随想

福祉国家の一側面         高沢 英子

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  先日我が家の3歳児のところに一通の通達書が届いた。三歳児検診に関する書状である。中にはかなり詳細な自己申告書を含め、いろいろ入っていた。自己申告所を記載しながら、三歳児の母親である娘が苦笑している。というのも、当日、検診は三歳児と三十九歳以下の同時実施ということで、申告書の内容は両方に通用するようになっている。時間と紙の節約ということなのか、質問の中には、タバコ吸いますか?お酒はどのくらい呑みますか?などという記載項目などがいろいろあったらしい。
  次いで、朝一番の尿取り用紙、紙コップや容器、視力と聴力の自主検査のための用紙と説明書、などが封入され、至れり尽くせりのサービス?である。
  三歳児だから、当然母親がやることが期待されているわけだが、朝一番の尿採りはともかく、2メートル50センチ離して視力検査。囁き声の聴力検査。すべて専門訓練を受けたわけでもない母親に一任して、事足りると思っている姿勢が気になる。
  聞き分けのよい子でも2メートル50センチ離れた場所にひとりで立たせての検査は、三歳児にはかなり大変かもしれないので、正確に測れるかどうかは疑わしい。

  それにただでも狭いこの国の住宅事情では、室内で、2メートル50センチの距離を障害物なしに確保するのもどうか、と案じられる。聴力検査に至っては母親が幼子に耳元で囁いて測定、というのだから恐れ入る。
  我が家の場合、障害者の母親は、肩も指先も普通に動かすのも大変であるし、こちらもうまくやれる自信はなく、どうしてこう杜撰な企画を立案して何もかも自助努力を強制するのか、とうんざりしながら当日、朝一番の尿取りも何とか済ませ、視力聴力もどうやら検査結果を書き込むことが出来た。
  1時45分から受付開始というので、いつも通り、孫とその母親に付き添って出かけた。娘は歩行困難のため車でしか移動できないが、当日は当然車の来館は禁止で、駐車場は用意されない。もちろん区庁舎の地下にちゃんとした駐車場はあるが、すべて公用車用で外部から来るものには使わせない。
  時間通り二階のホールに到着すると、臨時の窓口に二人ボランティアらしいおばさんが立っている。女職員は窓のなかで坐っているだけ、すべて窓口の前のボランティアおばさんが待機し、交代で次々到着する母子から、持参した書類や尿を受け取り、チエックして窓口女性に渡す、という流れだ。無言で受け取った女職員は書類にいちおう目を通し、というより入れ足りないものは無いか調べたうえ、隣のこれも手持ち無沙汰の男子職員に無言のまま書類を回す。

  ここで分かったことは、なぜ問診票が三十九歳以下だったのか、という事だった。子供たちの母親も対象にして、同時に健康診断をやってしまおうという企画らしい。 我が家の娘は高齢出産で四十歳をとうに過ぎているから対象にならない。しかし、三歳児の子供の母親は三十九歳以下、と決めてかかっているのにはわけがあった。以前も書いたけれども、娘は介護保険制度が発足して以来、障害支援を打ち切られ、介護保険の対象とされている。介護保険が実は対象年齢を四十歳からと定めているからである。従って今回も、こうした保険所扱いの場合検診は受けられない。因みに最近は介護保険のほうもじりじり支援の幅が縮小されている。当初週二回四時間だったのが、三時間になり、近々週一回、一時間半になるという。しかし、障害を持ちながら子育てをしている娘のようなケースでは、こうした介護支援の仕組みは、有難いとはいえない。はっきり言って制約が多く、現実にそぐわない硬直したこの介護システムでは、かえって通院その他の外出日の設定もスムーズにいかないし、むしろ精神的にも自己管理の妨げになる場合が多々あるくらいだ。
  話は戻って、46番だと口頭で告げられ、窓口の前に二つばかり並べられたベンチに空き探すが見つからない。指定時間はは1時45分から2時までで、いずれも三歳児を連れた母親や両親で通路はごった返している。
  やがて受付業務も一段落、おばさん二人は通路に立って談笑し始めた。書類を渡すとき娘が立てかけていた松葉杖が倒れたが、娘は床に落ちたものは屈んで拾うことが出来ない。家では金属製の火バサミなどを使って落ちたものなど拾っている。荷物で手一杯のわたしも咄嗟に拾ってやれない。子供の手を引いて立ち尽くす娘。窓口おばさんたちは知らん顔だ。窓の中の退屈職員はもちろん知らん顔である。私は仕方なく荷物を一旦床に下ろし、拾い上げた。

  そうこうするうちに順番が来て、別室に呼ばれる。看護師の有資格者のボランティアが二人、首から名札を提げて待機している。こちらは至って愛想がいい。しかし子供の発達について、果たしてどれほどの専門知識を持っているのだろうか、素人でも出来るような質問をして終わりとなる。
  実は身内の子供に、軽度の発達障害を持っている子供がいる。しかしその事実を両親がしっかりと認識し、受け入れ、なんらかの手を打つ方法を学ぶ迄の道は決してたやすいものではなかった。親は孤軍奮闘し、自力で不安と悲しみに幾度も躓きそうになりながら、あれこれ調べ、相談にならない相談の為に足をすり減らし、幸いにしてようやくかなりの程度、適切な対応の方法を学び、周囲にも説明し理解してもらう術を身につけるまで、何年もかかった。その時点で、早期発見がなによりの決め手と知り、先進国の比較にならない進んだ取り組みについてもいろいろ知ることになった。その時この子供はすでに学齢に達していた。しかしわが国では教育現場はもとより、医療の世界でもこの種の症状をきちんと理解把握し、専門知識を持って対応できるケースは、未だなか
なか見つけにくいのが現実である。結局、子供の親はいまだに手探りで、その場その場を凌ぎながら、期待半分不安半分で、その成長を見守りながら、祈るような気持ちで日々過ごしている。多分この日のような検査?では、その辺のことは、もちろん見逃されてしまうか、単なる杞憂として一笑に付されてしまうだろう、と思うと心が寒くなる。こういう子供は最近非常に増えているし、社会的にも問題を起こすケースが多いというのに、なんの手も打たれていない。窓口も無い。  

  さて、型どおりの質問を受けて又外で待つこと暫し、別室に呼ばれ、体重と身長測定をし、再び外で待つ。続いて聴診器による身体検査と次の別室での歯科検診。以上で三歳児検診はすべて終了した。帰るとき、ずっと為す事なくむっつり座っていただけの事務職員の窓口は、シャッターが下りボランティアさん達の影も無かった。ぴったり下ろされた灰色のシャッターは、何はともかく、やることだけはちゃんとしましたから、というサインと見えた。区民の生活とその実情を、三歳の子供を育てている母親と子供のことを、たとえ一分間でも考えたら出来ないのではないかと思われるほど、やり口は一方的で、形式的、すべてに愛も熱意も見られない仕事振りで、愛想が尽きた一日であった。時間きめで借りた駐車場では1分超過で、30分の超過料金を取られて娘はしきり
に悔しがった。
  大田区では来年度から、区内9箇所の公立幼稚園はすべて閉園、と決まった。理由は詳しくは知らないが、たぶん目的は経費節減、人件費削減なのだろう。しかしそれぞれかなりのスペースの元園の敷地建物は今後は何に使われるのか、地元の誰に聞いても知らない、という。最近は私立幼稚園では三歳児からの受け入れが決まっていて、事実上四歳児、五歳児になるともうどこの幼稚園にも入れない。この秋三歳児の孫に又一つ課題が出来た。これが文化福祉国家なのか。行政機関が大好きな「自助努力」と言う言葉は、かかる福祉や子育て行政の欺瞞を糊塗するのにまことに都合がいい。しかし人は、あるいは国民は、それほど強い自力を持っているだろうか。勝手なところで買いかぶられても途方にくれるばかりだ。

  「これに限らず、区政のいろいろのケースについても、もう腹の立つことばかりです」と、たまたま訪れた元保育士の区議が嘆いていた。
  二、三日後、区の広大な所謂区民センターなる建物の一画にある郵便局に出かけた。色々文化関連のイベントなどを開催したり、貸し出したりしているが、道路からエントランスまでこれほどのスペースが果たして要るのか、と首を傾げたくなる広さだ。
  窓口は5つほどあるが、昼前のことで、郵便を除いて働いている職員は2人だけ、散々待たされ、結局予定時間を大幅に遅れ、次の場所への遅刻を気にしながら外に出たのは、丁度十二時3分前頃だった。歩くだけで時間のかかる遠すぎる広場を急いでいくと、建物内からぞくぞくと出てくる事務職員らしい人々の群れに出くわした。広大な敷地はたちまち三,三,五,五、談笑して外に向かう人の列で一杯になった。全員蒲田駅周辺の軽食屋に昼食に出かけていくのだ。これ、みんなもしかしてこの建物の中で仕事をしている公務員や関連職員?と思うと、先ほどの郵便局の待時間を含め、せかせか苛々しているのも空しい気がしてきた。公務員はこんなにゆとりがあるのか。一体この広々した建物の中で何が行われているのか?疑問は膨らむ一方で、はなはだ釈然としなかった。

  北九州市でつい最近また、痛ましい障害者餓死事件が起こっている。今回はさすがに各紙がかなりの紙面を割いて報道している。
  日本はこれでいいのだろうか。子供たちの教育はこのままでいいのだろうか、高齢者、最近の新造語によると、後期高齢者や、障害者だのという言わずもがなの弱者はひとまずさしおいても、働き盛りの人たちはこれで幸福なのか、次代を担う子供たちへの配慮はこれでいいのだろうか。
  政治のことは、よく勉強していないので、岡目八目でものを言うしかないのだが、それだけに、いったい日本の外交の舵はどちらをむいているのか、行き当たりばったりの支離滅裂のまま、晴れた日ばかりではない魔物もひそむ海を、あちらにぶつかり、こちらを押しのけ、しぶきは無視し、やみくもにジグザグ航行している船に乗せられている気分で落ち着かない。しかし、民主政治といっても投票率が50パーセントをきりかねない現状況では国民も文句を言う資格は無いのかもしれない。
  国民自身にしっかりした公民意識も民主主義理念も根付いていない。漱石が個人主義を唱えてより、もう半世紀以上立つが、個人主義も自立意識も未だに未熟なままだ。
  かなり以前のことになるが、ある大学院生と話していて、非常に疑問に思ったことがある。彼はいった。「僕は小さいときから、他人に迷惑をかけるな、と厳しくしつけられました」と誇らしげに語った。彼は当時ある国立大学の理系の研究室で勉強していたが、日本の文化や文芸にも幅広い興味を示し謙虚で礼儀正しい好青年だった。

  そして、この「他人に迷惑をかけない」という言葉は、その後気をつけて聞いていると、いまや世代を問わず日本の子育ての、最も大切な心得として大きな公民権をもってひろがっている。しかしこの理念,あるいは信念と言い換えてもよいが、果たして子供を教育するうえで、最も基本的且つ重要な根本倫理であるとは、私には今もって到底考えられないのである。
  いつかテレビで、湘南海岸で、サーファーの青年たちが不法駐車をし、係員に注意を受けている場面を見たことがある。駐車している他の車が、普通に出られないような場所に車を止め、係員の注意に馬耳東風。最終的に、その車が切り返しを繰り返して苦心惨憺の末、やっとこさで出すことが出来たのを見て、青年たちは平然と言い放った。「結果的には出られたんだから、いいじゃん。別に迷惑かけてないよ」
  こうしてこの「迷惑」という言葉は、あらゆる状況で、1種の免罪符のようになってしまっている。だから人々は互いにこの「迷惑行為」に大変気を遣う。「他人さまに迷惑をかけない。」「社会に迷惑をかけない」、はまだしも、親に迷惑をかけない」、から「子供に迷惑をかけたくない」に至っては首を傾げてしまう。この言葉の裏には、他人に迷惑を掛けられることへの拒絶反応が、必然的に存在することは当然の成り行きである。こういう考え方からすれば、生活保護受給者は、社会に迷惑をかけなければ生きてゆけない最低人間という
ことになってしまう。

  人間が社会的存在である以上、「迷惑」という語義の厳密な意味では、他者やひいては森羅万象に迷惑をかけずに生きることなど到底不可能だと思う。そんなことを教え込む親は、余りにも視野が狭く、いい加減で、ある意味では傲慢なのではないか、と常々疑問を抱いてきた。迷惑を掛ける掛けないを心配する前に、まず感謝を知り、責任と義務を自覚させ、よりよい共同体への温かい希求心を育てるべきではないのか、イエスはこれらすべてを含めて「愛」といったのではないか。とも考えるのである。
  近ごろは政治家たち、しかも一国の重要ポストにある人物たちが、何か不祥事を起こすたびに「ご迷惑をかけました、」とまず言う。自分の不正な行動や発言の是非に対する反省の言葉や、傷つけた相手へ具体的なの謝罪の言葉はとりあえず避けて、「総理に迷惑をかけました」、「党に迷惑をかけました」さらにもうすこし突っ込んで「お騒がせして国民の皆様に多大のご迷惑をかけました」。では、好き好んで騒いでいると思っているのか、と聞きたくもなる。まず自分の周辺から謝りにかかる、村的姿勢から一歩も抜け出していないかのような発言には、政治家としての自負心も熱意も一片の見識も見られない。一体この人たちは、自分の職責の重みを、どう考えているのだろうと、訝しく思う。
  そんなことを考えていたら、突然「安倍首相辞任」の報が飛び込んできた。とうに無くなった筈の各派閥での権力闘争も、もう始まっている。これからどうなるのか、「どうもならない」などと言うのだけは止めて、私の場合、すこし真剣に、今後の政治の行方と迄行かずとも、せめて自分の周辺の足元だけでも凝視していよう、と思う。

      (筆者は東京・大田区在住・エッセイスト)

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