【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

経済成長注目されるインドで変わらぬ女性の人権状況

荒木 重雄

 経済成長するインドを貶めるつもりはない。国際舞台で存在感を高めるインドをけなすつもりもない。ただ、インドはいまだ深刻な人権問題を抱える社会であることを、英公共放送BBCが報じた最近の女性の状況から見ておきたい。
 いささかショッキングな情景が続くが、ご容赦願いたい。

◆犯行を横目に平然と過ぎる通行人
 
 BBCが6月に報じた次の事件は、インドでもさすがに怒りと困惑を巻き起こした。
 首都デリーの路上で、16歳の少女が20歳の青年に刺し殺された。犯行を記録した監視カメラの映像では、容疑者が少女を繰り返し凶器で刺したうえ、大きな石で頭部を押しつぶしている。しかも、それを多くの人が眺め、わきを通り過ぎているのだ。
 
 容疑者を逮捕した警察によると、少女と容疑者は恋愛関係にあり、事件の数時間前に口論していたとされる。恋愛感情のもつれによる殺人はどこにでもあるとしても、多くの通行人が眺め、通り過ぎていったとは、異様な事態だ。
 デリー女性委員会のスワティ・マリワル委員長は、「何人かが犯行を見たが、気にしなかった。デリーは女性にとって極めて危険な場所になっている」と語り、国家女性委員会のレイカ・シャーマ委員長も、デリーの人々の「無神経さ」を慨嘆してみせた。
 
 おぞましい犯罪に対する傍観者の無関心が非難された例はこれまでもあった。2012年12月、デリーで男性と私営バスに乗った女子学生が、運転手を含む男6人からレイプされ、殺害されたすえ、路上に遺棄された事件があった。女子学生と同伴していて暴行を受けた男性は、誰も立ち止まらず、助けてくれなかったと、事件後に語っている。

◆1日80件超のレイプ事件
 
 この事件は国際社会にも広く伝えられ、インドでは同事件をきっかけに性犯罪撲滅への機運が高まり、厳罰化も進んだが、卑劣な性犯罪は後を絶たない。政府統計でも、毎年おおよそ3万件超のレイプ事件が発生している。1日80件を超える計算だ。たとえば、昨年12月には中部ハイデラバードで女性獣医がレイプされたうえ、体に火をつけられて殺害された。9月には、北部ウッタルプラデシュ州で十代の姉妹が6人の男にレイプされ、二人の遺体は木に吊るされた状態で見つかった。姉妹は被差別階層のダリット出身で、ダリット出身者は性犯罪の標的になりやすい。
 
 これには些かの説明が必要だろう。公的には否定されているが、インド社会にはヒンドゥー教に起源をもつカースト差別と差別意識が抜きがたく残存する。この差別意識は、極端に言えば、異なるカーストの者を同胞とは見做さない傾向さえともなう。前述のような眼前の犯罪にも無関心な性癖にこの傾向は無関係ではない。この傾向は、さらに、カースト底辺の者(ダリット)やカースト外となる他宗教の者(イスラム教徒など)に向けてはときに残虐な形で現れる。※註)

◆家父長社会での家庭内暴力

 一昨年のウッタルプラデシュ州でのことだが、レイプした男二人を提訴した女性が裁判に出廷するため鉄道の駅へ向かっていたところ、男性の集団に拉致され、野原へ連れて行かれて火をつけられた事件があった。同州ではまた、男性与党議員によるレイプ被害を訴えた女性が、自動車で襲われて重傷を負い、同伴していた叔母や弁護士が轢殺された事件もあった。
 
 見過ごせないのが、肉親による少女や女性への暴力である。ウッタルプラデシュ州のある村で、17歳の少女が、デニムのジーンズをはいているのを祖父に見咎められて、口論となった末、祖父や叔父に棒で殴打され、意識を失って倒れた。自動三輪車を呼んで、心配する母(嫁)を置いて祖父母や叔父が病院へ運んで行ったはずだが、翌朝、見つかったのは、近くを流れる川の橋に吊るされた彼女の遺体であった。
 この地域では、嫁ぎ先の虐待から逃れてきた女性が、父親や従兄弟たちから殴られ蹴られたとか、男性に携帯で電話しているのを見つかった少女が、家の男たちから髪をつかまれて地面に投げつけられ、ひきずられ、棒で殴られる折檻を受けたとかの、事件が続いていた。

◆改善遅れる女性の人権状況

 筆者は20年ほど前まで、インドの農村や都市貧困層コミュニティーで人権や生活向上の支援にかかわる現地NGOと密な接触をもっていた。
 そのころ、女性の状況については、「産まれた子が男子であれば喜びとともに迎えられ、女子であれば落胆とともに迎えられる」というのが、決まり文句であった。事実、女子とわかれば堕胎や嬰児殺しさえあった。
 その理由は、祖先の供養を執り行えるのは男子のみという宗教的慣習に加え、親にとって、息子は老後の生活保障になるが、娘は自分たちを養うことができないとの考えであった。
 さらに娘には、結婚のとき多額のダウリー(持参金)を用意しなければならないこともあった。
 このダウリーについては、その額が少ないと、婚家の家族が嫁のサリーに灯油をかけて焼き殺し、再婚して次のダウリーを狙う「ダウリー殺人」が大きな問題にもなっていた。
 
 そのような状態であったから、少女の段階から男児に比べ食事も医療も教育も冷遇され、その後も終生、過酷な労働と搾取と危険に曝される女性の状況の改善が、急務であった。だが、前述の諸事件のような状況を見ると、事態がほとんど変わっていないことを思い知らされる。
 「ダウリー殺人」についていえば、現在でも、政府統計で、1日に平均20人の女性が結婚持参金が不足していることを理由に殺害されていることも、その証左である。

 世界経済フォーラム(WEF)の「男女格差」調査報告で146ヵ国中125位だった国からよく言うよ、との声も聞こえそうだが、それもそれ、これもこれ、である。

※註)カースト最下層に置かれる被差別階層については、インドではいくつかの呼称があり、どの呼び方をするかで、往々にして話者の人権意識が推測される。
・アチュート(アンタッチャブル「触れられぬ者」)と呼ぶ者は、差別意識まるだし。
・ハリジャン(「神の子」ガンディーの命名)と呼ぶ者は、差別意識があるが、良識のオブラートで包んでいる。
・ダリット(「抑圧された者」)と呼ぶ者は、差別に反対する意識の表明者。
・アウト・カースト・ピープル(「カースト外の民」)は価値中立的。
・セジュール・カースト(「指定カースト」)は行政用語。

(2023.7.20)
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