【沖縄の地鳴り】
米軍が残した史上最強の毒物(下)
辺野古・大浦湾から 国際法市民研究会
毒ガス・生物兵器は、1925年ジュネーブ議定書で「使用」が禁じられている。しかしアメリカは「生産・保有は別。枯葉剤は禁止対象ではない」といって、ベトナム戦争で多用した。しかもアメリカがこの議定書を批准したのは、1975年のことだった[註1]。
1969年、当時の知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫)で致死性VXガスが漏出し、24人の米兵らが緊急入院。毒ガス兵器1万3千トンの存在が発覚し、米軍も認めた。それまでにも皮膚の炎症や目の痛みを訴える人がいたり、植物が枯れたりしていたという[註2]。
地位協定は、基地返還時のアメリカの原状回復義務を免除。日本で「汚染者負担の原則」が確立したのは、OECDが1972年に勧告してからだった。政府は、それを口実に協定改定をアメリカに申し出ることもできたはずだ。2011-2020年は「国連生物多様性の10年」で、自然環境を再評価するキャンペーン中。このチャンスをぜひとも利用すべきである。
●アメリカによる費用負担の回避―フィリピンの場合
米比軍事基地利用協定(1947年)が1991年9月に期限切れになるため、両国は同年8月、10年間の延長に合意。しかしフィリピン議会上院は9月16日、批准案を否決し、3年以内の全基地撤去となった(しかし2001年、再使用承認)。同年6月のピナツボ火山爆発は、クラーク空軍基地の閉鎖を早めた。
日米・韓米の地位協定とは違って、この軍事基地利用協定は、返還に伴う費用負担をアメリカの責任としている。そこで米上院歳出委員会国防小委員会は、米会計検査院GAOに対し負担額について調査を求めた。1992年1月に発表されたGAO報告書は、米軍駐留基地における「重大な環境破壊の存在」をアメリカ自身が公式に初めて明らかにしたが、協定は「明確な環境責任を米国に課していない」ため、負担しないこととした[註3]。
またフィリピン政府は、火山爆発による避難民をクラーク空軍基地内にも収容したが、急造された浅井戸の水がPCB、水銀、鉛に汚染されていたため、多くの被害が発生した(註3のp68-9)。フィリピン政府はアメリカの責任を主張しているが、米政府はこれを拒否している(同p76)。
●ドイツにおける駐留軍の地位
韓米による2001年「環境保護に関する特別了解覚書[註4]」では、韓米合同委員会が合意した手続きに従って基地に立入ることができる。同委の環境小委員会は、基地への出入り、合同視察などについて「検討する」。一方、日米は2015年環境補足協定を締結し、環境関連の事故と返還時の現地調査だけは、日米合同委員会合意の上、立入可能になる。
外務省は、立入調査権が例外なのは「国際法上の原則」だという[註5]。ところが1993年改正ボン補足協定は、駐留軍基地に「ドイツの法令が原則適用され」、とくに「隣接自治体や一般公衆に対し…予見可能な影響」があるなら例外を認めない(第53条第1項)。事前通告付き立入調査を基本に、緊急時には事前通告も不要(同条の議定書第4項②(a))。しかも、駐留軍の故意または重大な過失による損害についてドイツは「請求権を放棄しない」。故意・過失がなくても、「基地の損害または動産の減失と損害」について、駐留軍とドイツは「対等に負担」する(第41条第3項(a)最後の一文および同条第10項)。
●日本における返還跡地の支障除去
日本における米軍基地跡の環境汚染など「支障除去」は、2012年度施行の跡地利用特措法[註6]に基づき、すべて日本が行う。跡地の「全部について」、駐留軍起因かどうかを問わず、支障除去の措置を土地所有者に「引き渡す前に」政府が行なう(第8条)。2012年度以前は、駐留軍起因が明確でなければ、地元負担にされた。2012年度以前に返還された跡から発見される責任不明の有害廃棄物についても、本法を準用すべきだが、政府はこれを拒んで地元に「見舞金」を出している(北谷町の例)。
たとえば、読谷村米軍補助飛行場跡地で黙認耕作地だった個所から2013年に発見された廃棄物に、ダイオキシン類や鉛が含まれていた(県が調査結果を14年3月公表)。政府は、特措法施行以前の返還であることや、廃棄したのは住民の可能性もあるとして、本法適用を拒否している。
●住民からの被害や汚染の情報提供
日本が“公害先進国”といわれたころの1973年、PCB被害(カネミ・ライスオイル事件)を契機に、化審法(化学物質の審査および製造等の規制に関する法律)、99年には化管法(化学物質の環境への排出量の把握等および管理の改善の促進に関する法律)が制定された。関連する情報収集には、広く市民参加を求める必要がある。たとえば、神奈川県環境科学センターは「化学物質安全情報提供システム」を整備し、一般から被害や汚染の情報提供を積極的に求め、相談にも応じている(同センターHP)。「安心・安全」のためにも、事業者に対する警告のためにも、これは有効だろう。 軍事基地はきわめて閉鎖的な上に、有害化学物質を大量に使用する。しかも日本政府は、駐留米軍の隠蔽に加担してきた。これが、沖縄の独自外交に期待する理由である。(文責:河野道夫=読谷村)
[註1]和平協定は73年。開発・生産・保有・使用すべてを禁止したのは1993年「化学兵器禁止条約」。
[註2]立法院は1969年「毒ガス兵器撤去要求決議」を全会一致採択。市町村議会の決議もあがった。米軍は1972年、枯葉剤を含めて沖縄からジョンストン環礁(前号参照)に移送・処分した。
[註3]大島堅一「フィリピン・クラーク空軍基地跡地の環境汚染被害」―『立命館国際地域研究第21号』2003年3月p66。
[註4]全文訳は、白井京 ―国立国会図書館「外国の立法220」2004年5月p231-2。
[註5]琉球新報社編「日米地位協定の考え方増補版―外務省機密文書」高文研2004年p56。
[註6]公式名称「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法」。
※この記事は「沖縄の誇りと自立を愛する皆さまへ」第41号・沖縄交の必要性(3₋3)から著者の承諾を得て転載したもので文責はオルタ編集部にあります。