【投稿】

有閑随感録(37)

矢口 英佑

 今や「本が売れない」ではなく「本は売れない」の時代にまちがいなく入っている。それに追いうちをかけるように印刷製本会社から紙の値上げを伝えられたばかり。いずれそう遠からず書籍代の値上げに繋がっていくことは避けられない。「本は売れない」の要因がまた増えたわけで、出版業界はますま青息吐息となるのは明らか。
 もはやこれまでと身を引く出版社も出てきている。ただし身の引き方にもいろいろあって、いちばんあっさりしているのは廃業だ。しかし長年、営業してきた会社を完全に閉じてしまう決断に至るまでにはいくつもの方向性の検討がなされてきたであろうことは想像に難くない。もっとも借金や未返済の金額がなんとかなる可能性があるならば、もう少し頑張ってみようと考えるのが人情だろう。

 最近、論創社に持ち込まれたある出版社の場合は、負債はないもののこのまま続けていっても経営が好転する可能性が低いのと、何よりも社長本人が出版にかける熱情が薄れてしまったことが大きいようだ。なんともやるせないのは跡を継いでくれると思っていた子どもが大手新聞社に就職が決まり、あっさり出版社社長の席を蹴ってしまったからだという。あまり儲かりそうもない父親の出版社より大手新聞社の方が良いというのもわからないわけではないが、結局、子どもの気持ちを優先させた親心に一抹の哀しさを覚えてしまう。

 そこで、くだんの社長が考え出した次なる方策は、会社をあっさりこの世から消してしまうのは忍びず、社名を残したいというものだった。
 現在、製作中の本や新たな企画はないものの、維持費も馬鹿にならないことから、あまり先延ばしもできず話は一気にまとまったらしい。結局、ほぼ希望通りの形で論創社が引き継ぐことになった。
 社長、社名、社屋はそのまま残し、実質的業務は論創社がすべて行うというもので、すでに出版し、取次を通して書店に出回っている書籍の返本等の残務も論創社が引き継ぐことになった。要するに居酒屋などで珍しくない“居ぬき”のようなものだろう。

 それにしてもこの出版社の申し出をあっさり受け入れた論創社の社長は、相手が旧知の間柄という義侠心だけではなかったにちがいない。話を聞くと、なるほどそれなりのメリットがあってのことだった。
 なんでも1970年を境にそれ以前に創業し始めていた出版社とそれ以後の出版社では、取次店との書籍換算率が異なり、論創社より換算率が高いのだそうである。また取次店から書店に卸された書籍の出版社への支払いは半年後まで待たなければならないが、これまた1か月以内に一定程度の見越し売上金が取次店から支払われるとのこと。今となってはとんでもない優遇制度であり、差別制度とも言えそうだが、出版界でこうした違いを是正しようとする動きはなく、当事者たちも不当性を訴え、改革を迫る動きなどは起きたことがないのだそうである。

 ここにはどうやら出版社と取次、出版社と組版会社や印刷、製版会社といった関係がかなり個別的であり、決して一律ではないことも関係しているようである。たとえば、まったく同じ本をA社とB社が作り、それを売り出したとしよう。その定価が同じになるとは限らないのである。その理由は、製作費用が異なっているからである。

 A社とB社が依頼した会社が異なるなら定価に違いが出ても当然だろうが、ここでの話は2社ともまったく同じ組版、印刷、製本会社の場合である。さらには表紙やカバーのデザイナーも加わり、それらがすべて個別の価格交渉であり、それこそそっと密かに行われて、製作価格が決められている。不思議なのは、A社とB社は互いに相手の製作価格を知らないし、製作会社も教えようとはしない。
 製作費用を少しでも安価にしようと粘り強く交渉する出版社社長もいれば、長年のお付き合いということで価格交渉を改めてしようとしない社長もいる。またベテラン編集者がこれまた個別に組版会社等と価格を設定して、編集者任せのまま営業を続けている社長もいる。

 断っておくが、ここで話題にしているのは弱小出版社で、大手の内情は知らない。しかし「本は売れない」状況は大手といえども同じで、出版部門だけで十分な採算が取れているとは言い難く、他部門と帳尻を合わせているのが現状だろう。出版業界はすでに氷河期に突入しているだけに、可能な限り企業努力はすべきだ。粘り強い価格交渉も必要である。

 でも出版社の社長には本作りに対してそれぞれがこだわりを持っている人が多いように感じる。そのため一般の商品のように顧客ニーズに応えて、とはなかなかなりにくいのかもしれない。また執筆者という人びとなしには商品は生まれないわけで、この人びとのニーズにも応えなければならない。
 さらにもっと厄介なのは読者という不特定多数が何を求めているのか、まさに顧客ニーズが掴めず、出版してみなければ売れ行きはわからない不透明感が常につきまとっている。ひょっとすると爆発的に売れる可能性だってあるわけで、だからこそ青息吐息になりながらも「ひょっとすると……」と念じながら、明日もまた新たな本作りに取り掛かっているのかもしれない。

 こんななんとも悩ましい業界に身を置いてまもなく3年になるが、悲観的にならないのは我ながら奇異に思う。
 どうやら本作りが嫌いではなく、1冊が世に送り出される達成感が心地良いようだ。

 (元大学教員)

(2022.3.20)
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