【沖縄の地鳴り】

在沖米軍基地を引き取り運動の提案

歌野 敬


●はしがき
 著書「沖縄の米軍基地『県外移設』を考える」で、在沖米軍基地を県外で引き取るよう主張する高橋哲哉東京大学大学院教授(哲学)が12月2日、日本記者クラブで講演し、記者ら61人が参加した。高橋氏は「日米安保の恩恵を受ける受益者は本土だが、基地負担は沖縄に負わせている」と指摘した。その上で「日米安保を選んだ政治的責任を取って、米軍基地は本土が負担すべきだ。それでこそ安保が必要かどうか本格的に議論できる」と述べた。高橋氏は日米安保条約批准時、国会に沖縄からの国会議員はいなかったことなどを挙げ「日米安保は沖縄以外の本土の政治的選択だ」とし、沖縄が選んでいない政治的選択の結果、国土面積の0.6%の沖縄に73.8%が集中している状況を「現在の安保体制の根本的な矛盾が生じている。民主主義的な原理にも反する差別的状況だ」と述べた。高橋氏は「大阪、福岡で基地引き取り運動が出ている。メディアは市民の動きを報じて、世論に風穴を開けてほしい」と要望した。重要な問題提起である。

 以下に「米軍基地引き取り行動」を提案している歌野敬氏のメッセージを紹介する。歌野氏は、五島列島に家族5人で入植して28年、渾身の力を振り絞って書きあげた『自立自給を基礎とする支え合う村』構想でも知られる。賛否両論が巻き起こっているそうだ。「平和憲法の下で一兵も死なず殺さず来た九条護憲に反する」という批判もある。「沖縄の米軍基地を特権的に使わせ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン、イラク戦争そして現在のシリア紛争など、沖縄の犠牲において、戦後70年アメリカの軍事戦略に加担してきた安保体制下の歴史を直視せよ」という見解も傾聴に値する。(編集部/仲井富)

◆「沖縄米軍基地引き取り行動」と私

 長崎・五島列島の歌野といいます。いま、辺野古の動きに関連して、沖縄の米軍基地を本土に引き取る行動が注目を浴びてきています。高橋哲哉の「沖縄の米軍基地─『県外移設を考える』」の刊行(6月)と、これを契機として、2年前から大阪で立ち上がっている「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動=略称:引き取る行動・大阪」が一躍脚光を浴びた形になり、本土メディアではごく一部を除き無視される中で、沖縄タイムスや琉球新報では繰り返し大きく取り上げられてきています。

 私は3・11以降反原発運動に闇雲に関わりながら、かつて夢想の領域であった脱原発が実現しそうになったにもかかわらず、民主党の無様な退潮、自民党の復活を背景とした原子力村のしぶとい反撃で、なし崩し的に元の木阿弥状況が現出する様を直視しつつ、何ができるか考え続けてきました。そして安倍政権誕生以降の急激な右傾化に直面し、反原発から反ファシズムへ軸足を移さざるを得ないと判断し、双方を串刺しする現場として辺野古反基地運動に主眼を置く、そう決めて辺野古問題に傾斜してきたこの2年間でした。日米安保条約・日米地位協定、日米原子力協定でがんじがらめされている状況にくさびを打ち込むことに集中すべきという立場です。(ちなみに安保条約は60年、70年の10年ごとの改定から、いまは1年ごとの自然承認に変わっており、法的だけの問題で言えばいつでも=1年前に通告=破棄できることになっています。)

 辺野古新基地問題で沖縄は翻弄され続けてきました。とくに鳩山政権時代の「県外移設」発言以降の迷走は目に余るものがありました。これは私自身もそうで、鳩山発言がなされた瞬間から、「どこかで引き受けざるを得ない。もし五島が候補に上ったら……」との自問に、「当然反対するが、どんな反対理由を述べてもそれは沖縄県民にとってはNIMBYの論理にしかならない」。「ではどうするか。これを突き詰めれば安保条約の破棄しかない。フィリピンのクラーク米空軍基地撤収という前例を考えれば、辺野古で徹底抗戦することで不可能ということはない……」、こんな思考回路でした。これは沖縄の米軍基地だけの問題として取り出せば「基地はどこにも要らない」という論理です。

 そんな中で、私は『世界』に親川志奈子が書いたエッセイの一節に、頭を一撃くらったような衝撃を覚えました。すなわち「基地はどこにも要らないというときの主語はヤマトだ」。つまり、どこにも基地が無い状況を作り出すしかないのなら、現にある沖縄の基地がすべてなくなるまで沖縄県民は我慢し続けろ、という論理なのです。沖縄基地を語るときの枕詞になった「0.6%の面積に75%の基地」の固定化の論理でしかない。それは高橋哲哉が言う「構造的差別」以外ではありません。日米安保に安住している本土との関係をまず正常化すること、基地の偏在を解消することこそがまず取り組むべき課題だということに、親川志奈子の一撃が教えてくれたのです。

 彼女のエッセイにはまた、大阪で「基地引き取り行動」が始まり、ようやく沖縄県民の想いを正面から受け止め始めたことが書かれていました。単細胞の私は、すぐに「これしかない」と決めました。過去の反基地の立場からすれば思考回路と行動論理を逆転させることだし、周囲から袋叩きに合う可能性があることも覚悟の上です。

 10月11日、私は、関西沖縄文庫の金城馨さん(沖縄に基地を押しつけない市民の会)や、松本亜季さん(沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動=引き取る行動・大阪)に連絡をとり、メンバーのミーティングに参加してきました。数千人の来場者がある恒例の「エイサー祭り」で、「基地を引き取る」を前面に掲げた写真展示(沖縄戦や基地のなどの写真)ブースを設けた行動の反省会のミーティングでした。300名ほどのブース見学者が来たらしく、基地引取り論がかなりの波紋を引き起こしている状況がうかがえる興味深い内容でした。会ではすでに候補地を二箇所設定し、地元でのアンケート調査や大阪府や国に申し入れる準備を始めています。

◆大阪に呼応した「本土に沖縄の基地を引き取る福岡の会」発足

 この席ではさらに、大阪の行動に共鳴して、福岡でも9月に「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」= Fukuoka Initiative for Return of U.S. Military Bases in Okinawa to Mainland Japan(FIRBO)がスタートしたことを知りました。東京でも設立準備会が立ち上がり、熊本でも声を上げ始めている人がいることも。今後、燎原の火のようにこの運動が広がる可能性があることを確信しました。

 以上、長々と私事を書き連ねてきました。日米安保条約の最前線としての辺野古。辺野古基地建設を止める、あるいはそれに近い状況を作り出すことが、安保法制を頂点とした今のこの国の度し難い右傾化の流れを食い止める唯一といっていい解決策であること(翁長知事の「沖縄から日本を変える」と同じ文脈)。基地=戦と捉えて辺野古基地建設反対を訴える立ち位置では、沖縄の基地集中の現実に正面から抗しえない。さらに強調すべきは、米軍再編のプロセスで沖縄米軍基地・海兵隊の海外移転が日米政府協議の俎上に上ったのに、この国は駐留継続を要請したことを考える時、引き取り行動こそ、政府に真っ向から異議申し立てをする行動である。以上がこのことを確信してきた経緯です。

 もちろん、この行動が既存の反戦運動と軋轢を生むだろうことは十分に想像つきます。でも引き取り行動の意義は次の観点からも意味を持つと思っています。

・日米安保条約を容認するということはどんな現実を引き受けることかをこの国の人は体で認識する機会になる
・その上でもし、例えば私が住む五島が候補にあげられたら、日米地位協定問題を浮上させることによって日米安保条約の内在的問題を解決する手段を提出できる
・同時にそこで受け入れ派と反対派の反目が始まるとしたら、初めてこの国の安全保障論議を9条をめぐる神学論争ではなく、現実的課題として俎上に上らせることができる

 要は日米安保を問わずして、反戦もへったくれもない。いま反戦運動をやるということは、安保条約に乗っかっているこの国と沖縄の構造的差別を正常化してからの話、あるいは正常化しつつ問うていくべき話、だと思います。そこは高橋哲哉の言うとおりです。引き取る前に海兵隊の国外移転を焦点化すべきという反論がすぐに返ってきそうですが、既述のように、海兵隊の国外移転を拒んでいるのはほかならぬこの国の政府です。その政府の論理を内在的に崩すためにも、受け入れ運動が実効性を持つと思います。

10月15日、「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」の一員として(五島からも辺野古埋め立て用土砂が搬出される計画があります)、国会請願と防衛省・環境省・経産省への申し入れに上京し、沖縄選出の糸数議員に面談して、基地引き取り運動に関する見解を尋ねました。糸数議員の心もこもったその返答に、さらに意を強くしました。「米軍基地に悩まされてきた県民として、どこかに引き取れとはとても言えません。基地をなくす行動が本筋です。しかし、本土の側からこうした行動が始まっていることは嬉しい」と。

 10月21日、福岡のメンバーに会いました。3時間以上にわたって意見を交換しあう充実した時でした。まだまだ詰めなければならない課題はもちろん山積していますが、当面この方向で辺野古問題の迫るつもりです。
 時間があれば「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動=引き取る行動・大阪」や「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」=Fukuoka Initiative for Return of U.S. Military Bases in Okinawa to Mainland Japan(FIRBO)のサイトを検索し、動きを見てもらえればと思います。  2015年10月27日

 (五島列島新上五島町・在)


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