【コラム】
風と土のカルテ(74)

目の前の古びた病院に世界的な偉人がいた

色平 哲郎

 個人的な話で恐縮だが、私の母の実家は新潟で鍼灸院を営んでいた。その実家の斜め前に「竹山病院」という産婦人科の病院があった。子どものころ、夏休みに母の実家に行っては、そのあたりを走り回って遊んでいたが、まさか目の前のすすぼけた病院に世界的な偉人がいようとは夢にも思わなかった。母方の親戚の農家の女性たちも竹山病院でお産をしており、あまりに身近だったからだ。

 生涯を竹山病院の勤務医で通したドクトール・オギノ、荻野久作(1882−1975)。一般には「オギノ式」の避妊法の始祖として知られているが、彼が解き明かした人体の神秘=「排卵は次の月経が来る16日から12日前の5日間に起きる」は、世界の産婦人科学会に燦然と輝く金字塔なのだ。ノーベル賞ものの業績といわれている。

 今年は、荻野が排卵期に関する学説をドイツの医学誌に発表してちょうど90年になる。そこで今回は、荻野の業績や医師としての生き方にスポットを当ててみたい。

●町医者の臨床の知を最大限生かす

 東京帝国大学を卒業した荻野は、養家の両親を養うために給料の高かった竹山病院に産婦人科医として赴任した。多忙な診療の中で、荻野は「排卵と月経」の関係解明を生涯のテーマと定める。当時、排卵と月経の関係は神秘のヴェールに包まれていた。1913年にドイツのシュレーダーが、「排卵は月経第1日目から起算して14日から16日の3日間に起こる」という統計学的学説を発表し、これが多くの学者の賛同を得ていた。

 しかし、シュレーダー説は、月経周期28日が多い欧米女性には当てはまるが、それ以外の周期の女性には該当しない。荻野の周囲には、子どもが欲しいのに授かれない夫婦や、逆に「貧乏人の子だくさん」に苦しむ家庭が数多くあった。排卵と月経の関係が分かれば、いずれの苦しみも解消できるだろう。

 荻野は、ほぼ毎日執刀する開腹手術で卵巣と黄体を観察し、臨床データを蓄積する。夜は、新潟医学専門学校(のちの新潟大学医学部)の病理学研究室に通って研究に打ち込む。ドイツをはじめとした欧米の論文を渉猟する。

 ある日、子宮筋腫の手術をした女性が夫を伴って竹山病院を訪ねてきた。夫婦は子宝に恵まれないと嘆き、荻野の診察を受ける。どちらも異常はない。しかし、話をじっくり聞いているうちに女性は変わったことを口にした。
 「いつも月のものが始まる2週間前に、わたしはおなかが痛くなるんです」。そういうときは、お腹にさわると思い性行為を拒んできたという。

 荻野はハタと気づく。この腹痛は排卵時の排卵痛に違いない。だとすれば、排卵時こそ性行為をすれば子どもを授かれる。拒否していたら子どもはできない。荻野は順序立てて説明し、夫婦を返した。すると翌月、女性は妊娠したのだった。

 「月経が始まる2週間前」という女性のコメントが荻野の発想をいたく刺激した。月経があって排卵が行われるのではなく、排卵の結果として月経がある、とコペルニクス的転換をしたのである。そして自らの妻や患者たちを巻き込んだ綿密な調査を経て、「排卵は次の月経が来る16日から12日前の5日間に起きる」という学説を確立した。
 荻野はドイツ語の読み書きはできるが、しゃべれないままドイツに留学し、自説を説いてまわる。凄まじいエネルギーだ。帰国後はあちこちの大学から教授就任の要請が届くが、すべて断る。市民のために農民のために、90歳まで現役を貫いた。

 町医者が臨床の知を最大限に生かし、研究を重ねた成果は、ローマ法王庁が唯一認めた避妊法に利用される。ただ荻野自身は、「オギノ式乱用者に告ぐ」という文章で、「オギノ式に従う限り1日といえども安全日はない」と述べている。子宝に恵まれない人びとのために解明した真理が、避妊目的に使われるのがつらかったのだろう。どこまでも真摯で実直な偉人である。

(本稿は、鈴木厚『世界を感動させた日本の医師』(時空出版、2006)、篠田達明『法王庁の避妊法』(文藝春秋、1991)を参考にさせていただきました。竹山病院はその後リニューアルされ、現在も当地で運営されています。)

 (長野県佐久総合病院医師・『オルタ広場』編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2020年6月29日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202006/566173.html

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