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有閑随感録(38)

矢口 英佑

 「フェイク」という言葉、ついこの前までは、アメリカのトランプ前大統領がツイッターなどを使って自分に批判的な報道に対してこの言葉で片づけ、多用していたことが記憶に新しい。
 〝批判〟を〝嘘〟に置き換えて、報道された内容が自分に不利な場合はことごとく「フェイク」として切り捨ててしまい、さらにはそうした報道をしたメディアや人物に圧力をかけることを常套手段としてきた。

 ところが、この「フェイク」という言葉がまたもや最近のテレビやマスコミ上で踊り始めている。ロシアのウクライナへの侵略戦争によって、ロシア側がたびたび使い始めたからである。

 そもそもインターネット上でよく言われる「フェイクニュース」は、何らかの目的のために意図的に騙そうとする偽の情報であったり、拡散させて人びとを混乱させる目的のデマであったり、単純に間違った誤情報であったりとその意味するところは一つではない。

 しかし今回のロシアのそれは、ウクライナへ問答無用とばかりに侵攻し、建物を破壊し人びとを殺傷し続けている事実は、すでに起きている。それは隠しようもない。一方、ロシア国内では非ナチス化のために戦うというプーチン大統領の言葉が信じられ、賛美さえされている。つまり、ウクライナで現在、起きていることは、ロシア側でも、どのような言葉を使おうとも紛れもない事実として認識されている。限られた情報しか与えられていないロシア国民にとってもウクライナへの侵攻は「嘘」ではない。ただし「侵攻」とは受けとめていないが。

 建物が破壊され、病院や公園、駅、教会などを破壊すれば、そこに多くの一般人がいることぐらいは通常の判断能力を持つ人間なら容易に想像がつく。しかも重火器を持った人間が武器を持たない人間を狙い撃ちする狂気は、自分が殺されるかもしれないという恐怖によって増幅されていくのだろう。
 このように見るなら、今回のロシア側の言う「フェイク」には新たな定義を加えた方が良さそうだ。〝言い逃れ〟ないしは〝ごまかし〟という新たな定義を。

 一方で、これまでの定義で通用する「フェイク」も使われている。「ディープフェイク」と呼ばれているものである。AI技術を応用し、二つの画像や動画の一部を交換して結合させ、元とは異なる動画を作成する技術である。今回も出所は明確ではないが、ゼレンスキー・ウクライナ大統領が国民に降伏を促す動画がネット上に流れた。
 この偽動画はすぐに見破られ、ネット上から削除されたが、現在の戦争ではミサイルや重火器だけでない情報でも熾烈な戦闘が展開されていることがわかる。
 その意味では何が事実なのか、耳や目に入ってくる情報がどれだけ事実を伝えているのか、その判断が難しくなってきていることを教えている。

 もう一つ、ロシアのウクライナ侵攻では「洗脳」という言葉がやはりマスコミ上で飛び交っている。信じがたいことだが、ロシアのウクライナへの侵略戦争開始後、ロシアでのプーチン大統領の支持率がそれ以前より上昇し、80%を超えたという。もっともこれもフェイクかもしれないが、確かめようもない。
 なぜこうしたことが起こるのか。放送が厳しく管理されているロシアでは一つの情報しか国民には伝えられていないからである。ネット情報も厳しく管理され、多様な情報は遮断されている。

 ウクライナで活動していたナチスがロシア国境近くでロシアへの軍事的行動を起こそうとしているのを排除するためにロシア軍が動いたとロシア国民には説明され、今回の侵攻を正当化している。ロシア国内でも戦闘の様子が流されているが、街が爆撃で破壊されたりウクライナ人が泣き叫ぶ姿は、すべてウクライナ軍が仕掛けた結果というフェイクニュースとなって、ロシア国内では伝えられている。もちろんロシア国民は、それらがフェイクだとは思っていない人びとが大多数と言われている。

 ここに記したことは現在、ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けている中で起きている事実の一部である。しかし、似たようなことは日本でも起きていることを忘れてはならない。日常よく起きる誹謗中傷はフェイクの一種と言える。たとえ誹謗中傷ではなくても立場や見解が異なれば、相手によってはフェイクと映ることも少なくない。

 また、マスコミが取り上げるさまざまな情報も事実をしっかり伝えているのか疑う目を持つべきだろうし、行政府の見解がたびたび事実とは異なっていたことがあとからわかるという事象は決して少なくない。なかには意図的なものもある。まさにフェイクが公然と起きているのである。
 日々、私たちの生活に否応なしに侵入してきている広告宣伝、コマーシャルの類は、テレビやラジオ、あるいはその他の媒体から自分が離れない限り、繰り返し同じ内容が脳を刺激し続けている。そして、いつしかそうしたコマーシャルを受け入れ、そうなのかと思うようになっていないだろうか。これこそ一種の洗脳にほかならない。

 こうした陥穽に落ちないためには自分の手で情報を収集し、情報量を増やし、より的確な判断が下せる自分を磨くしかない。騙され、利用されるだけの人間とならないために。

 (元大学教員)

(2022.4.20)
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