【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ロヒンギャ族:無国籍にされ、抑圧され、人身売買の餌食となる無惨

荒木 重雄


 5月に入って数週間、アンダマン海やマラッカ海峡を漂流する多くの難民船が国際社会の関心を惹いた。乗っているのはミャンマーから迫害や不自由な生活を逃れてきたロヒンギャ族とよばれる人たちである。

 老朽した木造船に女性や子どもを含む3、4百人が詰め込まれ、食糧や水も乏しく、衰弱して死亡した遺体は海に投げ棄てられるという状況で、数週間から数カ月も漂流を続け、助けを求める彼らを、だが、タイやマレーシア、インドネシアの沿岸警備隊は、入港を許さないばかりか、沖へ追い返し、ときには公海まで曳航して放置したりもした。こうして海上を漂流するロヒンギャ族難民は一時、推計で6千人を超えた。

 一方、同じ頃、タイとマレーシアの国境を挟む山地の密林中に、多数のロヒンギャ族難民の遺体を埋めたとみられる集団墓地と、彼らを含む数百人のロヒンギャ族が収容・拘束されていたと思われるテントや竹製の収容所跡が発見された。
この二つの出来事は何を意味しているのだろうか。

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◇◇ 差別に歴史の不条理あり
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 その謎を解く前に、ロヒンギャ族とはなにか振り返っておこう。

 ロヒンギャ族は、ベンガル湾に臨む西部ラカイン州の一部に暮らすイスラム教徒の少数民族で、人口は百万人前後と推計される。
多民族国家のミャンマーだが、政府はロヒンギャ族を国内の少数民族として認定せず、バングラデシュから移動してきたベンガル系の「不法移民」として扱い、国民として認めないため、無国籍状態に置かれている。主要民族のビルマ族をはじめ仏教徒が9割を占める国民の多くも、イスラム教徒ロヒンギャ族への差別意識は強い。

 一方、その出自とされるバングラデシュでも、ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ族の一部を難民認定しながらも、多くは「不法移民」としてミャンマー政府に引き取りを求め、収監や強制送還をくりかえしている。

 なんとも不安定な立場に置かれた人びとだが、その背景には複雑な歴史がある。

 かつてロヒンギャ族は東インドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に住んでいたが、15世紀から18世紀にかけてビルマ西海岸に栄えたアラカン王国に傭兵や商人として移ってきた。イスラム教徒のロヒンギャ族と仏教徒のアラカン族は平和に共存し、王朝はベンガル湾のイスラム諸王国との貿易推進のため、イスラム教徒の名前を騙ることさえあった。

 19世紀前半にはインドから侵入した英国の植民地政策によって、仏教徒地主が継承してきた農地が、イスラム教徒の労働移民にあてがわれた。このことによって仏教徒対イスラム教徒の対立構造がめばえる。
 さらに、第二次大戦で進軍した日本と英国は、日本側が仏教徒、英国がキリスト教徒やイスラム教徒と、宗教別に構成された軍を創って戦わせたことから、両者の対立は決定的となった。

 ビルマ族やアラカン族など仏教徒が主導権を握った独立後、ロヒンギャ族は窮地に立たされるが、とりわけ、ネウィン軍事政権下の1982年に制定された国籍法によって国籍を剥奪され、無権利状態に置かれることとなった。さらに、88年、ロヒンギャ族がアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことが軍事政権の逆鱗に触れ、財産没収や強制労働、暴行などの弾圧が日常的となって、現在に至っている。

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◇◇ 密航・人身売買業者が介入
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 さて、冒頭に述べたような、迫害されたロヒンギャ族が船で海上に逃れたのは今回が初めてではない。2009年と12年にも、多くの難民船がバングラデシュやタイから入港を拒まれて、悲惨な漂流を強いられた。
 だが、今回明らかになった新たな事態は、そこに密航・人身売買業者が関わってきたことである。

 2012年6月、ロヒンギャ族と仏教徒アラカン族の間で大規模な衝突が起こり、ロヒンギャ族に多くの犠牲者が出たが、この事件を契機に政府はロヒンギャ族住民を一定の避難民キャンプに閉じ込めて、キャンプから外に出ることを禁じた。このため、自由を奪われ生活に窮したロヒンギャ族は一層、国外逃亡を希求するようになったが、そこに眼をつけたのが密航・人身売買業者である。

 目的地マレーシアへ難民船に乗るには邦貨に換算して一人約13万円といわれる。さらにタイ・マレーシア国境付近に着いても運の悪い者は、密林中の収容所に連れていかれ、一説によると24万円ともいわれる身代金を要求されて、払えない者はマレーシアの人身売買組織に売り渡される。

 ミャンマー、タイ、マレーシアの軍や政治家、役人も関わるとされる密航・人身売買組織はこれまで摘発を免れてきたが、やがて国際社会の目にも触れるようになり、タイ当局が捜査に重い腰を上げはじめた。その結果が、密林中に放置された収容所跡と集団墓地であり、一方、海上では、逮捕を恐れた密航業者が船を降りて逃亡し、残された難民だけで漂う数多くの老朽木造船である。

 なんとも無惨な無国籍少数民族の状況である。

 国際社会の批判を受けて、沿岸諸国は難民船の捜索・救助や、難民の一時受け入れに動き出してはいるが、熱意は乏しく、実効は心もとない。抜本的な解決策はミャンマー国内におけるロヒンギャ族の人権保護しかないが、ミャンマー政府は依然、彼らを自国民とは認めず、アウンサンスーチーら民主化運動家も彼らに関わるのは損と無視。少数民族同士の連帯もなく、ヤンゴンではなんと、仏教僧も主導して、国際社会の批判を非難し、ロヒンギャ族の排斥を訴えるデモが繰り返されている。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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