【コラム】槿と桜(42)

自然を食べる ② ―― 松の実

延 恩株


 もしも韓国で、旧暦との繋がりなしの生活になってしまったら、生活リズムが狂うのはもちろんのこと、かなり味気ないものになってしまうような気がします。旧暦は二十四節気に分けられていることからもわかるように、自然の営みと強く結びついていて、韓国人の生活はそれらと常にかかわっているからです。

 日本でも2月の行事として続いている「節分」の豆まきがそうでしょう。その翌日(2月4日頃)が「立春」で、旧暦では1年の始まりとされていて、その前日の「節分」に邪気を払うという意味から豆まきが行われます。

 一方韓国では、「立春」を迎えると、家の門や扉に「立春大吉」「建陽多慶」「開門満福来」「掃地黄金出」といった、縁起の良い文字や1年間の平穏無事や繁栄を願う文字を書いた紙を貼る家が少なくありません。また地域によっては作物の根を抜いて、その年が豊作かを占う所もあります。

 ところで日本では、「節分」に豆まきをしますが、これは日本独特の風習で韓国にはありません。ただし邪気を払うという行事で言えば、韓国でも旧暦の1月15日に行われます。

 日本でもかつては、旧暦の1月15日は「小正月」と呼ばれ、「立春」後の最初の満月(望月 もちづき)となる日で、多くの地域で豊作の祈願をし、正月飾りや書き初めを燃やす行事(左義長 さぎちょう)が行われていたようです。地域によっては「どんど焼き」などとも呼ばれ、その火で焼いた餅などを食べると、無病息災で過ごすことができるといわれているとのこと。残念ながら日本では、今でも「小正月」行事が残されているのは、一部の地域になってしまっているようです。

 韓国の旧暦1月15日は「정월대보름 チョンウォルテボルム」と呼ばれ、日本の「小正月」に当たります。私もそうですが、「チョンウォルテボルム」といえば、おそらく多くの韓国人が満月を思い浮かべます。そして満月を眺めながら、その年の豊作と無病息災を祈ります。またこの日は豊作を願うことから「五穀飯」(オゴッパップ)を食べる家庭が多くあります。この「五穀飯」とは、うるち米、麦、きび、豆、もち米、小豆などで炊きあげたご飯で、地域によって穀物の種類は変わりますが、必ず5種類を混ぜ合わせます。

 そしてもう一つ、この日に行われる行事に「부럼 プロム」があります。クルミ、松の実、栗、ピーナッツ、銀杏などの殻をむいていない木の実を「テボルム」の朝、歯で殻をかんで音を出すことを「プロム」と呼びます。こうするとその年、身体にでき物などができなくなり、またかんだ時の大きな音で鬼が驚いて逃げだし、1年間は邪気を追い払うことができるとも言われています。

 このような言い伝えが残されたのは、木の実には健康に良い栄養素が多く含まれていて、寒いこの時期に木の実を食べることで、冬の寒さに打ち勝てる体力をつけようとした先祖の知恵が感じられます。

 前回取り上げた「どんぐり」と同様に「松の実」も日本の日常の食生活からはかけ離れた存在ですが、韓国では「松の実」はよく料理に使われます。ただ「どんぐり」に比べますと高級で、価格も高めですから「松の実」をふんだんに使った料理は多くありません。

 この「松の実」、漢方医学書にも記されていて古くから不老長寿、滋養強壮食物として知られていました。小粒ながらビタミンK、鉄分、亜鉛、マグネシウムなどのミネラルや不飽和脂肪酸(リノール酸、オレイン酸、ピノレン酸)が含まれていることから、コレステロールの調整作用、アレルギー改善、美肌効果、眼精疲労改善、整腸作用、貧血予防、糖尿病予防などに大きな効果があるとされ、さらに食欲抑制作用があるため、体重や体型が気になる人びとからは貴重な優良健康食品と見られています。

 日本にもたくさんの松の木がありますが、残念なことに日本の松からは「松の実」は取れません。五葉松系の松の木がほとんど自生していないからで、日本ではごく一部の地域にしかありません。このように、身近なところにないことも、「松の実」が日本ではあまり馴染みのない木の実になっている理由の一つでしょう。

 「松の実」は朝鮮五葉松(ちょうせんごようまつ)の松かさに入っている実で、主に韓国や北朝鮮、中国、モンゴル、ロシアなどの高地(気温が低い地域)に自生し、松かさが大きいのが特徴です。韓国では京畿道加平が松の実の産地として有名で、最近は地名を入れた「松の実マッコリ」というお酒が人気商品となっています。

 「松の実」は「どんぐり」と同様に硬い殻をむくことから始めなければならず、手間ひまがかかり、韓国では高価な食品となっています。

 そのためでしょう、韓国の伝統的な結婚式では、婚礼のあと新婦が民族衣装に着替えて、舅と姑に挨拶をする儀式がありますが、その時に新婦から差し上げる品物の中には松の実をふんだんに使った食べ物が多いのが一般的です。

 韓国の料理で松の実が主役を務める料理は少なく、たいていは脇役です。その大きな理由は貴重で高価というだけでなく、カロリーが高く、多量に食べるとかえって身体に良くないという理由もあるからでしょう。でも不老長寿、滋養強壮食物だけあって存在感はかなり大きく、多くの料理に用いられています。用い方としては、松の実の形をそのまま残して使う場合と、細かく刻んで使う場合とがあります。

 韓国人にもっとも馴染みある松の実を使った料理と言えば、鶏の腹に高麗人参ともち米、干しナツメ、栗、松の実、銀杏などを詰めて煮込んだ「参鶏湯」(삼계탕 サムゲタン )でしょう。でも松の実は脇役ですから、私なども「参鶏湯」を食べていても、あまり松の実を食べたという意識などは持ちません。

 チゲ料理、焼きもの料理などにも使われますが、日本の方にはちょっと違和感を覚えるのが刺身などにも松の実を細かく刻んで薬味として使うことでしょう。そのほか細かくした松の実と塩、ごま油などを混ぜ合わせた「ソース」を作り、和えものなどに使うこともあります。

 また伝統的な韓国のお菓子にも使われていますから、韓国人は幼いときから「松の実」がいつもそばにあると言えます。たとえば「チャッカンジョン」(잣강정)と呼ばれるお菓子は、松の実を日本のおこしのようにしたもので、まさに松の実が主役です。

 さらに松の実が主役となる数少ない料理としては「松の実粥」(잣죽 チャッチュク)があります。

 基本的な作り方は松の実と米を水につけたあと、水気を切って定量の水と一緒にミキサーで撹拌します。とことんクリーミーにするか、少し粒状を残すかはお好みで、これを鍋に移して弱火で30分間ほど加熱します。だまにならないように弱火でかき混ぜながら、どろっとしてきたら、塩で味つけをして、松の実を乗せます。滋養豊かで胃腸に優しい「松の実粥」のできあがりです。

 松の実さえ手に入れば、日本でも簡単に作れますから一度、是非試してみてください。「松の実」はスーパーマーケットでも売っていますので、「どんぐり粉」よりは入手しやすいと思います。

 2018年2月16日は旧暦の元旦です。韓国では名節土産として「松の実セット」は人気商品で、これを手に帰省する人もきっと多いのではないでしょうか。

 「どんぐり」も「松の実」も自然が人間に与えてくれている恵みの一つです、しかし地球の環境は確実に人間によって破壊されていく一方のように見えます。朝鮮五葉松も遠い昔には日本でももっとたくさん自生していたと考えられています。しかし高地で低温を好む五葉松系は現在でも自生する地域が限られています。今後ますます地球の温暖化が進みますと、現在、自生している地域から次第に五葉松系が姿を消し、「松の実」が採れなくなる可能性も否定できません。

 「自然を食べる」とは、自然からその恵みを食べさせてもらっているということにほかなりません。私たち人間はもっと自然に寄り添って生きていかなければならないという思いがますます強くなってきているこの頃です。

 (大妻女子大学准教授)

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