【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

東南アジアの山地民カレン族がカレン族たる由縁は祖霊信仰にあり

荒木 重雄

 新型コロナウイルスの不安が拭えないままの暑さの盛り。今号ではせめて時局からしばし離れて、東南アジアの山地の民の原風景に遡り、一服の涼を求めることとしよう。

 ミャンマーとタイの国境を跨ぐ山岳地帯にカレン族とよばれる少数民族がいる。ミャンマー側に400万、タイ側に35万ともいわれるが、この地域に多い少数民族の峻別が難しいのと同様、その数も大掴みと理解されたい。

 ミャンマー側では長年に亙る国軍との抗争、タイ側では観光化や市場経済化などが今日的な話題となるが、今回はそれには触れない。

 生活のもともとの形は、焼畑農業や棚田の稲作での自給自足が基本である。母系制の傾向が強く、かつては親戚関係の数家族が集団で住むロング・ハウスが特徴的だったが、現在は、男が妻方の家、もしくは妻方の村に入って夫婦となり、核家族でそれぞれ一軒の高床式の家で生活を営むのが普通である。サプガとよばれる伝統的宗教指導者の長老が村を仕切る。

 ミャンマー、タイとも、平野部の多数派民族は大方が仏教徒だが、山地民は精霊信仰(アニミズム)で生きる者が多い。精霊信仰とは、山にも樹にも水にも農作物にも、森羅万象に精霊がやどり、その精霊が人に恩恵を与えたり、たたりや災厄をもたらすと考える世界観だが、その精霊の一種に祖霊がある。親族集団それぞれの先祖の霊で、カレン族はこの祖霊をブガとよんでとりわけ大事に扱う。

◆ 村人の生活を規制するブガ

 祖霊ブガは、一族のメンバーの日常生活を四六時中、隅々まで目を光らせて見張っている、と信じられている。だから人々はまったく油断ができない。そのためカレン族はきわめて道徳的な民族といわれている。嘘をついたりものを盗むことを恐れ、とりわけ性的不品行へのブガの戒めは恐ろしく、ゆえにカレン族には不倫や離婚、再婚などまず例を見ない、のだそうだ。

 たとえば村に姦通を犯した者がいると、ブガが虎になって村を襲うという。だから、村に虎が出没し家畜や家禽が食い荒らされたりすると、誰かが姦通でもしたのではないかと、真顔で犯人捜しがはじまる。

 そしてもし、「犯人」が見つかりでもすれば、その者には、村からの追放も含め、さまざまな贖罪が求められる。文化人類学者からはこんな報告ももたらされている。姦通が発覚した男女に、長老が三つの丸薬を用意した。そのうち二個には猛毒が仕込まれている。二人はそれぞれ一個ずつの丸薬を呑み込むよう求められ、ジャングルへ追いやられた。二人とも毒の入った丸薬を呑んで死亡するか、一方が愛する人の最後を見届けなければならない運命に陥るかは、ブガの胸三寸である。

◆ 祖霊を供犠の儀礼で慰める

 親族の誰かが病気になったり災害に遭ったときは勿論だが、そうでなくても、年に一度はブガのご機嫌をとらなくてはならない。それがオヘとよばれる儀礼である。
 オヘ儀礼の日取りが決まると、親族全員に招集がかけられる。通知を受けた親族は、どのような遠方からでも、万難を排して出席しなければならない。一人でも欠ければ儀礼はできない、行なえばむしろ逆効果になる、とされる。そして、もし欠席する者がいれば、彼はブガを怒らせて親族に災厄がふりかかることを願っていると理解される。

 オヘ儀礼では母系親族集団の最年長の女性が祭りを司る。参加者は全員、カレンの民族服の着用が求められる。また、儀礼中はカレン語以外を話してはならない。普段はタイ語なりビルマ語なりの方言が日常語だが、オヘでは厳禁である。

 儀礼は、ヘコとよばれる司祭役の女性が、高床式の居間の囲炉裏で土鍋に入れた粥を焚くところから始まる。そこに鶏が持ち込まれ、まずヘコが、チョピノという、鶏の嘴を指でつまむ動作をする。次いで参会者全員が順番にチョピノを行なう。チョピノがすむと、司祭役の女性ヘコが祖霊ブガに祈りを捧げる。「この鶏を捧げます。ですからブガよ! われらを病気や災害から守りたまえ」。祈禱がすむと、犠牲の鶏は首をひねられ、解体されて、土鍋の粥で炊かれる。

 祖霊ブガの怒りが烈しく、鶏の犠牲くらいでは間に合わないときは、豚が犠牲に供される。その場合はヘコの女性だけでは手に余るので、二、三人の男性が介添えをする。チョピノはヘコをはじめ全員が刃物で豚の体を刺して傷つけることになるので、凄惨な阿鼻叫喚が展開する。

 そして最後は、鶏もしくは鶏と豚の肉が入ったおじや料理ができあがり、祖霊ブガと参加者全員との共餐が行なわれるのである。

◆ 祖霊と儀礼がカレン族の絆

 カレン族をカレン族たらしめているものは、祖霊ブガへの信仰とオヘ儀礼だという。すなわち、どのように都市化が進み、メンバーが地理的に四散しようとも、カレン族はつねにオヘ儀礼に出席する用意をしておかなければならない。民族衣装を保持していなければならないし、カレン語を忘れるわけにはいかない。これがカレン族をカレン文化に留め、カレン族社会の求心力として働いている。

 しかし、その桎梏が煩わしく、祖霊の支配から逃れたくなることがあるのも確かだろう。解放される方法は、一つはキリスト教に改宗すること。とりわけミャンマー側では、19世紀以来、米英の宣教師から「迷信」から決別することが勧められてきた。もう一つは、平地民の仏教系行者からチャカシという儀礼を受けることである。

 チャカシ儀礼は、家で栽培しているさまざまな作物の種子を黒焦げになるまで焙って発芽力を殺し、これを村外れの枯れ木の前に供え、行者を導師に「ここにある種子と枯木から芽が出て花が咲かぬ限り、ブガよ! どうかこの家に戻りたまうな」と祈りをあげる。枯れ木や焦がした種子に花は咲かぬのが道理。これで、この個人や家族は祖霊ブガから断絶できたことになるのだが、それは同時に、自らが依拠してきたカレン族社会からの断絶をも意味する。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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