【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(22)

坪野 和子


◆ブータンでの買い物は手ごわい、日本人が恥ずかしい(3)

 先月号は休載させていただきました。台湾新北市で毎年催されている「亞洲的印度文化節(アジア・インド祭)」で長谷川時夫さん(ミティラー美術館館長/音楽家)のバックミュージシャンとして参加いたしました。シンセサイザー奏者として。音楽家として長年のブランクがあったので不安でした。久しく音楽活動を行っていなかっただけでなく、前衛音楽・フリージャズの演奏は最後いつだったかしら…。どのくらい、長谷川さんにとってご自身の世界観を表現してもらえた伴奏者であったかどうか…? 参加してみて、ステキなイベントだったこと、イベントでの演奏そのもの…これを語ると面倒くさいおばさんになりそうなので止めます。イベントで知り合った人々との出逢いもとてもよかった。

 「台湾、どうだった??」実は、はじめての台湾なのですが、言葉が100%通じないこと以外は、外国に行ったという気がしませんでした。昭和にタイムスリップした日本、共産党になる前の中国(想像ですが)のミックスしたような雰囲気でした。台湾リピの日本人のみなさまよりも言葉が通じるので…ええ?? はじめてぇぇぇ…。と言われた、実は裏道に入ると結構言葉が通じていません。新北市の事情ですけれど。台湾國語、台湾語のほか…さまざまな中国語。英語で“New Taipei”と表記する地域ですから(各種事情があるかつての移民の子孫が多い)…。お蔭様で良い時間を過ごしました。

※亞洲的印度文化節2016現地報道(和太鼓の共演者たちの写真掲載)
 http://tw.on.cc/tw/bkn/cnt/news/20160515/bkntw-20160515123822478-0515_04011_001.html
※会場 夢想社區 http://dreamcommunity.tw/
※演奏 ミティラー美術館館長の部屋 http://tsukiyake.blogspot.jp/

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1.ティンプー---JICA[市内道路で]---
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 前回は、ホテルのレストランで、仕切りがないのにまるで自分たちの宴会場のようにして大騒ぎしていた日本人団体さんたちに眉をしかめる中国人たちの姿を恥ずかしいと感じたところで終わった。今回は時系列順ではないが、その続きとして、ブータンで遭遇した日本人たちの姿にやはり恥ずかしさを感じた場面の回想からはじめる。高僧タントン・ギャルポ所縁の尼寺を目的地として、チベット仏教暦の元旦にパロからティンプーに向かって行ったときのことだった。

 ブータンは幹線道路が整備されていてキレイだ。日本車で移動となればあまりに快適すぎる。その快適な道中、日本円で20万円くらいするだろうなと思われるスポーツ自転車が前を走る。自転車といえば、ブータンの首相ツェリン・トプギェー氏の趣味は自転車のツーリングだ。そして、ブータン人の信者も多いカギュ派ドゥクパでは毎年インドかネパールで僧侶信者たちとともにゴミ拾いのエコサイクリングを行っている。

 …だから前を走るのも、そういう人なのかしらと思っていたら…ガイドさん「いい自転車でしょ」「まさか首相」「はは、まさか…。近くを通るとわかりますよ」…近くを通過…あ!! 日本人だ!! 「JICAの人たちだよ。たぶん学校の先生かスポーツ指導に来ている人でしょう」…そりゃあそうだな…外国人でもなければ、元旦早々自転車を飛ばしてトレーニングしているはずはないものね。ガイドさんから質問された「JICAの人たちは完全なボランティアではなく、退職金を貰っているんだって」「そうですね、それほど大金ではないけれど」「…そうか…」ガイドさんはあまりいい気分ではなさそうだった。

 理由はわかっている。ブータンではボランティアの参加する場合、勤務時間中であれば、給与を出すことを法的に義務付けられている。ボランティアそのものは完全に無償である。習慣の違いではあるが、ボランティアであるのに退職金を貰うのはおかしいと考えているのだろう。私自身も一律に退職金を出しているのは良いとは考えていないのと、敢えて彼らがどう考えているのか知りたかったので、事情説明はしなかった。払う必要がある人もいる。帰国して職を得られない人たちの就活期間中の資金として必要だと思うからだ。その場合、足りないかもしれない。しかし、帰国して元の仕事に就けるような人に対しては、帰国して順応が大変だから多少は出してもいいかもしれないけれど、人によって金額に大きく差をつけているようではない。日本人の姿がずっと後ろになっていくうちに…いろいろと思い出してきた…JICA帰国教員たちのことだった。

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2.埼玉県---回想---
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 ここからは日本での回想だ。前任校では、日本語・英語スピーチコンテストに引率して行っていた。審査の間、JICA帰国の先生の講演を拝聴した年が2回ほどあった。ある年では…失礼だが高校生たちはなに人であっても眠そうだった。ちゃんと起きて聴いていた生徒たちが言った。「センセ、あの先生が行った国での出来事はウチラの国では普通だよぉ〜」「あ…ウチもそう思った」「私もぉ」(女子高校生は関西でなくても「ウチ」と言う。外国人であっても日常会話は若者言葉だから)。

 …それぞれの国で普通だと思っていたことが「この国ではね、掃除もしないで帰っちゃうの」「この国ではね、コンピュータのメンテナンスをちゃんとしない」「この国ではね」「この国ではね」…いや…「この国」が普通だとすると日本が普通ではないってことだ。こんなに日本の常識にはめようとして、現地の子どもたちや教員たちや地域の教育関係者はどう感じたのだろうかと思った。日本の常識世界の非常識だ。しかも賢い生徒が「コンピュータのメンテナンスをするより日本にお金を出してもらって新しいのを買ってもらったほうがいいじゃん」と現地感覚もそうなのかなと思えるようなことを言った。

 また別の年では貧困国での話しをした後、「私たち日本人ができること…意外とたくさんあります。みなさんは献血をしたことがありますか?」と発問したので「すみません、献血という日本語がわからないと思います」とつい言ってしまった。その先生は本校の生徒たちをご覧になって、ほとんど日本人と思われる子がいないことに気づかれた。

 「ドネイテッド・ブロッド」と英語でおっしゃってくださったら、日本人とフィリピン人のミックス(ハーフ)の生徒が嬉しそうに手を挙げた。貧しい支援してもらわなければならない国のひとつの出身者だ。その先生…ずっと日本人に向けて講演されていたので驚いていらした。講演を依頼したかたの連絡不足なのだろうと思った。

 JICAから外国にいらした先生がたがどの程度現地のニーズを感じていらしたのか、どの程度現地事情に合わせていらしたのか、そして帰国された先生がたがどの程度日本という国の教育事情をあらためて考えてくださっているのか…。願わくば、現地と日本という比較だけの国際理解・異文化理解を展開したり、日本の豊かさに優越感を持った学習活動をしたりされていないように。

 このかたがたではなく、ときどきJICAで派遣されて音楽の授業でリコーダー、鍵盤ハーモニカを使っている、という話を見聞するが、現地の笛でいいのではないかと。使わなくなった算数おはじきを現地に持ち込んでご指導されているのは素晴らしいけれど、「日本を持ち込むこと」「日本式教育をすること」の現地選択はどのように行われているのか疑問を感じることがあったりする。

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3.ティンプー---JICA[修学旅行感覚の寺院参拝]---
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 目的地の尼寺では、お正月なので、いろいろとご馳走になり、あれも食べなさいこれも食べなさい、お昼ご飯食べられないくらいご馳走になっていたところにJICAの若者がふたりでお寺に入ってきた。「いいお寺だなぁ〜」…挨拶もしない。挨拶もしないくらいだから仏像を拝むこともしない。ちょっとひどいじゃないのぉ〜この子たち…と思って声をかけようとしたら…ガイドさんが目で息子に引き留めるよう促している…尼さんも、ま座りなさいよと…私を止めた。
 ひとまわりして、さっさと本堂からいなくなっていった。あきらか私が怒った顔をしていたのだけれど、たしなめるように…「外国人だから」…って私たち親子も外国人なんだけど…しかも同じ日本人。親は一体どんな躾けをしてきたんだ…いや、JICAはどんなトレーニングをしてきたんだ…。これはまるで修学旅行にぞろぞろお寺を「見学」している姿そのものではないか。

 彼らがいなくなって、「JICAはこんなもんだからね」…と一緒にいらした参拝者。さきほど車の中でガイドさんが退職金を貰う完全ボランティアではないという言い方と関連して理解できてきた。参拝者や尼さんやお寺関係の人たちとお話しして気づいた。JICAは途上国でこんなに感謝されているという日本国内での宣伝とは違って、関係がない人たち・恩恵がない人たちにとって、自分の文化や自分の国の技術を持ち込んでエラソーにしている、あるいはエラソーではないけれどただ現地にいるだけの人たちも少なくないっていうことだ。それがいいとか悪いとかいうのではない。もちろん郷に入っては郷に従いつつ現地に溶け込んでいるJICAの人たちもいるだろうと思う。

 というか、そういうかたも知っている。ただブータンで目立って目にしたのは、残念な若者ばかりだった。英語でいいから挨拶して、仏像の前で五体投地しなくてもいいから合掌くらいしていれば、現地の人たちの印象もいいだけでなく、ちゃんとした参拝者なので、美味しいお料理やお菓子もご馳走になることができ、いろいろと現地を知ることができたはずなのに…。しょうがないなぁ。でも、これってJICAというより日本の問題なんだろうな…と。…たぶんブータンだけでなく、「世界のどこであっても『日本』を持ち込む日本人」…ホテル・レストランを宴会場にした日本人も含めて、空間移動しているだけで、どこでもずっと日本…恥ずかしい…悲しい。

 次回、ちょっと続きでJICA/ODAとNGO。現地目線で。目的地「高僧タントン・ギャルポの橋」。

 (筆者は高校日本語コミュニケーションアドバイザー&専門学校時間講師)


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