【コラム】風と土のカルテ(87)
社会をつくる「原点」に気付かせてくれる言葉
国民の反対の声も強い中、東京オリンピックが始まった。新型コロナウイルスはデルタ株への置き換えが急速に進み、医療提供体制の維持に赤信号が灯る。五輪熱気の裏で、コロナの流行拡大に伴う不安感が広がっている。
前回の1964年東京五輪にはアジア初、有色人種国家初、といった大きなテーマがあった。特にパラリンピックは、まだ障害を持つ人が人目を忍ぶように生活していたころに、障害者スポーツの夜明けを告げる意味があった。
「東京パラリンピック大会報告書」は、障害者スポーツの父といわれるルードウィヒ・グットマン博士の「失われたものをかぞえるな、残っているものを最大限に生かせ」という思いを紹介した上で、身障者の社会復帰や団結の重要さに言及している。人間は底知れない可能性を秘めている。
●「文字の獲得は光の獲得でした」
その体現者の一人に注目したい。
視覚障害があり、両手のない元教師、藤野高明さんだ。今年5月5日、NHKのハートネットTV「文字の獲得は光の獲得でした~両目と両手を失って教師になる」で藤野さんのドキュメンタリーが放送されたのでご存じの方も多いかもしれない。
この番組の冒頭5分程度はNHKの YouTube チャンネルにアップされており、既に400万回以上視聴されている。
https://www.youtube.com/watch?v=C_Yftji3qf0
藤野さんは1938年、福岡市に五人兄弟の長男として生まれた。
太平洋戦争が終わった翌年の7月、小学2年生だった高明少年は、近所の小川の岸に捨ててあった小さな管のようなものを拾い集めて遊んでいた。ある日、底に詰まっている砂のようなものを取り出し、きれいにしようとしていて爆発が起きる。
不発弾だった。砂は火薬だ。旧軍が捨てたものと思われる。弟は即死し、高明少年は両目の視力と両手を失った。
それから13年間、学校に通えなかった。「就学免除」という行政の都合で、重度の障害児は公教育から排除され、教育を受ける権利を奪われたのである。
18歳のころ、たまたま病室に来た看護学生に、ハンセン病患者として自己の宿命を直視し続けた作家、北條民雄の『いのちの初夜』を読んでもらい、荒んでいた心に光が灯る。ハンセン病患者が、舌や唇を使って点字を読むと知り、実際に唇で点字を読み始めると、「しっかり生きたい」とエネルギーが湧いてくる。
まさに「文字の獲得は光の獲得」だった。
20歳で、大阪市立盲学校中学部2年に編入し、高校の社会科の教師を目指すようになる。1964年、25歳で盲学校を卒業し、大学を受験しようとするが拒否される。翌年、私立大学の通信制に障害を隠して入学。大学職員は、何度も学業をあきらめるように働きかけたが、1971年に大学を卒業して教員免許を取った。
●試練を乗り越えた末の重い言葉
藤野さんは1年かけて教育委員会と交渉し、教員採用試験の点字受験が認められ、6倍の難関を突破して合格する。当初は、非常勤講師として働くことを求められたが、1973年、大阪市立盲学校の正教員として採用され、2002年まで教壇に立ち続けた。その後も、教員を目指す大学生に向けて講義をしているという。
藤野さんは盲学校を退職した年に『人と時代に恵まれて』という題の手記を出している。人に言いたくない、思い出したくもないような試練も乗り越えた末の
「人と時代に恵まれて」という言葉は、ずしりと重い。藤野さんはインタビューにこう答えている。
「私と同じ視覚障害という障害を持ちながら、さまざまな苦しみや差別に置かれてきた人たちに一番伝えたかったのは、あきらめないでほしいということやね。『あきらめない』っていうことと、『自分ひとりで生きようとしない』こと。大いに助けてくれる人には助けてもらう。助けてもらうことはちっとも恥ずかしいことではないし、うんと助けてもらったらいい。そして、しっかり勉強してしっかり生きれば、助けてくれた人にとってはそれだけでいいお返しになるっていうことやね」
(NHK福祉情報サイト ハートネット2021年4月6日配信)。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/494/
自己責任、自助ばかりが強調される時代に、藤野さんの生き方は社会をつくる原点に気付かせてくれる。YouTube の動画が、あれほど多くの人を引きつけるのは、そこに発見があるからだろう。
(長野県佐久総合病院医師、『オルタ広場』編集委員)
※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2021年07月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
https://nkbp.jp/3BV13bI
(2021.08.20)
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