【コラム】
神社の源流を訪ねて(13)

若狹の神々① 気比神宮(けひ)と角鹿(つぬが)神社

栗原 猛

●渡来系神社と習慣の宝庫

 朝、大阪駅で福井行の特急の発車ベルが鳴っているので飛び乗ったら、敦賀には止まらずに福井まで連れて行かれた。ほどなく上りの列車があったので、それほど時間のロスにはならなかったが、相変わらずの慌て者である。

 はじめての敦賀は10月で空が高い。敦賀駅を出て中心部の大通りも沿って続くアーケードの歩道も広々としているが、人通りが少ないのが気になった。商店街は5軒に1軒ぐらいシャッターが下りていて、いまや日本の地方都市ではどこでも見かける光景だ。遅くなった昼を食べようと老舗らしい蕎麦屋に入ったら、店の中はお客でいっぱいだったのでほっとした。
 駅から15分ぐらい歩くと、気比神宮の独特の赤い両部鳥居(四脚造り)に着く。境内に5、6人のグループの観光客が何組か訪れていた。気比神宮は広い境内に摂社、角鹿神社(つぬが)がある。敦賀の地名の由来でもある角鹿神社とはどういう神社なのかから、まず見ていこう。

 気比神宮略記によると、角鹿神社の祭神は都怒我阿羅斯等命(つぬがあらひとのみこと)で、崇神天皇の時代に任那の王子としてこの地に上陸し、天皇、気比大神宮の司祭と政治を委せられるとある。その政所(まんどころ)の跡に祀ったのが、角鹿神社だ。
 都怒我阿羅斯等とはどのような神だったのだろうか。「敦賀市通史」によると、命の額に角のようなものがあったので、人々がこれを称して角鹿(つぬが)といったのを約して都怒賀となり、都怒賀は日本に来ての名で、阿羅斯等は彼の国での称であろうとしている。半島の南部にあった安羅ではないかとの見方もある。
 角は当時、朝鮮の冠帽には角のようなものが立っていたとされる。桃太郎の人形も頭に小さなとがった小さな帽子を載せているのがある。敦賀は命の名前に由来するだけでなく、敦賀市の紋章にも角が図案化されているなどなじみが深い。

 摂社の方が先になったが、気比神宮は越前一之宮、北陸総鎮守で古事記、日本書紀にも早くから登場する古社だ。主祭神は伊奢沙別命(いささわけのみこと)で、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、応神天皇、玉紀命(たまひめ)、武内宿禰命が祭られる。
 気比とは珍しい名前だが、「食の霊(けのひ)」「けひ」のことで、御食津大神(みけつのおおかみ)とも呼ばれる。ここで注目されるのは、伊奢沙別命には天日槍(あめのひぼこ)説があることだが、これは次回に譲る。

 敦賀地方には都怒我阿羅斯等、天日槍をはじめ渡来系の神を祀っている神社や、新羅、伽耶にちなんだ地名や習慣なども少なくない。美保神社でも少し触れたが、福井県の白木村も、鶏や卵を食べない古い習慣がある。敦賀市沓見(くつみ)の信露貴彦神社(しろきひこ)と久豆彌神社(くつみ)は彦と姫の関係にあり、信露貴は新羅、白木のこととされる。敦賀市沓見(くつみ)には、渡来人がもたらした洗濯ものを棒でたたく習慣などが残る。

 (元共同通信編集委員)

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