【北から南から】
中国・吉林便り(24)

祝(日中平和友好条約)40周年

今村 隆一


 吉林駅から午後7時前発車の硬臥車(普通寝台車)で大連へ、翌朝10時前に飛行機に搭乗し、昼には成田到着のコースを選択し、今年の元旦は日本で迎えました。大連~成田間往復航空チケット代金は3,600元(1元は約17円)、日中間直通・乗り換えを含め旅行ガイドをしている知人も調べた航空券では、北京或は上海経由などを含めこれは購入時最低価格でした。私は相変わらず安価なチケット購入を優先していて、貧乏根性が抜け出ることができません。

 日本に到着して直ぐにメールマガジン・オルタ編集委員でもある朱建榮さんが編著された『《世界のパワーシフトとアジア》副題:新しい選択が迫られる日本外交(発行:花伝社¥1,500)』が眼に留まりました。本書は朱さんが勤める東洋学園大学が2015年度から17年度までの3年間に実施した講座を朱さんがまとめられたもので、オルタ執筆者でもある久保孝雄、進藤榮一、村田忠禧、岡田充各氏も講演されていて、私のように中国東北地方の吉林市という地方都市で、それも北華大学キャンパス内で大半の時間を費やしている者にとって、現代中国とアジアを表題のとおりグローバルな視点で正しく理解するためには欠かせない内容だと思いました。

 新年(2018年)を迎えましたが昨年末を振り返ってみますと、11月18日から27日までの9日間を「2017年パンダ杯在中国日本人写真コンクール」(人民中国雑誌社主催)の上海での表彰式と海南島訪問交流に参加するため吉林を離れたため、その後の吉林では通常の授業に補習が加わり、それを切り抜けると、忙殺された3週間がなかったように暇になり、私にとっては自由時間が増え、普段できなかったことができるようになりました。

 昨年は日中国交正常化45周年でありました。その5年経過後の1978年に「日中平和友好条約批准書」交換式が首相官邸で福田赳夫首相とトウ小平副総理の間で行われています。つまり今年は条約締結40周年記念の年。当時の代表的政治家は日本では田中角栄、大平正芳、福田赳夫、園田直ら、中国では毛沢東、周恩来、トウ小平らが挙げられます。最近日中両政府は関係改善に向かい始めた感が強く、TVニュースでも日本の政治家が画面に登場する機会が増えたようでした。日本政府は経済界の意向に応えるべく舵を中国との友好改善方向に切らざるを得なくなったように見えます。
 ドイツのアナリストが「安倍首相は日本企業により多くのビジネスチャンスをもたらしたいと考え、また規模が拡大する国際プロジェクトから排除されてはならないと意識するようにもなった。今のままでは日本はこのプロジェクトの今後の発展に対する一切の発言権を徐々に失い、政治的影響力も経済的影響力も日々増大する中国の前で、立場を失っていくことになる」と述べたそうですが、その通りだと思います。ただビジネスチャンスとばかりに、武器と原発輸出に走ることは自国内の原発再稼動と米軍基地同様、リスクが大きいばかりでなく、「死の商人」としてのレッテルが貼られて、持続可能な発展とは真逆の道を歩むことになると思います。日本政府には周辺諸国との関係に善意をもって接し、隣国を仲間と見なす姿勢を求めます。

 私にとって昨年は、2008年から始めた吉林生活が10年を迎えた年でありましたが、2016年夏に発症した左膝関節炎再発の恐怖が常に付きまとい、その克服は足と腹の筋肉強化しかないと信じて筋肉トレ―ニングに励んだ1年でありました。

 登山は昨年冬休み明けの3月4日から始め、2017年の1年間で延べ36回の登山活動に参加しました。そして通算12回目の登山となった12月16日の老爺嶺(ラオイエリン:1,284m)で2017年の登山を締めくくりました。
 その1週前は12月9日から10日に吉林の北西約400kmに位置する敦化市の山中の民宿に宿泊し、黒竜江省との境界近くの、1日目は二頭子(アルトゥズ、別名神鹿山:1,186m)、2日目は老白山(ラオバイシャン、別名鳳凰山:1,696m)」登山活動に参加しました。どちらの山も既に雪山、汗をかいて湿ったシャツの腕部分が凍りました。
 9日の二頭子は2016年5月に登っていて頂上は緑が生えた芝生状が印象深かったため積雪の山を楽しみたかったのですが、天気に恵まれず景色も大して得られず終わりました。2日目の10日老白山では降雪で登山口までバスが入れず深雪路を通常より往復2時間以上を費やし、登山は途中下山となりました。また濃霧発生のため帰路の高速道路閉鎖もあり、帰宅が深夜近くなりました。

 昨年末の足の状態は登山開始時に膝にしびれが出たこともありましたが、歩いているとしびれは徐々に感じなくなりました。しかし稀に不意に膝がガクリと入ると瞬時の痛みが発生し、何時も恐怖感を抱え健康な身体を思慕した1年でした。

 吉林の年末で以前と違ったことは私にとっては先ずクリスマスです。クリスマスは漢字で聖誕節。「Merry Christmas」、「クリスマスおめでとう」は「聖誕節快楽!」と表記します。

 この時期は以前から吉林では日本のようにXマスに向けての商戦の盛り上がりは感じなかったものの、少しづつXマスの過ごし方が西欧化してきたと私には映っていたのですが、ブレーキがかかったことを実感しました。街なかには装飾されたXマスツリーや商店からジングルベルの音楽は流れてはいましたが、前年まで日ごろ使うQQや微信(WeChat)上では頻繁に飛び交っていた「聖誕節快楽!(クリスマスおめでとう)」の文字が激少したのです。ただ一切消えたのではなく、個人的なやり取りではありました。
 12月22日頃日本のメディアが、「中国当局がXマスは中国伝統文化でない、党員と指導者のXマス関連行事参加を禁止するとし、それが地方都市を中心に、クリスマスを祝うことを規制する動きが広がっている」と報じたため私は注視していたのですが、24日は囲碁八弈会例会での夜の宴会でもXマスについては誰も口に出しませんでしたし、翌25日夜の吉林大劇場で行われたロック演奏会でもXマスの曲もお祝いの言葉もありませんでしたので、吉林では確かに冷めた感じを受けたのでした。欧米文化の受け入れが急速に進んでいた昨今の、このような変化は私にとっては若干の驚きでした。なおこのロック演奏は波楽隊(パイラドイ)、観客は老若男女で超満員でした。ロックバンドが大劇場を満員にしたことも驚きでした。

 次にこれは吉林の話ではなく、上野のジャイアントパンダについてです。日本メディアでも報じられたようです。パンダの赤ちゃん「香香」(漢語、発音は「xiangxiang」、カタカナで書くと「シアンシアン」)、12月19日の初公開では随分な人気だったようです。このことについて北京の外交部定例記者会見で日本人記者が英語で質問した際、中国外交部報道官の華春瑩は「香香」が日本外務省事務次官「杉山」と聞こえたことで、応答が的外れとなり、大笑い。「杉山」は漢語発音が「shangshang」、杉も山も同じ発音でカタカナで「シャンシャン」となり、「香」と「杉」・「山」がとても似ていることで発生したトラブルだったわけです。このトラブルについては中国メディアも日本でのパンダ「香香」公開の熱狂と共に善意をもって報じていました。これは質問した日本人記者の「香香」の発音が正しくなかった可能性が高く、華春瑩が聞き違えたのではなかったと私は思っています。

 漢語を学んでいる私にとって、これは興味深く面白い話題でありました。言葉の違い、発音の違い、特に中国音韻学で声調という、漢語の四声を知らないと正しい発音にならないと言う結果になるのです。「香」と「杉」・「山」が四声では共に一声ですが「xia」と「sha」の発音は違うのです。

 このような言語が異なることでのコミュニケーションギャップは以前からあります。例えば1972年の日中国交回復時、田中角栄が過去の日本による中国大陸侵略戦争について日本語で「申し訳ない」との発言が中国人通訳によって軽い詫びの言葉として周恩来に伝えられ、周恩来の顔色が変わったことは有名な逸話です。その時日本語の「申し訳ない」が漢語で「不好意思(ブハオイース)」と訳され、その表現は極めて軽い詫びであり、「申し訳ない」がお詫びの言葉の漢語で「実在抱歉」や「非常抱歉」であったなら、お詫びの重さと大きさが伝わったと思います。あの時、日本側は日本人通訳を介さなかったと聞いております。このようにコミュニケーションが言語の選択や発声で誤解を生じることもあり得ることを痛感しました。

 いずれにしろ、政府間のニュースでは私にとって不愉快なことがここ数年多かったなかで、パンダが日本の人に与える楽しみとなり、中国に関心が高まり、印象が好転しつつあることはうれしいことでした。

 平日は日本語と漢語授業で、週末は戸外活動の登山で映画を見る余裕が気持ち的にも時間的にもありませんでしたが、日本語授業が終わった12月からは何本か見ました。なお正月映画と呼ばれる作品は中国では一部が12月に公開が始まっていて、メディアを賑わしている映画を見ましたが、日本との関係のある映画が幾つかあり、日本でも公開が予定される作品もあるようですので、いくつか紹介します。

●《芳華(ホァンファ)YOUTH》
 本作品は日本でも有名な監督馮小剛(フェンシァオガン)の作品です。馮小剛は2016年作品《我不是潘金蓮(I Am Not Madame Bovary)日本題『わたしは潘金蓮じゃない』》で中国国内と世界で高く評価されました。《我不是潘金蓮》については、オルタ161号の本コラムで紹介したとおりです。《芳華》については米映画誌「バラエティ(Variety)」が、「革命歌とダンスと青春の希望により、歴史になりつつある中国の一つの年代を見せた絵巻。最もピュアで美しく、かつ残酷な手法によって、人生で最高に輝かしい青春時代を語っている」と紹介しております。

 《芳華》は小説家・厳歌苓の小説を原作とし、1970-80年代の文工団(軍隊文化芸術団)に所属する青春真っ只中の青少年たちの成長とその過程での恋と当時の中国の状況、彼等の運命を描いています。また馮小剛監督が軍隊にいた時の生活と文工団で青春時代を過ごした体験などの思い出が詰まっており、青春を細々としたエピソードで描きだしている、との評価を得ています。軍の文化芸術部隊を主役に据えた《芳華》は中高年の人々に感動を与えるだろうとも評されましたが、単に馮小剛監督個人の思い出でしかない、との批評もありました。
 この作品には6~7分程の中越(中国とベトナム)戦争の大変刺激的な戦闘シーンがありました。また公開は昨年の秋からの予定が延期され、その原因は何かと話題になりましたが、そのことについて馮小剛監督はカットされた画像はなく、当局からの指導はなかったと発言したと伝えられています。この点については中越戦争の戦闘シーンがあまりにもリアルだった?中越戦争批判と受け止められた?等が考えられますが定かでありません。私には文工団の活動が厳しい指導でも充実した青春時代が描かれている所とエンディングが心地好い作品でした。

●《妖猫伝(日本題:空海―KU-KAI―)》
 この作品も日本では有名な中国の映画監督陳凱歌(チェン・カイガー)がメガホンをとったもので、日本の作家である夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を原作とした日中合作映画です。ストーリーは唐代の長安で妖怪による事件が発生し、詩人の白楽天(白居易)と僧侶空海が人の言葉を話す1匹の化け猫とともに、葬りさられた真相を追い求めるというもの。俳優は白楽天に黄軒(ホアン・シュアン)、空海に染谷将太、阿倍仲麻呂に阿部寛、他に松坂慶子、火野正平が出演しています。

 中国映画史上最大のオープンセットには巨大な長安の都を大規模に再現しており、日中のスタッフ約700人が集結したと言うだけあって出演者数もけた外れに多く、総製作費150億円という巨費が投じられた本作のスケールは圧巻です。12月22日に中国で封切られ、週末の興行収入が2億4千万元(約40億8千万円)に達し、2日連続で8千万元(約13億6千万円)を超えた、と報告されました。興行収入、座席占有率なども同時期に公開している新作映画のトップになっており、評価も高く、ミステリアスで緊張感あるストーリーや目まぐるしい展開のほか、役者の演技に迫力とインパクトがある、と評価されていましたが、私としては只豪華なだけで、陳凱歌監督作品としての期待が裏切られた思いの方が強く残りました。

●《解憂雑貨店(日本題:ナミヤ雑貨店の奇蹟)》
 本作品は有名作家・東野圭吾の小説を改編し、韓傑(ハン・ジェ)が監督、董韵詩(ドン・インシ)がプロデューサー、韓寒(ハン・ハン)がアートディレクターを務めた中国版の映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」です。主演は王俊凱(ワン・ジュンカイ)ですが、雑貨店の老人に中国の世界的有名スターであるジャキ―・チェーン(成龍チェン・ロン)が扮しています。大スターが滅多に見せたことが無いであろう古びた雑貨店主の老人役。彼の出演作品を多く見てきた私としてはカンフーなどアクションシーンを売りとするヒーローのイメージが結びつかない役に扮しており、役者としての豊富な素養を見せてくれたようでした。ストーリーは若者達と雑貨店老主の手紙のやり取り、たわいない光景が描かれた作品でしたが、心地好さが残り、私は日本語吹き替えで本作品をもう一度見てみたいと思いました。

 日本と中国の関係は政治の分野はいつも雲がかかって見にくい(醜い?)が、映画界は常に交流が絶えず、特に昨年は日中両国間で頻繁且つ多くの作品で監督、俳優、脚本の交流がされた一年でした。映画の世界でのこの潮流は恐らく変わらないでしょう。

 両国の平和友好条約締結40周年を祝って、人々の交流が更に深まることを願っておりますので、私は「民が官を動かす」の信念で今年も行動したいと思います。

(中国吉林市・北華大学漢語留学生・日本語教師)

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