【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

米同時多発テロとアフガン侵攻から20年、そして今

荒木 重雄

 今年9月は9・11米同時多発テロ事件から20年になる。一方、同事件から一か月後にアフガニスタンに侵攻した米軍の撤退が、この8月末でほぼ完了とされる。
 米同時多発テロ事件がもたらしたものは何か。米軍がアフガンで攻撃したタリバーンはその後どうなっている? 20年を遡って振り返っておこう。

◆ 開かれた「パンドラの箱」

 2001年9月11日朝、ハイジャックされた2機の民間航空機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、超高層ツインタワーが無残に崩れ落ちた。死者約3千人、負傷者は2万5千人に及ぶ。犯行はオサマ・ビンラディン率いるイスラム過激派組織アルカイダによると推定された。

 全世界を驚愕に陥れたこの事件は、その後の米国と世界を大きく変えることとなった。
 米国では直後から、星条旗と「ゴッド・ブレス・アメリカ」の歌声が渦巻き、異論を許さぬ社会へ変容し、やがては、分断と対立・憎悪のトランプ時代を迎えることともなった。

 当時のブッシュ政権は、事件の一か月後、実行犯ビンラディン容疑者らを匿っているとしてアフガニスタンのタリバーン政権に攻撃を加え、さらに一年半後には「対テロ戦争」のスローガンを掲げてイラク攻撃に向かっていった。
 ブッシュはこの戦いを「自由と民主主義の十字軍」と称し、側近の一人は「キリスト教と悪魔の戦い」とまで述べた、これらの言葉に、当時の状況は如実だろう。

 イラク攻撃の口実とされた「大量破壊兵器の保有」や「国際テロ組織との連携」は事実無根だったが、フセイン政権は倒したものの、イラク国内や周辺国の宗派対立はじめ諸々の重層的な矛盾・対立に火をつけ、4千人を超える米兵と30万人に及ぶ地域住民の命を犠牲にする混乱に陥れた、ばかりでなく、「欧米キリスト教世界とイスラム世界の対立」の「気分」を世界規模に拡散して、「イスラム国(IS)」など超過激派組織も跳梁する不安定で危険な世界へと導いたことは、多くの読者が記憶するところであろう。

◆ アフガンのタリバーンとは

 その、21世紀の世界規模の不安定化に米軍が最初の一歩を踏み出した、アフガニスタンのタリバーンに移ろう。

 19世紀以来、「グレート・ゲーム」とよばれたロシアと英国の勢力圏争いや東西冷戦で揺れたこの地は、1973年、王制から共和制に移行するにあたり親ソ的な社会主義路線を採ったが、79年、国内の政争に関与するかたちでソ連が軍を進めた。
 ソ連軍が侵攻すると、各地の豪族はムジャヒディン(イスラム聖戦士)として抵抗を開始し、米国、サウジアラビア、パキスタンなどが資金・武器援助や軍事指導でこれを支え、中東や北アフリカからの義勇兵も加わって、89年、ついにソ連軍を撤退に追い込んだ。     

 ところが、その後のアフガニスタンでは、軍閥と化したムジャヒディン各派が覇権を争って戦闘を繰り広げ、混乱を極めた。このような中で、隣国パキスタンに避難してイスラム神学校で学んでいたアフガニスタンの若者の一部が、内戦の終結と秩序の回復をめざして立ち上がった。これが、アラビア語で「神学生」を意味するタリバーンである。

 94年にはじまるタリバーン運動は、当初の清新なイメージからの住民の支持と、アフガニスタンに自国寄りの政権樹立を目論むパキスタンの援助を得て、二年後には首都カブールを制圧して政権を樹立し、原理主義的なイスラム化政策を採るが、2001年、米同時多発テロを実行した国際テロ組織アルカイダを匿っているとして米英両国による軍事攻撃を受け、あっけなく崩壊した。

 国連主導で新政権が建てられたが、ところが、タリバーンは国境山岳地帯で態勢を立て直し、05年頃からゲリラ活動を再開する。劣勢に回った政府軍を駐留米軍が後押ししてきたが、いっこうに改善せぬ住民の生活や、汚職の蔓延、米軍の作戦に巻き込まれた住民の犠牲者の増加による反米感情の拡大、などを背景に、勢力を回復してきた。

 さらに、ここに、新たに活動を開始したIS分派を名乗る地元武装集団や、シリアやイラクの「領土」を失って移動してきたIS勢力も加わって、アフガニスタンにはいまや、容易ならぬ治安状況の空間が現出している。
 そこにきての米軍撤退である。

◆ 米軍去って、残るアフガン

 米軍が撤退を本格化させた4月末、タリバーンの支配地域は同国の約20%だったが、急速に勢力を拡大して、7月時点では約60%に及び、逆に政府支配地域は20%以下に縮んだ。本稿が読者の目にとまるころには状況は一層進んでいることだろう。これまでタリバーンが控えてきた各州の州都への一斉攻撃も噂されている。
 アフガン政府は半年ともつまい、というのが当の米国はじめ各国情報機関の見立てである。すでにフランスはじめ幾つかの国は自国民に退避勧告を出したり、外交施設からの外交官や職員の引き上げを実施している。

 この事態にアフガン政府は、各地の軍閥に、政府軍とともに戦おう、と呼びかけているが、これは、2000年代に国際社会が武装解除を進めた軍閥の再武装化の勧めで、90年代に軍閥が割拠し内戦を繰り返した状態への逆戻りが危惧される。

 中国やロシア、中央アジア諸国が加盟する「上海協力機構(SCO)」は、「米国こそアフガン問題の張本人。一方的に立ち去り、責任を周辺国に押しつけるのは許されない」(王毅国務委員兼外相)としながら、タリバーンの政治参加による安定化を図る方向で、地域への影響力拡大を目論んでいる。
 これは、中国は国境を接する新疆ウイグル自治区への、ロシアは中央アジアやロシア南部チェチェン共和国への、ともに火種を抱える地域へのイスラム勢力の浸透を懸念してでもある。

 米軍の撤退は、近年の米国のシェールガス革命によって石油資源の中東依存度が低下したことに加え、中国を「最大の脅威」と見做す戦略から、米軍の比重を中東からアジア太平洋地域へ移すことが背景にある。
 通訳などで米軍に協力していた故に、撤退後のタリバーンの報復に怯えるアフガン人たちの国外退避も順調に進んではいない。

 「米史上最長の戦争を終わらせる」「タリバーンとの戦争に戻るより、我々は現在および将来の課題に向き合う必要がある」というのがバイデン政権の言だが、「国を壊して、去るのか」が大方のアフガニスタン住民の思いのようだ。
 2千人を超える米兵と5万人に及ぶ地元住民の命を犠牲にしたアフガン侵攻・関与だったが、20年前、「パンドラの箱」を開いた混乱が収まる日はまだまだ遠い。

[追記。アフガン情勢は予想を超えた速さで進み、8月15日、大統領が国外脱出して政権崩壊、タリバーンが首都を掌握した]

 (元桜美林大学教授、『オルタ広場』編集委員)

(2021.08.20)
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