【コラム】
フォーカス:インド・南アジア(31)

混迷するインド

福永 正明

  <危うい「インド民主主義」>

 1947年独立からインドでは、国民の直接選挙による連邦議会下院総選挙が継続して実施されてきた。直近の2019年の第17次下院総選挙では、約9億人の全国18歳以上の有権者が、任期5年の議員542人を選出した。インド選挙管理委員会は、投票率67.40%と発表しており、約6億人が政治参加したことになる。
 広大な国土、世界第二の人口、非常事態宣言時代(インディラ・ガンディーのインド国民会議派政権、1975年6月から77年3月)を除き軍政もなく、連邦下院総選挙が実施された。そして、下院過半数を得た政党(単・複数)から首相が選出され、政権樹立が継続してきた。

 つまり、インドでは総選挙の結果での平和的政権移譲が当然とされる。選挙による国政、軍への文民統制の徹底こそが「インド民主主義の強さ」であり、「世界最大の民主主義国」と評されてきた。経済的には長期低迷が続いたが、「国家維持」・「国益優先」を外交的な最大目標として非同盟主義傾向を維持し、民主主義のもと着実に発展を進めていた。

 また、イギリス植民地統治からの独立運動を指導したM.K.ガンディーによる「非暴力抵抗の思想」は、世界各地の植民地独立・人権・民主主義など人びとの運動に大きな影響を与えてきた。
 『インド憲法』ではカーストを理由とする差別の禁止、最下層集団の保護、さらに国教を認めない「世俗国家」であることを明記する。それは、総人口の8割を占めるヒンドゥー教だけでなく、イスラーム、スィック教、キリスト教、仏教など少数諸宗教の存在を認め、政府が保護する立場の明記であった。

 全国メディアだけでなく、各州の主要語となる地方諸語でのメディアも活発であり、「言論と活動の自由」だけでなく、「報道の自由」も広く認められてきた。長演説で知られるインド人たちは、「自己の意見を強く主張する」ことを当然とし、それは異なる意見への敬意でもあった。

 しかしながら、独立から74年が過ぎた現在のインドでは、こうした「民主主義的基盤」が大きく崩れている。既に筆者はこれまでの連載のなかで、2014年連邦議会下院総選挙で圧勝したインド人民党(BJP)のナレンドラ・モディー政権による非民主主義的危険性の指摘を続けてきた。
 「圧倒的与党と強力な首相や指導者たち」に率いられた政権は、「第二の独立」ともいえる大改革を強行している。それは前述のインドでのさまざまな民主主義的特徴を投げ捨て、強大なる中央政府が進める「ヒンドゥー国家主義」への突進である。

  <モディー政権の強硬策と民衆の大反発>

 2014年の第一次モディー政権樹立以来、インドは大きく揺れ動いてきた。BJP政権は、新自由主義経済政策である特定財閥優遇(官業民営化、新規事業の許認可偏重)、労働法や環境法の改悪、超富裕層の優遇策、人権に関わる市民権規制、メディア規制、言論統制、教育機関への介入と教育統制、NGO規制など、さまざまな自由と人権、民衆抑圧策を強行してきた。
 それらは、BJPが圧倒的多数を占める議会での法案成立により、インドの「公式政策」となった。まさに、普通選挙が行われていても、特定政党や政治指導者の権力独占が続く政治体制である「競争的権威主義体制」インドの出現であった。

 特に経済的には、貧富格差、都市と農村部格差、大企業と中小企業格差が拡大、まさに「豊かな者はより豊かに、貧しい者はより貧しく」の社会となった。
 さらにダリットと呼ばれる社会最底辺層、女性、社会的弱者、3億人以上の人口を占める非ヒンドゥー少数民への圧迫強行が続いた。これらはヒンドゥー教徒を主体とする社会建設のための法律制定、BJPやヒンドゥー教国家主義団体最高幹部の暴言や示唆に起因すると言えるであろう。すなわちBJPが関係するヒンドゥー教青年団体メンバーらが、全国各地でさまざまな残虐な事件を頻発させていた。

 最初にモディー政権に反対の声を上げたのは、首都デリーにある国立大学の学生たちであった。それは教育機関への統制を拒否し、言論と集会の自由を強く主張するものであった。また社会の最底辺において支えるダリット、さらに山岳地域や辺境地域に居住するトライブ(「部族民」)たち、イスラーム教徒、女性たちが強く反撃した。
 過去1年半の間に発生、あるいは、現在も進行している民衆による反発、抗議運動について説明しよう。

 第1は、イスラム教徒排斥・迫害するとされた、排他的な市民権法(Citizenship (Amendment) Act, 2019、CAA)・国民登録法(The National Register of Citizens、NRC)反対運動である。すなわち、2019年12月の厳しい寒さの続くデリーの冬から、翌年3月まで継続されたシャヒーン・バーグ(The Shaheen Bagh protest)抗議運動である。
 改正法であるCAAとNRCは、『憲法』の世俗規定に反して、ヒンドゥー教徒主体の国家建設をめざす内容であった。それは、明らかにイスラム教徒の権利を剥奪し、多数派社会での抑圧的生活継続を強要すると考えられた。

 101日間、イスラム教徒女性たちが主体となり、CAAとNRCに反対し、さらに反対運動を行ったイスラーム系大学への警官隊介入暴行に抗議し、道路を止め公共空間を封鎖した運動である。その期間に人びとは、警察の腐敗、失業、貧困問題を追及し、女性の安全な暮らしを求め続けた。これらの要求は、BJP連邦政府を攻撃するものであり、野党、労働法改正に反対する労働組合にも支持されていた。
 現地報道によれば大きなテントが張られ昼夜を問わず女性たちが座り込み、1万人の抗議者が参加したとされている。そして、このシャヒーン・バーグでの抗議運動形態は全国に波及し、各地で同じような抗議運動に発展した。

 これに対して治安当局は多数部隊を投入し、加えてヒンドゥー主義青年団体の無法者たちが暴力的攻撃を繰り返していた。また、「パキスタンに雇われている」などのデマも流され、支援のために現地を訪問したイスラーム教指導者、学生運動指導者、知識人、フェミニストたちを植民地時代に制定された「反乱罪」で逮捕する事態にまで発展した。
 ついに、COVID-19による感染防止を口実として象徴的な民衆抗議の空間は閉鎖された。だが、女性たちを中心とする民衆の公共空間でのユニークな占拠による抗議運動は、強権的政治を繰り広げるBJP、モディー政権を痛打したといえる。

 第2は本稿執筆中も進行する、パンジャーブ州、ハリヤナ州、ウッタル・プラデーシュ州西部地域から、首都デリーへ押し寄せた農民抗議運動である。1990年代から高度経済成長を展開したインド経済において、農業部門は大きく立ち遅れ、低成長を継続していた。インドでは農地が2ヘクタール未満の小規模農家が全体の86%を占め、不作が重なると借金苦で自殺が相次ぐなどその境遇が社会問題となっている。

 これに対してモディー政権は、農業部門全体の企業買収を促進する「3農業新法」の廃止を求める。これは土地買収、農産物販売、貯蔵、価格設定まで、民間企業の参入を認め、農業部門全体の民営化、規模拡張による生産性向上をめざすとされる。つまり、農産物流通網の自由化・効率化、従来は販売先が地域の卸売市場や小規模市場に限定されていた農産物の販売先を自由とする。農民は卸売市場に関係なく、どこでも自分の意思で売ることができるという内容である。
 反対する農民たちは、政府による主食のコメ、コムギの一定価格での買い取り、つまり安定的に農産物価格を支えてきた価格支援制度の廃止がなくなるのではないか、との危惧が強い。

 インドでも既に価格支援制度が廃止された東インドの貧困地域であるビハール州では、価格低下のため農業を放棄し、出稼ぎにでる農業労働者も多い。また既に指摘を続けてきたが、農村地域での高齢化、若者労働者の離村から、いまでは「誰も住まない村」も多い。
 さらに農民たちが憤慨するのは、「新農業法」の制定後、農業部門に参入をめざす、モディー首相と親しい新興財閥のリライアンスに対する抵抗感、反発である。巨大財閥はさまざまな産業企業を傘下に収め、政府と密接な関係のなか急成長を続けてきた。そして、その急成長はモディー政権の自由化・民営化政策を取り込んでの事業展開、企業運営であり批判も強い。

 スィック教徒(日本ではシークと呼ばれることが多い)たちを中心とする反対運動は、首都デリーへ入る高速道路、道路を封鎖し、集団でのテント村、炊き出しなどを続け、寒いデリーで要求を掲げ続けている。
 昨年11月、政府行政機関が集中するデリー中心部への進入を試みた農民たちは、放水砲、催涙ガス、こん棒打撃(ラチチャージ)などの激しい弾圧を受けた。さらに厳しい集団での座り込みや占拠運動により、約200人以上の農民が命を落としたとされる。CAA・NRCへの反対運動、シャヒーン・バーグ運動などでも行われたが、政府寄り大手メディア(リライアンス傘下メディアも含む)は、農民たちを「反国家者」として扱い、1970年代から80年代のスィック教武装集団による分離独立運動から、「カリスタン分離主義者とも呼ばれている。

 1月26日の共和国記念日、既に2ヵ月間も政府への要求を続けていた農民たちは、徒歩とトラクターで平和的な行進によりデリーに入ることとした。ところが警察との事前合意による行進ルートには、「封鎖バリケード」が設置されており、農民たちの行進は阻止された。沿道には農民たちを支援するデリーの人びとが連なり、花を投げて歓迎した。

 そして農民たち数十万人は、毎年8月15日に首相が国民向け演説を行う、旧市街地にあるレッド・フォート(ムガール帝国の旧王宮)へ向け、バリケードを突破してトラクターを先頭に行進を続けた。警備が手薄であったレッド・フォートでは、インド国旗が引き下ろされ、その映像は全国にテレビ生中継された。
 一方、新市街地中心部(旧宗主国イギリスが植民地支配の象徴として建設)においては、来賓席で見下ろすモディー首相の前を最新ミサイルなども含む巨大な軍事パレードが行進していた。

 その後、治安当局は農民運動の指導者だけでなく、ジャーナリスト、支持を表明した知識人、俳優など芸能人などを標的として逮捕、罪状通告を送り続ける大弾圧を継続している。Facebook や Twitter などSNSも政府の規制要請を受け入れ、運動関係者のサイトやアカウントの閉鎖を続けている。
 農民側と政府の交渉が続き、また最高裁判所での和解斡旋も行われた。しかし、今日も農民たちは路上で闘い続けている。

  <ヒンドゥー国家主義の危険性>

 2014年樹立、2019年に再選された第二次モディー政権は、著しく弱体化した。 2019年後半からの経済低迷、世界第2位の感染者数となったコロナ感染症対策不備は、インド経済の脆弱さと行政機構の不機能を示していた。
 さらに民衆や農民運動に対する、徹底的かつ悪辣な攻撃は、モディー政権の強さの証明ではなく、「政権を憎悪する人びとへの攻撃」でしかない。

 一方、日本で引き続き見られるのは「明るい経済のインド」、「中国と厳しく対抗する特別なパートナーとしてのインド」という一面的なことでしかない。日本のカレー飲食店舗のインド進出が、「大企業幹部の集まるシンポジウムで大いに論じられ」続けているのは、笑い話のようだ。アーメダバード・ムンバイ新幹線の「失敗」について誰も語らず、過去の日本大企業のインドから撤退例についても考察はない。インドへの思い込みだけでなく、インドの現実を見ることから始める必要がある。

 インド民衆の巨大な力、その団結は、「ヒンドゥー国家主義」と対峙することができるのか、私たちが注視するべき課題であろう。
 これは、インドの闘いであるが、世界における労働者・民衆による、グローバル腐敗企業との闘いの大きな前進であると言えよう。

 (大学教員)
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