【投稿】

有閑随感録(29)

矢口 英佑

 最近のこと、いつも利用している私鉄の駅のプラットホームで時刻表を見たいと思って、掲示されていたはずのあたりに目をやると、どうもないらしいことに気がついた。そのときは、「電車の時刻改正時期ではないけれど、作り変えるのかな」と思う程度で、あまり気にしなかった。
 そして翌日、今度はJRの駅で目指していた電車に乗り遅れ、快速電車で追いつこうとその快速電車の発車時刻を知りたくてホームの時刻表を探したのだが、これまた見つけられなかった。

 こうなると少々「変だな。なぜないのだろう」と思い始め、それ以降は意識的に改札口あたりや、切符売り場あたりにも目配りをしてみると、JR、私鉄ともに、やはりないのだ。
 どうやら私は日々、しっかり生活しているつもりのこの日本で、いつのまにか変化が生じていて、その変化に気がつかなかったのか、情報として掴んでいなかったのか、とにかく取り残され者になり始めていることにはたと思い至った。

 その後、くだんの時刻表が出ていた私鉄のホームの壁に今後、新たな時刻表が出ることはありえないこともわかった。なぜなら、その場所には自分のスマホでQRコードを読み取り、時刻表データを取り込むように、とあったからである。

 スマホを持たない日本人はもはや日本人として生活できない落ちこぼれ者になるとの自覚は、私自身がもっと早くに持っていなければならなかったらしい。と言うのも、以前、市の健康福祉局保険年金課から国民健康保険加入者への健康診断の通知が来ていたことがあった。

 無料なのだから健康診断を受けてもいいかなと思いつつ、開けてみると「特定健診申し込みの流れ」とあり、「ステップ1 医療機関を選ぶ 市内1,200カ所の医療機関で受診できます」の文字が続いていた。しかし、私の次の行動は通知書を閉じることだった。
 なぜなら迷路のようなあの図柄のQRコードがついていて、それを読み取らなければ医療機関が選べなかったからである。何が何でも検診を受けるつもりなら他の手立てもあったのだろうが、真剣さに欠けた私は落ちこぼれになっている自覚も抱かず、結局、検診を放棄したのだった。

 今や公的な組織ですら、日本人は誰もがスマホを持っていることが大前提になっているのだ。地震や災害の緊急連絡でさえスマホなしには知り得ないわけだから、私のように昔ながらのかなり年代物の携帯電話を持つ人間など最初から彼らの頭にはないと言える。それでも私には緊急連絡を伝える身近な者がいるからいいが、一人暮らしで連絡手段さえ持たない高齢者はどうなるのか、などと思っただけで、恐怖感さえ抱く。

 捉え方を変えるなら、日本では(だけではないが)、スマホなしでの生活など考えられない人が大多数だということにほかならない。電車に乗れば7人掛け座席に腰掛けている乗客の6人はまずまちがいなくスマホを見続けている。歩いているときでさえもスマホを見続ける者が少なくない。スーパーマーケットやコンビニへ行けば、スマホで支払う買い物客は多い。コロナ感染状況が収まらないこともスマホ支払いを後押ししているのだろう。

 それにしても、と思ってしまう。なぜこれほどまでにスマホに取り憑かれてしまったのか(あえて「憑依」の意味を表す文字を使う)。
 理由は簡単だろう。「便利」だからだ。確かにスマホがあれば、今やあらゆる情報が得られるし、さまざまな便宜が享受できる。だが、情報だけで考えてみても、そこで手にした情報に誤りはないのか。いや、意図的に偽の情報が流されていないのか。あるいは意図的に情報が遮断されていないのか。

 スマホを持たない者からすると、現在の日本人は実に危うい生き方をしているのかもしれないとついつい思ってしまう。もっと危ういのは、電気、ガス、水道は常に供給され、途切れることなどないと思っていることだろう。スマホに充電切れが起きると、ただの小箱になるということの認識が希薄なことだろう。今やスマホの充電器が駅のホームにも置かれているほどである。
 いかにも利用者の便宜を考えてのサービス(無論料金は取られる)のように見えるが、しょせんは通信会社とそれを取り巻く関連企業の手の中で踊らされているに過ぎないのではないのか。

 スマホに取り憑かれた者に警告する。君たちは便利さという魔物に取りつかれ、便利さの追求に邁進し、安楽にのめり込もうとしている。君たちは電気、ガス、水道、情報のない世界で生きられるか、みずからに問いかけてみるがいい。君たちは自分の知恵と体力で生き延びる力を潰されようとしている。
 目覚めよ。スマホから離れよ。孤独な自然人に帰れ!

 こんなことを叫んだら、同情と憐みの目を向けられるのならまだしも、老人がわけのわからないことを言って騒いでいると通報されるのが関の山か。

 (元大学教員)
                           (2021.07.20)
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