■安倍政権と「アベノミクス」の位置 ― 私たちが向き合う時代の課題 ―            井上 定彦


1.「アベノミクス」と安倍政権

■安倍政権と「アベノミクス」の登場

このところ安倍政権への高い世論支持率は、小泉政権のときに匹敵するもの
で、この時点での東京都議選と1か月後にひかえた参議院選挙での自民党の大勝
はゆるがないようにもみえる。 そして、このような勢いはここのところは「ア
ベノミクス」の成功に大きく負っているようだ。

「アベノミクス」の「第一の矢」の金融政策は、制度的には日銀黒田総裁の4
月はじめの着任、「2年で物価を2%、マネタリーベースを2倍に引き上げる」
(それに伴う「円安」も狙い)という「異次元」の超金融緩和策だった。

けれども、すでに安倍政権の登場を見越して昨年12月からこの4月はじめまで
の間に、内外のファンド等をはじめとする金融勢力をはじめ日本の金融市場に大
きく資金を動かして平均株価の8割方も上昇させ、金融資産やその含み益増大で
主要企業の収益も大幅な改善を見込むところになった。

「デフレ脱却・円高基調を円安にする」という早期からの安倍政権のアナウス
メント効果は米景気の底入れ・回復傾向にもささえられて、異常に早いスピード
で株価上昇と金融市場の拡張をもたらした。日本の株式市場の取引量の世界シェ
アも短期間に上がることとなった。

黒田総裁の着任当初は、およそ参議院選挙ころまでは「黒田バズーカ砲」によ
る高株価が続くだろうとする向きが多かった。しかし、わずか2か月たらずで5月
下旬から株式市場と金融資産市場の変調がはやくも生じた。いったん日経平均株
価で1万6000円にまで迫ろうという勢いだった株価は、6月10日過ぎには13000円
台を割り込み、すでに2割強も下げつつで日々の乱高下もはげしい。

6月中旬に公表された「第三の矢」の「成長政策」については当初からあまり
期待するものはいなかったようだ。そこで安倍政権は、法人税下げなど参議院選
挙前にして、さらなる政策の追加を金融市場から督促されることになっている。

「アベノミクス」で経済が好調のように伝えられているが、実体経済としてみ
ればそうはいえず、金融市場の活況に対して、実体経済は生産・投資・雇用とも
にようやく低下が止まり、在庫の減少傾向と一部高級品の好調がみられるなど
「回復の兆し」が表れはじめた、という程度のところである。金融商品に関わる
一部の人々の熱狂的支持を除き、安倍首相のリップ・サービスとマスコミの好調
をはやす報道にもかかわらず、私たちにとっては賃金上昇があったわけではなく
生活改善の実感はないというのが実際のところだ。

■「バブル循環」の懸念は?

この二十年余、世界において金融経済と実体経済が乖離したうえ金融経済が独
自の仕方で巨大化し、本来は実体経済を仲介・媒介していたはずの金融経済が実
体経済を振り回すようになってきたという指摘はしばしばなされている。そこで
金融経済が主導する「バブル拡張」と「バブル崩壊」のサイクルを引き起こす
「バブル循環」が世界のいずれかの地域(と世界同時を含めて) でおおよそ平均
で3~4年の周期で起きるようになってきていた。

しかしながら、安倍政権はむろんそれとは別に、今回の一連の大胆な手法「円
安・リフレ」策で日本の「失われた二十年」という長期停滞の経済成長率のトレ
ンド線をいっきょに上方に移行させることをめざすという「大変な実験」(吉川
洋氏)を行おうとしていることになる。

今度こそ過去20年におよぶ経済停滞を脱し、革新的投資の盛り上がりと雇用拡
大・賃金上昇を見込みたいと思う(善意の)「期待」が世の中にあるのはわか
る。しかし、いまのところそうした楽観説を裏付ける経済統計データ・根拠は乏
しい。

この秋にいたる間で「アベノミクス」による景気回復への大きな期待はしぼん
でゆく公算の方が大きいようだ。しかし、それはそれでも対応できると政権筋は
考えているのかもしれない。

私たちは、安倍政権というのは必ずしも「アベノミクス」を中心に勝負してい
るわけではなく、参議院選挙でかなりの勝利をしたうえで、ようやく本番ともい
える憲法問題をはじめ自民党のもとの政権公約(マニュフェスト) にそった強力
なキャンペーンを展開してゆくだろうことを注意すべきだろう。参議院選挙に勝
利したとなれば、憲法96条の改正についても国民から理解された、ということも
できるからである。

ともかくも、「アベノミクス」は本格的長期保守政権を登場させる第一段階で
の政権浮上策、つまりこの政権の最初のステップにすぎないのかもしれないと考
えておいたほうがよさそうである。

■「アベノミクス」への内外の評価

「アベノミクス」についての評価は、最初から国内と国外でかなり食い違って
いたという印象がある。昨年末の安倍政権の登場で、国内は殆どのジャーナリズ
ムを含めて、これで「デフレ」は止まり、経済停滞を脱するのではないか、円安
で株価は急上昇しているのだからとの「期待」が一挙に膨らむこととなった。

約20年余にわたる長期経済停滞というのは、近年の民主党政権になってからと
いうのではなく、さきの第一期の安倍政権を含めて、自民党主導の経済政策がす
すめられてきた時期とも重なっている。たしかに1980年代までの実績にたいして
みると、大停滞が続いたともいえるが、いわゆる生産性の伸び・労働投入量のト
レンド(いわゆる潜在成長率) からみて極端に低かったとはいいにくい。

日本経済は成熟段階に入り、東アジア諸国の追いつき、日本企業のグローバル
化によって次第に減速してきていたという面がある。最近来訪したスティグリッ
ツ氏(浜田氏にお囃子方を頼まれた?)も内閣府のフォーラムでもそのことにつ
いて言及している。こうした傾向を一挙に転換できるというのならば、前安倍政
権のときにでもやれたはずなのに、と普通に考えてもおかしくない。

しかし、今回の「アベノミクス」なるものはそのような「期待」(幻想を含め
て)を高めるための新たな装いであったのかもしれない。かりにちょっとした短
期の資産バブルに終わってしまう可能性があるかもしれないとしても、世論に影
響をあたえるジャーナリズムへの「心理戦」、コミュニケーション行為として考
えていたとしても不思議はない。

たとえば、イギリスの保守系経済専門誌「エコノミスト」は、まず黒田総裁の
登場のときには(4月12~19日号) 、Revolution in the air つまり「空中( 宙
の) の革命」でアベは「非正統的な金融政策の実験で日本の救世主になるか、破
滅へ導くのかこの数か月の安倍の行動にかかる」とみて、「日銀は洪水防止の
門・水門を開けてしまった」と皮肉った。さらに5月18~24日号では「空を飛ん
でいるのは、小鳥か、飛行機か、いや日本だ」(つまりいずれ落ちる)という表
紙をつけたうえで、品悪くも景気のよいのは某風俗業界の「特別サービス料」が
目立つくらいで「アワのミックス」かもね、と辛辣だ。

そういう見方からすれば、5月下旬からの外国人投資家の日本買いと「売り」
にあわせて株式市場の乱調が生ずるのは自然なこととみていたのかもしれない。
ヘッジファンドは今回のアベノミクスの実験のようにリスクの殆どない「買いど
き」そして「売りどき」を充分準備し見定めてきているということだ。

日本国内企業の資産運用にあたるものや国内投資家の多くも、この6か月の
間、外国人ヘッジファンドが日本株・金融商品の買越しをつづけているとき、か
つての「リーマン・ショック」時の損失をとりもどすための利益確定売りにつと
めたという。すなわち、「アベノミクス」はまずは国内の金融資産市場での「ミ
ニ・バブル」を起こし、「世論」と高支持率を獲得して都議選・参議院選挙にな
だれこむ、というプラグマティズムで、すでに目的の大半を達したことになるの
ではないか。

2.「アベノミクス」というプラグマティズム

■「アベノミクス」は政策体系なのか?

そもそも「三本の矢」と「アベノミクス」というと、なにか本格的なものにも
聞こえるが、その「理論」と根拠はあるのだろうか。本当に系統性ある認識をふ
まえ、系統性ある体系なのか。それとも高支持率を自己目的とした当面のさまざ
まなそれまでの政策を組み合わせたプラグマティクなものとして「命名」したも
のなのか。

第一の矢の「非正統的金融政策 超量的緩和」の効果と限界は前述の通りで、
すでに先行き不透明というか、本来の目的に達すると断定するものは殆どいない
ようだ。第二の矢とされる財政政策は「15か月予算」という名目で、もとの自民
党のお家芸・公共事業を中心とした10兆円規模の積み増し、そして第三の矢の
「成長政策」は、この公共事業を国土強靱化法案でさらに継続することや、「イ
ンフレ目標」達成を前提としてはじいた10年後には一人当たり国民総所得の150
万円増、基礎的財政収支の赤字を2020年には黒字化する、という名目的な数字だ
けだ。

政権の実行能力、財政の健全度はこれからいかに、として世界が注目する前政
権交代時の約束である「消費税上げ」についてはいまは明言をさけ、「中期財政
計画を早期につくる」と逃げている。

従って、これらをみると、これはどうもかつてのようなケインジアンかマネタ
リストか、というような経済政策の議論の立て方とは「異次元」であることは間
違いない。財政については旧自民型の利権配分の「ケインズ政策」、金融政策に
ついてはもはや「ゼロ金利」で金利操作によるケインズ型金融政策がとりにくい
わけだから世界ではじめての(これまではインフレ抑制対策に使われたことはあ
るが)物価引上げをめざすマネタリスト型の量的緩和政策(だから「非正統的」
という名が冠せられるている)ということになる。

既存理論での整理はどちらでよいとしても、これが現実の経済を動かしてゆく
時に、現状の困難を正確に把握し、系統性ある展開を行うことになるのかどうか
というのが、私たちの普通の関心事である。経済は経済の論理なりの、社会改革
はその現実とニーズにそった系統性や持続可能性ある政策がもとめられるもので
あり、もしもそうでないとすれば、その後日ならずして混乱を増幅するマイナス
の結果となるからである。

経済であれば「山高ければ、谷深し」、もともとそんなものなのだから、よー
し、いまのところは「山高し」でゆこう、あとはあとで。このように政治や政権
が考えるはずはない、と普通の市民は思っているのであるが・・・。

■安倍政権の政策手順とプラグマティズム

安倍政権は経済のほかにも多くの分野に「意欲的」な政策を打ち出そうとして
いる。教育政策への介入(教育委員会の自主性の制限)、流通・情報産業の規制
緩和、TPPへの参加、原発再稼働とエネルギー再編の先送り、オスプレイの沖
縄配備の肯定、柔らかな対中包囲網の先峰役にも乗り出している。

また、同時に「円安」による既存産業の保護(産業構造転換・未来につながる
高度化を遅らす懸念もある)と売り込み(原発など)など手広く布石していって
いる。前民主党政権で「懲りた」と感じてきた各省官僚群をはじめ、乗り損なっ
ていた産業界・大企業のロビイストを含む知識を大動員して、政権と権力保持を
自己目的としてプラグマティクに生かしつつあるといってもよい。

民主党政権の「遺産」についても、すべてなげすてるのではなく、ある程度受
け継いでいる面もある。子供への手当て、女性の就労支援策、高校授業料の公費
負担(一部所得制限を入れたが)、障がい者支援法など。また、先の小泉内閣が
「構造改革」で格差社会をひろげたことへの反発を考慮したのか、「市場は時と
して暴走する」とか、「日本型資本主義」を擁護する見解のものも配置しておく
など、周到なところもある。

安倍首相はある記者会見で、前回の政権のときの失敗はすべての政策をいっき
ょに全部やろうとしたことで、今回は手順と優先順位を重視している、とのべて
いた。 参議院選挙後はまだ3年余の任期を残すことになり、今度ばかりは何段
かのかまえで臨むつもりでいることはたしかであろう。

3.なぜ長期経済停滞・デフレ経済が続いているのか

■なぜ日本のみ賃金が著しく下がり続けるのか

現在のデフレと停滞の原因には賃金デフレが関わっているとの見方について
は、(構造改革論者とは違って)安倍首相はすくなくとも部分的には理解してい
るようだ。春季賃金交渉に先立って賃金上昇が必要だとか、財界に賃上げやボー
ナス引上げをうながしたりするという歴代保守政権にはなかった行動をとった。

ただ、これは良くいって「モラル・サポート」悪くいえば「リップ・サービ
ス」にとどまるという批判はある。内閣として本気ならば公務員の人事院勧告の
完全実施(民主党政権とは違って)、官製ワーキング・プアへの措置などについ
て、「使用者として政府」の権限としてできることがあるわけだが、それには手
をつけようとはしない。

この10年あまり、デフレが顕著で、主要先進諸国でも賃金上昇率の低下が目立
つものの賃金水準自体が顕著に下落している、というのは日本だけである。

「デフレと経済停滞」をどうみるかについては、岩田規久男氏や浜田宏一氏の
ような今回の量的緩和推進論者での議論以外には、以下のするどくかつ説得的と
思われるものがある。吉川洋氏は『デフレーション』(2013年) で、量的緩和推
進論者のクルーグマン氏のモデルをとりあげ批判し、「日本経済の問題は、不確
実性の異常な高まりの中で弾力性が低下し、政策が無効になる『不確実性のわ
な』に経済が陥ったことにある」(147頁) 、日本経済の「デフレ体質」化がそこ
にかかわっているとする。

※「利子率が変わったとき日本経済のマクロの系の反応の仕方が欧米とはちが
う。」 筆者なりに解釈すれば、日銀が今回のように比較的長期の国債購入で長
期金利引下げに影響をあたえ投資・消費の活発化を期待しても単純には行動が変
化しないようなミクロ主体になってしまっているという意味でもあろう。

経済主体のひとつは消費者であり、また企業でもある。消費者・雇用労働者に
とっての所得である賃金について「いったん陥ったデフレから脱却するのは簡単
ではない。『期待』を変えればそれで解決、というほど簡単ではない。そうした
デフレに陥った原因は・・・・・バブル崩壊後の不況と国際競争の中で大企業に
おける雇用制度が大きく変わり、名目賃金が下がり始めたことである」(193頁)
とする。

これをさらに鈴木不二一氏は「企業内および企業間の格差拡大に歯止めをかけ
てきた春闘メカニズムが希釈化されてきたこと」、また「長期化するデフレ経済
の背景にはこのような「賃金の下方粘着性」(引用者注「下方硬直性」とは言っ
ていないことに注意)ともよぶべき構造化した賃金デフレが存在している」とし
ている。

■日本型経営の行動パターンの変化 投資抑制のメカニズム

また企業の行動様式の変化に着目すると、多くの大企業部門では社内留保が大
変に潤沢になってきて久しいのに、新たな成長分野・投資に乗り出そうとしない
「投資抑制メカニズム」が働いている、という指摘がある。

企業はリスクのある中長期的な技術革新投資をするよりも、株価重視の財務資
産運用部門の視点が優先となり、まずは(人件費=賃金抑制などで) 社内留保の
拡大をめざす(あるいは買収をさけるためにも) 。技術が必要ならば自前で開発
するリスクをとるよりも(つまり設備投資などの自前の積極型経営をするより
も)そうした企業を買収すればよい(ホールディング・カンパニーをもつように
なったところも多い)。

※こうした適格な指摘は、橘川武郎氏の論考や金子勝「バブル循環と劇場型政
治」(『世界』2013年7月号)でもなされている。

4.私たちはいかなる「時代の課題」に向き合っているのか

 私たち日本人はいかなる時代の課題に向き合っているのか。むろん、デフレと
経済停滞も重要なひとつの柱である。けれども、なぜに日本の人々や企業の行動
パターンが「デフレ体質」になってしまい容易にそこからは抜け出せないように
なっているのか、が問題である。ここには「リーマン・ショック」前後からのグ
ローバル金融資本主義のような世界に共通する要因もあるが、さきにみた「なぜ
日本がより深刻なデフレと停滞を続けているのか」の日本的特質について考えざ
るをえない。

それは日本が著しい「少子高齢社会」となり、人口減少社会に入っているから
だという指摘がある。そうした側面を否定はできないが、その直接的要因である
「晩婚化」「非婚化」について、若者層の4割をこえるような「ワーキング・プ
ア」、ニート層が関わっていることを見逃すわけにはいかない。また運よく正規
社員になったものの長時間残業・激務はつとに世界で有名である。

日本社会の将来(自分のことをを含めて) についてのイメージに関するアンケ
ート調査をみても、「未来はもっと暗くなる」という回答をよせる比率も上がり
続けている。つまり、「晩婚化」「非婚化」は若者文化の流行であるから、とは
いえないのではないか。そこには貧困と格差の深い広がりという社会の大きな課
題がある。

日本が高度成長をへて到達したいわゆる「先進国」所得水準グループに分類さ
れるようなってから久しいが、人々の日常の「くらし」での不安、懸念、不安定
は少なくなるどころか、この20年はますます不安は強まっているという現実があ
るようだ。

それは雇用の不安定性(下向移動が大半の雇用流動性の高まり) 、どこまでも
高卒初任給水準にひきよせられる賃金の「下方粘着性」、家族・パートナーそし
てコミュニティ関係の「脆弱化」、保護者の所得水準・社会階層にますます依存
するようなった教育機会ということがしばしば指摘される。それは、かつての大
半の企業が志向した「長期安定雇用」のもとで、会社が手がけていた従業員の系
統的な処遇・人事配置と生涯にわたる人間的能力開発の衰退とも関わっている。

いまや、かつてはよくいわれたのだが、学校教育はともかく日本の「最大の教
育機関は企業である」との見方は殆ど聞かれなくなってしまった。これらは、
1960年代から1990年代半ばにかけて日本社会が世界に誇れるような「平等・安定
社会」をもたらすうえでの社会と企業のコアの構造でもあった(それを日本の相
対的に高い成長率とマイルド・インフレという「レジーム」であったというもの
もいる。そして「レジーム・チェンジ」が起こってしまった) 。

これを単純に誰かのせいにすることもできないことだと思う。つまり日本の社
会経済が近代化の途上に浮上してきたとき、市場経済の変動への社会の対処、家
族構造の変化(家族規模の縮小、少子化、シングルズ化など) への対応、都市コ
ミュニティの形成力・自治力の発達の遅れなどの新たな根本課題をつきつけられ
てきた。そのとき、それに対して立ち向かってゆく系統的な対応力を社会が育て
る力が不十分であったという現実があるのではないか。

近代の社会構造の展開にそって、地域公共サービスや社会保障による「公助」
と「共助」の仕組みを支援する政策体系が必要である。それはそのニーズの巨大
化に対してみれば、未だ発展途上半ばにあると思う(介護社会保険制度の導入や
分権化による地域福祉計画の新展開にもかかわらず) 。こうした点はしばしば
100年近くをかけて整備してきた北欧諸国の制度的対応と対比して語ることがで
きる。

日本では近年は社会的要請であるはずの「公助」と「共助」の制度的保障の定
着の代わりに、「自助」を一面的に強調する「ネオ・リベラル」ないし「リバー
タリアン」のイデオロギーがジャーナリズム、企業エリート層に深く浸透してき
た。いまだ根強い「構造改革」論はその一つである。この小泉型改革が格差社会
を深めたとの批判が「国民生活を優先させる政権を」と訴えた民主党政権実現の
大きな背景となった。

民主党政権はその一部を手がけ、今回の安倍政権もそのかなりの部分を引き継
ぐことにはなってはいるが、格差と貧困の蔓延、人々の「底辺へ向けての競
争」、分厚い中間層ならぬ分厚い底辺層がますます大きくなっている現実があ
る。このようないまだ進みつつある社会分解の「慣性」法則をつくがえすのはた
やすくはない。

近代社会の「負」の側面の拡張、高い自殺率、孤独死、シングルペアレンツの
貧困、子どもの貧困、犯罪の多発と日常化、離婚・非婚、コミュニティの「砂状
化」の急進展、ということに対応するのは、政権・政党をはじめ日本社会が全力
で取り組むべき課題である。現在と将来の「くらし」への不安こそが、これまで
高かった「貯蓄率」と消費抑制の原因であったし、過去10年下がり続けている賃
金、「破れ」のひどい社会保障と共に「デフレと停滞」の基本原因であったとい
う真実を直視すべきである。

社会基盤がしっかりしていなければ、経済からいえば「底固い安定的な市場」
である国内消費・社会消費がおさえられ、いたずらに企業の内部留保が拡大し、
金融資産市場のみが拡張して、(消費性向のひくい) 富裕層に富が集積してしま
う。人々が日々実感している「くらしにくさ」という明瞭な現実が「デフレと停
滞」の原因なのだという指摘をする真の識者もいるのだ。

※宮本太郎『生活保障』岩波新書、駒村康平『大貧困社会』角川新書
神野直彦・金子勝『失われた30年 逆転への最後の提言』NHK出版新書

すなわち、現代の日本社会が求めている基本課題は、危機の様相を増しつつあ
る社会への骨太の「社会政策」こそが経済政策の出発点になるということであ
る。社会政策と経済政策の統合と言い換えてもよい。経済政策と景気浮揚がまず
先行すべきだということではないのではないか。

そして、この日本の「くらし」の不安と不安定、社会と経済の停滞と下降のメ
カニズムに巻き込まれている日本社会の危機の根源は、たんにグローバリズムの
進展という「外発的」なものではない、国際情勢の変化のせいにすることはでき
ない、と思う。近代化してゆく日本社会で不可避的に生ずる基本課題に立ち向か
う力、構想力を含む市民力(国民力)、自前の「内発力」に関わるのである。

このような社会の危機や社会の持続可能性を直視し、これに立ち向かうこと。
これは本来的には政党や政権の基本課題である。そこではこのような困難を日常
的に引き受け担う数千、数万、数十万の社会的に鍛えられた人びと、社会の困難
に立ち向かう「高い大きな理念」に支えられ、人生を過ごそうとする社会運動
家、事業家達が、社会で政治家として選びだされてゆかねばならない。

したがって、およそ政党の「マニュフェスト」なるものは、短期目標(数値目
標含め)だけでなく、中長期の手順を示しつつ、そこにつらぬく鋭い現実的な認
識力と、めざすべき高い理念を人々が共有してゆくようなものとしてゆかなけれ
ばならないと思う。 アベの「ミックス」型の政策はそのような社会的要請から
みれば、大きく隔たったものにしかみえない。

むすび

「アベノミクス」を生み出した日本経済の現状と困難は、いうまでもなく日本
だけではなく現代世界の課題でもある。現代は、よくいわれるようにかつての
「大不況」(1930年代の) に匹敵する「リーマン・ショック」後の「大停滞」の
なかにおかれているにもかかわらず、その失敗の教訓を殆ど生かそうとしていな
い。
ここには、20世紀型の世界システムが、次第に「Gゼロ」の世界へと移行しつ
つあるという「長い過渡期」のなかにあることにも関わっているのかもしれない。

現代の資本主義は、今度こそ本当にグローバル(金融)資本主義の段階に到達
した、といえるのではないかと思う。世界的に張り巡らされた「サプライ・チェ
ーン・マネージメント」と情報技術革新は、私たちがこれまで基本的に頼らざる
をえなかった「国民国家」の境域を大きく越え出て、「グローバル企業」群(世
界の知的エリート層の多くを組織成員としつつ影響力を政治の中枢にも浸透させ
ている)を事実上の権力の中心にまで押し上げつつある。

「資本」として「自己増殖」せざるをえない企業の本性は、たんに経済的リー
ダーシップだけでなく知的・道徳的ヘゲモニーへと影響力をひろげている。それ
が、リーマン・ショック前後の世界資本主義の行き詰まりが明らかになった中に
おいても、依然として「新自由主義」思考が主流の座からおりる様子はない背景
であろう(日・米・欧だけでなく中国などの新興国においても)。

そのなかにおいては、G8を拡大したG20で対応できることはたとえわずか
であろうとも、そうした国際レベルの活動は(国連と同様に)意味あるものとな
るかもしれないし(タックス・ヘイブンの規制)、ますます意味あるものにして
ゆかなければならない。

私たちは日常的には「家族機能」や「地域」という「コミュニティ」力を高め
つつ「日本社会という(疑似的)コミュニティ」の力を生かし系統的な社会改革
を積み上げてゆくことも求められている。資本主義が民主主義をおびやかすので
はなく、民主制が市場経済をよりよいものへと機能させるようにする、それが必
要であることを、いま改めて実感せざるをえない。

(注) 内田樹「壊れゆく日本という国」朝日新聞5月8日、コリン・クラウチ『ポ
スト・デモクラシー』山口二郎監訳、また Wolfgang Streek の論稿等

そこでは人間としての普遍的価値(日本国憲法の精髄)、「グローバル・シテ
ィズンシップ」に立つ理念にささえられ、グローバル化を人間的なものへと方向
を変えさせてゆく、グローバル金融資本主義を民主主義によって制御できるよう
な制度的なものへと構築してゆくという、重い長い仕事も回避することはできな
いように思う。

(筆者は島根県立大学名誉教授)

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