◇「老農夫のつぶやき」(4) 栃木 富田 昌宏
大岡信先生「折々のうた」で手書きを推奨
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『オルタ』の4月号が出た翌々日4月22日の朝日新聞朝刊の一面に、大岡信先
生の次の一文が発表された。短い文章なので全文を引用してみる。
《手書き文字の一字だに無き手紙を寄せ
返事待つとぞ未知なる人が
辻下 淑子
『神話』(平成17年)所収。あとがきによれば作者は昭和19年に新詩社の「冬
柏」に入会し、本格的に作歌を始めたという。今度の歌集で8冊目の、長い歌暦
を誇るベテラン歌人である。この歌は、手書きの文字が一字もないワープロだけ
の手紙をよこして、返事を待つと言ってきた未知の相手の無礼を怒っている。
日本人の「礼儀」の激変ぶりを象徴的に語っている歌だろう。せめて自分の名
前くらいは手書きでありたい。》
私は『オルタ』3月号で、ワープロ文字がまかり通っている世の中に、“蟷螂
の斧”よろしく手書きの好さを主張した。その私の真意が、200字少々のこの言
葉の中に余すところ
なく書かれている。手書きの主張は私だけでないことを知って、ホット胸をなで
おろしているところである。
ワープロ文字でも真意は通じる。細かい心理描写も可能である。しかし、人肌
の温かみという点では、手書きに及ばない。大岡先生が言うように、自分の名前
くらいは手書きでありたい、という主張に私は賛成である。
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