■ 農業は死の床か。再生の時か。      濱田 幸生

生き・生かされている

 皆様、こんにちは。ようやく秋風が吹いて来ました。夜来の雨は村を潤してい
ます。私もうちの鶏たちも元気を急速に回復してきました。

 さて、ずっとぼや~と考えていたことなのですが「人の協働と自然との共存」
との関係というテーマです。今回の熱波をくぐって、ある友人と話しをする中
から輪郭が見えてきました。堅い話になりそうなので、できるだけかみ砕いて
お話ししたいと思います。少し、おつきあいください。


◇共同体が造り出した村の風景


  私が好きな村をながめる場所にちょっと小高い峠があります。手前に武田川と
いう小川が蛇行し、水田が拡がり、此方には円通寺の本堂の大屋根が見えま
す。右手には火の見櫓がかいま見え、小さな国道が走っている。
村は稲刈りの直前です。早く植えた人はもう刈り取りに入っています。この峠
から村を見るともなく見ていると、集落がどんなふうにできているのかがおぼ
ろに分かります。
  実はいつもは分かりにくいんです。車で走ることが多いので、なんとなく見過
ごしてしまう。

 しかし、4月の末に田がいっせいに水を引き込む時にはそれがはっきりします
。村中がまるで湖のようにになるからです。
  田が満々と水を湛える時、防風林の欅や榊の生け垣が堤防のように水をくい止
めている錯覚に陥ります。この峠から見ると、集落の家々は連なって、水や風
を防いでいるようにすら見える、これがコニュニティ、共同体が造り出した風
景だと思います。


◇沖縄の部落の福木


 そういえば、こんな風景は沖縄でも見たことを思い出しました。
例えば、私が住んでいた近くの海岸沿いの集落である天仁屋(てにや)という
部落に行くと、海岸に沿って全部の、まさにひとつの例外もなく全部の家が海
岸に向けて防風林である福木を植えています。福木は丈夫で、しかもよくしな
り、風や海水に強い植物なのです。
  この樹が大きく手を拡げて村を守っています。そしてその手の内にシィクワー
サーの果樹やパパイヤが守られて繁っています。

 もし仮に、この共同の防風林の一角をフリムン(馬鹿)のヤマトゥが買って、こ
の別荘から海を見たい、自分の土地だからなにをしようと勝手だろうとばかり
に自分の敷地の福木を切ってしまうとします。
  と、どうなるのか。台風の時の風雨は、海水を巻き上げながら、この崩れた防
風林の一点の穴から吹き込み、部落の中を暴れ回ることでしょう。そして狭
まった場所からの風雨の流入は、その風速の威力を増大させて、被害を大きく
してします。
  なぜ、ウチナー(沖縄人)がよそ者に土地を売らないのかお分かりいただけると
思います。それは単純な排他主義ではないのです。地域の自然とそれを守る共
同体を守る気持のない人は入れられないというルールにすぎません。


◇共同体の約束ごと


 ところで、共同体には決まり事がつきものです。そうですね、うんざりするく
らいいっぱいありますよ。
  家の周りには樹を植えよ、北側には大きくなる欅を、東側には風雪に強い唐松
を、西側には栗や柿を植えよ。家の周りの道や水路は常に清めておけ、ゴミは
公の場所に捨てるな、母屋の意匠は出っ張らないように、格を守り、屋根はい
ぶした銀灰色の瓦でふけ、父母や目上を敬え、村の人とは和せよ、他人の子供
もじぶんの子と同じく遇せよ、村の中心は役場ではなく学校である、小学校は
字の中心だから子供が足で通える距離(約3キロ)に配置しろ、それは火の見櫓
から見渡せる半径だ、祭りには積極的に参加しろ、消防は忘れるな、消防が来
る前に燃えてしまうから字の消防団で初期消火をしろ・・・。

 これらの無数の約束事は、共同体という「ひとつの生命体」の恒常性を保つた
めの「自己律」、要するにルールなのです。私のような個人主義の極北から百
姓に転身した者が、かつてあれほどホーケンテキと言って毛嫌いしたことの
数々に、まったくあたらしい文脈で納得できししまったのですから、不思議と
いえば不思議です、と言っても、20年ほどの時間はかかりましたが。
  ですから、さきほど書いた村の約束事に一項をそっと入れてしまいましょう。
村内だけだと立ち行かなくなるなるから、たまには希人(まれびと・よそから
来る人)の知恵と力を導ちびき入よ、と。


◇人々が作った日本の自然


  では、これらのムラの風景がもともとあったのかというと違います。この風景
は人工的なものです。神ならぬ人が作りしものなのです。人が長い時間をかけ
て、誰が言い出したのかは分かりませんが、皆で樹を植え、渇水や大水に備え
てのため池という調整池を堀り、河川から小川を引き田に導き、里山を手入れ
して、うるしなどの広葉樹を植えて水をため込む仕組みを作り上げていった、
それも百年、三代のスパンで。

 そうかんがえると、この自然は、アフリカや中東は知らないので、少なくとも
私が接している日本の農村の自然は、人々が作り上げた精緻なエコシステムだ
とも言えます。
  それを保っているのは他ならぬ共同体です。これは都市でのコニュミティとは
やや違う。生存と生産、後世の孫子のための「保全と再生産のための共同体」
です。
  この中で私たちは暮らしている。言い換えれば、このような共同体の中で「生
かされている」ともいえます。
う~ん適当な言い方ではないな、ややニュアンスが受動的すぎます、むしろ
「生き・生かされている」という相互性の中にいることがわかります。

 人は協働をして生きています。特に協働という理想をもっているというわけで
はなく、自然の前でそうせざるを得なかったからです。その協働はただいま現
在のものだけではなく、遠い彼方の時間の人々とも協働しています。それが
「生き・生かされている」ということの意味です。
  また大きくは、生態系の基部をなす小動物、昆虫、微生物、地虫に至るまでを
包括した「自然」との相互関係の中に生きているといえるでしょう。私たち人
類という孤独な種は、孤独が故に共同を求めた。共同とは自ら生きる地を守る
こと、いわば「地守」あるいは「里守」の役割を永遠に続けるための手段で
す。この「地守」であることを絶やささなければ、私たちは決して孤独ではな
いのです。


◇われらが人と自然の共生が、この変動の時代に耐えますように


 今、日本の気象も大きくシフトを変えようとしています。温暖化へ向かった
気象変動の予兆は随所に見られます。平均最高気温が5度変化しただけで、農
業は生きていくことはできません。3度の温度変化で石垣島近海の珊瑚礁は白
く変色し、死滅が始まっています。2度の水温上昇で海流の流れは変化し、魚
類の生態分布は変動し、漁業に大きな悪影響を与えることがわかってきまし
た。

 私たちお百姓はその変化に敏感です。論理ではなく、五感で感じ取ります。
毎年、異常気象だと騒いでオオカミ少年扱いを受けます。
なんというのか、毒ガスに敏感で、わずかな変化に怯える炭鉱のカナリアの
ような存在なのです。カナリアは考えて危険だと鳴くのではありません。五
感で警告を発するのです、あたかも私たち農民のように。
  そして毎年、毎年、正常な農事暦がくることを願い、失望し、しかし、へこ
たれずにつましく生きています。地球温暖化とは会議場で交わされる抽象的な
テーマではなく、今年がそうであったようにつましくも生き残り、子供にこの
田と畑、水と里、樹と風を残すための切実なテーマなのです。

 余談ですが、宇宙船地球号とか、ガイアという優れた西欧の考えが紹介され
た時に、ある意味、なんとなく感覚で納得出来たのは日本農民だったのではな
いでしょうか。それはエコロジーとか地球環境と言ったなじみのない肩肘張っ
たテーマではなく、宇宙船地球号ならぬ、宇宙船北浦号としてまんま翻訳可能
だったからです。「モッタイナイ」が今や世界語になったように。
  そして宇宙船北浦号は既に千年以上もの長き航海を続けています。私もその船
の船客ではなく、ひとりの漕ぎ手として人生を終えることでしょう。それは幸
福な人生だと思います。

 やおろずの神、これから来るであろう大きな変動の時代にわれらが人と自然の
共生が耐え、そして生き残りますように、あなたに祈るような気持でこの夏を
終えました。

[言い訳とお詫び]

え~、毎度、積み残しのテーマのまま進んでいます。たしかWTOを離脱しろと
1回を書いた後に参院選のドラスティクな結果にそのまま続かず、民主党の農
業政策を分析したり、世界食糧事情を書く予定だったところ、熱波で自分の農
場が大打撃を被ってしまいそれどころではなくなりと、まことに死屍ルイル
イ、お恥ずかしいかぎりです。
頭の中ではまとまっているのですが、なにぶんグータラな性格で申し訳があり
ません。これら書き残したテーマを整理して、稿を改めて挑戦します。

                                                    目次へ