【視点】

立憲民主党は鳩山、菅、野田3政権の失敗に何を学ぶか

栗原 猛

 旧友からくるメールには、政治や経済の現状を憂い、政権の交代を期待するものが増えている。衆院3補選、静岡知事選の立憲民主党の勝利は梅雨の厚い雲間から少し薄日が差したかなというところで、まだ自民党の敵失のお陰という感じだ。ただしこの機会にこそ建設的な政策論議を盛り上げて、返り血を浴びるぐらいの覚悟で、政治や経済、行政の立て直しにぶつかってほしいところだ。
 立憲民主党も自民党総裁選挙の行われる9月に代表戦があり、泉健太氏が再選されるのかという課題もあるが、立憲の前身、民主党が政権を奪取した2009年の総選挙前には党を挙げて「マニフェスト」(選挙公約)を作り、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは、時代を先取りしたと評判になった。      
 本来なら政権構想を打ち出してよい時期だが、立憲の前身である民主党の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦三代の政権が期待されながら、なぜわずか3年3カ月で崩壊したのか、失敗の本質を点検しておくことが大事だ。
 
■「308議席、支持率70%」(2009年) 
 
 政権が時々、入れ替わることは議会制民主主義の原点といわれる。交代はこれまでとは違った立場の意見が、政治や行政に反映され、長い間にできていた利権や人脈、既得権などを遮断することになる。また新しい政権が多くの国民の支持を得ることは、官僚機構などの抵抗を排除するためにも欠かせない。したがって近代政治では政権交代は原点とされる。
 2009年8月30日、総選挙の結果、民主党は308議席、支持率70%、議席占有率は64.2%に達した。1政党が獲得した議席・議席占有率も、現憲法下の選挙では一番多い。自民党は公示前より181議席減らし119議席となった。政権交代への期待がいかに大きかったかがうかがえる。この結果、民主党は社民、国民新党との連立を組み、党首の鳩山由紀夫氏が首相に就任する。日本の議会制度上初めての政権交代となった。
 鳩山内閣は基本方針の中で、国民の政治へのやりきれないような不信感、政治・行政の機能不全とそれに対する強い怒りが、高い投票率になって政権交代を求めたと分析。公共事業重視の政治の脱却、子供手当の導入や公立学校の無償化、高速道路の無料化などを掲げた。
 鳩山政権は大臣、副大臣、大臣政務官が中心となった各省縦割りではなく、効率化優先の官邸主導を打ち出した。安倍晋三政権のトップダウン型に似ているが、期限は民主党政権が軌道に乗るまでとし、情報公開は徹底すると約束した。

 話題になったのは、税金の無駄遣いをチェックのために取り組んだ事業仕分けだ。公開の場で有識者が官僚に詰問することで、ムダを排除しようとした。期待されたほど削減額は多くはなかったが、一回ではなく何年か続けていたら、もっと成果は上がっていたといわれる。
 鳩山氏は「宇宙人」の異名があり、突然方針を変えたりした。沖縄の普天間基地の移転にこだわったが、米側との粘り強い交渉力に欠け、沖縄の期待にも調整が進まず結局、断念に追い込まれた。一方で鳩山氏と小沢一郎幹事長の政治とカネの問題が浮上、自民党の攻撃材料になり、鳩山、小沢両氏ともに辞任する。
 政権を目指すならば、政治とカネの問題は普段から十分注意が肝心だ。また政府、自民党を追及するのは得意でも、防戦になるともろさを露呈した。
 
■菅、野田政権は「消費税」で崩壊早める
 
 鳩山政権を継いだ菅直人首相は、市民運動家出身と異色だった。菅氏は1997年に18年ぶりに政権奪還を果たした英国の労働党政権であるブレア政権を研究した。菅氏の著書の「大臣」によると、官僚機構のコントロールを学んだという。
 菅氏は参院選の直前に「消費税率を自民党が提案している10%にという数字を参考にさせていただきたい」と発言した。同党は消費税について、「衆院議員任期中に増税はしない」と約束していたことから、この発言は党内外に波紋を広げ、すぐに言い換えたがかえって不信感となり、結局、参院選は惨敗となった。

 税と選挙の関係をみると、橋本龍太郎首相が1998年7月の参院選で、自民党の勝利間違いなしという予測もあって、選挙戦終盤に増税の可能性をちらつかせた。注意を受けてあわてて修正したが、すでに遅しで結果は、改選議席61に対して44議席しか確保できず大敗、橋本政権は退陣する。当時、自民党内では「橋本政権は財政や金融改革を打ち出していたので、大蔵省(現財務省)から甘言の一服を盛られて、気が緩んだのではないか」と、言われた。税と選挙は微妙な関係にあることを熟知していることも大事である。
 東日本大震災と、福島第一原子力発電所のメルトダウンの対応では、たとえ自民党政権でも混乱したと思われるが、こうした事態に備えて日ごろから危機管理に対応する仕組みを作っておくことも欠かせない。
 菅政権を引き継いだ野田佳彦政権も、税への対応で求心力を落とした。野田氏は、野党では珍しく自民党をはじめ官僚機構との人脈があり、調整を得意とした。また国家戦略会議では安定成長戦略や経済成長戦略を作っており、社会保障と税の一体改革を打ち出し、消費税を段階的に上げていくことに前向きだった。
 
■「執着心」と「チームワーク」が2課題
 
 これに対して小沢一郎氏のグループは、マニフェストの柱に掲げている「税の無駄遣排除」に反するとして反発、執行部の調整不足もあって、「生活が第一」を掲げて離党した。
 本来なら行政改革に取り組んで、鳩山政権以来緩んだ民主党政権の基盤を固め直してから、税に取り組むべきだったと思われる。それがなかったので、党内には「財務省に丸め込まれたのではないか」と疑心暗鬼を生んだ。尖閣諸島問題では中国の軟化を期待して国有化をしたが、中国側の強烈な反発を招き、外交的には失敗だったといわれる。
 また野田氏は自民党総裁の安倍晋三氏との党首討論で、11月16日の解散を宣言し、総選挙では2009年の308議席から一気に57議席へと激減した。

 当時、自民党のある長老議員は、「権力者の立場にいたら権力の土台を壊すまでけんかをしてはいけない。民主党は土台を壊すまでけんかをしてしまった」といった。別の幹部は「民主党は自民党や政府を批判するのは得意だが、批判されると途端にガタガタになり、政権に対する執着心が足りなかったのではないか」といっている。
 1994年6月、自民党は不倶戴天の敵とされてきた社会党の村山富市員長を首相に担いでまで政権に復帰している。政権構想ももとより大事だが政権に対する執着心とか忍耐力、チームワークなど、党の足元を鍛え直すことも欠かせないのではないか。
  以上

(2024.6.20)
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