて戒めなければならない。その上で、障害当事者である私としても大変気になる調査結果がある。それは私たち障害者と同じく、生きづらさ、働きづらさを抱え込まされた人たちがいるということ、しかもその人たちには制度やサービスが殆どないという現状である。調査は次の通りである。

 日本財団によれば、なんらかの原因で生きづらさ、働きづらさを抱えている人が1,500万人、原因が重複している場合もあるため実数は低くなるが。内閣府では、39歳までのひきこもりが54万人、40歳から64歳までが61万人、あわせて115万人。そして厚労省によると、バブル崩壊後の「就職氷河期世代」と定義付けた35歳から45歳までが、フリーターもしくは無職者が90万人いると言われている。
 個人的、家族的、社会的な多重問題はあるにしても、その大きな原因は何よりも「社会的」、その社会は今や格差社会、ハラスメント社会の自己責任論、勝ち組の論理とイデオロギーによって支配されている。

 人を巻き込むな、犠牲にするなとは至極当然、その通りである。弁明の余地はない。
 しかし、だからといって、「一人で死ね」というネット炎上、コメンテーターはいかがか? 弁明の余地はないにしても、事件を肯定するつもりは全くないが、しかしながら、そのような事件を引き起こした犯人も、その犯人さえ社会の子、時代の子、そこに追い込まれた、そしてそこに追い込んだ社会、世間、「見えざる手」。人間が弱い存在、それほど強くないのである。また100パーセント理性的とも言えないのである。

 「一人で死ね」。確かに十数年、自殺者数は3万人越えの高止まりにあった。そんな自殺社会である。日本のこの自殺社会は健全ではない、異常である。
 自己責任論、勝ち組の論理とイデオロギーからすれば、その帰結もまた当然のこととなろう。しかし、「一人で死ね」はあまりにも機械的正統派論。正義はわかるが、だが「神の見えざる手」すなわち「悪魔の見えざる手」、それは同時に彼らの「手」である。
 そしてさらに彼らは無関心と道徳者を装う。では、米軍によるイラク・バクダッドの空爆で、どれだけの市民、どれほどの子どもたちが殺され、犠牲になったか。正義は常に国家にあるのだろうか? なぜ、米軍の兵士よ、「一人で死ね」と言わないのか。わざわざ遠く離れたイラクに出かけてまで・・・・。

 「苦しいことがわかってもらえないのが苦しい」というSOSは、家族内での暴力をふるってしまう精神障害当事者の声、SOSの声、SOSの表象。それは『当事者が語る精神障がいとリカバリー』(YPS横浜ピアスタッフ協会 蔭山正子/編著 明石書店)に書かれている。本書の出版記念会の際、精神障害の我が子や暴力があることを「世間体」から隠してしまう、とある母親が語っていた。こうして、精神障害当事者もその家族も結局孤立してしまうのであろう。

 なお、本書に先立ち『精神障がい者の家族への暴力SOS』(蔭山正子/編著 明石書店)も出版されている。こうした家族内での暴力に触れることはこれまでタブーとされてきたが、この二書はそれを勇気をもって明らかにしたことは画期的である。ぜひご一読願いたい。

 ちなみに、私は、いわゆるひきこもりについて誤解を恐れずに言えば、ひきこもりも広義の意味で「社会的精神障害」とみている。その意味では対人適応症と言えるのではなかろうか。そのことから精神障害者と地つなぎになっているといえよう。

 (元参議院議員・共同連代表)

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