■笑える幼稚と笑えぬ錯乱――森喜郎と小泉純一郎 西村 徹
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大和當麻竹内の長尾の辺りから二上の山を望む眺めは世界一、というのが司馬遼太郎お気に入りの科白で、その著書のあちこちで私がお目にかかったのも両三度に止まらぬ。「世界一」を必ず添えるときの、そのちょっとした茶目っ気、口にする前から破顔一笑を抑えかねる気配に、こちらもおもわず顔をほころばせて熱く納得する気に誘われるのは、その人柄によるだけでなく、客観的にも十分に妥当なことのように思う。二上を脊にした堂塔のたたずまいは言うに及ばず、その東裾に群聚する當麻の里には今は稀少となった大和棟の屋根が、なお散見されるのもうれしい。
集落全体がほとんど昔ながらのどっしりした家構えを留めているのは、當麻に貧農なしといわれる土地柄ゆえ、安普請の家が少なくて建替えを迫られずに来たせいでもあろうか。なるほど「世界一」ではある。こういうお国自慢、いわば民族主義のもっとも萌芽的な原型は、人の素朴自然の情として素直に受け入れることのできる感情であるだろう。故郷を持つ誰にせよ、濃淡の差はあれ、その胸の内にはそれぞれの「世界一」があるだろうと思う。
さて二上といえば、彼岸の中日に三輪に昇る朝日を迎え二上に沈む落日に弥陀の来迎を観想する習いが広く知られるところながら、かたや當麻寺から真東に6キロほど、竹内街道の行き着くところに三輪山、そしてその東4キロあまり初瀬川に沿って進めば長谷寺があり、いずれも桜井市に含まれる。桜井に生まれ育った保田與重郎もまた、ひたぶるに、縷々三輪と長谷寺に寄せる思いを語る。
「三輪山から長谷寺へつづく山脈は、今でも美観少しも損じてゐない。三輪山の全山をおほふ松の木の種子が、長谷の谷の北側の植林を防げたのは、美観からいへば幸ひだった」(『大和長谷寺』1966年)と言い、四十年近くを経た今も幸い左程大きく変わっていない。
角栄の群小クローンたちによって無残に破壊され、美田見る影もない「ウマシ」国原ではあるが、ここまで来るとさすが大阪からもなにほどか遠く、東山中に入り込むので破壊しようにも破壊すべき「物件」は乏しく、こちらの赤松は黒松のようにはマツクイムシがつかぬこともあってであろうか。また赤松は、より明るくもある。これは保田にとっての「世界一」であるだろう。
ここまでは国原(クンナカ)の東西それぞれを代表するものとして保田と司馬、両者いずれも、その心は等価的に寿ぐべき民族主義であるだろう。保田によれば国土(クニ)は元々土地(ツチ)と同義であった(『日本の文學史』1971年)。民族主義はひたすら土地を繞るものであって近代の国民国家とは無縁である。ただ、加えて、保田は東の「たたなずく青垣」の、つまりは天孫族侵襲以前のイズモ族のうちミワ族の生活圏の、西方カモ族のそれに対する優位に言い及ぶ。
「長谷は谷ふかいが山ふかいとはいはれ得ない」と言い、さらには當麻寺について「世上と歴史上の信仰で、東にくらべて幅の狭く浅いのは、山も谷も浅かったし、自然の美しさでも劣った、さらに歴史の古さにおいて比すべくもなく…」とも言う。長谷寺について一冊の本を書くについてはここまで踏み込んで無理からぬところではあるが、そして景観の比較については十分に肯うこともできることではあるが、歴史、信仰にまで言い及ぶ辺りには、聊かの言わでもの稚気がその口吻に漂う。稚気かならずしも無碍に斥けるべきものでなくて、やがては客気となり発酵して浪漫主義を育てる尊い酵母ではあろう。
ありていに言えば日本浪漫派そのものが、それを評価するにせよ批判するにせよ、それはその神話に通うひたぶるなる稚気にこそ向かうものであり、そこにその魅力の秘密はあるともいえよう。その限りにおいて私も、その高貴の稚気には身を傾けて感情移入し得るところ、むしろこのごろ次第に大きい。
しかしこの種勇み肌のクニ自慢は日本の島のうちに限るべきもののようにある。島のうちならば笑いを誘うか、せいぜいが苦笑を呼ぶのみですむ。たとえば国原(クンナカ)と山中(サンチュウ)とは進んで通婚する。異なる気風の交配のためと聞く。それが下地にあって互いの疎外対立の隔たりは中和される。夫婦間でのクニ自慢はたとえ諍いの種にはなっても座興の戯言、犬も食わない。それがいったん島の外、海の向こうに持ち出されると犬が食うどころでは収まらなくなる。
国と国とのこととなれば稚気は稚気のままではユーモアとして立ちゆかぬから、ともかくも制御されねばならぬ。たとえ子供同士が稚気丸出しではしゃいでも大人がその尻馬に乗るような愚は金輪際慎まねばならぬ。それが国と国との味気なくもあるが外交というものであろう。そのいろはがこの国の大人つまりは為政者には目だって欠けているように思えて心もとない。尻馬に乗るのは幼稚よりも格段品下って下種となる。
さきに森喜郎という総理が神主の集まりで「日本は神の国」と言って袋叩きに遇った。神主にゴマをすったという点で下種でなくはなかったが、かくべつ外交上の危機を呼ぶようなものではなかった。バカオヤジがまたバカを言ったと内輪で家族が鼻を曲げるほどのことに過ぎぬと私は思った。「神々の国」とでも言っておけば言い逃れも立つほどの他愛もないもので、それゆえこれを笑うことが笑う側の優越感を掻き立てることになって大いに笑った。仮に外国のジャーナリストが取り上げるとしても、それは憫笑に止まろう。
ともかくそれは国のうちでの茶番に過ぎぬものであった。だから笑えた。
しかし、このところの一連の反日騒ぎ、それに反撥するこの国の大衆感情を回っての、総理ほかの夜郎自大の反応、しかも政策上チャランポランの錯乱ぶりは一見幼稚とも見えるが、高貴の幼稚からは天地を隔てる陋劣、とても「幼児性」などといって片付く程度でない。アジアの諸国には肩そびやかし、その裏ではアメリカの、その最も暴慢無道な部分に身も世もあらず揉み手して擦り寄る態度は、まさに下種の最たるものというほかない。
ここでW.M.Thackerayの次の言葉を思い出す。
「俗物とは浅ましきことどもを浅ましく崇める者のこと」
(he who meanly admires mean things is a Snob)。
「浅ましきこと」とは「浮世の見掛け倒し」(the showy things of the world)、例えば「閣僚の地位」(secretaryship)などであるともThackerayは言う。1848年これが載ったPunchには、梯子の中段のSnobが上段の男の靴に接吻し下段の男の頭を踏んでいる絵があったと思う。正に日本国総理は中段のSnob、国を売りアジアの平和を乱してまでも、それでも「大勲位」などという浅ましきものを欲するのであろうか。志において、なんと高貴の稚気の香気から遠いことか。森の幼稚は笑えた。小泉の錯乱は到底笑えぬ。
(筆者は大阪女子大学名誉教授)