【コラム】槿と桜(35)

社交辞令

延 恩株
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 私が日本へ来てしばらくの間、大いに〝悩まされ〟〝混乱させられ〟すっかり〝困ってしまった〟ことがありました。それは日本の生活の中でごく日常的に使われる「社交辞令」の類でした。

 〝私の住んでいる最寄り駅は○○なので、今度近くまで来たら私の家に遊びに来て〟
 〝この次は一緒に食事に行きましょう〟
 〝まだ帰らなくてもいいじゃない。もう少し居たら〟

 このような会話、今ではすっかりその場限りの「社交辞令」だとわかっていますからなんとも思わなくなっています。でも日本語がまあまあ話せるようになった頃は、言葉そのものを理解するのに全神経が注がれていました。ですから話し手の言葉をすべて真正面から受けとめてしまっていました。
 その結果、言われた言葉をすっかり「真に受けてしまった」ために、そのあとの相手の思いがけない反応で頭が混乱し、困ってしまうという経験を何度もしました。

 『大辞林』(第三版)には「社交辞令」とは「世間づきあいを円滑にするために用いる決まり文句」とあります。でも来日してしばらくの間、私にとってこの「社交辞令」は「世間づきあいを円滑にするため」どころか、人間関係をぎくしゃくさせてしまう言葉でしかありませんでした。確かに『大辞林』には「内実の伴わない空々しい言葉」とも説明がついています。今でしたら「空々しさ」も理解できますが、以前は「内実が伴わない」ことなどに考えが及びませんでした。

 またこうした社交辞令と同様にその場の空気を白々しくさせない表現として曖昧、そして微妙な言葉遣いや遠回しな表現もよく使われることがあります。
 これもまたどう受けとめていいのか、大変判断に困るシロモノで、今現在でも私自身が十分に理解できているのか自信はなく、社交辞令より難しいと思っています。

 たとえば、「お察しいたします」「よく考えさせて」「またゆっくり話を聞かせて」「いずれゆっくり」「お話、伺いました」「私にはもったいない話です」等々です。
 たぶん相手の要望に応じられないとき、真正面からはっきり断ることでお互いが気まずくなるのを気遣うからこそ、こうした表現がされるのだろうと思います。でも外国人には咄嗟には「イエス」なのか、「ノー」なのか明確に判断できないものばかりです。韓国人でしたらおそらく「イエス」と理解する人が多いと思います。

 韓国人はおしなべて「イエス」「ノー」をはっきり言い、「好き」「嫌い」も率直に口に出します。もちろん個人差はありますが、日本の方のように「イヤだけれど仕方なく」という行動パターンは比較的少ないと思います。
 よく言われる日本人の「本音と建て前」の違いや曖昧な言葉等から〝日本人は何を考えているのかよくわからない〟という日本人不信感にもつながっていきかねません。でもこれこそ日本という文化的風土から生まれたもので、見方を変えれば、他者との関係に決定的な亀裂を生じさせないためのすぐれた対話手法とも言えるでしょう。

 ただし韓国人にも日本人のような「本音と建前」もあれば、「社交辞令」を言うこともそう珍しくはありません。韓日の違いはあくまでも比較してのことだということはきちんと認識しておく必要があると思います。
 たとえば、韓国にも「ピンマル」(빈말)、「インサチレ」(인사치레)という言葉があります。それぞれ「お世辞」、「社交辞令」の意味です。
  『大辞林』の「社交辞令」の項に「内実の伴わない空々しい言葉」という説明があることは先述しましたが、韓国語の「ピンマル」も「口先だけの言葉、実のない言葉」という意味です。また「インサチレ」(인사치레)は「誠意のないうわべだけの挨拶」という意味です。
 韓国のテレビドラマを見ていて、こんなフレーズにぶつかったことはありませんか。
 
 「食事しましたか?」(シックサハショッソヨ? 식사하셨어요?)
 偶然、顔見知りの人と外で会ったときなどに使う言葉です。一緒に食事をするという気持ちから言っている言葉ではありません。社交辞令なのです。ですので、かりに相手からまだ食事をしていないという返事があっても、親しい人でない限り一緒に食事に行くことはありませんし、相手もこの言葉には適当に返事をします。
 では次のフレーズはどうでしょう。
 「今度、ご飯でもいっしょに食べようよ」(ナジュンエ、パパンボン モゴヨ 나중에, 밥 한번 먹어요)

 かつての私は日本でこのように言われて、すっかりそのつもりになっていたわけですが、韓国語でこのように言われたら、間違いなく聞き流します。完璧な「社交辞令」だからです。男性なら「今度、一杯やりましょう」と言って別れることが多いようです。でも単なる別れ際の挨拶に過ぎないのです。
 韓国版の「気遣い言葉」と言ってよく、そのためあまり親しくない人に使います。親しい人にはこうした社交辞令が使われないのは日本と同じでしょう。もし「今度○○しましょう」と言われたら、特に「今度」という言葉がつけられていましたら、それは間違いなく「さようなら」と同義語なのです。「さようなら」だけではなんとなく素っ気なく感じられ、雰囲気を和らげる役割を果たしています。

 それにしても「今度(ナジュンエ 나중에)・・・」という表現は便利な言葉で、言った本人も「今度」がいつなのかなどは考えていないのです。つまり当てにならない、大変曖昧な表現で、これも「社交辞令」での決まり文句です。
 そのためなのでしょうか、韓国語には「今度、あとで」を意味する別の表現があります。
 「イタガ 이따가」がそれです。

 つまり韓国語では同じ「今度、あとで」でも「ナジュンエ 나중에」と「イタガ 이따가」の2つの表現があるのです。ただし「ナジュンエ」の「今度」は、いつなのかの期限がありません。一方の「イタガ」は期限があって、ほぼ今日中にという意味が込められています。ですからどちらで表現したかで話し手の気持ちが「社交辞令」なのか「本気」なのかがすぐわかることになります。日本語のように「今度」と言われて、どう理解していいのかわからないという迷いは避けられます。もっとも韓国語にある程度精通し、韓国での生活に慣れないとわからないのは、私が日本で体験したことと同様なのでしょうが。

 あくまでも比較に過ぎませんが、韓国語の方が曖昧さを回避できる場合が多いように思います。これは一般的に白黒をはっきり言う韓国人の民族性とも関連しているようです。ですから日本語で「よく考えさせてください」とか「いずれゆっくり」などと返事されますと、いったい本当は何が言いたいのと聞き返したくなります。

 そのほか日本ではあまり使われない「社交辞令」が韓国にはあります。たとえばお店での店員とお客との間で交わされる決まり文句です。
 日本では「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またのお越しをお待ちしています」とお店側の人がもっぱら言いますが、韓国ではお客が「社交辞令」的に言うこともあるのです。

 たとえば支払いをしてお店を出るときに「マニ パセヨ 많이 파세요」とか「ト オルケヨ 또 올게요」とお客が言うことがあります。「たくさん売ってください」「また来店します」という意味です。もちろんこのように言ったからといってまたこのお店に来るというわけではありません。日本でもお店の人に「また来ます」などと声を掛ける場合がないわけではありませんが、たいていは本心に近く、韓国のような「社交辞令」としては使わないのではないでしょうか。

 一方、オーダーを受けて料理を運んできた店員が言う言葉も日本では普通は耳にしないものです。それは「マシッケ ドゥセヨ 맛있게 드세요」で、意味は「おいしく食べてください」です。
 自分の店の料理がおいしくないと思っているはずはありませんから、このようにお客に言ってもおかしくはありません。実際、日本でもちょっと高級感のあるお店で店員がこのように言うのを聞いたことがあります。でも大衆的なお店でこのような言葉は日本では使われないのが一般的ではないでしょうか。

 「社交辞令」は基本的には人間関係を円満に和やかにする働きがあり、ぎくしゃくした関係を避けることができます。お店の人に支払いが済んだあとに「儲けてください」「また来ます」と言ってお店をあとにすれば、お店側は決して悪い気はしないでしょう。

 私が日本でこうした「社交辞令」の類に戸惑ったのはすでに述べましたが、韓国でも日本でも「社交辞令」は最初から「社交辞令」だったのではなく、すべて本心から出発した表現だったと思います。
 今回、自分の国の「社交辞令」にも目を向けてみますと、日本とは違った社交辞令もあり、韓日独特の「社交辞令」をお互いに交流させて、それぞれ使ってみたら、さらに人間関係を円満に和やかにさせることができるのではないかなどと夢想しています。

 (大妻女子大学准教授)

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