編集後記

加藤 宣幸


◎今年は私たち日本人には敗戦70年。東アジアの視点に立てば中国人には戦勝70年。韓国・朝鮮人にとっては植民地からの光復(解放)70年・日韓条約50年、そして村山談話から20年という節目の年だ。その年頭に後藤健二さん惨殺事件が起き最悪のスタートとなった。まさに安倍首相が邦人2人の拘束を知りながら、「イスラム国」と戦う国を支援すると宣言、ネタニエフ首相とは対テロでの共闘を謳い、『テロと闘う諸国に対して非軍事支援2億ドル供与』とぶち上げた直後だ。政府は『非軍事』を言うが、昨年9月には多くの国民が知らぬ間に、米国が主導する「対テロ有志連合」に入っていたのだ。中東の人々にどう映ったのかは言うまでもあるまい。「イスラム国」に引き金を引く契機を与え、その遠因が2003年3月の不条理なイラク戦争開戦にあることは世界が知っている。

これが「積極的平和主義」だとすれば、日本を「戦争をしない国」から「戦争が出来る国」にという安倍首相の反知性的な執念は非戦国家日本というイメージを確実に壊わしている。今回の事件の遠景に、日本に親近感をもった中東の人々の心が離れるのを見た。今、日本は安倍首相のために戦後70年築いた無形の資産『日本ブランド』を失いつつある。

◎その安倍首相は戦後70年首相談話に意欲を燃やす。『歴代内閣のものを全体として引き継ぐ』としながら、「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」などの表現には否定的だ。これでは中韓両国が懸念し、アメリカさえも心配する。私は「村山談話作成過程」を村山さんから直接聞いたことがある。村山さんが連立相手の河野自民党総裁・武村さきがけ党首と胸襟を開いて話し、3人の深い信頼があって作られたものだという。談話の重みは人びとの合意と信頼によるものだが安倍首相の手法は違う。側近が与党協議を「検閲」だと言い放つ始末である。

◎ドイツが敗戦40周年を迎えた1985年5月8日に、連邦議会で『ドイツ国民は虐殺されたユダヤ人には特別に思いを寄せなくてはならない』と戦争責任を全面的に認め、謝罪したことで世界に知られる元ドイツ大統領ワイゼッカー氏が1月31日に死去した。氏は『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる』と発言して世界から尊敬され、ドイツの国際的な評価を高めた。「謝罪」「侵略」の表現すら拒否しようとする安倍首相とは雲泥の差だ。    

◎敗戦で日本は米国に占領され非軍事化・民主化が進められた。冷戦・朝鮮戦争の勃発で一転、軍事化に舵が切られたが、憲法九条によってかろうじて非戦は守られた。安倍首相は「積極的平和主義」なる呪文を唱え、軍事化路線を強化する。いま、私たちは歴史の岐路に立つ。日本の針路を誤らないために70年の歴史を冷静に検証したい。

◎今月号は「戦後70年を考える」シリーズ①として三上治『戦後70年の今、僕らに大事なのは戦争観』。住沢博紀『西欧世界の限界と戦後民主主義の国際的意義』。羽原清雅『民主主義の土台が壊れる』。藤生健『自民党支配の正当性とデモクラシーの危機』。岡田一郎『戦後政治における社会党』。【敗戦70年・侃々諤々】山口希望『国家主義者による平和憲法制定に至る思想的素地』。苫米地真理『戦後70年、日中間の戦争慰留問題の解決を』。齋藤保男『戦後70年の教育改革』。を論じて戴いた。
◎今月から【北から南から】欄に元読売新聞香港支局長で、このほどマニラ新聞セブ支局長になられた麻生雍一郎氏から毎月『フィリッピンから』を戴くことになり楽しみである。

◎【日誌】1月22日妙心寺・仏教に親しむ会・新年会。28日自宅・浜谷・運動史打ち合わせ。2月2日・渋谷・「たねと食とひと@フオーラム」主催・「シテイ・フアーマー」出版記念講演会・『世界で始まる食糧自給革命』白井和宏・辻信一。3日・早稲田大学小野記念講堂・早稲田大学韓国学研究所主催・朴元淳ソウル市長講演会・『「疎通」の力―ソウル市の新しい「疎通」市政と都市外交』・司会・李鐘元。4日・共同通信本社・岡田充。5日稲城・荒木重雄。12日九段・初岡昌一郎・仲井富・編集打ち合わせ。13日自宅・河野輝明。14日日比谷図書館ホール・シンポ・『現代によみがえる「専守防衛」はあるか』・富沢暉元自衛隊幕僚長X柳沢協二元内閣官房副長官・コメント桜美林大教授加藤朗・司会外語大教授伊勢崎賢治。16日・東中野・ポレポレ・『圧殺の海―沖縄・辺野古』・福岡愛子・竹中一雄・
荒木重雄。17日衆院会館・プログレス研究会・『国家と秘密』―隠された公文書』・藤生健。
            (加藤宣幸 記)


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