【沖縄の地鳴り】

沖縄県議選与党勝利 全県選挙で辺野古反対派が11連勝

仲井 富


◆翁長知事の与党「大勝利」宣言の意味と意義

 注目の沖縄県議選挙は6月6日、投開票された。1月の宜野湾市長選挙で自公などが全力投球をした現職が6,000票余の大差で勝利した。翁長知事が推した候補者の予想以上の大敗に衝撃が走った。6月の県議選の結果が7月の参院選における現職の島尻安以子対伊波洋一元宜野湾市長の対決となったなかでの宜野湾市長選挙の敗北は、島尻陣営を元気づけさせる結果となった。したがって6月の県議選こそ参院選の帰趨を決定するものとして注目された。

 それは、今回、翁長県政与党となった「オール沖縄」が迎える初の県議選挙でもあったからだ。翁長知事は与党勝利が確定した6日未明の記者会見で以下のように述べた。「議席数48の中で、24議席でほっとし、25議席で勝利宣言、26以上は大勝利と考えていた。一年半の県政運営にご理解をいただけたと思う」。翁長知事の「大勝利」発言は、過去二回の県議選の野党過半数とは異なる状況で、知事与党の「オール沖縄」がはじめて勝利したという意味が込められている。

 過去二回の県議選における野党過半数は仲井真知事時代の選挙であり、それぞれ背景が異なっていた。08年の野党過半数は、小泉政権の社会保障政策の下で、後期高齢者医療制度が新設され、沖縄の高齢者が全国で最大の負担を強いられることになった。旧来の保守層も反発したことが野党過半数の原動力となった。もちろん辺野古移設反対は、野党候補はそれぞれに持っていたが、主なる争点は「後期高齢者保険制度」問題であり、これは小泉自民党政権に対する県民の反乱だった。08年の県議会勢力は、野党は社民系8、共産5、民主4、社大3、新党そうぞう1、無所属・中立系5、で合計26人。与党は自民16、公明5、与党系無所属1の合計22人となった。

 012年の県議選における野党過半数は、民主党政権の下で、消費税値上げというマニフェスト背反と辺野古県外国外移設への批判が、自民党知事の仲井真県政への反発と相まって野党勢力が過半数となった。当時は自民党も形の上では辺野古移設反対の県民世論に迎合していたが、依然としてあいまいな仲井真知事に対する疑念が野党勢力の過半数獲得につながり、民主党県議の壊滅的敗北となった選挙であった。

 012年の県議選結果は野党・中立系が27人となり過半数を維持。社民6、社大3、共産5、民主1、国民新党1、そうぞう1、無所属10。与党は自民13、公明3、保守系無所属など5で21人。だが民主は本土与党民主政権の「辺野古移設推進」とともに仲井真知事の与党化した結果、前回の議席4から1に転落。今年の県議選ではゼロ議席で消滅した。この時、012年1月の宜野湾市長選挙では、自公推薦の現市長の佐喜真淳が初めて当選。長年続いた革新市政が敗北、同年6月の県議選でも自民2、革新1と逆転した年でもあった。今回016年の県議選は、その後の県知事選、総選挙で翁長知事が仲井真知事と対決し、保守層をふくめた保革を超えた「オール沖縄」勢力が県知事選、衆議院選で圧勝した後、与党となって初の県議選だった。

◆島尻三選こそが安倍政権最大の政治目標となった

 安倍自民党政権は「辺野古が唯一の選択肢」という日米合意を貫徹するためにあらゆる手段を弄した。013年にまず島尻を先頭に自民党国会議員団全員を「辺野古移設賛成」に回帰させ、その上で同年12月、仲井真知事に3,000億円の札束を積んで「辺野古移設反対」の看板を「辺野古が唯一の選択肢」という看板に変えさせた。その裏を取り仕切ったのは「辺野古移設反対」から真っ先に「辺野古移設賛成」に転向した島尻安以子である。宮城県出身の島尻は以降、「島売り安以子」とよばれ「くさり、やまとぅー」とも言われている。翁長知事にしてみれば、自らが育てた飼い犬に手を噛まれたという思いだったろう。

 しかも安倍政権は、今年7月の参院選対策として、6年前の参議選で「辺野古移設反対」で当選、3年後に「辺野古移設賛成」した島尻安以子を北方領土・沖縄担当相に任命。同時に那覇市と名護市を除く沖縄の「保守九市長会」を中心として、まず宜野湾市長選での勝利を第一歩に、6月県議選における翁長過半数体制の崩壊を策した。1月の宜野湾市長選挙は予想外の6,000余の大差で現職市長が再選されたことで「翁長体制崩壊の兆し」とも見られた。同時に元宜野湾市長で選挙戦の責任者だった伊波洋一の責任を問う声も起こった。選挙総括会議で「伊波では参院選を戦えない」という不協和音さえ聞こえる状況だった。翁長知事の「大勝利」発言には、そういうもろもろの問題を抱えながらの県議選で、初めて翁長知事与党の「オール沖縄」勢力が完全に県議会勢力の過半数を制した喜びが込められている。今回の県議選を仔細に点検すると、翁長知事の「大勝利」の意味と意義がよくわかる。

◆獲得議席数と選挙区別得票数

(1)獲得議席数は以下の通りだ。与党勢力は合計27だが、辺野古移設反対は、公明党県本部も明確にしており、中立の6議席のうち、公明4議席をプラスすると辺野古移設反対は合計31議席、賛成は自民14議席プラス維新1で合計15議席だ。

(図1)沖縄県議会の新勢力
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(2)選挙区別得票では、12区の中で、辺野古推進勢力が得票数で勝ったのは宮古島市区だけ。後の11区は与党勢力がすべて自民などの野党勢力を上回った。

(図2)県議会での与野党の勢力図
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(3)今回の県議選での有効投票数55万4,517票。前回の012年より約6万票増えた。与野党それぞれの得票数は、与党29万1,053票(52.5%)、野党18万2,865票(32.9%)、中立系は無投票だった名護市区を除く12選挙区で計8万595票(14.5%)。

(図3)県議選での政党別得票数
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 (図表はすべて沖縄タイムス 016・6・7より)

(4)6,000票余の大差で敗北した宜野湾市長選挙だったが、今回県議選では与党系が2名当選、野党は現職2名の内1名のみの当選。得票数も与党の合計票が野党自民票を数百票上回った。翁長知事と伊波元市長は市長選のリベンジを果たして7月の参院選を迎える。

(5)唯一、野党自民の得票数が与党を上回ったのは宮古市区のみだったが、ここでは与党の新人女性候補亀浜玲子がトップ当選で議席を分け合った。保守九市長会のまとめ役でもある宮古市長だが、亀浜は自衛隊基地反対をスローガンに当選した。那覇市区で保守系の新風会から立候補した翁長側近の候補者2人の落選など、取りこぼしもあったが、参院選直前の県議選結果は翁長知事の「大勝利」発言の意味と意義を理解する材料に満ちている。

◆「くさり、やまとぅー」島尻安伊子を許すな 11回の県民の総意無視

 今回の県議会選挙の結果、沖縄では07年以降3回の参院選、3回の県議選、3回の総選挙、2回の県知事選と、計11回の全県選挙で辺野古基地移設反対の政治勢力がすべて勝利している。また名護市長選挙でも、辺野古移設反対の稲嶺恵一が地元公明党の支持も得て09年と013年完勝している。

07年参院選、辺野古移設反対の糸数慶子、当選
08年県議選、辺野古移設反対派の県議会野党過半数、民主初の4議席
09年総選挙、辺野古移設反対の野党全選挙区当選、民主党政権へ
010年参院選 島尻安以子県外移設反対で再選、民主菅政権惨敗
010年県知事選、仲井真知事が県外移設を公約して再選、013年変節
012年県議選、辺野古移設反対の野党勢力二度目の県議会勢力過半数
012年総選挙、自民党候補が県外移設を掲げて全員当選、民主総選挙惨敗
013年参院選、糸数慶子辺野古移設反対で三選、民主参院選惨敗
014年、県知事選で辺野古移設反対の翁長知事10万票差で仲井真に勝利
014年、総選挙で辺野古移設反対の野党勢力完勝、沖縄自民惨敗
016年、県議選で翁長支持の与党オール沖縄県議が27議席で完勝

 県議選の結果を受けて6月22日公示、7月10日投票の参院選がはじまる。この選挙こそ、沖縄選出の自民党議員と仲井真知事の変節を主導した、宮城県出身の島尻安以子、沖縄では「島売り安以子」とも呼ばれている沖縄担当相の三選を許すか許さないかの審判が下る日である。沖縄各地では「うちなんちゅー(琉球人)に非ざる「くさり、やまとぅー島尻を許すな」の合言葉で参院選が始まろうとしている。過去10年間に辺野古移設を「唯一の選択肢だ」と繰り返す政治勢力は民主党壊滅、自民党全滅と国政選挙でも全員落選している。7月の参院選こそ「くさり、やまとぅー島尻を許すな」との審判を下せるかどうかの瀬戸際の選挙なのである。07年から沖縄県民はすべての選挙で「対米従属、沖縄への基地負担押しつけ」の本土政党である自民、民主などの政権に明確に「ノー」という結果を突きつけたのである。

◆沖縄20歳女性の死は、日米両政府の無作為の罪だ

 もし東京の横田基地や神奈川の横須賀軍港を、戦争や核持ち込みの危険があるとしてデモが起こり、知事や議会、国会議員すべてが撤去を要求する事態になったら、日本政府は警察権力を動員して弾圧できるか。「外交防衛は国の専権事項、唯一の選択肢」といい続けられるか。出来る筈がない。沖縄だからこそ、国土面積の1%にも満たない土地を本土防衛の戦場として、当時の沖縄県民の4分の1の10万人を犠牲とした。

 敗戦後も沖縄だからこそ基地の74%を押し付けて、1972年本土復帰後も、米日の最前線基地として平然としている。さらに今後200年も使用できる「辺野古新基地」を米軍に提供することを県と名護市に強要しているのだ。沖縄の民意を無視し続ける本土政党に憲法擁護とか民主主義、地方分権や基本的人権を語る資格はない。またアメリカ政府の「辺野古唯一」という安易な米軍基地押しつけは、アメリカ国家の「民主主義」が如何にご都合主義の似非民主主義であるかをも証明している。屋良朝博氏の「沖縄20歳女性の死は、日米両政府の無作為の罪だ」との、以下の指摘が的を射ている。

 ——0.6%の国土面積に75%の米軍基地が集中している実態はよく知られている。では、アジア全域に視野を広げてみよう。米軍はアジア太平洋全域に約10万人を前方展開している。このうち沖縄には2万5,000人を駐留させているので全体の25%になる。アジアに展開する米軍の役割は自国の利益保護と同盟国の安全保障である。日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイの同盟5カ国に対し、アメリカは条約上の防衛義務を負う。この5カ国の国土面積は合計890万平方キロメートルで、沖縄は2,300平方キロメートル、率にすると0.025%でしかない。アジアの中でみると針の先ほどの0.025%の場所に25%の兵力を押し込めている異常な状態こそが、沖縄の米軍基地問題だ。ビジュアル的に説明すると、5,000人が100トンの荷物を担ごうとした場合、このうちのたった1人に25トンを背負わせている計算になる。世界でこれほど軍事化された場所はないだろう。この不公平で不正義な状態の中で過去から現在にかけて終わらない犠牲の積み重ねがある。——(「沖縄20歳女性の死は、日米両政府の無作為の罪だ」 屋良朝博 沖縄タイムス 2016年5月23日)


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