【コラム】風と土のカルテ(101)

求められる「地球のお医者さん」

「プラネタリーヘルス」(仮訳「地球環境医学」)

色平 哲郎

 近年、腸内細菌と健康の関係が、学問的にもめまぐるしい速さで見直されつつある。ヒトの腸管内にはおよそ1000種、100兆の細菌が生息しているといわれる。この細菌叢の豊かさは、生命体であるヒトの健康を左右するばかりでなく、俯瞰(ふかん)してみると、土壌の形成、家畜の腸内細菌叢、植物根の根毛周囲の栄養状態、ひいては地球環境の健全さに大きな影響を及ぼすのだ。

 土のでき方をおさらいしておくと、岩石が陽光や風、水などの力で風化し、細かい粒子に変化する。砂状の岩石粒子の上にバクテリアやコケ類などがすみつき、動物の糞や死んだ生物の分解物によって、空隙に有機物と腐植がたまる。そして、水や空気などの働きもあって、鉱物質と有機物の複雑な混合物ができあがる。
 ごく簡略化して言うと、こうして形成されるのが土壌、いわゆる土である。

 つまり、地球のあらゆる環境に高密度で複雑な微生物群が存在し、微生物生態系を形作っている。地球環境の危機とは、微生物生態系の危機でもあって、土壌学や生物学、その一分野である医学をトータルに組み立て直し、対応しなくてはいけない時代に至ったことを意味する。

 読者の皆さんは、米国の作家、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』という作品を読んだことがおありだろうか。1930年代に発生した干ばつと「砂嵐(ダストボウル)」を背景に、農業の機械化を推し進める資本家と、土地を追われてカリフォルニアに移っていく貧しい農民との葛藤をモチーフにした小説だ。

 砂嵐は、環境を無視した耕地化(過耕作)が原因であり、実は人災に近い。
 北米の大草原に入植した白人農民は、作物を植えるために、表土を押さえていた草をすき込みによって剥ぎ取り、地表を露出させてしまった。それが直射日光にさらされ、乾燥して土埃になり、強風で運ばれてニューヨークやワシントンDCにも雪のように積もったという。現代の「黄砂」も過放牧、過伐採や農地転換による土地の劣化がもたらしていると指摘されており、共通の病根がここにある。

 地球という高度な微生物生態系の健全さ、さらには、われわれヒトの「内なる外」である腸管内の健康を保つには、土の劣化を抑え、豊かな農地を回復することが求められる。そのためには、それぞれの農地の地力を「診断」しなくてはならない。「農民とともに」を標榜してきた佐久総合病院の医師としては、土の健康も気になって仕方ない。

ミクロからマクロの視点へ
 そこでご紹介したいのが、「土壌微生物多様性・活性値」という解析手法だ。
従来の、土壌から微生物を「分離」し「培養」して土壌微生物の多様性を測定するという、高コストで実用化が難しい方法ではなく、土壌微生物をマス(集団)としてとらえ、その生理活性と代謝とを直接的に把握し、数値化する方法である。
 土壌分析事業を手掛けるDGCテクノロジーが提供している。

 やや専門的になるが、この技術を提唱した農学者の横山和成氏の記述を引用しておこう。
 「土壌微生物のマスとしての有機物分解機能解析のための分解基質として、高分子、糖、糖誘導体、メチルエステル、カルボン酸、アミド、アミノ酸、ペプチド、
核酸、アミン、アルコール、リン酸化糖類などに分類される95種類の異なる有機物を用い、それぞれの有機物分解反応の進行過程の時系列分解結果から、土壌中に存在する微生物の多様性と有機物分解活性情報を同時取得するシステムを確立した」(横山和成「土壌微生物多様性・活性値診断と改善」農業技術大系土壌施肥編追録第31号、2020年)
 ミクロからマクロの視点へと転換し、土壌をマスとして捉えた点で、この技術は画期的といえる。

 こうした微生物生態系の研究の積み重ねは、今後、「プラネタリーヘルス」(仮訳「地球環境医学」)の考え方ともリンクしてくることだろう。プラネタリーヘルスは、ハーバード大学のサミュエル・マイヤーズ氏と、ワシントン大学名誉教授のハワード・フラムキン氏が提唱した概念だ(長崎大学監訳、河野茂総監修『プラネタリーヘルス』──私たちと地球の未来のために──[丸善出版、2022]、原著2020年)。
 学問の領域を超えて、地球の環境と健康を守るため、「これまでの生活様式を維持することではなく、自然界との新たな関係への『大転換』」を促している。

 プラネタリーヘルスの日本語定訳はまだない。
 医療のフロンティアといえるだろう。

※この記事は著者の許諾を得て日経メディカル(2022年9月30日号)から転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
 
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202209/576807.html

(2022.10.20)
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