【投稿】

有閑随感録(28)

矢口 英佑

 加齢に伴う肉体的弱体化を少しでも遅らせようと日々、歩くことを心がけ、昔の通信簿よろしく、一万歩を自己採点での3、一万三千歩を4、一万五千歩を5の下限とひそかに設定している。
 「一日にだいたい一万歩以上は歩いている」と話した相手からはたいてい驚かれるのと、年齢的には歩きすぎだと忠告される。そうかもしれない。統計的には一日八千歩で良いとされているらしい。でもそれだと私にはなんとなく物足りなく感じてしまうのである。そこで「歩いていて膝や足首、その他身体のどこも異常を感じないし、歩きたくないとも思わないのだから」と勝手に納得して、他人様のありがたい忠告を無視している。

 とは言っても、最近は歩くために歩くということはない。なぜかこの年齢になって、編集稼業の他にも頼まれ仕事が入ってきて、日曜日以外は家にいることはなく出歩くからである。そのため、私の〝歩く〟はスポーツと言えるかもしれない〝ウオーキング〟にはなっていない。それだけに歩くときにはできるだけ歩幅を広く、腕を大きく振るようにしている。

 また私の持っている万歩計は簡単なものだが(横浜市が市民の健康増進のためにと希望者に無料で配布したもの)、「しっかり歩き」という分類があって、10分以上歩き続けないとこの分類に入らない歩数になってしまう。目的地に10分以内で着きそうな場合は、わざわざ遠回りして歩くなど、考えてみれば馬鹿らしいこともたびたびしている。 さらに帰宅時に一万歩に届いていない日には、最寄りの下車駅より手前の駅で降りて歩いたり、最寄り駅から遠回りして帰宅することも珍しくない。

 このように毎日歩いているのだが、駅の階段の上り下りには、特に下りる時には時々不安になり、慎重に足を運ぶようにしている。論創社の社長が1年ほど前に、ちょっとした歩くリズムの狂いから駅の階段から数段転げ落ちたことがあったからである。幸い骨折や頭を打つなどということもなく、打撲で済んだのだが、今でも防御のために手をついた後遺症が腕の上げ下げに痛みとしてあるという。

 自分ではしっかり足を上げているつもりでも若い頃に比べると確実に足のつま先が上がっていない。なんでも足の裏の土踏まずが加齢で崩れて扁平足のように変形してくるからだという。さらに私はまだ大丈夫だが、ひざや股関節、腰などに痛みが出て歩き方が変わってしまっているのに、これまで通りの歩き方だと勘違いして狂いが生じて転倒するケースも多いらしい。
 そう遠くないうちに私にも起きる現象だろう。たかが歩いているだけと油断するのは禁物のようで、こんなことを考えること自体、年老いてきている証拠なのだろう。

 ところで、以前からスキーのストックのようなものを持ち、それを地面につきながら歩いている人を見かけていたが、あれはフィンランドを発祥とするノルディックウオーク(ノルディックウオーキングとも)と呼ばれるものらしい。最初はクロスカントリースキーの選手が夏の間に行うトレーニング用に使われていたようで、横目で見た限りでは身体のバランスを取るには好都合と思っていた。

 ずっと気になっていたのでネット情報で見てみると、バランスが保てるだけでなく、上半身の重さをストックで支え、腰に負担がかからない、腕の筋肉トレーニングにもなるなどノルディックウオーキングは結構、年寄り向きのスポーツと言っていいようだ。すぐにでも始めたいところだが、問題はストック(ポール)の持ち運びだろう。折りたたみ式もあるようなのだが、これを持ち歩くのは、それでなくても荷物の多い私には負担である。それに人通りの多い町中をストックを大きくついて歩くわけにもいかない。

 ノルディックウオーキングをするには、〝歩くために歩く〟という心の準備と、あまり人通りが多くない場所を選ぶ必要がありそうである。
 どうやらポールを持っての〝歩くために歩く〟運動は少し先の話になりそうである。

 (元大学教員)
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