【投稿】

有閑随感録(34)

矢口 英佑

 日本大学を13年間にわたって牛耳ってきた日本大学のドン・田中英寿理事長が脱税容疑で逮捕され、最初は容疑を否認し、辞任などさらさら考えていなかったようだが、文科省や世評の厳しさが増し、ついにみずから辞任を申し出て、12月1日に理事会で了承された。
 日大はこの御仁が「うん」と言わなければ何も動かないと言われて長く、異を唱える者や気にくわない者はすべて切られる専制的な学校経営が続けられてきていた。
 その意味ではこれから日大も開かれた、民主的な運営組織体に大きく変わる可能性が出てきたのかもしれない。

 だが、こうした事態に至った経緯を見れば明らかなように、今回は日大内部の自浄力によって起きた変化ではない。田中英寿という人物がみずから招いた不正に対する追及が厳しく、逃れられなくなっての辞任であり、日大の理事会メンバー、教員、職員が結束して田中英寿理事長と闘い、手にした結果ではないことである。
 言い換えれば、田中英寿という人物がこうした不正を犯さなければ、今も理事長として君臨し、日大の状況に変化は起きなかったことになるのである。

 私が危惧するのは、現在の理事会メンバーは田中英寿理事長時代に選任された人物たちということである。つまり田中英寿という人物にとって好ましいと考えられていた人たちが多いことが予想される。そのような理事で占められた理事会がみずから厳しく姿勢を正し、田中英寿氏に対して断固たる処断をしても、これまで理事長の専横を許してきた自分たち理事の責任は問われなくていいのだろうか、それですべて終結ということでいいのかということである。

 その流れの中でいけば、聞くところによると、職員たちの中でも運動部出身の職員が重用されてきたという。おそらく田中英寿氏が相撲部出身だったということがあるのだろう。運動部出身の職員すべてがそうだと言うつもりはないが、いつの間にか虎の威を借りる狐になって、組織の中でミニ田中英寿になっていた職員はそれなりにいたのではないだろうか。
 繰り返すが、今回の日大騒動は自浄作用の結果ではないだけに、組織内部の民主化、透明化はそう簡単ではないことが予想される。

 また、大学は一般企業とは異なり、教育組織体でもあるということである。大学は法人組織と教学組織に分かれていて、いわば2頭立ての馬車のようなものである。経営の責任を担うのは理事会であり、教学の責任を担うのは学長をトップとする教授会である。
 ところが文科省は国立大学における学長の権限を強くし、教授会の力を著しく弱めてしまった。つまり教員が教授会で様々な意見をぶつけ合い、その中からより良い方向性を見出し、教授会として議決する手法を否定し、学長サイドの意向によるトップダウンがまかり通っているのである。

 こうした手法は私立大学にも及び、少なくない大学が学長の権限を強くする方向に動いている。日大がどのような教授会運営をしているのか私にはわからないが、日本の多くの大学教員は理事会で何が行われていようと、教育・研究に携わる自分たちから口を挟む領域ではないと思っている可能性が大きい。
 もっとありていに言えば、研究環境や授業運営で教員たちに不利が生じず、もちろん給与などの待遇面でも劣悪化しない限り、教員たちの多くは大学経営には目を向けず、ひたすら自分の職分としての教育・研究に注力しているのが現状である。たとえ教授会の議決権などが奪われてしまっても。

 かつて大学という組織に身を置いたものとしての感想だが、日大に田中英寿というような人物が長年君臨できたのは、この御仁の経営手腕が優れていたとしても、恐ろしいほどの専制体制を許してきてしまった責任の一端は教員たちにもあるということである。
 これから日大が再生していくためには全学での反省とそれをバネにした教職員の一致した組織浄化への努力が求められているのだろう。

 (元大学教員)

(2021.12.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧