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有閑随感録(53)

「今どきの大学教師」その1
矢口 英佑                                 

 かつての大学の教師は、といってもわたし自身のことだが、定められた授業開始時間に教室に入ったことはなかった。たいてい10分程度は遅れて行ったものである。学生たちもそれを知っているので、仲間同士でおしゃべりしたり、わたしの遅れを見越して教室に入ってきたりしていた。
 でもこんな怠け者教師のわたしを批判する学生はいなかった。それどころか「もう少しゆっくり来てくれ」などと言われて、わたしの授業そのものへの期待感は無いのだと教えられたものだった。だからなのだろう、教室でノートやテキストを広げてわたしを待っている学生はあまりいなかった。
 さらに授業は5分程度、早く終えるのも常だった。つまり90分授業のうち15分程度はサボっていたことになる。授業の合間の時間はたいてい10分間だったため、学生にとっても少し早く授業が終わるのは教室の移動やトイレなどがあるので、ありがたかったはず(とひそかに思っていた)。
 また、授業を始めてもわたしが進んで雑談することが多く、予定した授業内容をこなせないことも珍しくなかった。受講生もわたしが雑談を始めると、眠そうにしていた学生までしっかり顔を上げる始末。学期末に授業の感想を書かせると「雑談がいちばん面白かった」などと何人もの受講生から書かれると、喜んでいいのやらわからなくなったものだった。

 ところが、今どきの先生はかつてのわたしのようないい加減な姿勢で教室に行くことなど決してない。学生による授業評価なるものが毎学期、担当科目に対して行われ、受講生が授業を評価する仕組みが全国の大学で行われている。その評価項目には「時間通り授業は行われたか」「シラバス通り授業は進められたか」「授業はわかりやすかったか」といった質問項目などもあり、さらに自由記述などもあって、学生が何を書くのかわからないだけに、戦々恐々となる教員も珍しくない。しかも、大学の上層部の教員が目にすることも可能であり、教員の勤務評価にもつながる可能性も否定できない(そのような目的では使用しないことにはなっているが)。
 「悪事千里を走る」ではないが、悪い評判は学生の間だけではなく、教員の間にもたちまち広まってしまうだけに、気が抜けないのである。授業中の雑談常習者だったわたしのように調子に乗って話し続けることもできなくなっている。まさにシラバス通りに授業が進められていないと判断されてしまうからで、今どきの先生は不自由極まりないとも言えるかもしれない。
 
 文科省から定められた授業期間、そして授業時間の厳正化を大学が守り始めたのがいつ頃かはっきりしないが、大学の授業は1週間に1回、90分授業を15週続けると講義科目では2単位、語学科目では1単位としてカウントされる。現在は100分授業、14週とする大学も出ている。理由は以下に述べることが関わっている。
 授業時間数を確保するためには、およそ4カ月間授業を行わなければならない。日本では4月が新学期なので7月いっぱいかかることになる。この間に祭日などが入っても大学は授業を休むわけにいかない。特に月曜日は誰が名付けたのか「ハッピーマンデー」とかで、国民の祝日の一部を、従来の固定日から特定の月曜日に移動させるとして、2000年から実施され始めた。社会人には連休となってありがたいのだろうが、大学が休校にすると授業が消化できなくなってしまう。そのため「ハッピーマンデー」を社会人同様に休日扱いにする大学はない(「成人の日」は休日扱いにする大学が多い)。しかも、学期末試験がこれに加わるため、実質的に8月上旬まで大学は授業期間となっているのが現状である。
 大学の先生はその後、学期末試験の採点をし、事務に成績表を出し終わって、ようやく夏休み前の授業が終わることになる。ただし、これは単に授業だけのスケジュールであり、他に教授会や各種委員会、既に始まっている入試業務などに駆り出される教員もいる。そして9月半ばには早くも後期の授業が始まってしまう。そうでないと翌年の1月中に授業を終了させることが困難となるからである。そして、後期授業が終わっても、複数の入学試験、成績判定、卒業判定など1年間の総決算時期であり、新学期準備も加わって教員は最も忙しく、自分の研究にじっくり取り掛かれる時間はまずない。こうして学生は春休みとなるが、教員はあっという間に新学年を迎えることになる。
 このスケジュールを見ただけでも、今どきの大学教員は自分の時間が取れないことがよくわかる。わたしが大学で教えていた頃はセメスター制ではなかった時期が長く、通年科目がほとんどだった。つまり半期完結ではなく1年完結であった。そのため教員にかかる事務的な作業もさほど多くなく、1年間で授業を完結させれば良く、教員の自由裁量で授業が運営できる部分もかなりあった。授業展開にゆとりがあったと言えるだろう。
 今は授業を休講すると、その理由にかかわらず補講授業をしなければならず、たいてい定められた授業期間外で行なうしかない。学生にとっても負担となるが、これも授業時間数をきちんと確保せよという文科省からの〝お達し〟を守るからであり、大学としても数年に一度、受ける第三者機関による大学評価でその評価を落とさないためでもある。
 
 こうした縛りが緩かったわたしの頃は4月の授業開始を正式開始時期より1週遅らせたり、終了時期を1週早めたりして、ここでもサボリ授業をしていた。
 夏休みもほぼ2カ月間は自分の研究に当てることができた。授業評価などといったものもなかったし、授業概要、テーマ、参考書、成績の評価基準といった文科省の方針に合わせたシラバスなどというものも書く必要などなかった。もっともある時期からはこうしたシラバスが導入されたが、授業開始時期に教室で伝えればいいではないかと常に思っていたものである。
 わたしの頃と大きく変わった要因には、大学の存在価値が大きく変わってしまったことも大きいだろう。
 昭和22年(1947年)の教育基本法第52条(学校教育法第83条)には、
・「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
・2 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」
 とあった。
 今から76年前の戦後間もなくの法律では大学の存在意義や価値が非常に高く、「深く専門の学芸を教授研究」する場として認知されていたことがわかる。
 ところが約60年ぶりに改正された平成18年(2006年)の教育基本法第7条には
・「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
・2 大学については、自主性・自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」
 と大きく様変わりしているのである。

 「深く専門の学芸を教授研究」するのではなく、「高い教養と専門的能力を培う」場となったのである。「研究」が大きく後退し、「高い教養と専門的能力」を培う、つまり大学は「教育」が優先されることが明示され、主たる目的とされたのである。
 大学の教員は大学での存在意義や働き方についての認識を改めていかなければならなくなったのである。(続く)

           
(2023.7.20)
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