■現地に見る日本企業のインド進出     松田 健

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 インド人から『イグノア(無視)している』言われ続けてきた日本がようやく
変わり始めてはいる。2003年に中国から広がった新型肺炎SARSにより、中国
に絞った工場進出では今後の危険を感じた企業もインドへ投資環境視察を増やし
ている。インドでの機械展には多くの日本企業も初参加するなど、中国に次ぐ大
きな市場であるインドに注目し始めている。反日デモが中国各地で発生していた
2005年4月上旬、インドとの国交樹立55周年記念としてインドを訪問していた
温家宝首相は、インドとの経済関係の強化を発表する記者会見の場で、「反日デ
モの原因はすべて日本側にある」と語った。
 
 インドブームと言っても、日本からの貿易や投資や観光客がすでに急増してい
るわけではない。目立っているのは好業績のインド企業の高い配当に期待したイ
ンド株への投資がファンドを通じて急増しているにすぎない。インドへの直接投
資の調査が増えていても、何も決められず調査だけで終わっているケースも多い。
日本企業のインドでの行動のスピードは、韓国や中国などに比べ極めて遅い。か
つて日本が得意で米国などからも嫌われた官民一体行動はもはや日本には無く、
代わって米国、中国、韓国などが進める官民一体でのインド進出に日本はとても
敵わない。
 
 日本からインドへの投資などの視察ミッションが急増しているが、日本からは
政治とビジネスは切り離されているケースが圧倒的。05年の小泉首相のインドを
訪問、06年の年初には麻生太郎外相がインドを訪問してアハメド外務担当大臣と
FTA(自由貿易協定)締結に向けた協議を速めようと話しあった。しかし韓国
はすでに06年1月6日付でFTAを柱としたEPA(経済連携協定)締結に向け
た共同研究を終えたなど、インドとの経済関係構築では、日本よりもずっと先を
走り続けている。

●いつも米国の後追い、稚拙外交の日本

 1998年にインドは核実験を行ったが、日本は米国の経済制裁に同調、90年代に
入って伸び始めていた日印経済関係を膠着させてしまった。そして米国のクリン
トン大統領(当時)が2000年3月に米国大統領として22年ぶりのインド訪問を
しかも約1週間にわたる日程として行なった。それに刺激されて日本は森首相
(当時)の官民による対インド経済ミッションを組織して追いかけた。
 
 05年7月にはマンモハン・シン首相が訪米、ブッシュ大統領との首脳会談で、
インドの原子力発電用核燃料を米国が供与することを決め、06年3月初旬のブッ
シュ訪印で調印した。核兵器不拡散条約(NPT)加盟国ではないインドだが国
際原子力機関(IAEA)の査察受け入れが条件。このブッシュ大統領の訪印直
前の2月にはフランスのシラク大統領もインドを訪問しフランスの原子力技術を
売り込んだ。
 
 1972年、ニクソン元米国大統領が日本の頭越しで成し遂げた中国訪問。これに
驚いた田中角栄首相(当時)は中国に行って周恩来と交渉、結果的に米国より先
に国交回復にこぎつけた。それから30年以上が過ぎた今、世界が注目し、日本に
とっても重要なインドに対する日本の外交は、かつての田中内閣の中国外交より
も劣る稚拙さ。06年1月31日、ブッシュ大統領は一般教書演説で、米国はイン
ドを対中国で戦略的パートナーだと打ち出した。

●韓国に謙虚に学ぶ必要あり

 韓国企業はインドでは日本企業以上に目立つ存在。とりわけインドで現地化の
面では韓国企業は日本企業の先生的な存在にさえなっている。2005年末に日本経
団連はインドにミッションを派遣したが、「インドのインフラ整備が中国に比べき
わめて見劣りする」といった旧態依然とした要望をインド側に対して述べていた。
だが、インド最大の投資国で、日本を上回る存在感がある韓国人ビジネスマンは、
「インドでインフラ不足を強調したりしない。インドはインフラが悪い国だから
労賃などのコストが安い国」だと考える。韓国企業のインドで製造している自動
車、輸入も含めたインド市場向けの家電製品、携帯電話はインドの田舎町でも急
増中。
 
 インドに進出している韓国企業では、インド人好みのデザインや機能を開発、
そして価格面でも納得できる安さでインド市場のシェアを築き上げている。例え
ば、インドで製造されている韓国製冷蔵庫には肉は少ししか保存できないが、野
菜はたっぷり入るデザインなど、インド人の生活を知り尽くした製品を開発して
いる。だが、日本の大手企業の多くでは、タイなどで作った完成品をインド市場
で販売するだけでよしとするところが増えている。この姿勢の違いはインド市場
で日本製のシェア縮小につながりそうだ。
 
 数年前に中国で発生した新型肺炎SARS、また、2005年春に中国各地で起き
た反日運動も、日本企業がインドに目を向け始めたきっかけだった。中国に集中
し過ぎたというリスク回避からもインドに注目はされているが、実際の回避先と
してはベトナムやタイが選ばれている。
 これまでに中国に進出している日系企業はプロジェクト数で数万といわれるが、
インドへの日系企業の進出は300件を超えた程度。中国の専門家は多いが、イン
ドについては大企業でも人材不足のようだ。世界に進出している日本の家電大手
のある役員も、「北米、中国、ASEANのベトナム、現在、力を入れなくてはな
らない国がインド以外にも多数ある。しかもインドに投入する人材がいない」と
諦め顔をされた。
 
 インドに出遅れている日本企業だが、マンモハン・シン首相は日本に関係する
ほとんどの会見の場で「日本がインドで存在を拡大して欲しい」と期待している。
インドは日本からの投資拡大と貿易拡大などで、2005年にはインド政府内に日本
の要望を聞く『日本室』を設置した。マンモハン・シン首相は「植民地支配を受
けたインドは欧米からの投資に疑心があるが、日本とは安心して協力できる」と
も語っている。「世界のどの国が好きか」を問うインドの新聞社のアンケートで日
本が最高点をあげたこともある。しかし、日本人と付き合った人などほとんどい
ないはずだから、日本ブランドの工業製品の高品質に対する人気が多分に入って
いると思われる。

●インドから「撤退」する日系企業も

 自前の核兵器や人工衛星さえも持っているインドには、自動車も国産化する基
礎的な技術力がある。インドのビルラ財閥系のヒンドゥスタン・モータースが半
世紀近くモデルチェンジ無しで生産している乗用車「アンバサダー」は今でも政
府系の唯一の公用車であり、大統領も首相も大臣も役人もみんなが乗っている。
プレミア・オートモービルの「パドミニ」も、部品も含めて100%がインド国産の
自動車だったが99年に倒産してしまった。だが、今でもムンバイなどでタクシー
のほとんどが「パドミニ」の中古である。
 
 このようなインドに進出した日系企業の中には日本からでなくシンガポール法
人から進出しているケースなど、日本企業はインドに「おっかなびっくり」的に
進出しているケースも多い。ニューデリーの日本大使館では在インドのムンバイ、
チェンナイ、コルカタと各地の日本企業商工会や関係機関の情報をまとめて『日
本企業インド進出地図』を作っている。その2003年8月版にはインドの日本企業
は231だったが、05年4月版で298社となり2006年1月版では328社に増加は
している。しかしこの数には製造業だけでなく大手商社の事務所とか銀行、コン
サル、日本食レストランなども含まれている。
 
 ソニーは100%出資でニューデリー郊外のハリアナ州に1995年から進出してい
たが、2004年7月にオーディオ機器のインドでの生産を止め、タイからのCBU
(完成品)輸入に替えた。ダイキン工業もインドでの製造を中止しタイからのC
BU輸入に替えている。
 
 日本の家電がインド市場攻略の姿勢からしても韓国に負けているのははっきり
しているが、日本の自動車産業だけはインドでも健闘している。ニューデリーに
隣り合うハリアナ州のスズキのマルチ・ウドヨグの工場はインド最大の自動車工
場。スズキの鈴木修会長は日本の新聞で『インドはわが社が世界企業として生き
ていく試金石』と語っていたが、自動車関係のインド人に言わせると、『スズキは
インドのおかげで世界的企業になれた』となる。スズキは2006年6月からディー
ゼルエンジンの工場を稼動させるが、同社のハンガリー工場にもこのエンジンを
輸出する方針だ。自動車部品では、かなり前から光洋精工が合弁進出していたが、
05年にはNTNが等速ジョイント、三井金属が自動車の排ガス用触媒の工場を、
それぞれハリアナ州で工場を建設中。
  
インドでは、贅沢品に対する消費税の軽減や自動車ローンの利息が下がってい
ることも新車販売を増やしてきた。インドに1983年に進出したスズキのマルチ・
ウドヨグ社がいぜん自動車市場の約半分を抑える最大メーカーである。かつて同
社の独壇場だったインド市場だが、外資の相次ぐ参入による競争激化で、マルチ・
ウドヨグは「生産性アップ」をめざし年3,000万ルピーの予算で「改善」運動を
進めている。
 
 スズキはインドで2004年に年産50万台を達成、05年4月にはインドでの生産
累計が500万台を超えた。800億円を投入した新工場が完成すると生産台数は5
割増となる。スズキはインドでの2輪事業も再構築中。
 ホンダの合弁で年330万台の2輪を生産しているヒーローホンダ(HHML、
ホンダが26%出資)では180万台を生産する新工場を06年中に稼動させるが、
この新工場だけでホンダのタイで製造している2輪生産に匹敵する台数。世界の
ホンダの2輪の数割がインドで生産されることになるなど、自動車と2輪だけは
インド市場でも日本勢が健闘し続けていくだろう。
                   (筆者はアジア・ジャーナリスト)

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