【投稿】

有閑随感録(63)

「セキュリティークリアランス」制度とは
矢口 英佑

 『朝日新聞』2024年5月11日朝刊に「身辺調査の制度、法成立 経済安保、民間人も対象」という記事が1面に掲載されていた。「セキュリティークリアランス」制度の法案が5月10日に参議院本会議で可決されたことを報じた記事である。
 この「セキュリティークリアランス(適性評価)」制度とは何か、いったいどれほどの国民がその実態を知っているのだろうか。
 この法案に対しては自民党、公明党の与党だけでなく立憲民主党、日本維新の会、国民民主党も賛成したためか、マスコミなどでもあまり大きく取り上げられなかったようである。実際に審議された法案はこの制度を導入するためのもので「重要経済安保情報保護・活用法」がその法律名である。
 冒頭の記事によれば、「新法では、基幹インフラや半導体などの重要物資に関する情報のうち、流出すると安全保障に支障を与えるおそれがあるものを「重要経済安保情報」に指定する」と記されている。
 しかし、ここまで記事を読んで多くの国民には、いまいちピンとこないのではないだろうか。と言うのも、「安全保障」(安保)と「経済」がうまく結びつかないからである。
 つまり「安全保障」と言った場合には、「日米安全保障条約」を挙げれば理解できるように、基本的には国家が安全な状態であるために必要な措置が取られ、他国からの攻撃や威嚇を受けない状況を保つことを意味する。
 一方、経済の領域で考えるなら、現在は国と国との垣根がますます低くなり、グローバル化が大きく浸透し、相互依存がますます強まってきている(もっとも〝相互依存〟とはなっていないグローバル化も少なからず存在するが)。そのような中で経済を「安全保障」と結びつかせることは、自国の権益を守り、自国第一とすることになるわけで、反グローバル化を意味することになるからである。
 
 「経済安全保障」という言葉が使われるようになったのはほんの数年前のことでしかない。そのきっかけは、日本の経済活動を維持するために重要と思われる基盤を強化し、可能な限り他国に依存しない一方で、日本みずからが国際社会にとって重要な分野を拡大させ、保持することが方針として打ち出された時に始まる。
 こうした方針が出されたのには、鉱物資源、食料、産業・医療用の物資等の輸出の制限を実行し、経済的な威圧を加えるという、経済的活動を武器に政治的な圧力をかけてくる他国の存在が日本にとって脅威となってきたからである。
 確かにこうした意図的な他国からの圧力ばかりでなく、日本で生活するに際して、欠くことのできない物資が不足する事態が起きている。企業のサプライチェーン(供給網)が世界中に広がっているからであり、不測の事態が起きれば大きな混乱が引き起こされることは容易に推測できる。
 さらにアメリカと中国との対立、ロシアのウクライナ侵攻などが経済面に大きな影を落とし、世界、そして日本での順当な経済活動が阻害される事態が生じている。たとえば中国によるレアアースの輸出制限などは日本の産業界に大きなマイナス要因を作り出し、特定の国に頼りすぎる危険性を思い知らされたのは記憶に新しい。
 
 だからこそ、経済的な脅威(供給網の脆弱化、先端技術などの流出、サイバー攻撃からインフラを守る等々)に対する備えとして経済面での安全保障制度を法律的に定めたというのが国の立場だろう。ただし忘れてならないのはこれらの法制化もその運用もすべて国が主導して実行するということである。
 今回の「セキュリティークリアランス」制度も国が主導しているからこそ法制化されたのである。なぜなら、これらの重要経済安全保障に関わる業種の重要な情報は国がその人物の適性を判断し、合格した人物だけが取り扱えるようにしなければならなかったからである。
 「経済」という名称はついているものの、主たる目的は「国の安全保障」である。つまりあくまでも国家が主体となって経済的な脅威から日本を守ることであり、だからこそ重要情報を取り扱う人の適性を国家が判断するのである。
 冒頭に引用した朝日新聞の見出しに「身辺調査の制度、法成立」とあったのはそのためである。
 
 今回の法律に私が危うさを感じるのは安全保障に経済が結びついていることから、単純に国主導だけでは運用できないはずだと思うからである。企業は国の政策決定にすべて従うわけにはいかない。利潤を追求するのが企業だからである。上述した朝日新聞の記事の見出しは、続けて「経済安保、民間人も対象」とも記していた。適性を審査する対象は一般国民にも及ぶことをこの記事は告げているのだ。朝日の記事からは、私が抱いている危うさを同じようにとらえていることが理解できる。
 今回の「セキュリティークリアランス」制度の法制化で思い出すのは、安倍政権が2013年12月6日に成立させた「特定秘密保護法」である。これは防衛、外交、スパイ防止、テロ防止の4分野で、国の安全保障に関連した情報を特定秘密に指定し、漏えいを防ぐことを目的としたもので、完全に安全保障に関わるため国家が主体となって運用する。
 実はこの法律にも人物の適正評価制度が設けられていて、その対象者は国家公務員、地方公務員、警察官など、そのほか行政機関と契約して特定秘密を取り扱う民間企業の従業員などで、行政機関の長が適正評価をすることになっている。  
 特定秘密を扱う者はその身上を調査・管理され、外部に漏らしたり、外部から情報を得ようとしたりすると処罰されることになっている。
 このようにみると10年前の「特定秘密保護法」と今回の「セキュリティークリアランス」制度はみごとに繋がっており、まるで双子のように相似形を示していると思えて仕方ない。国民の「知る権利」を侵す恐れがある法律がまたしても生まれてしまったのである。
 
 元大学教員

(2024.6.20)
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