【コラム】
槿と桜(41)

自然を食べる ① ―― どんぐり

延 恩株


 『毎日新聞』2018年1月7日朝刊の「<調味料>時短需要で消費多様化…変わるしょうゆ、酢」という記事が目にとまりました。
 日本の食生活が多様化し、女性の社会進出がさらに進み、加えて健康への関心がますます高くなっていて、料理を作る時間の短縮希望が増えていることが、その大きな理由だそうです。

 当たり前のことですが、人間はどのような状況にあっても食べずに生きることはできません。でも「何を」、「どのように」、「どこで」食べるかについては、時代、地域、民族などによって異なってきます。そしてその地域、民族による個々の価値観や慣習などによって、それぞれの「食文化」が創られていくことになるのでしょう。

 このように考えますと、冒頭の記事も原材料を加工して作られたしょうゆや酢に、さらに他の味を合わせた調味料が歓迎されていて、やがてそうした調味料がごく一般化して新たな食文化が生まれてくることになるのでしょう。こうした便利、簡便さの追求の行き着くところがどこなのかわかりませんが、私は手作り派で、いわゆる「おふくろの味」を大切にしたいといつも思っています。

 韓国人にとって代表的な「おふくろの味」は、多くの人がキムチでしょう。でもそれ以外にも韓国では、日本の食生活よりも原材料を生かした、言い換えれば、作り手が手間ひまかけて作らなければならない食べ物が多く食卓に並びます。

 たとえば木の実です。日本の縄文時代(約1万5,000年前~約2,300年前)の食生活で、木の実は重要な食べ物であったことはよく知られています。おそらく人類が出現して以来、木の実は人類の生存に大きな役割を果たしてきたはずで、現在でも木の実が育つ地域であれば、人間はなんらかの木の実を、加工するか否かは別として食べています。

 ところが生活様式や食文化の変化で、日本ではほとんど忘れられてしまっている木の実があります。「どんぐり」です。
 「どんぐり」は樫(かし)、楢(なら)、柏(かしわ)などコナラ属樹木の果実の総称で、韓国ではごく普通に食べられている木の実です。

 食べ方としては「どんぐりご飯」、「どんぐり餅」、「どんぐり粥」、小麦と混ぜた「どんぐりうどん」、そば粉と混ぜた「どんぐりそば」、からい薬味で味つけした「どんぐりビビン麺」、小麦粉と混ぜた「どんぐりチヂミ」などがあり、なかでも「トトリムック」(도토리묵)は、韓国を旅行したときに食べられた日本の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 「ムック」(묵)は寒天のような食べ物、「トトリ」(도토리)が「どんぐり」を意味します。韓半島の伝統食品の一種で、どんぐりの澱粉を固めた、茶色いゼリー状の食べ物です。野菜と和えて、醤油やごま油、にんにくなどをベースとした「薬念醤」(양념장 ヤンニョムジャン)をかけて食べるのが一般的です。

 実は日本にはこの「トトリムック」が韓半島から伝えられ、現在では希少な郷土料理として高知県安芸市に「かしきり(樫豆腐)」として残されています。また宮崎県の「樫こんにゃく」も樫の実(どんぐりの一種)が材料です。耕作地の少ない山間地の大切な食材だったようです。そして韓国、日本とも凶作の時に食べる貴重な食品としても食べられてきていました。

 日本でどんぐりが食べられなくなったのには、食べるまでにあく抜きを含めて、さまざまな手間が必要で、時間がかかることや、森林が次第に減少する一方、実の収穫までに長い年月がかかるなどの要因があったと考えられます。さらに生活スタイルの変化による経済的な効率性からも次第に期間が短く、大量の収穫が可能な米やアワなどに取って代わられてしまったこともあるのでしょう。

 でもどんぐりは、縄文時代には主食として食べられていただけに、70%近くが炭水化物で、脂肪分が20%近くあり、そのほかタンパク質、アミノ酸やビタミンA、ビタミンCを多く含む、栄養価豊かな食べ物です。しかも、このドングリには「デトックス」効果があると言われています。

 「デトックス」効果とは、体内に蓄積された毒素や老廃物などを体外に排出する役割を担うことです。私たちは生きていくために食物を食べ、酸素を吸い込んでいますが、そのとき、食べ物や空気中からダイオキシンやカドミウム、水銀、鉛、ヒ素なども一緒に体内に取り込んでしまっています。食べ物に使われる保存料、着色料といった食品添加物に神経を使うのもそのためです。
 こうした体内に入った毒素は体外に排出されにくい性質があるため、これらの毒素をスムーズに排出してくれる「アコニック酸」を含んだどんぐりは、大変ありがたい食物ということになります。もちろん「デドックス」効果のある食物はどんぐりだけではありませんが。

 韓国も日本と同様に健康志向が高まってきていて、健康食品への関心度は、あるいは日本より高いかもしれません。そのため、日本でも主に中国の大気汚染の影響を受けてPM2.5の濃度が上昇し、健康に何らかの悪影響を及ぼすのではないかと心配されていますが、韓国は日本以上に中国に近いこともあって、人体への悪影響には大変敏感になっています。

 こうして近年、韓国でもあらためて注目を浴び始めたのが、このどんぐりなのです。
 韓国では、どんぐりが身近な食物としてあり、特に「トトリムック」は好まれて食べる機会も多いだけに、健康食品としてのどんぐりへの再接近にはまったく抵抗がなかったのでしょう。

 それだけでなく女性からは、「トトリムック」は特に好まれているようです。なぜならどんぐりの粉を寒天で固め、ゼリーのようにしたものですから、栄養価が高く、カロリーが少ない(100グラムあたり40カロリーほど)ため、しっかり食べてダイエットできるというわけです。つまり他のいろいろなナッツ類と比較すると、脂肪分が少ないのが特徴となっています。

 またどんぐりの成分にはタンニンが含まれていて、強烈な渋み(あく)を除去するのに手間がかりますが、それでも残った少量のタンニンは、逆に毛細血管を丈夫にし、胃腸の粘膜を保護し、下痢止めに効果があることはよく知られています。さらに頻尿や水分代謝が悪く、むくみがちな人、不規則な便意に襲われがちな人にも効果があることは、韓国の漢方医学書にも記述されています。

 これまでは森のリスたちの大好物で、人間が食べるものではないなんて思っていた日本の方も多かったのではないでしょうか。多少なりとも、どんぐりのイメージが変わって、どんぐりに関心を持ってくださると嬉しいのですが。

 我が家では「トトリムック」は家族みんなの好物で、母が特に大好きで、よく作ってくれました。またその作り方を母から教えられたものです。そのため、私はときどき新大久保にある韓国食品を扱うマーケットでどんぐり粉を買ってきて、自分で「トトリムック」を作ります。

 母は昔からの習慣が抜けないのでしょう、秋になるといつもドングリを拾いに山へ行きたいと言います。でも身体が言うことを聞かなくなってしまった最近は、マーケットでドングリ粉を買ってくるようになっています。ただ今年は知人が毎日、散歩に出かける山からたくさん拾ってきたドングリをお裾分けされたようで、久々に最初のあく抜きからムック作りをし、その美味しさを楽しんだようです。

 日本の方なら韓国風料理でなくてもてもいいと思います。たとえばどんぐりクッキーやどんぐりパンなどはどうでしょうか。どんぐりを粉にするまでが大仕事だと思われる方には、最近は日本でも健康食品としてどんぐりに関心が集まるようになってきていますから、自然食品店でどんぐり粉を扱っていますので心配ありません。

 自然からの恵みで、すばらしい健康食品でもあるどんぐり。日本でもっと見直される日が来ることを自然派、手作り派の私としては願わずにいられません。

 (大妻女子大学准教授)

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