【自由へのひろば】

東日本大震災でのボランティア活動を経験して
~何もないところから一歩前に進む勇気と希望~HEART KNIT

松ノ木 和子


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 2011年3月11日、東日本大震災により、みな大きな試練が与えられました。未曾有の事態で、我々がこのような経験をすることになるとは思いもよらないことでした。当時を振り返り、そこで何もしないでいることは誰も不可能だったと思います。

 その日から、私が生業とする雫石スキー場も閉鎖になり、スキー教師は総出で支援物資をお届けすることから始まりました。全ての娯楽を否定される風潮の中(レジャーと受け取られるスキースクールも同様でした)、被災地にあるスキースクールからこの状況を打開していかなくてはならないと、ゲレンデを長野・新潟・山形に移してスクール再開することとなりました。そこで、岩手に残った女性スタッフ、スキー仲間が呼びかけ、その枠を越えるボランティアが集まり支援活動が始まりました。

 連日の物資支援から時が経ち、被災された方達が必要とされる物が日々変わってくることに気がつきました。食が届き、衣が届き、暖が確保され、次には心の癒しだと感じ始めました。一口に心の癒しと言ってもそれぞれの置かれている立場により千差万別あるなか、私たちは女性に支援のターゲットを絞ることにしました。終日、避難所の体育館で「する事」「しなければならばならない事」それがないのはどれほど苦痛なことか、という思いから編み物をするための毛糸をお届けしようと思い立ち、メール・ブログを通して呼びかけた所、友人・知人域を超え全国から海外からも思いの外大きな反響があり愕きました。
 この呼びかけに賛同して下さり、お届けくださる毛糸と共に添えられた手紙には「この支援活動に関わることによって、心痛めていた私が慰められました。感謝します。」と。この活動によって、被災者、非被災者共に救われるのだと感じたときでした。 活動の手順は、全国からお届け頂いた毛糸・編みもの道具をお一人お一人の方が使い易いように1作品毎にキットにして避難所をお届けに回りました。

 第2段階(癒しから経済活動へ)に移り、被災者の皆さんが編み上げた作品を販売し、編んだ方にその売上全額を還元するというものです。支援活動から被災者自立の第一歩として「キャッシュ フォー ワーク」ができるのではないかと考えました。販売はスキー場やホテル、スポーツショップなどへの展開と考えていましたが、思いの外反響は大きく、復興支援の各種イベント会場からお誘いを受け全国各地にも出展しました。作品が好評をいただき、またそこから輪が広がり、銀座教会、表参道ユニオンチャーチ、大手町東京サンケイビル、盛岡の川徳デパート他からもお誘いを受け、今日まで439会場(延べ901日)での販売会開催に至っています。(2018年8月現在)

 毛糸をお届けくださった方々と同様に、この震災で心痛めておられるみなさまが、作品の購入によって大きなご支援を下さることになりました。加えて、それらの作品を手に取ることで「岩手にスキーに! 旅行に行かなければ!」と思いを馳せて頂きたいと願い、その大事なツールとしてこの編み物が位置づけられればと願っていました。今、あちこちのスキー場でハートニットの帽子を被っておられる方を見ると感慨の気持ちでいっぱいになります。

    それぞれの立場で、できる支援をと言う想いを込めて
         「ニットでハートを繋ごう」
      ハートニットプロジェクトと名付けました。

 山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市、南三陸町、内陸避難の盛岡市の100名のアミマーさんたちは、その後地元でお仕事が見つかり、漁業が復活し家業が忙しくなり、多くの方がハートニットを卒業されました。とても喜ばしいことでした。願いは、全てのアミマーさんの卒業でしたが、現実は年配者が多いこと、これまで外でのお勤め経験がない、家業の漁業の再建を断念された等、理由はそれぞれですが、何よりも編み物が大好きだからという理由で、今現在は40名のアミマーさんが在籍しています。
 このような状況下、第3段階としてアミマーさんご自身がお一人ずつ主体となって、編み物で生計が成り立つことを目指して「自立」という目標へ向かって、無理せずに、ゆっくり進んで行くためのお手伝いができたらと、その道を模索していました。

◆ ハートニットが8年目を迎えるにあたって

 7年半の月日を振り返り、当初はこのような形態で、このような広がりをもって社会貢献に繋がるとは想像すらしていませんでした。ボランティア他、支援者の誰一人が欠けても成し得なかった道のりでした。ここまで育った支援活動としてのハートニットプロジェクトが、この先の終着駅を見据えて、その歩みを方向づける時期が近づいています。

 綺麗なランディングをするための道をひとつに集約することは難しそうです。アミマーさんお一人お一人の環境や取り組み姿勢も様々です。その状況を踏まえて、さらに我々ボランティアの体力と器をわきまえつつ、その最善の道が敷けたならば、ボランティアと多くの支援者の皆さんの心も救われると思われます。その道を見つけるために、組織全体の状況を考慮しつつ行動に移す時期がやってきました。事の始まりが前代未聞の震災ですから最善の方法はないと覚悟する中で、アミマーさんに対して多少なりともこの関わりによって何か心に届くものを残せたら、ボランティアにとっても大きな喜びとして残ることと思います。

◆ 「支援」から「自立」へ

 そして、「ハートニットプロジェクト」がひとつの転機を迎えます。大幅に活動の舵を切り、ボランティア活動としてのハートニットプロジェクトは今年をもって終了する予定です。アミマーさんたちはここまで質の高い仕事ができるように技術を身にけられました。そこで、その誇りに見合った体制を取るべきだと考えました。嬉しいことに、この活動に注目してくださる大手アパレルブランドがアミマーさんの実力を認めくださり、企業の商品としての製作依頼を受ける道が開けました。ボランティアからスタートした支援活動が、手仕事による自立への明かりが見えましたので、ボランティアはその役割を終える事になりました。

 アミマーさんたちの技術評価があり、昨シーズンより英国のデザイナーブランド・マーガレットハウエルから仕事を受けています。また、帽子製造販売では国内一のシェアがあるCA4LA(カシラ)、海外でも高い評価を受けている山形県寒河江市の佐藤繊維(アパレルブランド名「M. & KYOKO」)については、来シーズンに向けて計画が進んでいます。このほかゴルフ雑誌 Chice(ゴルフダイジェスト社刊行)、川徳デパート(3F・5F売り場)、東家(老舗わんこそば店)、ニューボーンフォト(フォトピア)等、7つの企業と協力関係を結ぶことができました。
  この中には「ハートニット」のブランド名と被災地支援のストーリーを継承する意向を示してくださっている企業もあり、ボランティア経済から一般市場経済へ正に一歩踏み出すことになりました! 皆さまから物心両面でご支援頂き培ってきた技術がこの様な形を成しました。心より感謝申し上げます。いつかどこかで皆様の目の届くところで商品としてお披露目の機会もあると思います。どうぞお楽しみになさってください。

      ご支援の毛糸をお届け下さった方
    ボランティアとして足を運んでくださった方
       作品をお買いあげ下さった方
     皆様、本当にありがとうございました。

 うれしい出来事もありました。熊本で支援活動をされているボランティアの方たちの訪問を受け、熊本県菊池郡大津町でハートニット熊本を立ち上げ活動をしたいとの申し出を受けました。全てのやり方は熊本にお任せし、ただひとつ、ハートニットの精神を共有して頂くことをお約束頂きました。こうして、熊本震災による仮設住宅でも「ハートニット」が始まっています。震災を機にこんなに遠い所でもうひとつハートニットが生まれました!
 辛い経験から発した活動ですので手放しで喜ぶ事ではありませんが、ハートニットの和がひとつ広がりましたことは、ボランティアにとっての励みと誇りとなりました。この後、益城町にも繋がりました。「編み物の魅力伝えて下さい」との願いを込めて、これからも応援してまいります。

 昨今、全国的に、世界的にも災害が多発する中、活動のノウハウを別の被災地や後世にも引き継いでいけたならば、と偉そうなことを願っています。

 (ハートニットプロジェクト)

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